151.象牙の塔とスキュラの魔石
「オーレリア!」
侍従官に案内されて控室から移動したウォーレンが、こちらを見て駆け寄ってくる。これまでにないパターンだったので、焦らせてしまったようだった。
「ウォーレン。すみません、ここまで来てもらって」
「それはいいけど……」
ちらりとシルヴァンを見ると、ウォーレンは背筋を正し、貴族的な笑みを浮かべてみせる。
「ウォーレン・レオンハルト・グレミリオンです。象牙の塔の魔法使いとお見受けしますが、私の婚約者が世話になったようで、ありがとうございます」
「シルヴァン・リューン・ヴェルメイユ。象牙の塔の第三席です。初めましてグレミリオン卿。ご婚約者の護衛が私の妹弟子ですので、少々会話が弾んだのです。ここまで来ていただいて、ありがとうございます」
軽く握手を交わすと、ウォーレンはそっとオーレリアの傍に立つ。やや警戒が先だっている様子だった。
「象牙の塔に招待されたと聞いたけど」
「はい、その、スキュラの魔石を見せていただけると聞きまして。――急に決めてしまって、すみません。日を改めるべきでした」
「いや、象牙の塔には基本的に招かれた者しか入れないし、いい機会だったと思う。気にしないで」
「では、参りましょうか! 私の研究室にお客様なんて珍しいから、ドキドキしますね。あ、君はここまででいいよ。象牙の塔から戻るときは、私が中門まで送るから」
侍従官にそう告げるとさっさと歩きだしたシルヴァンについてしばらく移動する。
セラフィナに会う時は決まったルートを行き来するだけなので、いつもと違う通路を歩くとまるで別の場所に来てしまったようだ。
「中庭以外にも色々とあるんですね」
「王宮には七つの庭園があるよ。俺も五つくらいしか見たことがないけど」
「そろそろ春の庭が見ごろですね。ガゼボでお茶会をする貴族の女性も多いですよ」
ウォーレンとジェシカに、他にも夏の庭、秋の庭、泉の庭などがあると言われて頷く。土地の使い方が贅沢だし、さすが王族の住まう宮殿というべきだろう。
しばらく歩くと渡り廊下に出て、そこから高くそびえる塔を含む大きな建物に入ることができた。
「外から見える大きな塔って、象牙の塔だったんですね」
「はい、十三階建てで、王宮にはいくつか塔がありますがその中では最大のものになります。とはいえ古い建物ですし、今は象牙の塔の象徴的な建物として残っているようなものですね。上り下りも大変なので、最近は塔ではなく続きの建物が主な研究施設ですが、今でも第七席までは塔に個室を持っているのと、セキュリティがしっかりしているので貴重品の保管などにも使っているんですよ」
「本当に、冬は寒くて夏は暑いんですよねえ。ああ、でも昇降機がついたんですね」
「ジェシカが塔を去った翌年くらいにね。といっても、六階までだけど」
「それは惜しいことをしました」
軽やかに笑い合いながら昇降機に乗りこみ、七階に移動する。内部は石造りで外からの採光はほとんどないけれど、塔結石のランプがあちこちに設置されていて薄暗い感じはしなかった。
そこから階段で四階分を上ることになったものの、あっという間に息切れしたオーレリアにウォーレンがそっと手を貸してくれた。
「オーレリア、大丈夫?」
「は、はい……すみません、運動不足で」
用事で外に出かける以外は、基本的には引きこもって付与を行うのがオーレリアの日常である。冬の間は特に出不精が続いてしまったこともあり、去年の春、毎日のように図書館に足を運んでいた頃に比べると明らかに体力が落ちたようだ。
ウォーレンとジェシカは冒険者として鍛えているだろうし、日常的にこの塔を出入りしているのだろうシルヴァンも慣れた様子で、一人で息を切らしているのがなんとも気恥ずかしい。
「どうぞ、座って休んでください。てっぺんまで昇降機をつけてもらえればよかったんですが、色々な理由で六階までなんですよね」
「いえ、私が体力不足なだけなので……」
少し脇腹が痛くなってしまって、本格的に危機感を感じる。暖かくなってきたことだし、できるだけ積極的に外を出歩くようにしようとそっと心に決める。
案内された部屋は四方の壁が棚で埋め尽くされ、本と、ガラス棚には実験器具らしいものが並べられていた。奥にあるデスクの上には大量の紙が積み上げられていて、走り書きのようなものがびっしりと書かれている。
散らかっているわけではないけれど、ガリレア工房やロクサーヌのアトリエに比べると全体的に雑然とした雰囲気である。ジェシカは出入りしていたことがあるようで、私がお茶を淹れますねと告げるとてきぱきと棚から茶葉を出し、アルコールランプでお湯を沸かし始めた。
「シル兄様、ちゃんとお茶の葉は新しくしていますか」
「うん、今の助手がしっかりした子で、定期的に入れ替えてくれているよ。グレミリオン卿、葉巻はお吸いになりますか?」
「いえ、私は吸わないので」
「では、私は失礼して」
そう告げて、シルヴァンはキセルに刻みタバコを詰め、指をかざすとぽっ、と火がともる。
「シルヴァン様は、火の魔法使いなんですね」
「それから風と水も属性がありますよ。火をつけて、風で煽って業火にし、最後は水をかけて鎮火するのが得意です」
「三属性持ちですか……すごいですね」
ウォーレンが感嘆したように漏らすと、シルヴァンは優雅に微笑む。
「とはいえ、私は研究職一辺倒なのであまり属性魔法を使う機会もないのですが。精々お茶を淹れるのに水を出し、煙草に火をつけるくらいのものです」
長い黒髪に黒い瞳のシルヴァンにはキセルがよく似合っていた。前世でキセルを使っている人を見たことなどないのに、なんとも懐かしい雰囲気を感じてしまう。
ジェシカが紅茶を淹れてくれたところでシルヴァンは一服を終えて立ち上がり、デスクの引き出しから箱を取り出して席に戻ってくる。その手には小箱が握られていて、それを開くと口を革ひもで綴じた革の小袋が収まっている。
「同定のために王宮から預けられたもので、主に私が過去のスキュラの魔石との比較、検証を行っていました。いつまでという期限が指定されていなかったため、同定が終わったあとも私が保管していたものです」
「中を検めても構いませんか?」
どうぞ、と告げられてウォーレンは小箱から革袋を取り上げ、封を解いて中を覗き込む。
「オーレリアも見てみる?」
「いいんですか?」
「勿論」
快諾されて興味のままに革袋を覗き込むと、丸く青い石が、そこには収められていた。
大きさとしては女性の手のひらにすっぽりと納まる程度だろう。王都に河川を一つ増やしたという逸話からすると、拍子抜けするほどに小さい。
けれど、吸い込まれそうな深い青は、視線が吸い込まれそうなほど神秘的だ。光の加減だろう、キャッツアイのような白い光の筋が入っていて、惚れ惚れするほど美しい石だった。
「きれいですね……」
「魔石としての効果は言うまでもありませんが、宝石とすれば相当の価値があるでしょうね。袋から出して放置しているとこんこんと水を出し始めるので、首飾りにするというわけにもいきませんが」
ウォーレンは切なげにスキュラの魔石を見つめていて、それにちくりと胸が痛む。
この魔石を手に入れるために彼が費やした努力や時間がどれほどのものかは想像するしかないけれど、たった一度踏破されてから多くの冒険者が挑戦し続けて、二十年の月日を費やしてようやく二度目の踏破を果たしたのだ。大変だっただろう、そんな言葉で片付けるのが失礼なくらい、血がにじむような努力や研鑽があったはずだ。
「水といえば、オーレリア嬢の商会では浄水の研究を行っているとか。実用にこぎつけたそうで、素晴らしい成果だと聞いています」
「はい。開発には、ジェシカさんに随分お世話になりました」
「オーレリアさんの発想は素晴らしいですよ。久しぶりに楽しく研究させていただきました。それにしても、相変わらず耳が早いですね」
「新しい技術が生まれたと聞けば、バラして原理を調べてみたいのが象牙の塔の住人というものだろう。もっとも、浄水装置については噂だけが広まっていて現物はまだお目にかかっていないんだけれどね。なんでも十四階層の魔物素材を使っているそうじゃないか。あそこにどんな魔物がいたかも含めて、色々と聞かせてもらいたいな」
シルヴァンが楽し気にそう言っている間も、オーレリアは隣に座るウォーレンの様子ばかりが気になって、仕方がなかった。




