13.注意事項と夢の階
「魔物との戦闘になると、かなり激しく動くことになる。特に厄介なのが一角ウサギだ。個々の強さはそれほどでもないが群れる性質があって、素早い上にこちらが止まっていると問答無用で襲い掛かってくる」
ウサギと名はついているものの、話を聞くとかなり獰猛な肉食獣らしく、襲ってくる理由も捕食のためだという。
「歯は薄くて噛まれるとかなり深く刺さる。おまけに高確率で膿むし、こいつに噛まれた手足が何倍にも膨れて切断するしかなかった冒険者も珍しくない。あちらから逃げることはないから、対処法は見つけたらとにかく狩ることだけだ」
危険な魔物ではあるものの五匹から十匹ほどがひとつの群れの規模なので、熟練の冒険者がチームを組んで落ち着いて対応すれば難敵というほどではないのだとロゼッタは続ける。ただとにかくすばしっこいので、戦闘に入ると相当に動き回ることになるらしい。
「それだと、ずれないように吸収帯は下着に直接貼り付ける形にしたほうがいいですね」
周囲に響かないよう、小声でロゼッタに聞き取りをし、形を決めてからスーザンにおむつ用の布を分けてもらって、吸収帯を縫っていく。
下着に直接吸収帯を縫い付けて履くタイプにすることも考えたけれど、それだとさっと交換するのに手間だろう。
「――器用なもんだね。付与術師っていうのはみんな裁縫もできるものなのかい?」
「いえ、お裁縫は必要だっただけです」
なにしろろくに新しい服を与えられなかったので、ちょこちょこと布が裂けないよう「強化」をかけることはあったけれど、術式の入りにくい縫い目のあたりは自分で繕うしかなかった。おかげで基本的な縫い物は最低限できるようになっただけである。
すいすいと布を縫っていくオーレリアの手元を眺めながら、ロゼッタは聞き取りが終わって手持ち無沙汰になったのだろう、エールを二つ注文し、片方をオーレリアの前に置いた。
「ありがとうございます、いただきます」
「あんたにはシロップ割のほうがよかったかい?」
「いえ、お酒は好きですよ」
この国では家庭内の飲酒には年齢による法的な罰則はないけれど、エールやワインは十二歳程度から、蒸留酒は十六歳程度から町の飲食店や酒場でオーダーすることができるようになるし、口にする機会も少なくない。
前世ではさほどお酒に強くなかったけれど、この体の生まれ持った体質なのだろう。今のオーレリアは多少呑んでもそれほど酔うことはないし、お酒の味も好きだ。
だが今は、とりあえず手元の作業を終わらせるのを優先する。
動き回っても下着や服を汚さないように少し大きめに、お尻はしっかりとガードできるようにして、重ねた布がずれないよう、中心と縁にステッチを入れる。
人のナプキンを縫っていると思うとなんとも奇妙な気分になるけれど、ロゼッタには絶対に必要なものだと思えば恥ずかしいという気持ちは湧いてこなかった。
やがて一枚が完成して、きちんと縫い上がっているかどうか確認する。見た目はそのまま、布ナプキンだ。今回は無地のコットンを分けてもらったけれど、柄を変えて区別できるようにしてもいいかもしれない。
「とりあえず、半日くらいは替えなくても大丈夫なくらいにしておきますけど、基本的には一日数回は交換して下さい。血をそのままにしておくのは、本当によくないので」
稀なことだが、生理用品の交換を怠ったことでバクテリアが発生し、重篤な体調不良や、場合によっては死に至ることすらある。
「ああ。ダンジョン内では自分の血も返り血も、きっちり洗い流すようギルドからお達しが出ているから、そこのところはぬかりないよ」
ダンジョンに潜っている際の体調不良は命に関わるとロゼッタも分かっているのだろう、オーレリアの言葉をうるさがらずに聞いて、頷いた。
付与の間はロゼッタにそっぽを向いてもらって、おむつと同じように肌に触れる部分に「吸水」、反対側には「防水」を付与していく。
さらに、吸水から少しずらして「消臭」の術式を付与したあと、下着に触れる部分に「吸着」を軽くかける。
術式は一部でも重なると両方の効力を失ってしまうので、入れる場所はあらかじめ色糸で印をつけておいた。
「もう大丈夫です」
ロゼッタに声をかけて、試しに自分のシャツの袖に吸収帯を触れさせると、すうっと吸い付くようにくっついた。なんともシュールな光景だけれど、いざ実用に足らないものを作ってロゼッタの身に危険が及ぶよりはずっとマシである。
「しっかりくっつきますね。持ち運ぶ時はこのくっつく部分同士を内側に折りたたんでおいて、使用時は下着につければ、よほどでないかぎりズレたり外れたりはしないと思います」
剥がす時はべりっ、と多少音が出るものの、あまり抵抗なく剥がすことができた。それを食い入るように見ていたロゼッタは、おお、と小さく唸っている。
「匂いが出ないように付与を掛けてありますけど、先ほども言ったように私は魔物には詳しくないので、絶対に大丈夫とは言えません。できれば何度か試してみてから実用に足るか、ロゼッタさんの方で確認してくださいね」
「いや、もし匂いが漏れても、これだけでも本当に助かるよ! すまないが、私は水の魔法使いと二人で組んでるんだ。交換の分も合わせて、六枚ほど作ってくれないか?」
交換の必要性を説いたのはオーレリアの方なので、勿論と頷くと、ロゼッタはほっとしたように肩を僅かに落とす。
「一枚につき大銀貨一枚出すから、できれば急いでほしい」
「それは、頂きすぎですよ!」
提示された金額に、思わず声を上げる。
大銀貨一枚は、おむつの五倍の金額だ。さすがに驚いていると、ロゼッタはみなまで言うなというようにオーレリアを手のひらで制した。
「顔を逸らしてはいたけど、魔力の揺らぎで複数の付与をしたのは分かったよ。赤ん坊のおむつよりよっぽど複雑な付与を掛けてあるんだろう? それなら、その分値が張るのは当たり前なんだよ」
強い口調でそう言って、ロゼッタは口元に笑みを浮かべ、そっと吸収帯を撫でる。
「多分、これはあたし以外にも、女の冒険者の救いになる。実力は絶対に男に負けないのに、こんなことで燻ってる奴は結構多いんだ。もしもあたし以外にも欲しがる奴がいたら、作ってやってほしいし、その対価は安いものじゃいけない」
作るのは、勿論構わない。
本を保存するのと同じくらい今生きている人が快適に、必要のないリスクやハンデを負わずにいられるのも大事なことだと思う。
「分かりました……その、アドバイス、ありがとうございます」
頭を下げると、ロゼッタはふいっと顔を逸らしてしまう。けれどその頬は、少し赤い。エールのジョッキを手に取ると、照れくさそうに笑う。
「乾杯してくれるかい?」
「はい」
「素晴らしい付与術師に」
「ええと……ロゼッタさんの、深層探索の成功を祈って」
音頭を取って、ジョッキを重ねる。少しずつ呑むオーレリアと違い、ロゼッタはぐいっとジョッキを煽ると一気に半ばまで飲み下した。
「――あんたの言う通り、浅い階層で試してみて、大丈夫なようなら深層に挑戦するよ。気になるところがあったら必ず伝える」
そうしてしみじみと呟いたロゼッタは、口元に笑みを浮かべていた。
「――あたしはさ、深層に挑戦できるかもしれないって思うだけで、本当に嬉しいんだ。ありがとう、鷹のくちばし亭の付与術師さん」