210.拠点の掃除と現世の悩み
「私は普段、あんなはしたない格好は絶対にしないんですよ。でもスカートの裾が長いと歩きにくいし、家の中だけですし、ほんの少しの間のつもりでしたし」
羞恥が通り過ぎると怒りが湧いてきたらしく、頬をうっすら赤くして言い募るアリアにウォーレンは神妙に頷く。
「最初は水を拭くだけのつもりだったんですけど、結構家具の隙間とか細かい所に埃がたまっていたので、いい機会だからまとめて掃除をしたくなってしまって、これまでは自分でお掃除なんてほとんどする機会もありませんでしたし、途中から興が乗ったというか」
「俺も、急に訪ねてごめん。普段は女性だけで暮らしているんだし、入っていいかオーレリアに確認してもらうべきだったよ」
「私も、ウォーレンに送ってもらったのに配慮が足りず、すみません、アリア」
広間の続きのキッチンで淹れたお茶をまずアリアの前に置くと、少し唇を尖らせて、いえ、とアリアは首を横に振った。
「実家から出て、私もなんというか、少し奔放になってしまっていますね。あんな格好をしていたらまずお姉様が飛んできてこんこんとお説教されるのは分かり切っていますし、それが面倒でそもそも服を着崩すなんてことはしませんから。……やはり私に反省するところが多かったんです」
熱いお茶をゆっくりと傾けると、その向かいに座っているノーラがううん、と小さく首を振る。
「ごめん、オーレリア。元々は私のせい」
相変わらず表情が乏しく抑揚の薄い声であったけれど、どこか肩身が狭そうにノーラが言った。
「部屋にいるときに魔法が漏れて、そのまま広間まで水浸しになっちまったんだ。あたしらで掃除をしてたんだけど、中々手が回らなくてさ。見かねてアリアさんも手伝ってくれてたんだよ」
オーレリアたちが帰宅したタイミングであらかた掃除が終わったところだったらしく、ロゼッタがばつが悪そうに言う。
なるほど全て拭き掃除した後らしく、言われてみれば広間の床はピカピカに磨かれていて、ちりひとつ落ちていない状態だった。
普段は数日おきに住人であるオーレリアがジーナ、ジェシカとともに簡単な片付けや掃き掃除はしていたけれど、これほど綺麗な状態になっているのを見るのは拠点を購入して家具の入れ替えなどをした時以来かもしれない。
「魔法が漏れてって、何かあったんですか?」
「朝起きて、水を飲もうと思って出した。手のひらにほんのちょっとだけのつもりだったのに、溢れて止まらなくて、部屋が水浸しになってそのまま廊下に流れ出して、階段を伝って広間まであふれてしまった」
「それは、結構な量ですね」
以前双星の拠点でも似たようなことがあったけれど、あれは神殿の人たちが意図的にやったことのはずだ。三人がかりだったように見えたけれど、それをノーラひとりで行ったということらしい。
お茶を傾け、お土産の月下桃をつまみながらおおまかな事情を聞いたところ、昨日はロゼッタとノーラがアリアの護衛を務めつつ一日の予定を終え、今日は休日を取っていたらしい。
アリアも引っ越しや片付けで疲れていたため熟睡して、午前中の遅い時間に起きて部屋を出たら、二階から階段を伝って一階の広間まで水浸しになっていたのだという。
「そんなにたくさん水を出して、ノーラさん、大丈夫ですか?」
「うん、水を出すだけなら問題ない。最近探索に出ていなかったから、むしろすっきりしたくらい」
「それならよかったです。アリアもお疲れ様でした」
「やってみたら意外と楽しかったです。片付いていくのが気持ちいいですし、またやりたいですね」
ウィンハルト家では掃除はメイドの仕事であり、これまでアリアが手を出したことはなかったようだけれど、アリアは部屋も整然と片付いていたし元々得意なのだろう。
しっかり者のアリアらしくて、なんだかほっこりしてしまう。
「不意に魔法が出るのは、魔法使いには時々あることだけど、この子は制御が上手いらかね。この規模のは初めてで、あたしも驚いてるんだ」
「そうなんですか?」
オーレリアは付与魔術の適性はあるが、一般的に魔法と称される属性魔法に関してはからきしである。同じ属性魔法の使い手であるウォーレンに視線を向けると、うん、と頷かれた。
「俺も、風の魔法は感情の高ぶりで結構漏れることがあるよ。火の属性は比較的漏れにくいとされてる……というか、制御できないと子供時代は親が、成人した後も神殿の判断で封じられることはあるって聞くね」
「火は属性魔法の中では、ちょっと漏らしただけでも火事になる可能性も高くて一番危ないからね。何かあった時の処罰も厳しくて、犯罪者として捕まったら魔法の永久封印もあるくらい。火の魔法使いは性格も荒っぽい気質の人間が多いから、昔は戦争の前線に駆り出されたり、田舎では結構偏見を向けられることも多かったみたいだよ」
その言葉に驚いたものの、確かに魔法があれば捕らえられる時に抵抗したり、脱獄や刑を受けている間のトラブルなども起きることがあるだろう。
火はほんの軽く触れただけでも人に与えるダメージが大きすぎる。その力を持つ者は、より強い自制を求められるということらしい。
「もともと魔法で人を傷つけることは、かなり重く見られがちなんだ。俺は風と地の属性だからその辺りは比較的緩かったけど、魔法使いは人に向かって魔法を使わないよう、かなり厳しく教育されることが多いみたいだ」
風の魔法も、足場の悪いところで使えば容易に転落を招くだろうし、地の魔法も走っている馬車を脱輪させることは可能だろう。
暴力的な使い方を考えれば、オーレリア程度でもいくつも思いつくくらいである。
「魔法って便利だなと思っていましたが、使えたら使えたで、大変なこともあるんですね」
「まあ、キッチンにあるありふれた包丁だって、殺人鬼が持っていれば恐ろしい凶器だしね。結局はそれを扱う者によるってことだと思う」
「悪気や悪意がなくても、魔法を制御できない場合は、犯罪者でなくても能力の制限を言い渡されることもある。私は、自分が情けない」
しょんぼりと肩を落としてそう言ったノーラの背中を、ロゼッタがぽんぽんと叩く。
「あんたの制御はこれまで完璧だったし、今朝はちょっと調子が悪かっただけさ。――それより月下桃、随分たくさん採れたんだね。ちょうどいい熟し加減だし」
落ち込んだ様子のノーラに話を変えたロゼッタに、オーレリアも頷く。
「はい、ほとんど貸し切りにしてもらったので、たくさん採ってきてしまいました」
「あたしたちもエディアカランに潜るようになったばかりの時は時々採取してたんだけど、そのうち実績を積むことを優先するようになったから、第四階層は素通りも多くなってたんだよね」
「……うん、いつも人が多くて採るのは大変だった」
「シルバーになると随伴の仕事も増えたりするしねえ。冒険者にとっては初心の味ってところかな」
アリアは丸かじりに抵抗がないだろうかと思ったものの、ぱくりと口に入れて咀嚼し、うんうんと頷いている。
「月下桃は、ケーキに載せられたものやサラダや肉料理の添え物にされているのを食べたことはありますが、丸かじりのほうが美味しく感じますね。というか、これくらい美味しいと加工するほうが勿体なく感じるというか」
「よかった、アリアに食べてほしくてたくさん採ってきたので、いっぱい食べてください」
住み慣れた場所でいつもの会話をしていると、気持ちがどんどん安定していくのが分かる。お茶を傾けてほっとしていると、そういえば、とアリアが言った。
「帰宅が随分早かったようですけど、どうかしたんですか?」
「ええと、私の体調が少し悪くなってしまって。でも、ダンジョンの外に出たらかなりよくなりました。今は全然大丈夫です」
「体調が? ここで話していないで、休んだ方がいいのでは?」
「いえ、本当にもう大丈夫です」
肉体的なものと言うより精神的な動揺が大きかったと言う自覚はある。アリアに心配をかけないように、ぐっと両手の拳を握ってみせる。
「早くに戻ることになってしまいましたが、ダンジョンの中はとても興味深かったですよ。見たことのない景色もありましたし、本物のスライムも見れました。浄水器を実際に使うこともできましたし、行ってよかったです」
おまけにカイラムの褒賞についてもこれで落着だし、彼もダンジョンの見学に満足していた様子だったので、ギルドへの信頼の回復も成っただろう。
今は、安堵の気持ちのほうが大きかった。
「それならよかったですが……無理はしないでくださいね」
アリアはまだ思わし気な様子だったけれど、オーレリアが笑って頷くと、ほっとした様子だった。
そんなやりとりをしているところに、玄関の扉のノッカーが音を立て、ロゼッタが立ち上がる。扉越しに短いやり取りをして、少し怪訝そうな様子でロゼッタが戻ってきた。
「あー、なんかどこかの王族がお見舞いの品を持ってきたって言ってるけど……どうする?」
「……私たち、戻って来て三十分くらいしか経っていませんよね?」
「なんというか、やることが早いね……」
ウォーレンと顔を見合わせあい、オーレリアが出ると人のよさそうな笑みを浮かべたセリムが花を抱えて立っていた。
花にお茶にお香、それから昨日からの労いを込めた「見舞いの品」の数々に、果たしてこの返礼はどうするべきなのかと再び頭を悩ませることになりそうだけれど、悩むことがあるのは案外悪いことではない気もしてしまう。
そんな気持ちにさせられた、ダンジョン見学の終わりだった。
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