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2.王都の宿とこれからの人生

 突然の思わぬなりゆきに呆然としていても、時間は流れるし日が暮れれば夜になる。


 王都は比較的治安が良い方だとはいえ、若い女性が夜道をひとりで歩くのはやはりよろしくない。それに、季節はすでに春を迎えているものの、夜になればまだ少し肌寒かった。


 王都に土地勘のないオーレリアだが、おろおろとしていると革鎧を着けた女性に声をかけられ、宿を探していると告げると大通りからひとつ逸れたところにある看板まで案内してもらうことができた。


「立地も悪くはないし、この辺りだと安めで掃除も行き届いてる。食事の味も悪くないよ」


 あまり懐に余裕がないことは見て分かったのだろう。親切にそう付け加えてくれた冒険者風の女性に何度も頭を下げると、特徴的な赤い髪の女性はあんた、丁寧な子だねえと苦笑して、軽く手を振って立ち去っていった。


 鷹のくちばし亭と書かれた宿の扉の向こうは、かなりにぎわっている気配がする。おそるおそる扉を開けると取り付けてあったカウベルがカランコロンと軽い音を立てた。その向こうは食堂につながっていて、やはりというか、大変な混み具合だ。


「食事のお客かい? 今ちょっと満席なんだけど奥を詰めればなんとか入れるから、どうぞ!」

「いえ、あの、宿泊させていただければと思って!」

「泊り客だね! ちょっと、ああ、そこの奥で待っててくれるかい?」


 オーレリアより少し年上の女性は、どうやらこの宿のおかみさんらしく、てきぱきと注文をさばいている。とても忙しそうなので隅の方で小さくなっていると、そう待たされることなくエプロンで濡れた手を拭きながら戻ってきた。


「すまないね、今が一番忙しい時間なんだ。ええと、一人でいいのかい?」

「はい、ひとまずよん……三泊で、様子を見て、連泊させていただければ」

「はいよ。宿帳を書いて、一泊と半分を前金でもらうよ」


 一泊は半銀貨一枚と言われ、半銀貨一枚と銅貨二枚、半銅貨一枚を渡すと計算が早いねと笑われた。


「部屋は三階の一番奥ね。今は冒険者の客で満席だけど、日がすっかり落ちる頃には落ち着くから、ゆっくり食べたければそれくらいに降りておいで」

「はい、ありがとうございます」

「スーザン! エール追加頼む!」

「はいよ! じゃ、またあとでね」


 気さくに言うと、おかみさん……スーザンはにこっと笑って慌ただし気に食堂に戻っていった。その背中を見送り、受け取った鍵を見下ろすと、プレートには307号室と刻印されている。


 大柄な男性ではすれ違うのがギリギリの狭い階段を上ろうとして、手に食い込む重たい革のトランクに辟易する。


「あ、そっか、もういいんだわ……」


 周囲に人がいないことを確認し、指先に魔力を込めて「軽量」の術式を付与する。魔力によって一瞬白く浮かび上がった術式がすうっとトランクに吸い込まれるように馴染んだのを確認して再び取っ手を持ち上げると、片手で振り回せるくらい軽くなっていた。


 オーレリアの立場で「軽量」が掛かった道具を持っているのはおかしいと思われるだろうと、ここまで重たいトランクを抱えてきたけれど、もはや誰の目を気にする必要もない。


 建物はやや古ぼけているもののしっかり手入れがされていて、階段が軋む音もしない。


 一階が食堂、二階と三階部分が客室になっているようで、王都に来るまで立ち寄った村や町でもこの手のタイプの宿屋は多かったので、なんとかまごつかずに部屋に向かうことができた。


 307号室は、スーザンの言葉どおり三階の角部屋だった。ベッドと小さな机と椅子が置かれているだけの狭い部屋だけれど、重たい革のトランクを置き、ベッドに寝転がると無性にほっとした。


 春の盛りを迎えているので、外にいても多少肌寒くとも凍えるようなことはないだろうけれど、心細さばかりはどうしようもない。ひとまず今夜の寝床が確保できたことに、ひしひしと安堵する。


「……宿代が一日半銀貨一枚で、食事は半銅貨一枚。手持ちのお金だと、十日くらいが精いっぱいかな」


 ヘンダーソン商会から送られてきた支度金はそれなりの金額ではあったものの、その大半はこれまで世話をしたのだからと叔父夫婦が懐に入れてしまい、オーレリアの手元には王都に移動するまでの路銀に、ほんの少し足した程度しか残らなかった。


 中等学校を卒業して十六歳から二年間、付与術師として働いてきた収入も叔父夫婦に渡していたため、貯金もない。

 働いていた商会の旦那さんが餞別にと渡してくれたお金がなければ、もっと早く詰んでいただろう。


「仕方ない、かあ」


 我ながら行き詰まっていると思うけれど、無い物は仕方がないし、結婚できなくなったのも、仕方がない。


 そう独りごちて、我ながら「仕方ない」が口癖になっているなと、細くため息が漏れる。

 オーレリアの人生は、そう繰り返してやり過ごすしかないことの連続だった。


 カーテンを開いて窓の外を覗くと、さすが王都というべきか、建物の多くには明かりが灯り、日が暮れかけている中でも賑わいを失っていない様子だ。


 空には満月にはまだ日数が必要な細い三日月が浮いていて、城壁の向こうには、この距離でも視線より高い位置まで聳えるダンジョンの塔が白く浮かび上がっている。


 王都に来るまでもいくつかダンジョンを見たけれど、あれほど巨大な物は初めてだ。


 街道沿いに近づいたときは、余りの大きさに見上げると首が痛くなるくらいだった。


 オーレリアには、オーレリアとして生まれてくる前の記憶がある。ここではない違う世界で、ある程度成熟する大人になるまで暮らしていた記憶だ。とはいえ、前世で特別な能力や身分だったということもなく、今と変わらない少し気弱で人の目を窺いがちな、でも平凡でどこにでもいるような人間だった。


 いや、家族に恵まれ大きな挫折もなく生きていられた分だけ、前世の方が今よりは少しだけ、特別だったかもしれないと、おさげに結んだ、にんじん色の髪を指先で弄びながら考える。


 前の世界とこちらとでは色々な違いがある。前世で暮らしていた国はほとんどの人間が生まれつき黒髪黒目だったけれど、こちらではそのどちらも色のバリエーションが豊富だし、オーレリア自身にんじんのような赤混じりのオレンジ色の髪に目も淡い青色で、前世の黒髪の面影はなく、身長も体質も全く違っている。


 前世と比べると時計を大きく巻き戻したように文明度も違うし、主食もお米ではないけれど、最も大きな違いは空を飛ぶ人工物がないことと、あのダンジョンだろう。


 こちらの世界に転生してから最初の方は、まだ平凡だが幸福な記憶が多かった。オーレリアの父母は優しかったし、暮らしぶりにも余裕があったように思う。あのまま成長していたら、前世の記憶も少しずつ今のオーレリアの人生に吸収されて、子供の頃に見た夢のようになっていたのかもしれない。


 だが、そうはならなかった。七つの誕生日が少し過ぎた頃、両親が馬車の事故で亡くなり、オーレリアは父方の叔父夫婦に引き取られることになった。


 叔父はそう裕福ではない職人の一家で、オーレリアは明らかに歓迎されない身ではあったものの、両親が多少の財産を残してくれたので孤児院ではなく身内に引き取ってもらえることになった。


 初等学校に通っていた十二歳の頃に付与術の適性があると分かり、中等学校を卒業して十六歳から故郷にあった大きな商会で働かせてもらえることになった。


 その商会は飴を扱っている商会で、温度調整の付与が得意なオーレリアは、地味ではあるがそれなりに重宝された。


 「温」と「冷」の付与しか使えないふりをしていたのは、オーレリアなりの処世術だ。

 叔父夫婦が自分を、悪い言い方をすれば金蔓としか思っていないことが早い段階で理解できたのも、自分の立場であまり便利な能力を持っていると知られればろくなことにはならないだろうと判断できたのも、もっというなら多彩な付与術が使えたことだって、前世の記憶があればこそだった。


 服のまま行儀悪くごろりと寝返りを打って、ため息を漏らす。


 前世の記憶はオーレリアの心と立場を支えてくれたけれど、どれだけ過去を懐かしんでも、それはもうオーレリアの記憶にしかない、どこか遠い世界の出来事だ。


 実際に付与術が発動しなければ、不遇な境遇の少女が見る、虚構の中の幸福の夢でしかなかっただろう。


「……駄目ね、鬱々していたって、無いものはないんだから、これからどうするかを考えなくちゃ」


 ブライアンの理不尽な言い分は思い出すと少しずつ腹が立ってくるけれど、付与の適性を持つ者が多くはなく、かつ社会を便利にしている付与術師が仕事に困らないという言葉は事実だ。


 だからこそ大した後ろ盾がないオーレリアも東部の大きな商家でそれなりの待遇で働くことができたし、「温」「冷」の付与しかできないと自称していても、王都でまあまあの規模で商売をしているヘンダーソン商会から縁談まで申し込まれた。


 探せば仕事はきっとあるし、自分一人くらいなら、なんとか養っていけるだろう。


「むしろ、これでよかったのかもしれないわ」


 こちらの世界で生まれて、一応十八になるこの年まで生きてきた。周りを見れば結婚が必ずしも恋愛の延長によるものではないのは分かっていたし、ヘンダーソン商会からの話を受けたのは、叔父夫婦の家から出たかったということも大きかった。


 叔父も叔母も、結婚はまだ早いんじゃないかと渋ったけれど、勤めていた商会の大旦那さんが後押ししてくれたことでこうして王都まで来ることができた。


 前世の価値観を引きずっているオーレリアには顔を見たこともない相手と結婚することに抵抗感があったのも本当だし、こちらも条件ずくで選んだ縁談だった。相手にもっといい条件の相手ができたからと言われれば、それも仕方がないと心の隅で思ってしまう。


 突然見知らぬ街で半ば放り出される形になって不安だったものの、ブライアンと結婚しなくてもいいことに、案外ほっとしている自分もいる。

 こんな機会でもなければ、居心地が悪い上に搾取されていると分かっていても、きっと自分はズルズルと叔父の家から独立することはできなかっただろう。


 もっとも、預かっておくという名目で収入のほとんどを持っていかれていたから、独立資金を貯めることすら難しかったのだけれど。

 働き始めてから二年間の収入は、結納金の大半とともにオーレリアの手元に戻ってくることはなかった。


 故郷に戻る路銀も足りないけれど、たとえお金があったとしても、今更あの家に帰りたいなんてこれっぽっちも思わない。


 この国の成人年齢は十六歳。お金も後ろ盾もないけれど、十八歳のオーレリアは、もう立派な大人だ。


 ――頑張ってみよう、この街で。


 そう決意すると、ぐう、とお腹の虫が鳴いた。

 そうして、朝軽く食べてから何も口にしていないことを思い出す。


「……ふふ」


 食欲があるなら、まだまだ大丈夫だ。

 さっきまでかなり落ち込んでいたはずなのに、案外自分は逞しかったらしい。


「食堂、そろそろ行ってみようかしら」


 半ば呆然自失ではあったものの、この通りには食堂や屋台はいくつもあった。


 それなのに、冒険者がわざわざ宿の食堂に食べに来るということは、安価か量が多いか美味しいか、きっとどれかだろう。


 外食などほとんどしたことがないので緊張するけれど、これから先は一人でやっていかなければならないのだ。


 自分の手でドアを開け、自分の脚で階段を降りて、なんでも自分で決めていく。


 心臓が強く脈打ち、肋骨の後ろから胸を叩かれているような感じがする。


 そうしてオーレリアは、不安と心細さを供に、新たな暮らしに歩み出したのだった。


お金の換算はざっくり

鉄貨 100円

半銅貨 500円

銅貨 1000円

半銀貨 5000円

銀貨 1万円

大銀貨 5万円

金貨 20万円

くらいです。

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