06話「再遇」
草木の匂いと湿った土の匂いが、辺りを満たしていた。足元も大きめの石が転がってたり、ぬかるんでたりしてとても良いとは言えない。
鼻を突く強烈な刺激臭にだけ少し引っかかった。
「ここか」
レーガドンナが言っていたであろう湖までやって来た。水面に月が映り込んでいて、なんとも綺麗だ。
それにしても大きい湖だな。向こう岸が見えない。
「さてと、ちゃっちゃと汲んで戻ろう」
ずっと嫌な感じがしていた。
俺は急いで水を汲み、森から出ようとした。
その時、確かに異質な雰囲気を感じた。
ねっとりと粘着質のような、身体中にまとわりつくかのような雰囲気。これは以前、この身をもって体感したことがある。
あの時の、化け物と同じ感じがする――
その時、すぐにその場を離れれば良かった。しかし、俺はどうしてか動かずにその場でじっと息を潜める選択肢を取った。
なんて言っているが、本当はピクリとも動けなかったのだ。以前の恐怖が心の奥底までこびりついて離れなかった。
その時、どこからか唸り声が響いた。それは空気を揺らし、大地をも揺らした。
その声の主が姿を現したのは、そう先ではなかった。
「やばいやばいやばい……」
少し先の右斜め前の森の中から、その声の主はゆっくりと顔だけを出てきた。
一瞬、呼吸を忘れ頭の中が真っ白になった。
その瞬間に、俺は水を汲んだばかりの2つの大きめのバケツをその場に放置し、来た道を一直線に戻り森の中に飛び込んだ。
「あれは……あの時の化け物だ……」
木の陰から先程の顔が出てきた森の方を確認したが、その時にはもう見えなくなっていた。
「なんだ、見間違え……」
安心からか地面に座り込んだ瞬間、つい先程まで立っていた時の頭の位置くらいから、木の幹が消し飛んだ。
そして、恐る恐る振り返るとそこには化け物がいた。
その目は前に見た時と同じ、重く鈍く光り意識が吸い込まれるようだった。血なまぐさい臭いが鼻を刺し、より一層濃いまとわりつくような雰囲気に押しつぶされそうになった。
逃げないと、今すぐこいつから……
その時、あの時助けてくれた少女のことを思い出した。可憐に舞い、一瞬で同じような化け物をバラバラにした少女、ルアのことを。
そして、それと同時にレーガドンナが持たせてくれた小刀のことも思い出した。
「俺だって……やれば出来る! 」
小刀を取り出し、右手で力強く握った。
……これしか頼れない。だから立ち向かうしか道はない。
現実というものは残酷なのだ。知っていたつもりだったが、俺は改めて思い知った。
「ッ――! 」
小刀を握り、再度化け物と目が合ったその瞬間に、化け物が持つ大きな棍棒が横腹に入った。
俺は自分がどうなったのかさえ、理解できなかった。ただ、気づいた時には木に体を打ち付けられ、地面に落ちた。
「クソ……」
身体中がズキズキして痛い。立ち上がろうにも力が入らない。折れた肋骨がどこか内蔵に刺さったのか、息をするだけで激痛が駆け巡る。毎秒、頭を思い切り殴られているような感覚がして、吐き気すらしてきた。
そんな俺にさえ容赦なく、その化け物はゆっくりと近づいてきた。これから俺はこいつに食べられてしまうのだろうか、それともこの場であの棍棒でミンチにされて放置だろうか……どちらにせよ、最悪の終わりだ。
「助けて……くれ、ルナ……レーガドンナ……」
俺を目掛けて大きな棍棒が振り上げられたのが見えた。この光景を見るのは2回目だ。やけにスパンの短いことだ。
「お代は後で払ってくんなんし。高うつくと思いますけどね」
芯が通っていて、凛としたような声。あの時のルナとはまた違う……俺は、また助けられてしまった。
朦朧とする意識の中で、その声の主が着地したと同時に、化け物の首も落ちた。
「あら、もう意識が飛びそうでありんすね。はぁ、仕方ありんせん。わっちは忙しいゆえ、また福楽商店に来て欲しゅうござんす」
終始、何を言っているのかいまいち分からなかった。とにかく、福楽商店というところに……行かないといけないようだ。
「おい、ソウ! 大丈夫か? 」
とても慌てた声色のレーガドンナが近づいてくる、そう思ったのが最後、そこで俺は意識を失った。
***
「はっ!? 俺は……」
「おう、目覚めたかよ」
あれ、どうなったんだっけ。確か、水を汲みに森の中の湖に行って……
「そうだ、あの化け物は? というか、俺生きてるのか……? 」
「ったく、起きたらうるさいなお前は。応急処置はしたが、色んなとこ折れてんだ。じっとしてろ」
俺は竜車の中で寝かされていた。
レーガドンナはその後ろの方で、片足を立てて座っていた。少し目尻が赤くなっているのを見逃さなかった。
「お前は、人鬼牛に喰われかけてた。ただ、俺が行った時にはそいつはもう首が落ちていた。何があった? 」
人鬼牛……? あの化け物の名前か。
記憶が曖昧だけど、確かに誰かが……助けてくれて、なんか恐ろしいことも言ってたような……
「いや、まずその人鬼牛ってなんだ? 」
「……あ? そっからか。人鬼牛ってのは、さっきの牛の頭に人間のような体したでかい化け物だ。簡単に言うと魔獣の一種だ。文字通り、魔力を持った獣だな」
魔力を持った獣……ということは、この世界に魔力という概念は存在するのか! なんかちょっとワクワクするな……魔法とか使えたりするのかな。
「あ、そうだ。話戻すけど、多分俺を助けてくれた人はいる。なんか、後でお代は請求するとか……高くつくとか言ってたような気がするんだよな……」
「なんだそれ。変なやつに助けられたんだなお前」
変なやつに助けられたのもそうだが……
「なぁレーガドンナ、この世界にはあんな化け物があちこちにいるのか? 」
「ん? あぁ……まぁそうだな。いないと言えば嘘になる。だから、冒険者もいるしギルドが存在するんだがな」
あ、そういう事か……あのギルドの中で聞いた討伐数が云々……みたいな話は、あれの討伐数ってことか。なるほどな。
「俺、何も出来なかった……また助けられた」
「それが普通だろ。俺たちは一般人だ。あれと戦おうとするのなんて、冒険者のような狂人だけだ」
冒険者……俺は力をつけなければいけない。1人でも生きていけるように、それに……
「って言うことは、レーガドンナも一般人で戦えないってことだよな。なおさら、俺がお前を守りたい」
「戦えない……まぁそうだな。お前よりかは戦えそうだけどな」
少し間があったのが気になったが、レーガドンナはそう言って笑った。
「よし、分かった。お前がそこまで言うなら、それも良いだろう。挫折するのも良い経験かもしれんしな」
レーガドンナはそう言ってニヤッと笑った。どこかにアテがあるようだ。
「望むところだ! 絶対、挫折なんかしねぇ! 」
正直、気になることは沢山ある。
この怪我の処置もそうだし、この世界に魔法があるのか。それに、レーガドンナは戦えないと言ったが、それならなぜあの時に俺を助けに来ようとしたんだ。
怪我のせいか、頭がやけに痛い。後でまとめて聞こう。今はもう頭に情報を入れたくない……
「そんじゃあ出発するか。王都ノヴァンロードへ。そして福楽商店へ」