銀の切れ目④ 〜migrant and resident〜
窓の外から2羽の囀りが聴こえる。それを盛り立てつつも負けないように、フルートの音色に力が籠る。
ドアが開き、栗色の髪を束ねた若い女性が立っていた。
「先生、お久しぶりです。」
「こんにちは、ムク。」
彼女は数年ぶりかもしれないが、私からしたら久しぶりという感覚はなかった。彼女がこれまでに演奏してきた楽曲も、今所属している楽団で仲のいい演奏者も、最近ハマっているケーキも、全部知っていた。
「先生は、今も1人でやっているの?」
「いえ、最近はどんどん子供たちが増えて大変だったから、打楽器ができる人を雇ったの。元教え子なんだけどね、チルチルとミチルって兄妹は覚えてる?」
「ごめんなさい、覚えてない。雇ってるのはその2人だけ?」
「そうよ。むしろ管楽器の手が足りなくて、困ってるって感じね。」
「ふーん、大変なんだね。」
あの頃は気持ちを素直に話す子だったが、さすがに大人になったのか、言葉だけでは読み取れなかった。
その後は他愛もない世間話をした。熱心なファンのつもりだったが、さすがに表に出ないような濃い話が本人の口から告げられていった。
「先生これ見て。」
ムクが背負っていたケースを前にして開けると、そこからフルートが出てきた。
「先生に習ってた時のよ。10年ぶりに出してみたの。」
「大事に持っててくれたんだ、嬉しいわ。」
「昨日ちょっと吹いたけど、久しぶりにやるとやっぱりオーボエとは違うから難しいな。」
「あなたほどの演奏者でも、畑違いだとそんなものなのね。」
ムクはその言葉には返事をせず、窓の外にある枝に止まった鳥を眺めている。
私はその横顔を眺めていることにした。
視線に気づいたのか鳥が急に飛び立つと、ムクがこちらを向いた。
「ねえ、『銀の切れ目は、縁の繋ぎ目』って言葉知ってる?」
「初耳だわ。東の国の古い言葉で、『金の切れ目は、縁の切れ目』なら聞いた事あるけど。」
「今のは最近まで活躍してた、とある有名な演奏者の言葉よ。フルートって、『銀』の筒に穴が空いてて、そこから口をつけずに息を送るじゃない?何もないはずの『切れ目』から、色んな音の『縁』が始まるって意味なの。」
「なるほどね。その言葉を考えた人は、フルートが好きなのね。」
「でも彼女が有名になったのは、フルートのおかげじゃないんだけどね。」
「多くの人の人生なんて、そんなものよ。」
「それにね、もう1つの意味があるの。その大好きなフルートから一度口を離したことで、大事なことに気づいた彼女自身の気持ち。」
こちらの返答を摘むように、真っ直ぐに目を向けてきた。
「ここで働かせてください!」
90度に曲げられた上半身は、微動だにしない。
「まず顔を上げて。楽団を退団したって噂を聞いたけど、何かあったの?」
遠慮してそのことは聞いていなかったが、急に自分も関わる話になったので確認しないわけにはいかない。
「ううん、そうじゃないの。演奏は今も好きだよ。楽団のみんなとも仲良しのつもり。でもこの1年くらいかな、人に教えたいって気持ちが強くなったの。」
「あなたが席を立ったのは、楽器をする人間なら誰もが憧れて、その中で選ばれた人だけが座ることを許された場所よ。わざわざ教える側に回りたい理由はなに?」
「音楽の楽しい気持ちを演奏で伝えるより、実際に楽器を演奏して自分の音を感じて欲しいって気持ちのほうが強くなってきて。」
「『自分の音を感じて欲しい』って思うのはどうして?」
「だってもったいないじゃん。音楽は聞くのも楽しいけど、やっぱり演奏してるのが1番楽しいから。それを多くの人に味わってほしくて!」
「どうしてウチで働きたいの?アナタみたいな有名人なら都会の教室でもっといいお給料で、優秀な生徒相手に教えられると思うけど。」
「私の音楽の原点はここだから。ここ以外考えられないわ。」
「それは嬉しいわね。じゃあ最後の確認。演奏者としての人生に未練はないの?」
「無いよ。」
「一度羽を休めると、もう南国には戻れないわよ。」
「ワタシの南国はここだから。」
「わかった、じゃあ合格。」
「やったー!!!」
少し声は大人びたが、喜び方はあの頃と同じだった。
「私の『お仕事』は、フルートの先生ってことでいいのかな?」
「あなたが希望するならそれでいいわよ。それでフルートを出してきたのね。」
「だってオーボエのコースはなかったでしょ?初心者向きじゃないもんね、アタシは恋しちゃったから夢中になって頑張れたけど。」
「あら、今はオーボエも買い揃えて教えてるわよ?」
「え、そうなの?」
「とある演奏者さんのおかげで、最近はやりたい子が増えたからねー。ハードル高いのは変わらないから、とある演奏者さんみたいにフルートで修行させてからだけども。」
「ははっ、嬉しいな。なーんだ、オーボエ引退しなくてよかったんだ。」
「面接の前には、ちゃんと職場の情報収集をするものよ?」
「反省しまーす。」
「わかればよろしいですわ、ムク先生。」
「『先生』って言われるの嬉しいけど、なんかくすぐったいな。ねえコルリ先生、よくレッスン前に吹いてた、あの曲を聞かせてくれない?」
「いいわよ。」
元教え子の頼みなので2つ返事したものの、幼かったあの頃とは違って耳の肥えた彼女の前で演奏することに緊張してきた。
胸の鼓動を落ち着かせるため、目をつぶり、大きく3回深呼吸をする。
目を開けると、数メートルしかない空間に、見慣れた備品が置かれた風景。豪華な装飾も、大勢の観客もいない。
ただ、目の前のたった1人の観客は、記憶にある少女と同じキラキラした目をしていた。
「今度は私のわがままを聞いてもらってもいい?」
「先生がわがままなんて珍しいね。私にできることなら何でも。」
「世界的に有名な演奏者に頼むのは申し訳ないんだけど、1週間後はオーボエを持ってきてもらっていい?」
「早速オーボエの先生ってことね、任せといて!」
「いいえ、そうじゃないの。私とオーボエでデュエットして欲しいんだけど、やっぱりプロの方相手にダメかしら?」
「そんなことないよ。大好きな先生の頼みなら、もちろん喜んでやらせてもらうわ!それにもう引退したからプロじゃないし。」
「やったー!!!」
さっきのお返しとばかりに、わざと大袈裟にはしゃいでみた。
「でも、アタシのお願いをいつも笑顔で聴いてくれた先生から逆に頼まれごとなんて嬉しいな。」
「あの時は月謝もらってるお客様ですから、そりゃあできることは何でもやらせてもらうわ。」
「人からお金もらうには、ニーズに応えなきゃいけないもんね。」
「誰かさんみたいな有名な演奏のプロじゃないけど、こっちも一応教育のプロですから。それに、あなたは子どもだったからね。大人としてイイトコ見せなきゃって必死だったから。」
「大人になったら、いつも素を見せるってわけにもいかないもんね。」
「大人の世界をわかるようになったじゃない。」
曜日が一巡した早朝。二重奏の音色に誘われて、教会の周りの樹木にはいつもより多くの鳥が集まっていた。ただ、囀りは全く聴こえなかった。
小瑠璃:渡り鳥
椋鳥:留鳥




