142.面影を忍ぶ
入浴を済ませ、柔らかい素材のガウンに体を包むとモニカが丁寧に髪を拭いて、甘い香りの香油を塗り、髪を梳いてくれた。
人に世話され慣れていないオーレリアとしては多少居心地悪く感じてしまうけれど、薄いリネンの布でしっかりと髪を拭われる手つきはとても優しいもので、芯まで温まったばかりということもあいまって、すぐに肩から力が抜ける。
「お召し物は洗いに出しましたので、後日旦那様に届けていただくようにいたしますね。綺麗に仕上げてくれる店なので、心配はないと思います」
「ありがとうございます。あの、何から何までお世話になってしまって」
「普段は女主人のいない屋敷ですので、こうしてお世話させていただけるのはとても嬉しいのです。どうぞお気になさらないでくださいな」
モニカの声は柔らかく、木の櫛で丁寧に梳いた後はふわりとするまで豚毛のブラシをかけてくれる。
「お嬢様はとてもお美しい方だったのですが、あまり美容に頓着される方ではなかったので、昔から私は色々と気を揉むことが多くて、むしろ私の方が美容に詳しくなってしまったくらいだったのです。でも、そうした自然で屈託のない振る舞いが、不思議なくらい魅力的な方でした」
オーレリアの髪の手入れをしながら、思い出がつい漏れたというような言葉はとても大切なものをそっと撫でるような声だった。自然と、ウォーレンの母を彼女はとても大切にしていたのだろうと思うような、そんな音だ。
「きっと、ウォーレンはお母様に似たんですね」
ウォーレンとは冒険者と図書館のアルバイトとして出会ったけれど、今でもウォーレンの正式な身分は侯爵家の当主なのだと忘れてしまうくらい、気取らない振る舞いの似合う人だ。
いつでもオーレリアの言葉を真剣に聞いてくれて、寄り添おうとしてくれる。今日は晴れてよかったとか、暑い日はビールを飲んでこのおかずは塩気が強めで美味しいとか、ほんの小さな「よかった」を共有するのがとても上手い。
人間的な強さも弱さも魅力も持っている、そういう人だと思う。
「ええ、ええ、そうなのです! とてもお優しくて、自然に寄り添って下さるようなところが本当に、お二人はよく似ていらっしゃるのですよ」
鏡に映るモニカはニコニコと嬉しそうに笑っている。
「お坊ちゃまは幼少のみぎりから賢くて、その分周りのためにご自分の気持ちを抑えてしまうところがおありだったので、私はとても心配していたのですが、かと思ったら今は冒険者をして屋敷にもお戻りにならなくなってしまって――とても心配していたのですが、こんな素敵な方をお迎えになられるなんて、本当によろしゅうございました」
その言葉にちくりと胸が痛むものの、そうですね、と小さく答える。湿った髪が服を濡らさないように結い上げてもらい、用意してもらった肌触りのいいモスリン生地のドレスに袖を通す。
コルセットを必要としないゆったりとした縫製の服で、やや薄く露出も多いけれど、上からガウンを羽織れば気にならない程度である。
王都や東部ではあまり見かけないデザインなので、気温が高いという南部の様式なのかもしれない。
最後に首元に香りのいいクリームを塗られて、モニカは満足げな表情だった。
「すぐに夕飯が整いますので、それまで団欒室でお寛ぎくださいね」
そう告げられて団欒室に案内されると、瀟洒な内装の団欒室で、ソファにはウォーレンが腰を下ろして本を開いていた。
オーレリアを見て少し驚いた様子で立ち上がり、戸惑った様子ながら、手を差し伸べてソファまでエスコートしてくれる。
普段、酒場や大衆的なレストランに行く時の振る舞いとは少し違っていて、彼も動揺しているのが伝わってくる。
「ええと、温まった?」
「はい、おかげさまで。モニカさんにすごくよくして頂きました」
「モニカは世話好きだから……その、口うるさいこととか言われなかった?」
不思議に思って首を傾げると、あれで厳しいところもあるんだと眉尻を落として言われてしまう。
「すごく丁寧に接してくれましたよ。その、ウォーレンのお母様のお話も、少し聞かせてくれました」
知らない所で家族の話をされるのは嫌かもしれないと少しだけですが、と添えると、ウォーレンは照れくさそうに微苦笑して向かいのソファに戻る。
「モニカはオーレリアのこと、すごく気に入ったみたいだね」
「そうなら、とてもありがたいですが」
「うん。それ、母のワンピースなんだ。だから、オーレリアが入ってきたとき、少し驚いた」
「えっ」
その言葉に驚いたものの、すぐにその可能性を考えるべきだったと思いいたる。
ほとんど使用人の影すらないこの屋敷で、女性の服があるとしたらモニカの私物かウォーレンの母のものだろう。そしてモニカは、オーレリアより背は低く、ふっくらとしている。サイズが全然違うことは明らかなので、消去法で服の持ち主は一人しかいないことになる。
「あの、そんな大事なものをお借りしてよかったんですか!?」
「ああ、それは大丈夫。着る人もいなくなって随分経つし。その、オーレリアが嫌じゃなければだけど」
「嫌なんてことはないです。でも、その、お母様の大切な思い出の品では」
「まあ、服は服だし」
ウォーレンは笑って、それから少し、しんみりした表情を浮かべた。
「父から母に贈られたものは服も宝飾品も、結局は王家の財産か税金から出たものだから、売ったり譲ったり、ただ処分するっていうのも扱いが難しいんだ。かといって、南部を出ていった後の母の持ち物は実家に置いておいても祖父母も悲しい思い出が多いだろうからって、この屋敷を貰ったときに母の形見として運んでもらったんだけど、俺もどうしていいか分からなくて」
レイヴェント王国では、正妃に子供ができない場合に限り愛妾の子にも相続権が認められていて、身の回りの品を揃えたりサロンを開くために年間の予算も国庫から割り当てられて、準王族としての身分も認められている。
ましてれっきとした王族である王子からの贈り物となれば、ウォーレンがそう言ったように、簡単に処分するというわけにはいかないのだろう。
身に着けたドレスを見下ろして、そっとスカートを手のひらで撫でる。
「服は、仕舞いこんでいては駄目なんだって、アリアが言っていました。クロゼットに押し込んでるだけだと、布が傷んだり、虫食いが出たり、臭いがついて取れなくなってしまうって。――このドレスは、とても大切に保管されてきたんですね」
袖を通した時も違和感はなかったし、肌触りがよく、主が大切にしてきた服なのだと分かる。
ウォーレンの母が亡くなったのは彼が十代の半ば頃だったはずだ。それからずっと、その持ち主の面影を偲んで管理されてきたのだろう。
「随分前の服なのに、モニカがちゃんと手入れをしてくれていたんだな。俺はそういうのに気が回らないから」
「モニカさんが言っていました。とても優しくて、素敵な方だったって。だからだと思います」
「そっか。――母は、幸せ者だね」
「はい」
ウォーレンはじわり、と滲むように笑い、少し俯いて、目頭を押さえる。
「オーレリア、その、嫌じゃなければでいいんだけど、たまに、その服を着てあげてくれないかな。デザインが古いならリフォームしてもいいから」
「私は構いませんけど、いいんですか?」
うん、とウォーレンは顔を上げて、オーレリアを真っすぐに見る。
その緑の瞳に涙は浮いていないけれど、とても優しく細められていた。
「誰かが――オーレリアが着てくれた方が、服も母も、喜ぶと思う」
1/8投稿分でしたが、投稿できていませんでした。




