150.象牙の塔への誘いと兄弟子
セラフィナとの面会で出されるお茶もお菓子もとても甘いものが多いけれど、その日は少々胸焼けするほどの甘さに浸りつつ、予定の二時間を過ごしたところで退出する運びになった。
まだまだ話し足りないという様子のセラフィナに、そう間を空けずに来ることを約束して温室を出ると、案内して来た時と同じ侍従官が待っていて、無言で礼を執る。
宮廷に勤める人たちは、用がなければ直接声を掛けてくることはないし、どうやらそれが礼儀作法のひとつらしい。毎回のことなのでオーレリアもすっかり慣れて、先導して歩く侍従官の後ろについて進む。
「本当に、西大陸はこちらの大陸とは全く文化が違うのですねえ。やはり文献を紐解くのとは違い、大変ためになりました」
途中から買ってきた本の朗読を依頼されてなんとか読み聞かせていたオーレリアと違い、サーリヤと実のある会話ができたらしいジェシカは満足げな様子だった。
「それならよかったです。やっぱり魔物も、こちらとは違いましたか?」
「そうですね。ザフラーンにはダンジョンがないということでしたが、そもそもダンジョン内に満ちている魔力が当たり前に地上にあるのだと思います。そのかわり、大分薄いのでしょうね。おそらくダンジョン周辺くらいの魔力の濃度が、地上に広がっている状態なのかなと推測しました」
「魔力ですか?」
ダンジョンに足を踏み入れたことのないオーレリアにはピンとこない。
「ダンジョンの内部には魔力が満ちていて、それがダンジョン内のあらゆる植生や構造物に影響を与えています。鉄は魔鉄へ、銀は真銀へ変化して、魔力は外に漏れる時は結晶化して塔結石になりますが、結石になりそこねた魔力はダンジョンの周囲にうすく伸びているようなんですよ」
ジェシカはそうですねえ、と頬に手を当てて、少し考える間を置く。
「オーレリアさんは、月兎の葉はご存じですか?」
「はい、お肉を包んだり、お弁当を包むのによく使う葉ですよね。ダンジョンの周辺にたくさん生えていると聞いたことがあります」
月兎の葉は王都では普通に安価で流通しているもので、鷹のくちばし亭で世話になっていた頃にスーザンがお昼を作ってくれる日は、よく包装に使われていた。
オーレリアが図書館でエアコンを作るきっかけになったのも、月兎の葉を基にした簡単な除湿装置だったのを懐かしく思い出す。
「あれはちょうどいい薄さの魔力がある場所にしか生えないんです。ダンジョンの周辺には漏れ出した魔力がうっすらと滞留しているので、その環境が最も生育に適しているのでしょうね」
ジェシカは月兎の葉はダンジョンの中には生えないし、ダンジョンから離れすぎても育たず、その代わりダンジョンの周辺には潤沢に生えていて、ある程度ごっそり収穫してもすぐに伸びてくるので迷宮が近くにある都市では安価に流通しているのだと説明してくれた。
「ああ、だから故郷ではあまり見かけなかったんですね。私の暮らしていた町の近くには、ダンジョンがなかったので」
「はい、中央大陸ではダンジョン近くの街で当たり前に使われている月兎の葉ですが、サーリヤさんが言うには帝国では比較的どこででも月兎の葉が収穫できるそうですよ。あまりに当たり前に採れるので、食事の器は全て月兎の葉が使われている地区もあるくらいだそうです」
「それは、すごいですね」
王都でも月兎の葉はほぼ使い捨ての弁当箱くらい安価に手に入るものだけれど、住人の食事の器全てをまかなうような消費のされ方はしていない。
本当に、当たり前にその辺りに生えているという扱いなのだろう。
「中央大陸では魔物はダンジョンでしか繁殖できないというのが通説ですので、もしかしたらそれには場に含まれる魔力の量が関係しているのかもしれません。ううん、これは一度、西大陸に足を運んでみたいくらいですね。同種の魔物がどう生態が違うのか比べてみたいですし、実際に地上で繁殖しているところも見てみたいです」
「面白い話をしているね」
熱っぽく言うジェシカは西大陸に行ってしまえばしばらく戻ってきそうにないなと思っていると、不意に背後から声を掛けられて思わずぴょんとその場で軽く足が浮いた。
振り返ると王宮にいるには珍しい、ゆったりとしたローブを羽織った男性が思ったよりも近くに立っていて二度驚く。
男性は長い髪を緩く結び、愉快そうな表情でじっとこちらを見つめている。その髪と瞳の色は真っ黒で、こちらの世界ではどちらもとても珍しい色だ。
髪と瞳、どちらか片方だけなら稀に見ることもあるけれど、その両方とは、少なくともこちらの世界に生まれてからは初めての組み合わせだった。
前世の記憶を持つオーレリアには不思議な郷愁を掻き立てさせるものの、王宮の中でも一般区に入っているとはいえこっそり近づいて聞き耳を立てていたとしか思えない距離感に、懐かしさより警戒心の方が先に立つ。
「あら、シル兄様。お久しぶりです」
だがジェシカはまるで動じた様子をみせず、不審者――もとい彼女の顔見知りらしい男性ににこやかに挨拶をした。
「ジェシカ、久しぶり。王宮に来たのに私に会いにこないなんて、随分水臭いじゃないか」
「今日はお仕事で訪れたんですよ」
「おまけにすごく楽しそうな話をしているし。ザフラーンのお姫様に会ってきたんだろう? ますます私のところに会いに来てくれなきゃじゃないか!」
「相変わらず、困った方ですねえ」
その勢いにまったく動じた様子は見せず、ジェシカはうふふ、とおかしそうに笑っている。少し先を歩いていた侍従官は困惑したように立ち止まって、こちらを振り返っていた。
「ええと、ジェシカさんのお兄様ですか?」
「いえ、彼は――」
「申し遅れました。私はシルヴァン・リューン・ヴェルメイユ。ジェシカとは師を同じくする、兄弟子になります。現在は象牙の塔にて第三席を務めております」
「――です。私の恩師がヴェルメイユ家の前当主で、彼の祖父にあたる方だったので、そのご縁ですね。シル兄様、こちらはオーレリア・フスクス嬢。私が現在所属させていただいているアウレル商会の会長で、ウォーレン・レオンハルト・グレミリオン卿のご婚約者でもあります」
「初めまして、ヴェルメイユ卿。オーレリアと申します。ジェシカさんにはいつも、大変お世話になっております」
うっかり噛みそうになりつつ挨拶をすると、あはは! とやけに楽しそうに声を上げて笑われてしまった。
「初めまして、美しい夜明け色のお嬢さん! お会いできて光栄です。私の家名は呼びにくいでしょう、どうぞシルヴァンとお呼びください。なんならシルでもかまいませんとも」
「あ、はい、あの、ありがとうございます?」
お礼を言うべきか毅然と振る舞うべきか迷ったけれど、初対面の相手に毅然と振る舞えたことなどないことを思い出し、曖昧に微笑む。
シルヴァンの艶のある黒い髪をついつい注視してしまっていると、彼はにこっと子供のように微笑み返してきた。
「ジェシカ、まさかこのまま帰るとは言わないよね。たまには古巣に顔をお出しよ。知識は共有するもの、そして増幅させるものだとお祖父様もよく言っていただろう?」
「そうですねえ。今日は同行者を待たせていますので、オーレリアさんを控室に送ってから少しお邪魔するくらいでしたら……」
「私は是非オーレリア嬢の話も聞いてみたいなあ。そうだ! 今からその同行者君も迎えにいって全員で私の研究室に来るといい。お茶とお菓子を出してあげよう!」
その勢いに気圧されていると、ジェシカは呆れたように息を吐いた。
「シル兄様、市井ではこう言われているのですよ、お菓子をあげると言われても、ついていってはいけませんと」
「では、お菓子より甘い情報はどうだい」
シルヴァンはあくまで楽し気に、目を細め、くすくすと笑う。
「君たちが持ち帰ったスキュラの魔石、今は私の手元にあるんだ。さすがに私の独断で渡すわけにはいかないけれど、オーレリア嬢は結構興味があるんじゃないかな?」




