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デュアル・クレセント③ 〜飲みの肴〜


 舞踏会の夜、モニングローは再び宮殿の大広間にいた。


 宵闇が深まり、天井画に描かれた金の天使たちが、ろうそくの灯りでゆらゆらと揺れている。大理石の床には色とりどりのドレスの裾が映り込み、仮面をつけた貴族たちが軽やかにステップを踏んでいた。


 その片隅、ワインのグラスを手にした男が、ひとり壁にもたれていた。モニングローだ。

 彼は踊らない。気の利いた言葉も、華やかな衣装も苦手だった。舞踏会という空間は、いつもどこか居心地が悪い。だが、この夜ばかりは違っていた。


 「……来た」

 ざわめきが広間を走る。仮面の道化師──デュアル・クレセントの登場だった。


 白塗りの仮面に、三日月のような口元。濃紺の縦線が引かれた目元は、夜空のように深く、沈黙のまま感情を物語っていた。


 仮面に、目が釘付けになる。衣装のすそが翻り、舞いのたびに仮面の陰影が揺れる。完璧に計算された動き、完璧に造形された表情。それは“人”ではなく、ひとつの芸術だった。

 「……なんて造形だ」



 道化師の演目が終わった後も、周りの喧騒がモニングローは耳に入らなかった。誰もいなくなった演題の上では、記憶の中の道化師の仮面だけが映って、何度も先ほどの踊りを繰り返す。彼は酒すらおかわりせず、普段なら目覚める時間の夜明けまで舞踏会の会場に残っていた。


 


 * * * 


 満月が天頂に上り、宮殿裏の石畳に丸く影を落とした頃。夕食の片付けを終えたクレイタに、モニングローがふらりと声をかけてきた。


 「……なあ、今夜、飲みに行かないか?」

 クレイタは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに頷いた。日中の立ち話はあっても、飲みに誘われたのは初めてだった。


 2人が入ったのは、職人と給仕たちが集まる小さなバル。木のテーブルに古びたランタン、少し傾いた天井。だが、どこか安心できる空間だった。


 「でさ、今日の晩餐で、デザート皿を3回落としてさ……」


 クレイタが苦笑まじりに語る給仕の失敗談に、モニングローはくつくつと笑った。


 「お前、意外とポンコツなんだな」

 「うるさいな。これでも一生懸命やってるんだよ」


 やがて、話題は仮面の話へと移っていく。


 「仮面ってな……ただのオシャレじゃないんだよ」

 モニングローが、琥珀色の酒を、グラスの中でくるくると回しながら言った。」


  「ちゃんと模様やデザインには意味があるんだ。」

 「へぇ、どんな意味があるんだ?」とクレイタは興味を持って聞き返す。

 


 「人ってさ、自分の平凡さが嫌なんだよ。だから、“なりたい誰か”を演じたくなるその想いを仮面に込めて渡 

 すのが、俺の仕事なんだ」

 クレイタは黙って頷く。その言葉に、どこか胸の奥が静かにざわめいていた。

 「オレは、依頼主がどんな『仮面を被りたい』のか聴くんだ。人は誰しも、自分の平凡さが気に食わなくて、 

 『華やかな人気者』や『強いヒーロー』になりたいんだ。その想いを俺が『仮面』というアートで表現して、1

 日だけなりきってもらう。それがたまらなく嬉しい。」

 普段身につけている仮面に対して、職人はこんなにも情熱を注いでくれているのかと感心するクレイタ。



 「……デュアル・クレセントの仮面、すごかったよな」

 モニングローがふと続けた。


 「あの仮面さ、笑ってるように見えるけど……目元の縦線、あれは涙を表してるんじゃないかって思った。笑ってるのに、泣いてる。……そんな矛盾が、たまらなく人間くさくて、いいんだよな」

 クレイタは笑ったが、何も言わなかった。



「お前ってさ……ちゃんと向き合ってくれるよな。だからなんていうか……自分がちゃんと“人間”でいられる気がするんだ。飾らないし、俺の仮面の話とかめんどくさがらずちゃんと聞いてくれるし。そういうのがさ……嬉しいんだよ、単純に」

 ラストオーダーのビールを飲み干して、モニングローは満足そうに笑った。

 “飾らない”という一言が、細く裂いたスルメの繊維のように、じわじわと心の奥に刺さってきた。


 「今日、誘ってよかったよ。また飲もうな」

店を出た時の一言にクレイタは返事をせず、目を伏せただけだった。気持ちよく酔っ払っていたモニングローは気づかず、職人の寮へ帰っていった。


 


 * * * 


 それから数日後、新月の夜。空には一筋の星もなかった。


 ふたりはまた、同じバルにいた。 

 あの夜と同じ席、同じ酒、同じつまみ──オリーブのマリネと、焼きチーズの小皿。

 違うのは、今夜はクレイタの方から誘ったことくらいだった。


 モニングローは、1杯目から上機嫌だった。

 「なあ、覚えてるか?先月の晩餐会、デザートのチョコタルトが余ったって言って、嬉しそうに持ち帰って来てくれたよな?」

 「あぁ、あったな。」


 「あの晩、お前がタルト持ってきてくれた夜があっただろ?」

 「レモンとオレンジのやつな。ちょうど余ったから」

 「2つに分けたのは覚えてる。でも俺の方、明らかにクリームが少なくて、しかもレモンばっかだからかなり 

 酸っぱかったんだけど。」

 「いや、モニングローは“ヘルシー志向”かなって思って、レモン多めにしたんだよ。」

 「どこ情報だよ、それ」

 「……顔」

 「雑な判断すんなよ!」

 モニングローは文句を言いつつも、気持ちよさそうにぐいっと酒をあおったタイミングで、クレイタは切り出した。


 「今日は……お前とゆっくり話したかった」

 モニングローは「彼女でもできたか?」と冗談を飛ばしたが、クレイタはかすかに笑って否定した。


 「違うんだ。」

 クレイタは、震える手で懐からひとつの仮面を取り出した。


 白く無垢な表面。両目に引かれた濃紺の縦線。三日月のようにゆるやかな口元。そして、黒い星。


 「……それ……まさか……」

 モニングローが息を呑む。


 「僕が……デュアル・クレセントなんだ」

 仮面をテーブルにそっと置いたクレイタの声は、静かで、それでいて揺るぎなかった。


 「この仮面を作ったとき、僕は27歳だった。人付き合いが苦手で、職場でも浮いてて……どこにも“自分”がいなかった」

 モニングローは黙って聞いていた。


 「だから、両目に涙の意味を込めた。誰にも言えなかったけど、毎晩のように泣きたかった。でも、道化師なら、それを隠せると思ったんだ」

 クレイタは、仮面を見つめながら続けた。


 「18の時には、まだ何者でもなかった。だけど誰かを喜ばせたくて。だから、額に星を描いたんだ。……自分が輝きたかったから」


 静まり返ったバルの中、ランタンの灯りが仮面に淡く反射していた。


 モニングローは、しばらく仮面を見つめていた。そして、そっとその縁に触れた。


 「……その仮面には、そんな想いがあったのか。職人やってても、わからないもんだな。」

 モニングローは自嘲気味に笑い、グラスを傾けた。

 

 「……その仮面、最高の作品だ。俺の親友が被っているからな。」

 クレイタは、ようやく、ほんとうに心からの笑みを浮かべた。そしてこう返す。

 「なぁ、今度僕をイメージした仮面を作ってくれないか。親友から見た“顔“が見たいんだ。」

 


 その夜、ふたりは深く酔い、そして初めて、“素顔”のままで語り合った。


 


 翌朝からのクレイタは、少しだけ変わった。


 苦手だった給仕仲間とも、短いながらも自然と雑談ができるようになった。誰かに褒められた時、素直に「ありがとう」と言えるようになった。


 仮面を外しても、自分を信じてくれる人がいる。


 それだけで、世界の見え方が変わるのだと、クレイタは知った。


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