14.新たな依頼
そんなことがあった数日後。オーレリアはいつも通り王立図書館に出勤すると、作業を始める前にレオナに声を掛けられ、館長室に呼ばれることになった。
館長のジャスティンは館長室での書類仕事が主ということで、作業室に籠りきりのオーレリアと顔を合わせる機会がなく、アルバイトを始める前に面接を行った時に一度顔を合わせて以来である。
広くて豪華な応接室に多少緊張と気後れを感じるものの、ジャスティンは以前と変わらずニコニコと笑顔を浮かべているし、館長室の応接セットにはレオナも同席していて彼女の表情も柔らかなので、それは少しだけ心強い。
「急に呼び出してしまって、すまないね」
初対面の時から一貫して温和でのんびりとした態度のジャスティンは、おっとりとそう告げる。
「いえ、あの……私の付与になにか不備があったのでしょうか」
「保存」の付与待ちの本は、とても多い。すでに雨期に入り今日もしとしとと雨が降り続けている中で、作業の手を止めて呼び出される心当たりといえばそれくらいしか思いつかなかったけれど、それにいえいえ、と答えたのはレオナだった。
「オーレリアさんはとてもよく働いて下さっていますよ。そういうことではなく、実は、作業室の環境について聞かせていただきたくて」
どうやら仕事になにか問題があったわけではないらしいことにほっとしつつ、頷く。
「はい、どのようなことでしょうか」
「私も時々様子を見に伺うことがありますが、作業室、かなり快適ですよね? 空気が乾いていて、心地よいといいますか。蔵書も、作業室から持ち出してしばらくは他で保管しているものよりさらりとしているように感じます」
レオナはアリアからよくよく頼まれているらしく、なにくれとなくオーレリアを気遣い、見守ってくれている。昼食を食べないかとか、お菓子を買ってきたので休憩を取ろうと時々作業室にも訪ねてきてくれているので、あの部屋の湿度が低いことに気が付いたのだろう。
「はい、閉め切っていて蒸していると、本に汗を落としてしまうことがあるので、除湿をしています」
「除湿とは、具体的にどのようなことをされているのですか?」
「ええと……使っていない花瓶があったので、そこに室内の湿気が水になって落ちるように付与を行っています。空気に含まれる水分が花瓶にたまることで、室内の湿度が下がるという仕組みです」
「そんなことができるのですか?」
レオナはジャスティンと顔を見合わせ、ジャスティンも軽く首を横に振った。
「自然科学の書架担当のリコリス君なら詳しいかもしれないけど、僕もよく知らないねえ」
「冬の雨の日に暖炉に火を入れていると、窓に水滴がつくことがあると思うのですが、あれと同じです。ああして水の形になることで、室内の湿度は下がるんです」
ほお、とジャスティンとレオナが感心したように声を上げる。
「もっと大型で、同じ装置を作っていただくことはできますか? もちろん、付与術師であるオーレリアさんへの正式な依頼ということになります」
「それは、はい、もちろんですが……」
「何か懸念がありますか? もちろん、製作者についてはきちんと公開してオーレリアさんの実績になるようにいたしますし、逆に、オーレリアさんに事情があるなら伏せても構いませんが」
「いえ、それはどちらでも構いません。――作業部屋にあるのは本当に簡易のもので、一日の使い切りですので、きちんと作るなら必要な機能を細かく決めて、素材も選んだ方がいいと思うんですが、私にはその素材を仕入れる伝手がなくて」
図書館は蔵書を収める場所によって広さがまちまちであるけれど、元が大貴族の屋敷だったこともあり、ロビーに相当する部分はかなり広く、天井も高い。
狭い作業室ならば花瓶と月兎の葉で簡易的に作った除湿器でもスペックとしては十分だけれど、きちんとしたものを作るならばどの程度の広さをどれくらいの環境まで持っていくかきちんと決めておいた方がいいし、場合によっては大きな金属を使った装置になるだろう。
「それなら、必要な仕様を出していただければこちらで準備します。一番の問題は付与ですので」
おっとりとしたジャスティンが言い、レオナも頷く。
「機能というと、湿気を取る以外にもなにかあるのですか?」
「作業部屋で使っているのは月兎の葉に「吸湿」と「結露」を付与しているのですが、金属に付与して結露させると、室内の温度が下がると思います」
月兎の葉は、素材そのものが元々吸湿する性質を持っていて、その特性を付与によって強化し、葉が蓄えた水分を結露させて水にしている。
オーレリアは毎日仕事が終わるとその付与を塗りつぶして機能を止めているけれど、そうしなくとも植物性の素材の付与はそう長くもつものではないので、数年から十数年利用する装置の場合、金属で作ることになるだろう。
金属の持つ性質を考えれば「吸湿」の付与をしてもほとんど用を成さないので、凍り付かない程度に冷やした金属に空気を循環して当てることで結露させ、除湿させる形にするしかない。
つまり、機能としてはそのままエアコンである。
「えっ」
「ええっ」
館長とレオナ、両方から声が出て、オーレリアも思わず背筋を伸ばす。
「やっぱり難しいですか? 付与術は金属が一番手軽でそれなりに長持ちするんですけど、それだと除湿だけというのは結構難しくて……」
吸湿の性質を持つ魔物素材があるならばそれが一番かもしれないけれど、東部の田舎町で飴を作っていたオーレリアに、魔物素材を扱った経験はほとんどない。
図書館で「保存」の付与を続けることで、魔角鹿の革は付与の入りがいいとか、魔牛の革だと少し多めに魔力を持っていかれるようだと分かってきたけれど、魔物素材への付与はその程度だ。
「あの、オーレリアさん。室温が下がるというのは、どの程度ですか? 真冬並みに寒くなるとか?」
「感じ方は人によりますが、春の王都の夜くらいの気温でしょうか」
オーレリアが王都に来たばかりの頃は、すでに日中は半袖でも問題なかったけれど、夜になると肌寒かった。
実際に作ってみて調整してみなければ分からないが、エアコンの仕組みを転用するならそれくらいではないだろうか。
「館長! 是非早急に、除湿設備の設置をお願いします! もし予算の決定に時間が掛かるようでしたら、我がウィンハルト家が個人的に注文させていただきます!」
「むしろ、私の執務室に欲しいですねえ。今も蒸しますが、本格的な夏が来ると窓を開けていても暑くって……」
「順次設置にしても、おそらく各書架で奪い合いになりますね。あ、オーレリアさん、ところで次の週末は、何かご予定はありますか?」
いつも優しいレオナの水色の瞳が、キラキラを通り越して何だかギラギラしている気がする。
「ええと、アリアさんと会うお約束をしています……」
アリアと待ち合わせて彼女のお勧めのケーキ屋さんに行き、お茶をした後は雑貨店をひやかして、午後からは彼女の家に招かれている。
言うまでもなく、アリアはレオナの実妹であり、アリアの家はそのまま、レオナの実家である。
おそらくその時にもレオナと顔を合わせることになるだろうから、今隠してもいずれバレることだ。
思わずそう答えてしまった自分に、罪はないだろう。多分。
「なら、ちょうどいいですね」
レオナは機嫌よさげに頷いた。
「すぐに職人に仕様を伝えて作ってもらいましょう。大丈夫、我がウィンハルト家の威信にかけて間に合わせますので」
何が大丈夫なんだろう。
そう聞けないのが自分のあまりよくないところだなぁと、堂々と微笑むレオナを見ながら思うオーレリアだった。