117.宮廷の依頼と帰宅の報せ
その日、アリアが帰宅するとすでに室内着に着替えたレオナから、居間に来るようにと告げられた。
ここ数日はのらりくらりと躱していたけれど、とうとうその態度に業を煮やしたらしい。遅かれ早かれそうなるのは判っていたので着替えを済ませてから階下に降りると、ふわりと苦く香ばしい香りが漂っていた。
「お姉様がコーヒーを飲んでいるのは珍しいですね」
「最近はどうも、頭を冴えさせたいことが多くてね」
微笑んで向かいのソファに腰を下ろし、メイドに紅茶をと告げる。アリアもコーヒーを飲まないではないが、どちらかといえば紅茶のほうが好きだ。
「それで、オーレリアさんは今日も帰宅しないの?」
「お姉様、色々と問題があったからうちに滞在してもらっていただけで、オーレリアの部屋はすでに拠点の方ですよ。最近は周辺も随分落ち着きましたし、そろそろ自宅に戻ってもいい頃合いではないですか」
「落ち着いたね……」
そんなこと思ってもいないのに白々しいと言外に言いたげな様子だ。
実際、オーレリアが後見人であるウィンハルト家に滞在しているのは特におかしなことではないし、商会の件で何かあってもすぐに話し合うことができてなにかと都合もいい。カイラムがあんなことを言い出さなければ、まだしばらくはこの家にいたほうがいいと判断しただろう。
「厄介な元婚約者とは綺麗に切れましたし、仕事も順調、拠点はしっかりとした造りで防犯にも問題はありませんし、心強い護衛が二人もついています。特に問題はないと判断しました」
「私に口出しをされるのを嫌がったわけではないと言いたいのね」
貴族としては持って回ったいい方が少ないのは、アリアを含むウィンハルト家の家族に共通するものだけれど、それでもレオナがここまでストレートに言うのは珍しい。
どうやらとっくに宮廷から、ウィンハルト家の次期当主である姉に対して何らかの報告、もしくは依頼がされた後なのだろう。
「勿論、それもありますわ、お姉様」
この場合、あまり迂遠な言い方をしても姉の不興を買うだけだろう。姉とは生まれた時からの付き合いだ。こちらが姉の性格を理解している以上に、あちらはこちらがどういう考え方をするのか知っている。
「お姉様もご存じのとおり、オーレリアは律儀で義理堅く、こちらが心配になるくらい真面目な人です。私たちは私たちの利益があるからこそオーレリアに関わりましたが、彼女はそれだけではなく、私たちに世話になった、その恩があると捉えているでしょう」
ウィンハルト家は有望な学者や職人、芸術家や発明家に対しての支援を積極的に行ってはいるけれど、それは慈善事業とは毛色が違う、支払った分の支援以上の利益を得るための、立派な投資の一環である。
オーレリアに関しては、ナプキンが人の口に上るようになってからは優先的に取引ができるウィンハルト家の派閥内ではすでにかなり役に立っている。
アウレル商会に対してもウィンハルト家の資産から投資が行われているし、数年を待たずして何倍にもなって還元されるはずだ。
だが、オーレリアはそれでもレオナと、おそらく自分にも恩義を感じてくれているだろう。
その恩人からどうしてもと頼まれれば、無下にはできない。そういう人だ。
運ばれてきた紅茶をゆっくりと傾けて、わざと苦笑を浮かべてみせる。
「おそらくザフラーン帝国の件について耳に入ったのでしょうが、オーレリアが厄介ごとに巻き込まれる可能性を危惧してグレミリオン卿が過度な褒賞を受け取ることについて反対しているのです。婚約者が駄目だと言うことは、後見人とはいえどうこうは言えないでしょう? オーレリアが板挟みになってしまいますし、まかり間違ってグレミリオン家が後見人を引き継ぐと言い出す可能性だってゼロとは言えません。私にとってもそれは非常に困る展開ですから」
「グレミリオン卿とオーレリアさんは、期間限定の関係だったのでは?」
「それが、どうもグレミリオン卿は、オーレリアに本気のようです」
これは姉を煙に巻くための言葉ではなく、おそらく、ただの事実だ。
元々個人的な知り合いだったというのはオーレリアから聞いたし、その時はウォーレンのことをただの冒険者としか思っていなかったらしく、貴族や、ましてや元王族だとは思いもしなかったようだった。
オーレリア自身はウォーレンを友人と認識しているようだけれど、相手も全く同じとは限らないだろう。
「オーレリアは魅力的な人ですから、関わっているうちに惹かれることもあるでしょう」
「あなたからそんな言葉が聞けるようになるなんて、姉としては喜ぶべきなんでしょうね」
妙にしみじみと言われてあまり愉快な気分ではなかったけれど、姉なりに自分を心配してくれていたのは判っているのでさらりと流すことにする。
「まあ、私から褒賞についてうるさく言うつもりはないわ。あなたがオーレリアさんを尊重する以上強く言っても無駄でしょうし、私もオーレリアさんに嫌われたくはないもの」
姉にしては非常に物分かりがよく、逆に何か企んでいるのではないかと勘繰るような気持ちになってしまう。
大体、そんなに簡単に引き下がるのならば、ここに自分を呼び出した理由はなんだというのだ。
「勿論、私の考えとしてはあちらから提示された褒賞を受け取り国の発展のために尽力してほしいという気持ちはあるわ。けれど、オーレリアさんを自由にさせておいたほうが、今褒賞に飛びつくよりも結果としてこの国のためになる可能性がある、私はそう思っているの」
「そうですか……」
それは期待というには、とても重い言葉だ。
【出水】を手に入れる国家としてのメリットは計り知れなく大きい。それでもオーレリア自身にそれ以上の価値があるのだと、姉は言っている。
出会った時は丁寧で礼儀正しく真面目な人だという印象だったけれど、今はオーレリアとの出会いは人生で最大の幸運だったのだろうと思うようになった。
本人ばかりが自覚なく、大きな渦の中心にいて周りも引きこんでいく。あの危なっかしい親友を守り、支える場所にいることができる。
「ええ、きっとそうなりますね」
「それにしても、オーレリアさんが魅力的というのはいいとして、こうも王族ほいほいなのは困るわね」
レオナは頬に手を当てて、ほう、とため息をついた。
「宮廷からウィンハルト家に非公式に依頼がきたわ。王城に滞在中のやんごとなき方がオーレリアさんとの面会を希望していて、週に一度程度でいいから時間を融通してくれないかとのことよ」
「……お姉様」
「後見人とはいえ事業を立ち上げたばかりの新進気鋭の付与術師であるオーレリアさんは多忙なので、打診はしてみると伝えてあるけれど――おそらく希望の出所はヴィンセント殿下よ。王族の影を匂わせられたら、臣下としては断れないわ」
苦々しく思いながらも、さすがにこれに関しては姉の言葉に分がある。王族の意思を何もかも忖度する必要はないにせよ、「頼み」という形にされてしまっては、それはほぼ強制と変わらない強さがある。
「返答期限は?」
「早ければ早いほど」
「――明日、オーレリアに聞いてみます。絶対条件として、王宮への伺候は私かグレミリオン卿が随伴できる時のみ。これは譲れません」
「まあ、妥当だと思うわ。宮廷も、さすがに民間人を呼び出しておいてそこまで無茶は言わないでしょうし」
オーレリアが厄介なことに関わるのは避けさせたいけれど、かといって王都で活動する以上、あからさまに宮廷の不興を買うのは避けたいところだ。
セラフィナ姫自身はオーレリアに対して好意的だった様子だし、縁談が調わなければ数か月おきに次の国に旅立つのだと聞いている。
ならばどれだけレイヴェント王国に滞在しても、あと二か月やそこらだろう。元々ほぼ交流のない他国の王族である。大過なく日程を消化して心残りなく立ち去ってくれればそれが一番だ。
「お話がそれだけなら、私は部屋に戻りますね」
「いえ、もうひとつあるわ。今日電報が届いてね、お父様とお母様が春までにはこちらに戻るそうよ。あなたのパートナーになったオーレリアさんとも是非お会いしたいって書かれていたわ」
「………」
「そんなに嫌な顔をしないのよ。久しぶりの王都だもの、親孝行してあげなさい」
コーヒーを飲み切り、レオナはほう、とため息を吐いた。
まるで自分だけ、苦いものから解放されたような様子である。
「私は基本的にはあなたの味方だけれどね、お父様とお母様からまでは庇ってあげられないから、自分でなんとかなさいね」
「……おやすみなさい、お姉様」
それ以上引き留められることはなく、私室に戻り、うろうろと部屋の中を歩き回ったあと、アリアは無言でクッションをぽすぽすと振り回し、すぐに疲れてしまった。
ほこりが舞っただけで発散できた気もせず、慣れないことはするものじゃない。しみじみとそう思っただけだった。
多忙のため更新がまばらになるかもしれません。
余裕ができたら行進速度を戻しますので、のんびり読んでいただけると嬉しいです。




