デュアル・クレセント① 〜仮初の舞踏会〜
空はぼんやりとした雲が紫の夜に染まり、寂しがり屋の三日月の光が、宮殿の高窓を静かに叩いていた。風は音もなくカーテンを揺らし、淡く揺れる燭台の炎が、天井画に描かれた天使たちの顔をちらちらと照らしている。
舞踏会の広間は、まるで幻想の鏡の中のようだった。金と瑠璃色をあしらった天井は天界の空を模し、床は足元の星座のように白と黒の大理石が編まれている。水音のように流れる弦楽の調べに乗せて、仮面をつけた貴族たちは互いに笑い、踊り、仮面の奥にある誰かの秘密に胸をときめかせていた。
そのとき、ふと広間の空気が変わった。
大きな扉がすうっと開き、一陣の静かな風のように、彼が現れた。
白塗りの仮面に、月の微笑みを思わせる目元と口元。左右の瞳を貫くようにそれぞれ濃紺の縦の線が走り、左のおでこには黒い星。長身に細身のジャケットをまとい、爪先から踵へと重心を滑らせるようにして歩むその姿に、場の空気が一瞬、静まり返る。
「彼が来たわ……!」
エウロパがぽつりと呟いた。純白のドレスに身を包み、背の高いグラスを手に持ったまま、シャンデリアの下で立ち止まる。周囲の友人たちが口元を覆い、微笑みを交わす。
「今夜もきっと、私たちの心を盗んでいくわ」
「でも誰のものにもならないのよね。あの人……」
デュアル・クレセントは跳ねるように前へ進み、舞踏の輪に加わった。鮮やかなステップで床を滑り、音楽に合わせて体をひねる。観客の手の動き、瞳の向き、息の間合いを敏感に読み取りながら、彼はそれらを操るようにして空間を支配していく。くるりと回って投げキスを一つ、床を足で軽く打って、帽子を脱ぎ、観客に恭しくお辞儀をする。
やがて歓声と拍手が広がり、楽団は彼の登場に応えるように音色を高めた。
この道化師の名は、デュアル・クレセント。
仮面の裏にある素顔を知る者はいない。ただ、あの三日月のような笑顔と、涙の縦線、そして左のおでこの星――その三つの印だけが、彼の存在を証明する。
彼は滑らかに踊り、笑い、時には茶目っ気たっぷりに貴族たちをからかい、彼らの仮面の裏の顔色すら読み取るかのように、巧みに会話を繰り広げた。
エウロパの元へも、やがて彼は近づいてくる。
「今宵も月は美しいですね、マドモアゼル」
仮面越しに言葉をかけ、軽く手を取って一礼する。エウロパは一瞬だけ目を細め、そして微笑みを返す。
「道化師の目には、月も泣いて見えるのかしら?」
「あいにく、泣いているのはいつも人のほうですよ」
そんなやりとりに、周囲の友人たちは笑い、カップの中の金色の液体がきらめいた。
この夜、デュアル・クレセントは仮面の下で、微かに笑っていた。だが、その笑顔の意味は、目の前で話しているエウロパにさえ気づかれることはない。
三日月が地平線に帰る頃まで、舞踏会は続き、道化師は仮面を一度も取ること無く、いつの間にか姿を消していた。




