153.月とダンジョン研究者
「浄水装置のお話をする前に、シル兄様にご相談があるのですが」
ジェシカがそう切り出すと、シルヴァンはきょとんとした表情で、軽く首を傾げてみせた。
「なんだい? 可愛い妹弟子の相談なら、別に何でも聞くけど」
「浄水装置はアウレル商会の新規商品で、意匠権を取得しているとはいえその詳細については外部に公表していないものですので、私にはお話しする決定権がないのですが」
そう言って、ジェシカはオーレリアに視線を向ける。
「オーレリアさん。私はミズベタの生態について、シル兄様に専門家として相談に乗って頂くことを提案します。シル兄様は……ヴェルメイユ家は、代々ダンジョン研究を専門にしている家系で、特にダンジョンの特性や成り立ち、魔石やダンジョン鉱石の分野においての知識の蓄積において、間違いなくこの国では頂点に立つ研究者です」
「そんなに褒められると照れるな」
そう言いつつ、シルヴァンの表情は面白がるような、それでいてどこか冷静にジェシカを観察するようなものだ。ジェシカもそれを受けて、にこりと余裕のある笑みを浮かべる。
「兄様は象牙の塔の研究者として市井の利益にはあまり興味はないと思いますが、魔物素材の利用の幅が大きくなるほどその特性への研究の希求は高まりますし、予算も大きく割かれることになるでしょう。実験用の試料だって潤沢に手元に届くようになる。それは、シル兄様にとっても魅力的ではありませんか?」
「確かに、今は冒険者ギルドに採集依頼をしているからその報酬で予算はかなり使ってしまうね。毎年財務局との予算交渉に塔の会計係は頭と胃を痛めているし、貴族出身の研究者は自腹で依頼をする者も少なくないくらいだ」
「ええ。ですがその研究が大きな利益を生むとなれば、話は別です。今は冒険者ギルド、商業ギルドが浄水装置の販売権を持っていますが、いずれ必ずレイヴェント王国だけではなく、大陸の全ての国がその技術利用を欲するでしょう。その時、エディアカランは今以上の価値を持ち、それを所有するレイヴェント王国は現在の大迷宮以上の収益を――利権を得ることになります」
「ジェシカ」
ウォーレンが思わし気に声を掛けると、ジェシカは静かな瞳でウォーレンとオーレリアを見つめた。
「すでに二つのギルドは、それを前提として動いていると思いますよ。オーレリアさん、意匠権による独占権は五年間。その後は国や投資家たちが血眼になってその構造の解明と模倣を始めるでしょう。この間に素材の確保だけでなく、繁殖の方法も私たちは確立しておいたほうがいいと思います」
「繁殖ですか……」
「はい。なんの手も打たずにいれば、おそらく五年後、例の素材を持つ魔物は絶滅するまで取りつくされることになると思います。それが人の持つ業ですから」
ジェシカの言葉はしっかりとしたもので、その日が来ることを確信している。そんな様子だった。
「あ、もしかして、だからサーリヤさんに話を聞きに?」
今の時点でミズベタをそのままの形で地上に持ってくることを反対したのはジェシカであり、その理由はミズベタが強酸を持つスライムに再進化するとともに地上に適応して繁殖する可能性を恐れたからだ。
だが一方で、ミズベタが絶滅するまで取りつくされる時間を稼ぎたいという感情があったのかもしれない。
「ザフラーンの条件は、おそらく中央大陸では満たせません。行き来が容易ならばザフラーンで養殖という手もあるかもしれませんが、サーリヤさんの話を聞く限り、あちらの魔物はたとえ同種であっても、総じてダンジョンの魔物よりも小型で弱い個体になるようです。私たちに与えられた独占権の時間では、その研究を行い成すのは難しいでしょう」
ですので、とジェシカは改めて、シルヴァンに視線を向ける。
「シル兄様に……ヴェルメイユ家の月の称号を与えられた第一の研究者であるシルヴァン様に、研究協力を仰ぐことを、強く推奨します」
リューンは、シルヴァンの名のひとつだと思っていたが、どうやら別の意味があるらしい。そこから先は、シルヴァン本人が説明してくれた。
「ヴェルメイユ家は先ほどジェシカが言ったように、代々ダンジョンの研究を生業としている学者の家系です。ほとんどの家門の人間は研究職に進みますが、爵位とは別に、リューンの名は一代に一人と決められていまして。先代は私の祖父であり、私とジェシカの師であったリューディガー・リューン・ヴェルメイユが保持していましたが、師が引退することになり、私が新たにリューンの名を襲名いたしました。まあ、ヴェルメイユ家の知識の粋と、代々のリューンが書き残した研究書の新たな番人ですね」
ジェシカにという声もあったのですがと、シルヴァンは苦笑を漏らす。
「ヴェルメイユ家の出身でもない私がリューンの名を継ぐためには、ヴェルメイユ家の誰かと婚姻が前提になってしまうので、そちらは辞退しました」
「僕は、ジェシカなら受けると思ったんだけどね。ヴェルメイユ家の知の遺産に心が揺れないわけではなかったんだろうに」
「でも、そうするとダンジョンに自分で潜ることはできなくなりますから。――以前オーレリアさんにはお話しましたが、国にとって重要な立場の人間は、ギルドの判断でダンジョンへの立ち入りを拒まれます。リューンの名はそこに該当するんです」
その話は覚えていたので、頷く。
ダンジョンではスライムによって装備や死体が跡形もなく消されてしまうことが多いので、貴族の当主や後継ぎが生死不明のまま行方不明になることで起きるトラブルを避けるために、ダンジョンを管理している冒険者ギルドによって立ち入りを拒まれると聞いていた。
リューンの名は貴族の当主や跡取りに等しいくらい、重要な立場だということなのだろう。
「まあ、というわけで候補の一人でヴェルメイユ家の直系である私が名を継いだわけですが、ジェシカ、君が象牙の塔に戻ってくる日が来たら、君と共同で名を有することも考えていたんだが」
その言葉に、ジェシカはしっかりと首を横に振った。
「いいえ、私はすでに象牙の塔のジェシカではなく、黄金の麦穂のジェシカであり、アウレル商会の研究者でもあります。象牙の塔での日々はとても魅力的ですが、きっと、私が戻ることはないでしょう」
そっと胸に手を当てて、彼女は何かに誓うように言う。
「知ってしまったのです、シル兄様。新たな発見をし、研究し、それを人々の幸福のために広めていく。それはとても楽しく、幸福で、ただ識るために生きる日々よりも私に合っているのだと」
「そうか。君の喜びがそこにあるなら、仕方がないね」
それに、シルヴァンは笑いながら軽く肩を竦めた。
「象牙の塔としても、ヴェルメイユ家の人間としても、とても残念だけれどね」
その黒い瞳が少し寂し気だったのは、オーレリアの気のせいではない気がした。
* * *
「へえ、十四階層に住むスライムの外皮にそんな効果があるんだ。すごい発見だね。スライムかどうかの同定は、魔石でやったの?」
シルヴァンの問いかけに、ジェシカははい、と頷く。
「スライムの魔石は他の魔物のものより特徴的ですので、以前からそうではないかとは思っていたんですが、こうした機会でもなければ積極的な研究の対象にはならなかったので、いい機会をいただけました」
「十四階層に行き来できる冒険者が増えれば、他の深層の採取依頼もはかどるだろうし、これはギルドは喜ぶだろうね。ダンジョン研究のために冒険者になったジェシカらしい発見だと思うよ」
「現在深層の採取依頼でもっとも利益が高く好まれるのはバロメッツですが、バロメッツよりかさばらず、当面は需要が途切れることもないミズベタの外皮採取依頼も人気が出ると思います。すでにギルドに採取依頼を出していますが、軌道に乗るのはもう少しかかるというところでしょうか」
シルヴァンはにやにやとしながらジェシカの説明を聞き、ああ、だからと続ける。
「十四階層の魔物は無害であるというのは有名な話だけれど、捕食や被食がゆるやかな環境では畢竟、生き物の個体数の増加は緩やかであることが多い。ミズベタも、もっと浅層のスライムより増える速度は相対的に遅い可能性が高いね」
これまでの会話であっという間にそこに思い当たったらしく、シルヴァンは脚を組むとふふ、と思わせぶりに微笑む。
「ミズベタが大陸中の他のダンジョンにも生息していないか調査を進める一方で、エディアカランでの繁殖についても調べていかなければならないね。先ほど言っていたように、行き来が可能になればザフラーンでの養殖も可能になる可能性もないではないけれど」
「はい。今日聞いた話ですが、帝国のスライムはこちらのダンジョンに出るものとも少し違っているようですが、魔石の形や分裂の方法を見る限り、やはり同種、もしくは限りなく近縁種に近いかと思います」
ふむ、とシルヴァンは楽しそうに頷いて、壁際の棚から何冊か、本を手に取って戻ってくる。こちらの世界では本はまだまだ高級品の部類だけれど、惜しげもなく金彩が施された豪華な仕様のものばかりだ。
「スライムは非常にありきたりで、大陸中にあるダンジョンの全てに存在していると言われているけれど、捕獲しても調査が難しくて、まだまだ謎が多い生き物でもあるんだよね。生息している場所でも色や魔石の大きさなんかはいくらか特徴が違うし、その色によって溶かす得意な物質が違うとも言われているけれど、ミズベタほど外見の特徴が違っているという話は初めて聞いたよ」
「今後、十四階層での繁殖と養殖についても研究を進めていきますが、なにしろ長居ができない十四階層ですので」
「あまり時間はないけれど、腰を据えるのも難しいということか。ああ! 今ほど月の名を継いだのを惜しいと思ったことはないよ。僕も十四階層に行ってみたい!」
そう嘆くと、シルヴァンは少し考えて、うん、と頷く。
「とりあえず、ギルドに少し僕から話をしてみようか」
顔を上げると、シルヴァンは黒い瞳をきらきらと輝かせて言った。
「たまには象牙の塔第三席の威光とやらも、利用しておかないとね」




