揺らぐ心、灯る決意(2)
「よーし、今日も通しでいくぞ。頭から最後まで、流れ意識してな!」
凌央の一声で、部室が一気に緊張に包まれた。
文化祭を目前に控えた稽古。台詞も動きも覚え、あとは“どこまで舞台の空気を作れるか”が勝負だった。
照明が落とされ、静寂の中――幕が開いた。
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神の力を宿す“選ばれし者”――巫女の生まれ変わりという難しい役を任された翠心。
最初は棒読み気味だった彼も、日々の稽古の中で、台詞の“意味”を理解し、自分なりの“気持ち”を乗せるようになっていた。
「私の中に、まだ…あの神の声が響いている。だから、私は行かなくちゃ」
感情を爆発させるのではなく、言葉に重さを乗せる翠心の芝居は、見る者の胸を静かに締めつけた。
“芝居”というより、“本当にそこにいる誰かの人生”に見えはじめていた。
舞台袖で見守る顧問の宮吉が、目を細めていた。
「……やるやんか。ほんまに」
それに引っ張られるように、狐の妖を演じる桔平の演技にも深みが出ていた。
「俺は……お前のことを護るために生まれてきた。お前が笑ってくれるなら、それでいい」
以前はただ優しげに言っていた台詞も、今では“別れ”への葛藤や、“護る”という誓いの重さがにじみ出ていた。
翠心の変化が、桔平の芝居をも変えていた。
目を合わせるタイミング、間の取り方、立ち方――すべてが自然で、まるで本当に“魂を交わしている”かのようだった。
辻井凌央は“闇の主”という難役を演じていた。
舞台の支配者として圧を放つ芝居の裏には、今年で引退という覚悟があった。
「俺たちが出られる舞台、あと何回あると思ってんだよ。……一回でも多く、立ちたいんだよな、舞台に」
稽古の合間、ポツリとこぼした一言。
その背中に乗った責任と情熱が、演技にも滲み出ていた。
舞台の上での存在感、佇まい、目線一つで空気を変える力。
凌央の芝居は、部内で誰もが一目置くものになっていた。
安楽悠嵩は“神社の主”として物語の“真実を知る者”を演じる。
感情を押し出すのではなく、静かに深く語る姿が舞台を締めていた。
「誰かを導くって、こういうことなんだなって……。この役、好きだよ。僕自身も、いつか誰かの道標になれたらいいなって思うんだ」
彼の台詞は、演技ではなく心からの願いのようにも聞こえた。
猫又を演じる有安遥登は、所作一つにもこだわりを見せる。
「猫又ってね、もともと人に化けてたって言われてるんだ。人間を観察するのが上手な妖。だから、声も動きも“少しズレてる”ように演じてるんだよ」
彼の“自分らしさ”を活かした芝居は、どこかユーモラスでありながら、底に静かな知性が感じられた。
坂本蓮真は、途中で裏切る“二重スパイの妖”を演じる。
まだ1年で経験も少ない彼だが、台詞一つ一つを丁寧に扱い、先輩たちの動きを研究しながら確実に成長していた。
「僕が仕えていたのは……あなただけでした。ほんとうはずっと……守りたかった」
泣きの演技ではなく、言葉に“静かな苦悩”を込める彼の芝居は、観客に問いを投げかけるようだった。
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「お疲れー! 通し終わったでー!」
宮吉の一声に、どっと全員がその場に座り込んだ。
水を飲みながら、翠心は隣にいた桔平にこそっと呟いた。
「なあ……桔平。なんか、今の稽古……ちょっと楽しかったかも」
「……だろ? そうやって、ハマっていくんだよ、演劇ってやつは」
「くっそ、桔平の思うつぼだな……」
そんな翠心の口元には、うっすらと笑みが浮かんでいた。
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放課後、部室の灯りが落ち、校門の外は夕暮れに染まっていた。
赤くなった空の下、並んで歩く和泉翠心と清水桔平。
コンビニ寄っていくわけでもなく、ただまっすぐ、並んで坂を下っていく。
手には校舎の自販機で買った紙パックのいちごミルク。ストローを咥えて音を鳴らしながら、翠心は機嫌よさげに歩いていた。
「……なあ、1口ちょうだい」
突然、桔平が横から覗き込むように言ってきた。
「は? お前、自分の買えよ」
「だってお前、またいちごミルクかよ。甘ったるすぎるだろ、それ」
「だったら飲むなよ」
そう言いながらも、少しだけストローを抜いて手渡す翠心。
桔平は受け取って、遠慮なくひと口。
「……ん、やっぱ甘ぇな、これ。お前ほんと、甘いの好きだよな」
「うるせぇな。……ほら返せ」
パックを取り返して、翠心は再びストローをくわえる。
すする音とともに、また頬がほんのり赤くなっていた。
その横で、ニヤニヤと表情を崩さずにじっと見てくる桔平。
「……なんだよ」
「別に。お前、わかりやすいなあと思って」
「うっせ……」
視線を逸らしながら、小さくいちごミルクをもうひと口。
沈黙が、心地よくふたりを包む。
しばらくして――
「……いよいよだな。来週、初めての発表」
桔平が、ふいに真面目な声で口を開いた。
「文化祭、ちゃんと見せようぜ。“花に宿る”。お前がヒロインでよかったって、誰かに思わせようぜ」
そう言って、何気なく翠心の肩に腕をまわす。
「ちょ、やめろって」
「いいじゃん。がんばろうぜ、な?」
「……やかましいな、お前は」
そう言いつつも、その腕を振り払うことはなく。
肩を並べたまま、ふたりは歩いていく。
夕暮れの坂道、まだ少し照れくささの残る空気とともに――。