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16.「スイッチ」

「わ、このケーキ、すごく美味しいです」


 運ばれてきたケーキに口をつけると、まずさっくりとしたパイ生地の口当たりとバターのよい香りが口の中に広がった。カスタードはよほど新鮮な材料を使っているのだろう、ねっとりとした食感に濃い卵とミルクの風味がする。


 ほんのりと洋酒の香りがするのが、なんとも贅沢な気持ちにさせた。


 苺とパイ生地とカスタードクリームを重ねたケーキは彩りが美しいのもさることながら、この人生ではほとんど食べることの出来なかった高級なデザートであり、しみじみと美味しい。


「この近くにあるカフェの隣にあるケーキ屋なんです。王都でも三本の指に入ると私は思ってます。夏限定のジンジャーレモンケーキと、レモンクリームサンドもすごく美味しいんですよ」


 暑くなると甘酸っぱいものを食べたくなるのは、こちらの世界でも変わらないらしい。短めに揃えた涼し気な水色の髪を揺らしながら、アリアはにこっと笑う。


「雨期が終わって本格的な夏が来たら、一緒に行きませんか?」

「はい、是非」


 未来のケーキに思いを馳せつつ、今口にしているケーキの味を堪能するのはなんとも贅沢だ。

 前世はいくらでも美味しいものがあったけれど、オーレリアとしては実に十八年ぶりのケーキである。ゆっくりと味わって食べていると、アリアがうっとりとしたように呟いた。


「エアコンから出てくる風がすごく冷たいですね。すごく快適ですし、私、しばらく応接室で暮らしたいです」

「本当に、これが書架にあったら、どれだけ快適かしら」


 製品の名前は何にするかと問われ、気の利いた言葉も思いつかず「エアコン」と言ってしまったため、二人とも除湿と冷却を行うこの装置をエアコンと呼ぶようになってしまった。


 間違ってはいないものの、もう少し捻りのある言葉が出ればよかったと思わないでもない。

 吐き出され続ける乾いた冷風にさっそく室温が下がってくると、レオナがメイドに温かい紅茶をと告げる。


「室内設置型のエアコンは定期的に水を捨てなければならないのが欠点ですから、もし大規模に作るなら壁に穴をあけてパイプを通して、外に排水できる形にしたほうがいいと思います」

「そんなに水が出るんですか?」

「たぶん、図書館やお屋敷となるとかなりの量になると思います。雨が降っている日は特にですが……」


 除湿能力によるとはいえ、一般的な室内でも数時間で二リットルや三リットルの水が出るものだ。


 巨大な施設や大きなお屋敷となれば、水の量はそれなりに大量になるだろう。

 オーレリアの言葉に、レオナが考え込むように呟く。


「日中は職員が点検するにしても、夜間に水が溢れてしまったら大変ですものね」

「それが、魔道具の大きな欠点ですね」


 基本的に付与を施したものは、一度効力が発揮するとずっとその状態が続き、オンオフすることができない。


 このエアコンもどきも、夏場はともかく冬は冷えても問題ない場所に仕舞われ、そこでなお冷気を吐き出し続けることになるだろう。


 冷蔵樽や時計のようにずっと冷え続ける、動き続けるものならともかく、触れないほど熱くなる付与を行った部品は魔力が抜けるまで熱いままだし、ボートに付与によって回転するスクリューを付けると、陸に乗り上げてもずっと回り続けてしまう。


 公開されている術式が、少し温かい程度の「温」とひんやりする程度の「冷」であるのも、初心者がうっかり手に触れる場所に付与しても被害が少ないという理由もあるのだろう。

 ――付与のオンオフができたら、コンロとか、ドライヤーとか、もっと便利になるんじゃないかしら。


 付与魔術は非常に便利であり、魔道具はこちらの世界の文明を牽引している技術のひとつではあるけれど、万能ではないし、意外と使い勝手が悪い一面もある。


 そのためオーレリアも、作業室で簡易除湿器を作った後は、魔力で術式をかき消すことでその作用を停止させている。


 自ら付与術を使うことのできるオーレリアにはそれで問題ないけれど、一般的に付与を施した道具は高級品だ。そんな使い方は中々できるものではない。


「――あっ」

「? どうしました、オーレリアさん」

「いえ、あの、試してみないと分かりませんが、夜間に水があふれるかもしれない問題を、解決できるかもしれないと思いつきました!」


 珍しく大きな声を上げたオーレリアに、アリアとレオナが、きょとんとした顔でこちらを見ていた。


「あの、よければこのエアコンで、少し試させていただけませんか?」




   * * *




 付与が効力を発揮する条件は、大きく分けて二つある。

 術式と、術式に籠める魔力である。


 術式についてはオーレリアが初等学校で付与の基礎を学んだ際、教室で教えられた術式が「冷」と「温」という前世の文字だったことに、何度も目を疑ったものだ。


 その術式を指先で魔力を込めながらなぞるのが、オーレリアの初めて行った付与だった。


 付与術師たちは現場で働く傍ら研究を行い、新たな術式の開発に余念がない。ひとつでもオリジナルの術式が増えれば個人であれ付与術師が所属する団体であれ、得られる利益は計り知れないというのは国から派遣された付与術師の言葉である。


 その授業のあとで、こっそり覚えている前世の言葉を魔力をこめてなぞってみると、全て問題なく発動した。


 その時は高揚したものの、自分の立場ではそれが過ぎた力であると判断できたのは、やはり前世の記憶があったからだ。


 当時オーレリアは十歳になったばかりの子供で、叔父夫婦が自分という無駄な食い扶持を疎んでいることも理解していた。


 付与術師は働き口に困らない。「有能な」と上につけば、尚更使い潰される未来を想像するのは容易だった。

 どれだけ便利な力を持っていても、自分の鞄に「軽量」の付与ひとつ施せなかったのも、そのためだ。


 嫌なことを思い出しそうになって、オーレリアは思いつきを試すことに意識を集中する。

 付与の効果を途中で失わせたい場合、発動した術式を物理的に破壊するか、その上から魔力で塗りつぶせばいい。


 また、術式の上から術式を重ねがけしても、両方の効果が失われるので、重ねがけをする時は場所をずらして行う。


 ならば、一時的に魔力を重ねて効果を無効化し、重ねた魔力を除去することで再び付与を有効化できるのではないだろうかというのが先ほど二人と話していて思いついたことだった。


「ええと、試してみたいので、エアコンの蓋を開けてもいいですか? それと、小さくていいので、紙を三枚いただけるとありがたいのですが」

「私が開けますね!」

「紙はこちらをどうぞ」


 アリアが椅子から立ち上がり、うきうきとした様子でエアコンの筐体からかぶせ蓋を持ち上げると、まだ先ほどのことを気にしているのだろう、さっとこちらに背中を向けた。レオナも取り出した手帳からページを破ってオーレリアに渡すとそれに準じる。


 レオナから受け取った紙片に、魔力で横一本の線を付与する。これだけでは何の効果も現れない。単に魔力で横線を引いただけだ。


 その紙片を露わになった冷却器の、先ほど「冷却」を付与した部分に、そっと押し当てる。


「もう大丈夫です」


 声を掛けると、好奇心を抑えきれない様子のアリアがさっとオーレリアの隣で腰を下ろし、エアコンに熱い視線を向けた。


「……冷気、出てませんね?」

「元々冷えていたので手をかざすと少しひんやりしていますけど、新しく冷気が出ている感じはしませんね」


 術式の上から適当な術式を重ねたことで、「冷却」の付与が働かなくなったのを確認し、そっと紙片を退ける。


 そうすると一気に周囲の空気が冷えていった。


「あっ、冷たくなりましたね!」

「確かに、付与の効果が切れていましたね。一体どうやって……いえ、失礼、言わなくても大丈夫ですよ」


 レオナは慌てて付け足すと、アリアに筐体の蓋を戻すよう告げて、ソファに戻っていった。

 形のいい口元に指を当てて、ぶつぶつとずっと何かを呟き続けている。


「あの、レオナさん、どうしたんでしょうか」

「お姉様がああなっているときは、そっとしておけばいいですよ。それにしてもオーレリアさん、すごいですね。付与の効果を止めたり再開したりできるって、初めて聞きました。これは、革命が起きますよ!」


 アリアの大袈裟な言葉に、思わず肩を揺らして笑ってしまう。


 自分が気づいた程度のことだ、おそらく高名な付与術師や王国魔法師団では、すでに発見している現象だろう。


 付与の効果を消さずに一時的に止めることができるという話はオーレリアも聞いたことはないけれど、実用化されていないということは、おそらく何かしら大きな欠点があるのだろうと思う。


「なんだか、興奮してしまってすみません」


 急にそんなことが気恥ずかしくなって照れくさく笑うと、アリアも眉尻を下げて笑う。


「オーレリアさんのそういうところ、大きな魅力だと思いますけど、少し、いえ大分、心配です」


 まあ、お姉様がなんとかしてくれるかな。アリアのその言葉の意味を理解するのは、ほんの先の未来のことだった。


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