205. ダンジョンと時差ボケと怖い話
暗がりから怪しげな蔦が這いよってきたり、人の形をした木が襲い掛かってきたりすることもなく第四階層での収穫を楽しんだあと、ベースにもどるとすでに第三階層でも作られていた休憩用のスペースが組み立てられていた。
護衛にライアンとエリオットを、解説役にジェシカを伴って出かけたカイラムはまだ戻っていないらしく、ベースの指示役として残ったらしいアルフレッドがよう、と軽く手を挙げる。
「だいぶ豊作だったみたいだね」
「ああ、採り放題だった。人がいないってすごく贅沢だなって、しみじみと思ってたところ」
そう言いながらウォーレンが収穫した月下桃の籠を軽く差し出すと、仲間の気安さだろう、アルフレッドはそのうち一つを取り上げて軽く服で拭くと、ぱくりと口に入れる。
「うん、熟してて美味しいね。持ち帰ったものでパイでも作ろうか。簡単にオーブンで焼き桃にしても美味しいし」
「少し多めに酒に漬けておきたいな。こんな機会は滅多にないし」
「いいね。そっちは未熟な実みたいだけど、どうするんだい?」
オーレリアの持っている籠に目を向けて、アルフレッドは不思議そうに首を傾げる。青い月下桃はやはり、採取する価値のないものという認識が強いらしい。
「これは私の分で、塩漬けと、青いまま蒸留酒に漬けてみたいなと思いまして」
「未熟な月下桃は渋くて食べられたものじゃないけど、オーレリア嬢はいつも面白いことを思いつくからなあ。完成したら少し飲ませてくれるかい?」
「勿論です。上手くできたら拠点で試飲会もするので、是非」
アルフレッドがお茶を淹れてくれたので、月下桃を洗いテーブルについて、それを摘まむ。
「月下桃、お茶にすごく合いますね」
ひとつひとつは小ぶりで、皮ごと食べることができて、完熟した桃ということもあり、ひと口食べてお茶を傾けるととても上品なフルーツティーを飲んでいるようだった。
「貴族のお茶会だと、さすがに果物を丸ごとというのは難しいだろうけど、加工したものは時々出回っているみたいだよ。ビスケットにクリームチーズを載せてその上にカットした月下桃を乗せたものや、カッテージチーズとオリーブオイルで和えたものなんかも人気があるみたいだ」
「それこそ果汁を絞ってフルーツティーにしたりね。まあ僕はそのまま食べるのが一番おいしいと思うけど」
「俺も」
オーレリアも頷くと、笑い声が上がる。
「外はそろそろ日が暮れる時間ですが、ダンジョンの中はずっと明るいんですね」
「壁自体が光っているからね。おかげで何日か潜っているだけで時間の感覚が狂ってしまうんだ」
「それだと、地上に戻った時に時差ボケになりませんか?」
オーレリアの質問にウォーレンとアルフレッドは目を見合わせて、少しして「ああ」と納得したように頷いた。
「ダンジョンの中と地上で生活のリズムが合わなくなるって意味だよね。時差ボケって面白い言い方だな」
「地上に戻りさえすればなんとかなるんだけど、やっぱり戻って数日は日中すごく眠くなったり、逆に夜に目が冴えたりして困ることは結構あるよ。長期で探索するパーティほど探索の後は長く休養をとるから、何とかなるかな」
飛行機がなく、時差の大きな土地へ短い時間で移動することのないこの世界で、時差ボケはあまり通じない表現だったらしい。
普段はあまり意識することはないけれど、時々こうして前世の言葉をうっかり使ってしまうことがあるので、気をつけなければと改めてこっそりと思う。
「オーレリアは、第四階層まで来てみてどうだった?」
「そうですね。ずいぶん気を使っていただいたので色々と見ることができましたし、想像とずいぶん違っていたところもありましたけど、楽しかったです」
ダンジョンと言うと、そこらじゅうに魔物がいたり、もっと恐ろしげな場所だと思っていた。
ウォーレンがいろいろなものに気づいてはそっと見せてくれたり、楽しい部分ばかりを案内してくれたおかげで、そのイメージはある程度払拭できたように思う。
オーレリアが冒険者になるのはやはり無理だと思うけれど、次からはダンジョンの話をもっと具体的に想像しながら聞くことができそうだ。
カイラムからの褒賞については頭を悩ませることが多かったけれど、案外とても良い経験をさせてもらえたと思う。
「今回はだいぶダンジョンの中が落ち着いていたから、タイミングもよかったね。ひどいときは第三階層でも結構嫌な思いをしたりすることもあるんだけど」
「そうなんですか?」
皮肉屋のアルフレッドが口角を上げてうんと笑う。
「マタンゴなんか出ると、すごく嫌なんだよね。それほど強い敵ではないけど、後味が悪いというか」
「ああ、あれはな……」
ウォーレンは何かを思い出すように、渋い表情で頷く。
「マタンゴって、キノコの魔物ですよね」
オーレリアは図鑑で見た程度の知識しかないけれど、確か等身大の人間のサイズのキノコの魔物のはずだ。
足が生えていて歩き回る巨大キノコという程度の印象である。
「マタンゴは特殊なキノコの一種で、キノコ――子実体の状態だとほかの色々なキノコに擬態するんだ。特徴があるからちゃんと見分ければそんな事故は防げるんだけど、他の魔物や駆け出しの冒険者が食用キノコだと思って適当に焼いたものを食べることで感染する」
「感染?」
「そう。食べた後ゆっくりと体の中で菌糸が増えていって、少しずつ体表にそれが現れてくる。感染した人間は地上に戻ることを拒絶して、始終ぼんやりと薄暗い場所でうずくまるようになるから、初期症状の状態でも感染していることが簡単にわかるけど、仲間がいるならともかく単独で潜っている冒険者だと発見されないことも多いんだ」
――あ、これ、怖い話だ。
そう察して思わずごくりと喉を鳴らしてしまったけれど、怖いと思っているのになぜか続きが聞きたくなってしまうのは、我ながらどうかと思う。
「それでまあ、時間をかけて菌糸がゆっくりと体の中に張り巡らされていく。不思議なのはそうなっても生命活動が止まることはなく、討伐されるまで動物らしい動きをするっていうことなんだよね。もちろん元のスピードや技術なんかは失われているんだけど、それで全身がキノコの塊になったら木陰から這い出してそこら辺を無作為に徘徊して回るようになる。目的はほかのキノコに擬態する菌糸をばらまくことだから、特に人間を襲ったりすることはないんだけど、そんなものをそこら中にばらまかれた困るから、マタンゴが現れたら、即討伐が推奨されているんだ」
まあ、誰もやりたくない仕事ではあるんだけどねとアルフレッドは続け、ウォーレンも頷く。
「四足の魔物の姿を残している状態なら退治しやすいんだけど、二足だとやっぱり、討伐はいい気持ちにはなれないよね」
つまり、元人間である可能性が高い――さすがにその状態で殺人とは言えないのだろうし、だからこそ討伐という言い方をしているのだろう。
ゾンビを倒すのと感覚としては近いのだろうけれど、やはり魔物が相手とは心理的な負担が違うのは、オーレリアにも理解できた。
人間の輪郭を残した巨大なキノコが物陰からのそのそとこちらに向かって歩いてくるのを想像して、背中に冷たい汗が湧いてしまう。
「あの、それって感染した時点で対処法はあるんですか?」
「特に暴れるわけじゃないから、ダンジョンの外に引きずり出して天日干しにしておけば、手遅れでない限り数日で体の中の菌糸は消失して少しずつ回復すると言われているけれど、感染した日数によっては後遺症が残ることもあるね」
ウォーレンの説明にアルフレッドがそうそう、と続ける。
「まあそういうことがあるからこそ、ちゃんと食用かどうか見分けたりするような、基礎的な知識が大切なのさ。ギルドも新人の教育にかなりウエイトを置いているけど、若くて血気盛んな冒険者ほど先走って痛い目を見ることも多いんだ」
なるほど、やはり知識は大切と言うことらしい。
「まあ、怖い話ばかりでもないよ。ダンジョンはまだまだ謎の多い場所だけど、その分夢があるところも多い。丹念に探索しているうちに新しい鉱脈を見つけたりすることもあるし、食用キノコの群生地なんか見つけると、ほかの冒険者には見つからないようにその場所を独占して収穫を独り占めする冒険者もいるしね」
「鉱脈はギルドに報告の義務があるけど、新しい鉱脈を発見すると褒賞金が出るから、重い鉱石をひとつのパーティで発掘して地上に運ぶより、ずっと割がいいんだ」
「色々と、うまく出来ているんですね」
ウォーレンとアルフレッドの話を聞きながら、そろそろお茶のお代わりを入れようかという頃になったとき、がやがやと茂みの奥から慌てたような人の気配がこちらに近づいてきた。
「ウォーレン、手を貸してくれ!」
「ライアン、どうした?」
ライアンが先導し、その後ろにはカイラムとセリム、それから数人のカイラムの護衛が続く。
殿はエリオットで、同行しているはずのジェシカの姿は見当たらない。
リーダーらしく余裕のある態度を崩さないライアンが、焦ったように叫ぶ。
「グロウモスの群れが現れた! 今ジェシカが対応しているが、すぐに合流してやってくれ!」




