【序章】2023.4.10→2013.4.13
あの日のことはよく覚えている。雨が降ったり、やんだりを繰り返した土曜日の午後、彼は青山にある僕のカウンセリングオフィスにやってきた。雨に濡れて、髪からポタポタと水滴を垂らしながら、しきりにタオルでそれを拭っている姿を鮮明に覚えている。彼は髪を拭きながら「天気予報では午後から晴れるといっていたので傘を持たずに家を出てきました」と言い、玄関マットを濡らしたことを謝っていた。性格の良い子だなと思った。
やってきた日のことをよく覚えている理由のひとつに、その日の午前、僕は渋谷のアップルストアで初めてiPadを買った。研修会の席で既知のカウンセラーが、使ってみたら色々と便利だからと勧められて買うことに決めた。僕が今、使っているiPadは4台目、今やiPadは仕事に欠かせない。
ここに4冊のノートがある。彼について書かれたノートだ。今はすべての記録をiPadに残しているのだが、彼の記録はこの4冊のノートにしかない。理由は二つ。一つは彼のカウンセリングを始めたとき、まだiPadを僕が買ったばかりで、使い方が全然わからなかったから。初回の記録はこれまで通り、ノートで聞き取った。その以降、彼とのカウンセリングはノートに残していくことになったからだ。カウンセリングでは継続性が大事になる。すぐに記録を読み返すために、彼の記録だけはノートに継続して書き込んでいった。
他のクライアントの記録はほぼすべてiPadに移したが、彼の記録は4冊のノートのみに留めた。彼の記録をデータにするのは、なぜか躊躇われた。というか、できなかった。彼の一連の出来事を思い出すのは、僕にとってもつらいことだった。意識的にしろ、無意識にしろ、その出来事から僕は逃避したかったのだと思う。ただかなりの頻度で僕は彼のことを思い出していた。単なる傍観者の立場に過ぎないはずの僕でさえ、彼の体験した一連の出来事がフラッシュバックした。僕自身が友人のカウンセリングを受けたほどだ。それほど印象の深いクライアントだった。
僕はこのノートを暫く見ることをしなかった。ただ結構な頻度で、彼のことは思い出してはいた。彼は今、どこで、なにをしているのだろう。幸せになっているのだろうか。
1冊目の表紙を開き、日付をみる。2013年4月13日とある。あれから丁度10年が経ったんだ。僕がカウンセラーとしての無力感と、大人たちが若者たちを守るには如何に無力かを痛いほど思い知らされる出来事を体験してから。
あれから10年ということは、彼は今年30歳になっているはずだ。誰かと結婚をして、子供もいて、平凡だけど、ありふれている、でも自分には望むことができる可能性のなかった家庭を築けていればいいと、本当に心から思う。彼が育った、一部の常識やモラルが決定的に欠けていた家庭ではなく、世間一般の、そう彼が望んだ「平凡」な家庭を手に入れていればと。
僕のことをまず話そう。これからの話の上で、先に明かしておいた方が話しやすいからだ。僕は今年で42歳。都内の大学と大学院で心理学を学び、臨床心理士の資格をとり、卒業後はスクールカウンセラーとして日野市の複数の中学校で6年間勤務した。2012年友人と共同で青山にカウンセリングオフィスを立ち上げて、今もそこでカウンセリングを行っている。2017年には公認心理士の資格も取った。
因みに僕はゲイだ。それはこれから話す彼のこととは直接関係はないが、初期情報として知っておいていただくと、このあとの話が理解しやすいと思う。
一緒に暮らすパートナーがいる。39歳で警視庁に勤めている。スクールカウンセラーとして勤務していた時に参加したセミナーや研修会に、所轄で少年課に勤めていたカレと出会った。僕は初めて会った時に「この人はゲイだ」と直感した。カレも僕がゲイだとすぐに分かったらしい。ただ、だからといってすぐにつきあったりした訳ではない。何度か顔を合わせて、食事に行ったり、デートしたりして、相手の人となりが分かってからつきあうようになり、僕が青山にオフィスを構え、彼が本庁勤務になった時期がたまたま近かったこともあり、一緒に住むようになった。
よくある誤解だが、すべてのゲイが出会ってすぐにセックスをすると思っている人が一定数いる。そういうゲイがいるのは確かだ。そういう人たちは発展場に集まって不特定のパートナーと性交渉をする。お互い名前も知らない相手と、ただ性欲を解消するためにそういう場所に集まってセックスだけをする。同時に複数の人と性行為をする人もいる。ただそういうゲイもいるというだけで、多くのゲイは普通の貞操観念をもち、パートナーと信頼関係を築きたいと思っている。そのへんはヘテロセクシャルの人と何も変わらない。性的思考が異性に向いているのか、同性に向いているのかの違いで、ゲイだからと言って貞操観念が欠けているわけではない。
ヘテロセクシャルの人でも彼の「彼女」のように乱交パーティーで性欲を満たそうとする人もいる。そして、多分彼の両親も、彼女の両親も、常人では理解できない、いや理解するとかしないとかではなく、他人には理解できない行動をなんの抵抗もなく受け入れ、それをたいしたことではないと擁護し、他人に理解を強制するような人は、性的指向と関係なく存在していると思う。
その点、僕もカレも、普通の貞操観念を持ち合わせていると思う、多分。カレは分からないが、少なくとも僕は何度か会うようになって、カレといわゆる「そういう関係」になってからは、一度も他の人と性交渉を持ったことはない。多分、カレも同じだと思う。特に一緒に暮らすようになってからのこの9年間はそういう様子は一度も無かった。僕が気づいて無かっただけかもしれないけれど。
まあそういった誤解をする人たちが一定数いる以上、僕らは自分たちの性的指向をカミングアウトはしていないし、するつもりは現在もない。特にカレの勤め先がいわゆる「お堅いところ」であるため、あえてカミングアウトするデメリットはあってもメリットはないと思っている。
僕らの関係を知っているのは、カウンセリングオフィスの共同設立者である友人夫婦。二人とも同じ大学で、友人は大学・大学院の同期、友人は大学入学時に一浪しているので年は一つ上。奥さんは学部が違うけれどオフィスの事務を担当していて、僕と同い年。二人には友人にそっくりな娘さんがいる。それから僕らの住んでいるアパートの大家さん、同じゲイの友人たち数名、そして双方の両親だけだ。
僕の両親はうすうす気づいていたので、理解は早かった。本当に受け入れてくれているのか確証はないが、中学校から不登校気味になり、高校でカウンセリングを受けたりしていたので、「この子はなにかメンタルに問題を抱えているのだろうな」と思っていたと、カミングアウトのときに聞かされた。
だが、カレの方はカミングアウト後に両親と絶縁している。なんでもカレの妹の縁談に差し障ると考えた両親が絶縁を言い渡してきたらしい。法曹関係のそこそこの会社を経営している父親の敷いたレールを順調に歩んできた息子が実はゲイで、結婚もしないし、跡取りも作らない(作れない)と分かると、父親は会社の将来をすべて妹に託すことにしたらしい。「まあ、そうなるよな」とカレがサバサバと言った時のことをはっきりと覚えている。ただ妹はまだ理解があって、実家のことは妹を通して、ある程度把握はしているらしい。
もう少しだけ僕のことを語る。
中学校時代、友人たちが「あの子かわいいよね」とか「あの子の胸大きくない?」と思春期特有の異性へと向かう興味関心にどうしても同調できず、絶えず違和感を抱いていた。普通思春期に異性へ向けられるであろう、興味関心が僕には全くないことに気づいた。逆に僕は男子に性的な興味を持っていることを自覚した。特に大柄な男性に惹かれ、厚い胸板に触れたいという、明らかに他の男の子とは違う、状況に性的興奮を感じていた。そういう妄想をするたびに、僕という人間は「友達とは違うモンスターなんだ」いう自覚を呼び起こした。そして、興味も関心も無いのに、さも女の子に興味のある『健康な男子』を装っていた。
他人に自分を偽っている、ずっと嘘をつき続けている罪悪感と、他の人とは違うという疎外感から僕は学校を休みがちになった。それでもそんな僕の状態を気に病む両親に少しでも心配をさせないため、勉強だけは頑張った。結果、高校はそこそこの私立の進学校(男子校)に進むことができた。
そこで僕はひとりのスクールカウンセラーと出会う。その出会いが僕の人生を決めたと言ってもいい。女性のカウンセラーは僕が話す悩みを、いつも柔らかな表情で聞いてくれた。瓜実顔に柔らかなアルカイックスマイルを浮かべたその表情は、僕にこれまで感じなかった安心感を与えてくれた。
何回目かのカウンセリングのとき、カウンセラーは僕にこういった。
「他人に自分を偽っていることに悩んでいると言っているけど、偽っても大丈夫なの」
「人間は本能的に嘘をつく生き物なの」
「その相手を傷つけない限り嘘はついてもいいの、優しい嘘ならね」
「でもね、自分には嘘はつけないの。自分に嘘をつき続けることは自分を傷つけることになるからね」
「だからあなたには自分に正直に生きて欲しい」
日本史の資料集で見た、菩薩像のような笑顔を向けられたとき、初めて自分の前に道が開けたような実感がわいた。そして僕は彼女と同じカウンセラーになろうと思い大学は心理学部に進み、大学院でも勉強を続けた。
幸い卒業後、すぐにスクールカウンセラーとしての採用が決まった。その時の繋がりが彼との出会いのきっかけになった。そして10年たっても消えない僕のトラウマへと繋がっていくのだった。
さて、前置きが長くなった。彼の話に戻ろう。