01話「転生」
いくつもの星が、夜空に弾けた。
暗闇の中に、浮かぶ誰かの影。
その目には――無数の星が瞬いていた。
「……君は、誰だ?」
――俺は、確かにその目に見覚えがあった。
ひどく既視感のある、その瞳。
夢……?
***
これからどうしたもんか。
俺は32歳ごく普通の男性、俗に言う限界社畜だ。
どこで間違ってしまったのか、己の人生を回想中のおっさんだ。
あいにく太ってないしハゲてもないし、人並みには小綺麗に繕ってるつもりだ……そこだけが救いか。
しかし、現実は……社会というものは非情である意味究極に合理的だ。俺みたいな弱者はすぐに淘汰され、飲み込まれ歯車の一部になる。
俺の一日は朝5時に起きて、ズキズキと痛む頭と最近は酷い肩こりにも悩まされながら慌ただしくスーツに着替え、食パンを口いっぱいに詰め込み家を出る。栄養さえ取れたらそれで良い。ここまでの所要時間はわずか10分ほど。仕事のできない社畜に朝ご飯を優雅に楽しむ時間などない。
それから満員電車に揺られて、誰よりも早く出社する。理由はいたって明瞭だ、「仕事が人よりできないお前は、せめて少しでも早く来てオフィスの掃除でもしとけ」という部長のありがたいお言葉のおかげだ。こんな理不尽なのも、もう慣れっこだ。
日中は、今月もノルマが未達だと部長に怒鳴られ、取引先でも己の無力さをこれでもかと痛感する。そして、家にたどり着くのは、日付が変わらなかったら上等だと思っている。
「俺はいったい何のためにこんな毎日死にかけながら働いてんだろーな」
などと、深夜の公園のベンチに座ってボヤいている俺は、平均よりやや裕福な家庭の長男として生まれた。姉が1人と弟と妹が1人ずついる4人兄弟の2番目だ。
長男ということもあってか、幼少期はそれなりにチヤホヤされて育った。勉強も運動も人並み以上に出来たし、小学生の頃は何不自由なく学校生活を送れた。
中学時代になり、帰宅部だったが友人らと放課後にゲーセンやらカラオケに行ったりした。うん、それなりに充実していた。もちろん彼女などというものはいなかった。
少しずつ学業の方に不安が芽生え始めたのも、ちょうどこの頃だ。最初は気のせいだと無視していたが、やがて3年になり受験シーズンを迎えると、それは無視出来ないものになっていた。
そこから狂ったのかもしれない。
県内有数の進学校を志望し、見事に落ちた。
だが、何とか滑り止めの私立に進学する事は出来た。親からの過度な期待がプレッシャーへと変容していった。と、そう責任転嫁した事もあった。
高校に入ってすぐ、俺は周りのヤツらとは違う。ちゃんとやれば、本腰をいれたら出来るのだと信じ込んでいた。ただ、運が悪かっただけなんだと。
その結果、まともに友達はできなかったし、慢心のせいか肝心の成績も中の下に終わった。
ここからはご想像の通りだと思う。
思うような大学にも進めず、そこでも同じことを繰り返し、結局友達と呼べるような存在は出来ずに、孤独感と無駄なプライドだけが肥大していく毎日だった。
そして最終的に、ドがつくほどのブラック企業に就職してしまった。
その成れの果てが今の俺だ。
もしも、もう1度やり直せるなら……中学の2年、いや3年でもいいかもな。
ちゃんと勉強して、その結果同じ高校に進んだとしても、そこで精一杯やっていれば未来は少しでも変わっていたかもしれない。
いや、辞めよう。
無駄だ。今更後悔したって遅すぎる、全て無駄なのだ。
それよりも今、この現状に頭を悩ませなければならない。
「今月も給料日まで耐えられるだろうか」
思わず心の内の不安が口をついて出た。
給料日まであと数日……安月給だが、全く無いよりは幾分かましだ。手持ちも雀の涙ほどしか無いし、口座もすっからかんだったと記憶している。
はて、これでどう生きろというのだろうか。健康で文化的……とまでは言わんから、せめて最低限度の生活はさせてほしい……あれ、生活保護受けたほうが良いのでは……?
やっぱ転職……か。
いや、無理だ。何のスキルも持ってない32歳を雇う物好きな企業があるとは到底思えない。ギリギリ同情だけされてお祈りメールだろう。
「…………はぁ」
少し気を抜くとすぐにため息が出る。
そういえば、子どもの頃に母からため息をつくと幸せが逃げるぞってよく言われたっけな。
……困った、雨も降ってきたな。
夏の真ん中とはいえ、雨に打たれると少し肌寒い。天気予報なんて見る暇もないから、傘も持ち合わせていない。
雨水が染み込み、ピッタリと体に張り付いたワイシャツが、容赦なく体温を奪っていく。
「そろそろシャレにならないな……」
さすがの俺でもこのままではマズイと感じることができた。
辺りを見回し、近くに見えた地下鉄の入口まで走ることにした。何とか雨だけでもしのごうという考えだ。このままでは確実に風邪をひく。
後で銭湯探すか。あ、でもスマホ充電無いんだよな……てかそんな金も無いわ。
とりあえず地下鉄の入口を目標に、久しぶりに走った。それも似合わない全力疾走で。
高校以来かもしれない。最初は足が上手く回らなくて転けそうになった。
ただ、なぜか気持ちが良かった。自然と笑みがこぼれた。こうして笑うのも久しぶりかもしれない。
息を切らしながら、誰もいない地下鉄のホームまで来た。息を整えながらベンチに座り、ネクタイを緩めた。
電車は一本もうすぐ来るが、ずぶ濡れのおっさんが乗ってきたら、きっと迷惑なんだろうな。
頭上にぶら下がっている電光掲示板を眺めながらそんなことを思った。
それにしても、人の気配がしないな。やけに静まり返っている。不気味な程に。
腕時計に視線を落としても、今はまだ日付けが変わっていない。俺の同類らが家路につく頃だが……
背後から視線を感じたような気がして、急いで振り返ったが、そこには誰もいない。最近こういうことがよくある。ずっと誰かに見られているような……
ふと、ポケットに入っているスマホが震え、半ば強制的な意識が戻された。何か通知が来たのか。
「おかしいな。充電はとっくに切れてるはず……」
まだギリギリ耐えてたのか。と思いつつ、スマホを取り出し、画面を見た。メールが一通来ていた。
開くとそこには、白く光る画面を背景に黒文字で大きく「選ばれたあなたにだけ。違う世界で、もう1度だけやり直してみませんか」という見出しと、少し下にスクロールしたところに青白く光るURLがあった。
そしてさらにその下に、本文が続いていた。何故かよく読まなかったが、断片的に求人サイトのものだと思った。これも何かの縁。少し内容を見てみるのも良いかもしれないと、そう思ったのだ。
これでこの荒んだ人生が、少しでもやり直せるかもしれない……そう思ってしまった。
そして、俺はなんの躊躇いもなくそのURLを押した。差出人も不明だしかなり怪しげだが、酷くその中身が気になったのだ。
その瞬間、スマホの画面が一瞬だけ強烈に発光した。荒ぶる心音と、遠くの方から電車が近づいて来る轟音だけが聞こえてきた。
そして、視界がスマホの眩い光と電車のライトに飲み込まれ、フッとボヤけた瞬間に俺の意識は全て底知れぬ、白でも黒でもない深い奈落へ落ちていった。
最後まで読んでいただきありがとうございました!