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3.おのぼりさんとあらぬ誤解

 階下に降りると食事客のピークは過ぎたようで、二十人ほどの席がある食堂には、数人の客が残っているだけだった。


 カウンターに腰を下ろすと、すぐに厨房から宿泊の手続きをしてくれたスーザンが現れる。

 オーレリアよりさらに赤みの強い癖のある髪を高い位置で括っていて、年は二十代の半ばほどだろう。化粧っ気はないが整った顔立ちをしていて、笑顔には屈託がない。


 どうやらこの宿を切り盛りしているのは、彼女のようだった。


「いらっしゃい。夕飯でいいかい?」

「はい、お願いします」

「はいよ、ちょっとお待ち」


 夕飯のメニューはひとつしかないらしく、すぐに運ばれてくる。木のボウルに入ったお肉と芋がゴロゴロと入ったブラウンシチューに何か刻んだハーブが載ったものと黒パンに、チーズが一切れついていた。


「これはおまけ。あんた、王都は初めてかい?」


 スーザンはそう言って、小ぶりなカップをカウンターに置いてくれる。中身は茶色掛かっていて、しゅわしゅわと泡立っていた。エールかと思ったけれど甘い匂いに惹かれて口をつけると、爽やかな甘みと酸味が口の中に広がった。


「おいしい……」

「エルダーフラワーのシロップの水割りだよ。王都ではよく飲まれていて、この時期に新しいシロップが出回っているんだ。ちょっとだけレモンシロップも入れるのが鷹のくちばし亭流なんだ」

「初めて飲みました。王都には、素敵な飲み物があるんですね」


 花畑の中で深呼吸するような蜜の香りが、甘酸っぱいレモンの風味を引き立たせている。しばしうっとりとその味を堪能していたものの、はっとしてシチューにスプーンを入れる。


 よく煮込まれた牛肉はほろりと崩れ、それでいて野菜はちょうどいい歯ごたえを残している。酒のつまみと宿泊客の食事は別注文のようだけれど、これなら間違いなく、他の料理も美味しいだろう。


「美味しいです、すごく」

「そうかい、よかったよかった。うちの旦那の得意料理なんだ」

「旦那さんと二人で、この宿屋を経営しているんですか?」

「元々はあたしの親父がやってて、旦那は料理人だったんだけどね。親父がそろそろのんびりしたいって言うんで二人で跡を継いだのさ」


 スーザンは気さくな人で、すでに子供も二人いて、旦那さんは子供の様子を見るために宿の裏にある自宅に戻っているのだという。


 中等学校を卒業してから年の近い女性と話をする機会はほとんどなかったので楽しい気分になっていると、ふと、スーザンが神妙な表情になる。


「……ねえあんた、もし娼館に行くつもりなら、やめときなよ」


 余計な世話かもしれないけどさ、と付け加えられて、きょとんと首を傾げる。


 娼館の意味が分からないほど子供ではないものの、オーレリアが行ってどうこうできる場所でもない。もしかして王都には、女性用の娼館があるのだろうかと思ったけれど、着古した地味なワンピースに伸ばしっぱなしの髪を誤魔化すためにおさげにしているような自分に、そうした遊びをするお金があるようには見えないだろう。


「えっと……」

「娼婦はさ、綺麗な服を着ていい暮らしをしているように見えるかもしれないけど、あの服もアクセサリーも、娼館主に借金って形で買ったもので、自分の稼ぎで支払っていかなきゃならないもんだよ。衣装屋と娼館主がグルで、稼ぐどころか気づいたら服や化粧品の代金で借金漬けが関の山さ。あんたみたいな素直そうな女の子は、悪い娼館主にいいように食い物にされちまうんじゃないかって、心配でね」


 ぱちぱちと瞬きをした後、ようやくスーザンの言葉の意味を理解し、口に入れた黒パンと一緒にごくりと飲み込む。


 なんという誤解!


「あの、いえ、そういうお仕事をする気はないです!」


 慌ててそう告げたものの、スーザンは懐疑的な様子を崩さなかった。


「田舎から若い娘が一人で王都に来るっていうのは、滅多にないからねえ……。借金の形に売られるだけじゃなく、最近は娼婦になったら太い客がついて、買い物だ観劇だと王都で華やかに過ごせるって憧れを抱いちまう子もいるくらいでさ」


 実際にそういう女性を多く見てきたのだろう、真剣な表情で続けるスーザンに、ぶんぶんと首を横に振る。


 東部の田舎ですら地味でぱっとしない扱いをされていたオーレリアである。まさか華やかな王都でそんな誤解を受けるとは、想像もしていなかった。


「その、仕事を探しているのはそうなんですけど、私は簡単な付与術が使えるので、そっちの方でやっていきたいなと思っているんです」

「おや、そうなのかい!」


 スーザンはぱっ、と目を見開くと、安心したように息を吐いた。どうやら彼女には、よっぽどオーレリアが頼りなくも危なっかしく見えていたらしい。


「付与術が使えるなんて、すごいじゃないか。じゃあもう、勤め先も決まっているのかい?」

「あ、いえ、その予定、のようなものだったんですけど、そちらが白紙になってしまいまして」


 王都に来た理由と仕事を探さねばならない理由をかいつまんで説明すると、スーザンは大変同情的な表情で話を聞いてくれた。


「そりゃあ、ろくでもない坊ちゃんだね。普通はそんなことになったら、きっちり慰謝料を払って、仲介人も同席して詫びるもんだよ」

「一応、結納金は返さなくてよくて、それが慰謝料だと言われたんですけど」

「一方的な理由での婚約破棄は、結納金の三倍返しだよ。未婚のお嬢さんの経歴に傷をつけたことになるから、男側からの申し出では特にね」


 それはオーレリアも知らなかったことだ。それが表情で分かったのだろう、スーザンは眉をハの字にして、やれやれと首を横に振った。


「聞いた感じだとご両親もいないみたいだし、おまけに来たのがあんたみたいな純朴そうなお嬢ちゃんだったから、適当に言って追い払えばなんとかなると思ったんだろうねえ。その気があるなら商業ギルドに商会を訴えることもできるし、これから腕のいい付与術師との縁談を控えているなら、評判を気にして示談金は弾んでもらえると思うけど」


 少し考えたものの、オーレリアはゆるく左右に首を振った。


 結納金はそれなりの金額だったので、弾んでもらえるという示談金があれば向こう一年くらいは余裕を持って暮らせるだろう。


 その間に仕事も探せるし、手元に使えるお金があるというのは安心感が違う。

 プライドを気にしている場合ではないし、けんもほろろに婚約をなかったことにされた惨めさを晴らして、少しは留飲も下がるかもしれない。


 それでも、気が進まなかった。


「いえ……ひどいなとは思いましたけど、故郷から出るきっかけになりましたし、示談の席でまた元婚約者だった人と顔を合わせたりするのも、気まずいので」


 実際、やられたことはとてもひどいだろう。王都で一人で放り出されて途方に暮れていたのは、ほんの数時間前のことだ。

 けれど、もう起きたことは仕方がないと割り切ることは、得意だ。


「スーザンさんが話を聞いてくれたおかげで、すっきりしました。ヘンダーソン商会のことはきっぱり忘れて、明日からお仕事を探すことにします」

「まあ、あんたがそれでいいっていうなら、あたしがどうこう言うことじゃないね」


 苦笑交じりにお人よしだねえと付け加えられ、スーザンはそうだ、と続ける。


「あんた、付与術師ならさ、ちょっと見てほしいものがあるんだけど」


 いいことを思いついたというような表情のスーザンに、軽く首を傾げる。


「見てくれるだけでもいいし、もし直してもらえたら、宿代はうんとおまけするよ」


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