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柳の鬼

「静かに歩くんだよ」


 あの後すぐに彩芽と捺は一度それぞれの家に帰った。そこで、頑丈な縄をひと巻きと下枝を払うための小さな鉈、少しの食料と水袋をもって広場に集まった。服装は、普段山菜を摂りに山を歩く時の頑丈なものに替えてある。

 初めは、真剣に父と母を探そうと捺は息巻いていたのだが準備をしているうちになんだか冒険に行くようで少し気持ちが高揚してくるのを感じていた。考えてみれば父と母のどちらも着いていない山入りは初めてのことである。

 そうして準備を整えて出発したのは村を囲む山のうち、『天の階』と呼ばれる大山脈に連なるものだ。


「こっちに大人がたくさんいるでしょ。だから何かあるとすればこっちだと思うんだよね」


 そう言って向かう方向を決めたのは彩芽だ。捺としても否やは無かった。彼女の言う通り大人が大勢いる方向には何かあると思っていた。それに、もうすっかり慣れてしまって気にしていなかったが、しゃん、という鈴の音がいまだあの山の方向から響いてきているのだ。

 二人は、村から山へと向かう道を大きく迂回して普段は使うことのない寂れて荒れ果てた山道から山へと入ることにした。道中、大人に見つかれば連れ戻されてしまうと思ったのである。

 こそこそと歩くこと暫く、無事に入山した二人はそれからもいくらか歩きちょうど日が天頂に来る頃に少し開けた場所へとたどり着いた。


「ここは、山の裾から少し上ってところかな。ねえなっちゃん、これからどっちへ行く?」


 広間から続く道は合わせて三つあった。二人がやってきた道。谷間(たにあい)へと下る道。山頂へと昇る道である。


「うーん。こっち」


 捺が選んだのは谷間へと下る道。

 先ほどまでは大人たちがいる方向を選んできたが、山中には人の影一つない。それならと、自身がこっそりと指針にしているもう一つ、鈴の音を頼りにしようとしたのである。鈴の音は、山を行くにつれ段々と大きくなっており谷間から響いてくるようだった。


「それにしてもこっちの山はこんな風になっているんだねえ」

「うん。いつもよりもちょっと暗い」


 彩芽が道をそろそろと下って行きながらそう感想を述べた。

 普段彩芽や捺が母親と共に山菜を摂りに行く山はここのちょうど反対側にあるものであり、普段から人が立ち入るせいか綺麗に整えられていた。下草は刈り払われ、木々は感覚を開けて光が差すように植わっているのだ。それが、今いる山になると下草で足元は完全に隠れ、木々が鬱蒼としているせいか全体的に暗く見える。


「……昨日ね。急に怖くなったの」


 捺はそんな山の様子を見ていると、昨日の寝る前に感じた恐怖を思い出した。


「扉の陰から急に何かが来るような気がして、怖くなっておとうさんとおかあさんに一緒に寝ようって」

「それで起きたらいなくなってたんだ。……何かもっと暗くなってきた?」


 谷間に降りているのだから山の陰に入ってある程度は暗くなるはずである。だが、それにしたって二人の歩くその周囲は暗くなり始めていた。


「なにこれ……」

「私が昨日の話をしたから?」

「なんでよ、関係ないでしょ」


 ともあれ、辺りが急激に暗くなっていっているのは事実である。二人は足を止め、肩を寄せ合い道を急いだ。だが二人が歩くよりも圧倒的に暗闇は勢力を増しており、ついには真夜中と変わらない暗さにまでなっていた。

 こうなってしまってはまともに歩くことはできない。

 足を止め、彩芽が鞄からランプを取り出し火を入れた。


 しゃん


 と、捺の耳にひと際大きく鈴の音が響いた。


「彩芽ちゃんっ!」


 捺が彩芽の腰をつかみ引き倒すのと、それが通り過ぎるのはほぼ同時であった。

 ……何とか間に合っていたようで彩芽は無事に地面に転がっている。

 ふう、と安堵の息を吐いて彩芽を捺が見ると、その顔は驚愕に染まっているではないか。よくよく見れば、その視線は捺の真後ろを見ているようだった。

 捺は、ゆっくりとなるたけ音を立てることなく振り返った。


『ほう、ほうほう。そなたらは……そうかそうか、あの者どもが必死に囲う雛が愚かにも自ら檻を抜け出たのか』


 それは、黒い異形であった。

 周囲の木々と同じ程もある背丈で、こちらを見下ろすその顔には獣のような眼が一つ備えられるのみである。だがそれは二人を見下ろす顔の話、残り二つもある顔はそれぞれ三つと七つの眼が、無機質に蜘蛛のように備わって方々を隙なく見遣っている。三つある顔がそれぞれ同時に同じ言葉を発するものだから、捺の耳には異形の声は折り重なって共鳴して届いていた。赤い意匠の衣をはだけさせて露になった異形の体は獣のように毛皮に覆われ闇のように黒いそれは針の如く、手指はすべてを切り裂くであろうほどの鋭さであった。


「あ、あなたは……」


 彩芽はすっかり恐怖して声も出ない様子である。捺がなんとかかんとか振り絞った声で誰何すると、目の前の異形は呵々と嗤った。


『我を知らぬか。我を知らぬか。カカ、そのような無知でよくぞこの地へ踏み入ったな? お前の父母は言葉を知らぬ口無しか。随分とまあ……カカ、カカカカ』


 異形は一頻りそうして嗤うと、徐に彩芽へその手を伸ばした。


『まあ、我が何者であろうとお主らの行く末は変わらんよ。すなわち……我が中だ』

「ヒッ……」


 体が竦んで捺が微かにも動けず固まっている間に彩芽が異形に頭から掴まれ、食われた。


「え、え……」


 三面のどこに彩芽の体が丸ごと収まったのか良く分からないがとにかくそうとしか思えない。異形が彩芽を口元に運ぶと見る間にその姿が消えていったのである。


『次はお前だ。それで、終わり』

「い、いや……」


 ようやっと体の自由が利き始めた。捺は縺れる足を必死に動かし地をけり手で掴みずりずりと少しでも距離を取ろうと後退る。

 異形はそんな捺の様子を嘲って楽しんでいるようにゆっくりと近づいてくるのだ。

 そうしていくらばかりか異形が進み、捺が下がり、その手に何かが当たった。

 見ると、一枚の面である。

 彩芽が食われるときに落としたのであろう、捺のものとは違いいくらばかりか陰影がはっきりして額から小さな角が生えた面である。

 それを見た捺の脳裏に、母の言葉が浮かび上がった。


「……お守り」

『ん? それは……』


 特に意味のないであろうとは思った。ただ、捺にとってはもはやそれ以上に縋るものは無く、藁をも掴む想いだった。とにかく、捺は彩芽の面を引っ掴むとそれを頭から被せた。


『カカカ。そうか、お前はあの里の者か。カカ、だが面を被るのは良いが、それはお前のではないだろう? やはり面白い。お前の父母は何も言わなんだか。そんなでは、ほれ、鬼が食ろうて、終いぞ』


 異形―――鬼は捺のその様子をみて呵々と嗤った。

 生まれてこの方、味わったことのない恐怖が眼前のすぐそこにまで迫ってきている。もうこのまま喰われて終わりなのだろう。そう思うと、捺は存外に自分のものでは無い彩芽の仮面がちょうどよいと感じていた。顔をすっぽりと覆ってしまえば目の前のこの世のものとは思えぬ異形を目にしなくて済む。それに、仮面を着けた瞬間からなぜだか無性に心地が良かった。先ほどまで細かく震えていた手足はいつの間にか収まり、今なら立って歩くことすらできる。

 だが、この鬼から逃れることは出来ないだろう。何せ、体の大きさが違う。この鬼は捺が十歩進める間を一跨ぎできてしまうのだ。とても逃げおおせることは出来ないだろう。

 ならばせめて、捺はすっくと立つと鬼に向かい正面から対峙した。


『そうか、そうか諦めたか。それは良い。それは良い。……ならば』


 鬼が手を伸ばしてくるのが分かる。捺は思わず身を縮め、固めた。そうして掴まれるそう思った矢先――


 しゃん


 鈴の音が聞こえた。


 いくら待てど、鬼の手が捺に触れることは無い。不思議に思い捺は恐々と仮面をずらしそっと鬼の方を覗き込んだ。

 するとそこには唐竹に割られた異形の成れの果てがある。


「え、あ、」

「捺、駄目じゃないか。こんなところに来てしまっては」


 その鬼の陰から現れたのは捺の父、綱彦だった。



「おとうさん! 彩芽ちゃんが、彩芽ちゃんが」


 父の姿を認めるなり、捺は駆けて行ってその脚に縋りつきわんわんと泣き出した。


「ちょっ、おいおいどうした……それは、彩芽ちゃんの面かい?」

「……うん、あの鬼? に食べられて……」

「それは……可哀そうなことになった」


 父は、彩芽の顛末を捺から聞き酷く悲しそうな顔をした。しかし、それは一瞬ですぐに表情を引き締めると凛と張った声で捺に告げた。


「捺、……捺。お父さんはまだここでやらなければならないことがある。だから、捺を村へ届けたらすぐにまた出る。彩芽のことは、自分で助美さんとうこぎさんに話せるかい」

「……うん」


 元はといえば、彩芽は捺のためにこの山中まで赴くことにしたのだ。幼心に、捺は助美には自分できちんと話さねばと思うことが出来ていた。


「よし、いい子だ」


 捺の返事に父は優しく頭を撫でてくれると、懐から仮面を取り出した。

 艶のある黒塗りの面である。口にあたる部分は大きく突き出していて烏を模した嘴となっており、目元は朱に染められている。


「今から見ることは絶対に誰にも言ってはいけないよ。少なくとも、なぜ言ってはいけないか分かるまではいけない」


 そう言う父が面を被ると、その背にはいつの間にか黒い翼が出来ているではないか。

 そうして捺が父に抱きとめられ移動を始めた瞬間、しゃん、とあの鈴の音が聞こえた。



「おとうさん、今のはなに?」


 村へは本当に一跳びだった。父が少し跳んだと思ったときにはもうすでに村の入り口にいたのである。突然の飛翔に捺がギュッと目をつぶり、開いたときにはもう鬱蒼とした木々の影もなく山の入り口まで来ていた。疑問に思って父に尋ねるのも当然だろう。だが、その父は口に指を当て秘密だという。


「捺がもうすこし大きくなったら教えるから。そうだね……捺の面が何か形を取り始めたらかな」

「……うん」


 捺は不満げだが、父は返事を聞いて満足そうに頷き、村へと捺を抱えたまま駆け出した。父は捺がこれまで見たこともないほどに早く駆け、村へと進んでいく。


 すぐに、捺たちの住む村が見えてきた。だが――


「これは……どういうことだ」


 村には何故だか轟々と炎が立ち昇り、捺が出て行ったときとは見る影もない。


「……っく。村のみんなは無事か?」


 父はそれを見てすぐさま弾かれるように村へと駆け込んでいった。

 不思議なもので、捺を抱える利き腕と逆の手を前に翳し進むだけで火の手は二人を避けるように左右に分かれ道を作るのである。

 途中、自宅の前を通ったが見事に火の手が上がり薪となり果てていた。



 そうして、火中を進んでいくこと暫く村の中心である広場にそれはいた。

 先ほど彩芽を食った鬼と同じく異形である。

 今度は肌が赫く眼は黄金に輝いている。顔は一つであったが代わりに額には捻じれて伸びる角が二本生えている。ただそれだけでは無く、先端が蛇の顔になっている尾がその異形には付いていた。


「鬼か」

「如何にも! 我は柳の鬼が一、名を『霧鳴』。これは……お主の親しいものであろう?」


 鬼は霧鳴と名乗ると、何かを投げてよこした。

 それは純白の狐の面であった。面の右の頬には草木のつるのような模様が描かれており、白銀の毛で縁取られている。


「これは――」

「おかあさん!」


 その面は捺の母、茶々のものであった。


「そうか童、お主の母のものか。カカ、お主の母であればすでに我の中よ。さて、お主ら二人も食ってやりたいところだが……そこの烏。『飯綱』に相違ないな? ああ、なに。これは問いではないから答えずともよい。ただの確認である。そして『飯綱』であるならば……食わずに灰まで燃やせと言われておる」


 霧鳴はそれだけ言うと、宙に浮かび上がった。


「待て!」


 それを見るや否や、父は捺を地面に下ろし跳び上がって後を追った。


「おや、いいのか。我を追えば子が死ぬぞ」


 霧鳴の言葉に綱彦が振り返れば捺に火の手が迫っている。火は、綱彦がいたからこそ避けていたのであって、その綱彦がいなくなれば新たな薪を求めて捺に迫るのは当然である。

 綱彦は、数舜躊躇いそれから捺の下へと引き返した。



「おとうさん……」


 おろされた捺が向かったのは母の仮面であった。見慣れた純白の仮面を手に取り、それを抱えてへたり込んでしまう。

 もう、限界であったのだ。

 起き抜けの父母の不在から始まり、彩芽が食われ、母が食われ、おそらく村の人間はすべて食われた。七つの身に起こるにはあまりに凄惨であり、とっくのとうに心が壊れていてもおかしくは無かったのだ。


「捺……」


 綱彦はそんな娘の様子に、何も言うことが出来なかった。何故、村で待っていなかったとは父母を求めた娘の気持ちが分かるからこそ口にはできない。そもそも黙って家を発った自らが悪いのだ。

 変わらず、火は綱彦を避けていた。

 だがそれもあと少しで崩れるだろう。頭上を見遣れば霧鳴が大きな焔玉を構えてこちらへ打ち込もうとしているのが見えた。

 先ほど、霧鳴を討つのではなく娘を守ることを決めた時から綱彦に迷いは残っていない。



 父が、ゆっくりと近づいてくるのが見えた。

 仮面で見えないが、へたり込む自分の目線に合わせてきっといつものように優しい笑顔を向けてくれている。

 優しく、ひたすらに優しく頭を撫でられ子供の体では少しきついほど強く抱きしめられた。


「お前は生きろ、捺。幸せに、父と母よりもずっと長く、幸せに生きろ。大丈夫だ――」


 父が、着けていた仮面を外し頭からすっぽりと被せてくれた。

 その仮面で遮られる一瞬、焔が天から降ってくるのが目に映っていた。


 しゃん


 と鈴の音が聞こえた。

 抱きしめてくれている父の体がぼろぼろと崩れていく。

 最後の父の言葉は聞き取れず、鈴の音だけが煩くいつまでも木霊していた。

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