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あざみ館の三姉妹  作者: iris Gabe
第三幕
9/10

九. 階 段

 三階の部屋でベッドがあって寝泊りができるのは、摩帆の部屋だけだった。そこは鍵がかけられる部屋ではないのだが、唯一人この屋敷に居残る摩奈が自力で階段を上れない以上、間違っても襲撃される心配のない場所である。とはいえ、さすがに今日亡くなったばかりの故人の部屋で寝泊りするのは、気分のよいことではない。


 その夜、私はなかなか寝つけなかった。無理もないが、精神的には極限状態である。たとえ、理屈の上では身の安全が保障されているとはいえ、一度は殺されかけた日の夜に、悠然と眠りにつけるほど私の神経は図太くない。


 外は満月だ。灯りの消えた真っ暗な部屋の中で、窓から差しこむ月明かりを頼りに、枕元にある置時計を確認すると、時刻は一時四十三分を指していた。

 虫の音と、流れる小川のせせらぎ。ほかには何も聴こえてはこない。何もかもがてついてしまったかのような漆黒の闇に、世界は包まれていた。

 戦場では、最前線で生死を彷徨いながら我を忘れて戦っている時よりも、状況が有利に転じて生き残ることができたとほっと安堵した瞬間の方が、実は死ぬ危険度が高いらしい。今、私は極限状態から解放されて安堵をしている。でも、それってまさに、この格言どおりになっていやしないのだろうか?

 もう一度成り行きを思い返してみよう。私は命を狙われている。そして三階にいる。この屋敷にいるのは摩奈だけ。三階まで上って来る能力は、彼女にはない。一方で、鍵が掛けられた摩奈の部屋に私は入ることができないから、私と摩奈のお互いの身の安全が保障されている。実にうまくできた提案であった。


 でも、この提案を申し出た張本人は摩奈自身である。


 突如、私は感じとる。遠くで何者かが発したかすかな気配を――。

 きしっ……。

 いや、気のせいだ。私はもう一度窓の外へ目を向けた。自然に囲まれたあざみ館――。こんな呪われた屋敷はもうまっぴらだ。明日こそは大手を振って、ここから出ていってやる。


 きしっ……、……、きしっ……。

 違う! やはり気のせいではなかった。間違いなく、階段がきしんでいる音だ。誰かがこちらへ向かって階段を上っている。私に気付かれぬよう細心の注意を払いながら。

 屋敷内には、私のほかには摩奈しかいない。そして、足が不自由な摩奈は絶対に階段を上れない。使用人たちは全員追い出して、全ての窓に鍵をかけた。故に、今、階段を上って来る人間がいるはずないのである。そう、そんなことはあり得ない。

 いや、もう一度考え直せ、摩耶。本当にこの屋敷にいるのは、摩奈だけなのか。


 私の憶測をあざ笑うかのように、足音は着実に近づいて来る。そして、この部屋の前で足音はぴたりと止まった。

 電灯が消された暗闇の中、息を殺しながら私は、部屋の入り口である扉を凝視する。ほのかな月明かりに照らされた琥珀こはく色の真鍮しんちゅうノブが、気味の悪い摩擦音をたてながら、ゆっくりとまわり始めた。

 ぎっ……、きぃぃぃ――。

 九十度ほど回転して、ノブは静止した。その間は一瞬であったはずなのに、無限に長い時間が経過したように思われた。そして、静かに扉が開いていく。

 向こうに黒い人影が。


 左手を素早く伸ばして、私は壁のスイッチを押した。パッと部屋全体が明るく照らされて、今度は侵入者が面食らったようだった。左手で電灯の光をさえぎり、右手に大きなサバイバルナイフを握りしめたその侵入者は、白いドレスを着た摩奈……?

 いや、摩奈はここに来られるはずがない。

 私はベッドから上半身を起こして、侵入者にはっきりと聞こえるよう、語気を強めていい放った。

「いらっしゃい。摩帆姉さん!」

 透きとおった声が侵入者から返される。

「なんだ、わかっていたのなら、逆に不意打ちすれば良かったのに。あなたも案外お人好しなのね」

「いろいろとお話を伺いたかったからね」と、私は素っ気なく答えた。

「まあ、意外ね。ここで死んでしまう人が、今さら何を訊きたいのかしら」

「なぜ、摩奈を殺したの。遺言ではあなたが筆頭者でしょ。摩奈や私を殺す理由なんてないはずよ」

 摩帆は呆れたような顔で首を横に振った。

「甘いわ。それじゃあ、私だけ毎日殺されることに怯えながら生活しなきゃいけなくなるじゃない。あなたたち二人が私を殺さない保証が、いったいどこにあるというのかしら。まあ、あなたならそんなおしとやかな言い訳をせずとも私の気持ちが理解できるはずよね」

「摩奈を殺すのが目的なら、どうして自分や私のグラスにまで毒を入れたのかしら」

 摩帆は前髪を軽くかき分けた。

「ふふっ、あの時は、あなたと摩奈のどちらが死んでも、私はかまわなかったのよ。だから、三人の食前酒の全てにトリカブト毒を仕込んだわ。摩奈が死ねば、私が摩奈になりすまし、足が不自由だと皆に思わせながら生活ができるから、次にあなたを殺す際に有利アドバンテージになるし、逆にあなたが死んでしまえば、生き残った車椅子の摩奈を殺すなんて造作も無いしね。

 とにかく、食前酒さえ飲まなければ、私は安全だし、後はいくらでもごまかせることでしょうね。

 もう、おわかりと思うけど、今日の夕食時、摩奈と私は席を取り替えて座っていたのよ。椅子に座ってしまえば、摩奈と私は見分けがつかなくなってしまうものね」

 摩帆は憐れむようにふっとため息を吐いた。

「摩奈になりすました私が食事の合間に車椅子からすっと立ち上がれば、きっとみんな目を丸くして驚くわよ、と悪戯いたずらを持ちかけてみたら、摩奈は喜んでのってきたわ。

 あの娘、あの遺言を聞いた後でも警戒心がゼロで、本当に子供なんだから」

 摩帆の端麗な口元が冷たい笑みを浮かべていた。

「ところで、逆に訊きたいのだけど、どうして私の正体が摩帆であることがわかったの」

 私は落ち着きはらって説明した。

些細ささいなことだけど、摩奈は私のことをいつも『摩耶姉さん』と呼び、あなたのことはいつでも、『お姉さん』と呼んでいたわ。でも、夕食を終えた時の摩奈は、なぜかあなたのことを『摩帆姉さん』と呼びかけたのよ。

 はじめは気づかなかったけど、後になって思い立ったわ。生き残ったのは摩奈じゃない、とね」

「なるほどね。迂闊うかつだったわ」

「もう一つ教えて。七年前、摩由姫を突き落としたのは、摩帆姉さん――あなたね」

 不意を突く私の指摘に、摩帆の顔がふっと緩んだ。長年にわたる懺悔の苦しみから解放されたような、穏やかな表情だった。

「そうよ、あれは十三歳の時だったわ。私は、自分が母にどんどん似ていくことが怖かった。母の存在が、なぜかとても許せなくなってきたの。あなたにも、多分わかるでしょう?」

 この時の摩帆は、左の掌を自らの顔へ向けながら、身体を小刻みに震わせていた。

「だから、母が塔に上る時に、いっしょについていって、後ろからちょっとだけ押してあげたの。母は警戒していなかったから、子供の私でも容易にできる仕事だったわ。

 さあ、そろそろ訊きたいことは済んだかしら」

「そうね、大体ね」

「じゃあ、冥土のお土産はこれでおしまい。あなたにはそろそろ眠ってもらいましょうか」

 大きなナイフをかざして、摩帆が嬉しそうに近づいて来る。対して、私は手ぶらで身構えるだけだ。たとえ体力が互角であっても、所持した武器の差は歴然としている。

「じゃあね、おやすみなさい。短いお付き合いだったけど、私のかわいい妹さん――」

 目の前に迫った摩帆が両手で持ったナイフを大きく振りかぶる。その瞬間、私はふとんの中に隠し持った刃渡りの長い料理包丁を取り出して、摩帆の左胸を目がけて真っ直ぐに突き刺した。

「ぐっ……」

 雀のような一声を発すると、摩帆はあえなく床に崩れ落ちた。彼女の身体からどくどくと噴き出す血潮が、純白のドレスをアカタテハのように真っ赤に染めあげていく。それは一瞬の死であった。

 ベッドから出た私は、動かなくなった摩帆を見下ろしながら、優しく語りかけた。

「私の素敵なお姉さん――。あなたこそ典型的なお人好しよね。

 私だって五月女摩由姫の娘なのよ。そう簡単に大人しくやられるわけないじゃない……」

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