18.おしゃべりと打ち明け話
オーレリアの返答にレオナは大きく目を見開いた後、何か言おうとしたけれど、一瞬早くそれを制したのはアリアだった。
「オーレリアさん、そろそろ私のお部屋に行きませんか? もう付与は終わりましたし、オーレリアさんに見せたい本を色々用意しておいたんです」
「ちょっと、アリア。まだお話の途中よ」
「お姉様は一気にあれこれ言い過ぎなんですよ。元々私と遊ぶ約束が先だったんですから、少しは遠慮してください」
さあ、行きましょうと手を取られ、迷ったもののレオナにお辞儀をして、アリアについていく。
アリアの部屋は二階に上って廊下を進んだ左側の角部屋で、ドアを開けるとふわりと甘い香りがした。
室内はホワイトと薄いブルーで統一されていて、涼し気な容姿のアリアによく似合っているけれど、真っ白なソファに座るのはやや緊張した。
壁際の一面が本棚になっていて、背表紙がずらりと並んでいる。本は貴重なものなので、個人で持つ蔵書としてはかなりのものだ。
「お友達が部屋に遊びにきてくれるのは、本当に久しぶりなんです。ふふ、浮かれてしまったらごめんなさい」
「いえ、私の方こそ友達の部屋を訪ねるのは初めてなので、至らないところがあったらすみません」
「そうなんですね! そんなに気負わないで、街で遊ぶ時と同じように気軽におしゃべりをしましょう。私、オーレリアさんが遊びに来てくれて、本当に嬉しかったんですよ」
メイドが紅茶と、焼き菓子を盛りつけたプレートを運んできてくれる。アリアは手ずからカップに紅茶を注いでどうぞ、と差し出してくれた。
「オーレリアさん、うちの図書館では歴史関係の本をよく借りていかれていましたけど、ダンジョンの成り立ちとか魔物の素材関係の本も探していたじゃないですか? 中央図書館でもう借りちゃいました?」
「いえ、蔵書数が多くてずっと付与をし続けていて、中々ゆっくり本を見る時間が取れなくて」
「あ、でしたらいくつかお勧めさせてください」
アリアはそう言うと、壁際の本棚から何冊か本を抱えてくる。
こちらの世界の本は、厚くて重い。アリアの細腕だと二、三冊も持てば限界のように思えるけれど、さすが現役司書だけあって本の扱いは慣れているようで、危なげない様子である。
「こちらがダンジョンの発見から王都が今の場所に遷都されるまでの歴史の本で、こちらはダンジョン内の各階層に出る魔物を解説した本です。王都のダンジョンはすでに深層まで攻略されていますし、ある程度の階層なら欲しい素材があれば冒険者ギルドに依頼して取ってきてもらうこともできるんですよ」
「それは、すごいですね。やっぱりドラゴンなどもいるんでしょうか」
「王都のダンジョンにはいないみたいです。目撃例はあっても討伐例がないのがドラゴン種ですね。あ、でも亜龍はいるそうですよ。専門家によると、亜龍はドラゴンには入らないそうですが」
アリアはそう言って、緋色の革張りの本を取り上げる。タイトルには金の箔押しで『エディアカラン攻略概覧』と記されていた。
エディアカランは王都に近接しているダンジョンの名前で、王都では単純にダンジョンと呼ばれている。オーレリアにも、国内でも最大規模のダンジョンであるという程度の知識しかない。
「エディアカランは十七層のダンジョンで、上部に真っ白な塔が建っているのが特徴ですね。あの塔、当初は中身が空洞だったそうなんですけど、今は足場を組んで床も張られて、冒険者相手の食堂や素材の買い取り所や宿泊施設まであるんですよ」
「それは、すごいですね」
「冒険者資格を持っていないとダンジョンに潜ることはできませんが、一般人でも塔には出入りが可能です。付与術師の中には直接買い付けをしに行く人もいるそうですけど、あまり治安がいいとは言えないので、オーレリアさんは一人では行かないようにしてくださいね」
ただでさえ臆病者の自覚はある。一人でダンジョンに向かうなど、たとえそれがダンジョン内部でなくその上に建っている塔であったとしても、勇気が出るとは思えない。
「十七階層の主は、波間の王女、スキュラという魔物だそうです」
アリアが本をめくり、指したページには挿絵が入っている。写実的とは言い難いが特徴をよく捉えたインクで描かれた絵で、なんとも禍々しい魔物の姿だった。
「上半身が美しい女性の姿で、下半身が複数の魚の尾と犬の脚を持っているそうです。随分長いことキマイラと同一視されていましたが、二十年ほど前にようやく最下層が攻略されたことで、スキュラであると同定されました」
アリアの言葉通り、解説にも「上半身は非常に美しい女性の姿をしている」と記されているけれど、剣を掲げた騎士たちの足元に伏したスキュラは苦悶の表情を浮かべていて、イメージするところの美女とはかけ離れたものだ。
「スキュラの魔石は尽きることのない湧水をもたらすそうで、王宮の堀の水を満たし、そこからさらに流れ出して新しい川を作ったそうです」
「王都に流れる川のどれかは、スキュラの心臓から溢れた水なんですね。……スキュラの心臓があれば、水不足の地域もなくなりそうです」
「ですね。とはいえ、最下層の主の討伐に成功したのはその一度きりだったようですよ。なにしろ足場は腰まで浸かるほどの水位の水で、スキュラの眷属であるケルベロスとオルトロスが水面を走って攻撃してくるそうです。むしろ、一度勝てたのが奇跡ですよね」
そのほか、スキュラの鱗はどんな刃も通さない防具になり、髪は船の舳先に結んでおくと嵐を避けることができるのだという。内臓は様々な効用があり、錬金術師や薬術師に高値で売買されたらしい。
上半身が美女――人間の姿をしていることを考えると、恐ろしい怪物よりも怖いのはむしろ人間のほうであるような気さえしてくる話である。
「魔石や魔物の素材は付与にとても向いていると聞いていましたが、そのままでそんなに強い効果があるなら、付与の出番はなさそうですね」
「付与に向いているのは十三階層くらいまでの魔物のようですね。本の表紙に使われるのは十一階層から十三階層でよく出る動物の魔物らしいです。例えばこの本は――」
アリアが奥付をめくると、そこにはポダルゴスと書かれていた。図書館でもよく見る素材で、元は馬系の魔物であり、「保存」がよく入る革だ。
「ポダルゴス、十三階層に出る人食い馬で、同じ階層にラムポーン、クサントス、ディーノスという馬の魔物が出るそうです」
「どうやって区別しているんでしょう。みんな馬の形をしているなら、混同しそうですが」
「最も速く走るのがポダルゴスで、クサントスは黄金色の毛並だそうです。ディーノスは最も気性が荒く暴食で、ラムポーンは一番数が少ないそうですが、光るらしいですよ」
「光る?」
「発光するみたいです。私もその素材を見たことはないんですけどね」
それは、皮を剥いだ後も光り続けるのだろうか。表紙が光るなら暗いところでも本が読めるかもしれないとも思うし、光り具合によっては眩しくて逆に読みにくそうだなとも思う。
「こんな危険な魔物と戦って得られた素材で、図書館の本はできているんですね」
「熟練の冒険者チームなら、十三階層くらいまでは危なげなく出かけて素材を狩ってくるそうですよ。オーレリアさんの作ったナプキン? でこれから女性冒険者もどんどん深層に潜っていけるようになるかもしれませんね」
そう言って、アリアはそうだ、と目を輝かせて本から顔を上げた。
「そのナプキンですけれど、よろしければ私にも売ってくれませんか? もちろん、受注した女性冒険者と同じ価格でかまいません」
「大丈夫ですよ。次に会う時に持ってきますね」
そう答えると、アリアはぱぁっと花が開くように笑った。
「今は、図書館の女性職員は花の時期はお休みを取る人が多いんです。来館者には貴族やその縁者も多いですし、場所によってはまだまだ花の時期の女性を不浄と見る声もありますから」
時代遅れですけどねーと、アリアは拗ねたように頬を膨らませる。上品で丁寧な振る舞いをする彼女だけれど、時折見せるこうした少し子供っぽい態度はとても可愛らしい。
「それに服を汚してしまうと中々落ちませんし、強引に落とそうとすると生地を傷めてしまうこともあるので、それがすごく嫌で」
「分かります……シミが残ると、嫌ですよね。私もその間は黒い服ばかり着ています」
「ですよね! 気分が乗らない時ほどお気に入りの服を着て過ごしたいのに」
花の時期の苦労は東の街も王都も変わらないらしい。ひとしきり女性特有の不快な症状で愚痴をこぼし合い、不意に、思う。
――楽しいな。
これまでこんな個人的な話をできる友人なんていなかったし、自分には縁遠いもののひとつとして「しかたない」の中に押し込めて諦めてきた。
アリアと知り合って一月も過ぎていないし、アリアの勤める私設図書館で働いていたのはほんの一週間ほどのことなのに、これまで知り合った誰よりも、彼女が近い場所にいる気がする。
「ふふ、こんなにおしゃべりが楽しいのは久しぶりです。最近は気軽にお話ができる人がいなくなってしまって」
「皆さん、ご結婚されたんでしたっけ」
「それもあるんですけど。これは、終わった話なんですけど、実は私も婚約破棄をしたんですよ」
アリアは冷めた紅茶を飲むと、ソファの背もたれに背中を預け、にこっと笑う。
「元婚約者に高等学院に進みたいので結婚は卒業を待ってほしいと伝えたら、女には必要ないだろうって言われてしまいまして。しかも私の合格した高等学院に、元婚約者は落ちてしまいましてね。私は気にしなかったんですけど、学生の間に浮気をされてしまいました。相手は私の一番の親友だと思っていた子で、周りの友人も、それを知って隠蔽に加担していたんです」
「……それは」
「真実の愛を見つけたんだって元親友には言われました。あなたは彼より学問を選んだんでしょうとも」
そう言いながら、アリアは天井を仰いだ。
声はいつもの彼女と同じ、明るい口調だったけれど、その表情がオーレリアからは見えなくなってしまう。
「私が高等学院に進みたかったのは、結婚後は実家の事業を任せられる予定だった元婚約者を支えたいって理由だったんですけどね。本当、あーあ、ですよね」