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あざみ館の三姉妹  作者: iris Gabe
第二幕
7/10

七. 遺 言

 八月七日の午後三時――、ピアノがあった二階のあの大部屋に、館内の人々が続々と集結してきた。いよいよ私を産んだ実の母である故五月女そうとめ摩由姫まゆきが残した遺言状が公開されるのだ。

 中央にあったグランドピアノはすでに脇にけられていて、ぽっかりとできた大きな空間には、冠水瓶とおしぼりが載せられた小さな演台テーブルが用意されていた。さらに演台を取り囲むように様々な椅子が聴衆者のために散り散りに配置されている。

 演台の背景となる壁には、こちらをじっと見つめる美しい女性の写真がかかっていた。私たち三姉妹とそっくりでどことなく気品の感じられるその女性は、もちろん母ということだ。自分によく似た人物を美しいと褒めるのも何だか変な気持になるが、少なくともこの写真に写った女性の美貌を否定できる人はそうはいないように思う。それは単なる写真に過ぎないはずなのに、底知れぬ威圧的な雰囲気オーラが絶えず解き放たれているのを誰もが感じ取っていた。


 やがて遺言の執行者である五月女財閥の顧問弁護士松川まつかわ信太郎しんたろう氏が現れて、演台の傍に置かれた椅子におごそかに着席した。右の小脇には黒い革製のアタッシュケースを抱えている。

 松川氏から見て、右手前に置かれた長椅子ソファーには、面倒くさそうにふてくされている摩帆が座っていた。正面には、車椅子に乗ってあどけない顔を振舞う摩奈がいて、大河原氏が後ろに控えている。私は左手前に用意された肘かけ付きの安楽椅子を選んで腰かけた。

 相変わらず表情をおもてに表さない大河原夫人は、一番後ろの壁の前で、腰の前で手を組んで、背筋をピンと伸ばして佇んでいる。摩帆と摩奈の後ろで、守屋料理人が木製の背もたれがある椅子にどっかりと腰を下ろして脚を組んでいた。私の後ろには、佐久間老人が簡素な丸椅子に座って、申し訳無さそうに背中を丸めていた。

 七人の覚束おぼつかない視線が一斉に松川信太郎氏へとそそがれた。


 その時、私は考えていた。母は七年も昔に亡くなっているのに、なぜ死の直後に遺言が公開されなかったのだろう。もちろん、母がそのように取り計らったことが理由であるはずだが、だとしたら、その意図は。そして、謎めいた遺言状の内容は。


 演台に立った松川信太郎氏の低いだみ声が室内に響き渡った。

「ご列席された紳士淑女の皆さま、ご静粛にお願い申しあげます。

 それでは遺言状の公開をする前に、故人が生前、遺言状の完成と同時にこの私に委託されたお手紙を、ここで代読させていただきます」

 そういって、松川氏はふところから一枚の封書を取り出して、それを慎ましやかに広げると、朗朗と中身を読み始めた。



  我が敬愛する松川信太郎様 ――


 私がこの世からいなくなる事態が生じた場合には、あなたの指揮の下で、以下の手続きを執行してください。


 一つ、私の死亡届は出さず、外部には私の死の一切を秘密とすること、

 一つ、私の遺体を土葬にすること。そして乙女ヶ池の小島に埋葬すること。

 一つ、私の遺言の執行を行うこと。ただしその時期は私の娘たちが二十歳になる年の八月七日の午後とし、あざみ館に娘たち全員を集めてから遺言状を公開すること。

 娘たちのそれぞれの連絡先は、遺言状に添えてある書類に記載してあります。(以下略)


 とても身勝手な要求であなたには多大なご迷惑をおかけすることになりますが、本件は五月女財閥の存続に関してとても重要なことですから、くれぐれも手違いのないようによろしくお願いします。

   五月女摩由姫――



 松川氏が手紙を読み上げている途中、ほんの一瞬だが私の背筋に冷たいものが走った。乙女ヶ池――。あの美しい蓮池の真ん中には、紛れもなく、小さな島があったからだ。


 とにかく冷静にならなきゃいけない。

 私は胸に手を当ててもう一度この不可解な手紙をよく考えてみた。

 母は自分の死を世間に公表しないように命じた。さらに、遺言状の公開を私たちが二十歳になる時まで差し控えた。いったい何の目的で。

 そして、母は私の連絡先を知っていた。裏を返せば、私が外の世界で生活していることを母は認知していたということになる。


 松川信太郎氏の、皆さまご静粛に、という声が聞こえた。

「それでは、故人の意思により丸七年の歳月非公開であった遺言状を、ここに開封いたします」

 宣言を終えた松川氏は、鞄の中から一太刀で封筒が切れてしまうほどの巨大なはさみをすっと取り出して、私たちの目の前で、遺言状が入った包みにその鋭利な刃物をゆっくりと押し当てた。

「では、読みあげます」

 互いの心臓の音が聞こえて来るような異様な緊迫感の中、松川信太郎氏が代読した五月女摩由姫の遺言状の全貌は、全くもって尋常ならざるものであり、なおかつ驚愕に堪えないものであった。



  遺言書 ――


 第一条―― 遺言者は以下の条件を満たす者全てを相続人と認め、第二条に列記した使用人に与える報酬を除いた五月女財閥の全財産を、均等に分配して、相続させることとする。

 その条件とは、

 一つ、我が娘 摩帆まほ摩耶まや摩衣まい摩奈まな のいずれかであること、

 一つ、二十歳の誕生日に執行される遺言状の公開の場に出席していること、

 一つ、二十五歳の誕生日まで生存していること、――とする。

 尚、遺産の相続は、相続人が二十五歳となった八月八日の誕生日に行うこととする。

 第二条―― 大河原おおがわら義満よしみつ大河原おおがわら志乃しの守屋もりや雅之まさゆき佐久間さくま竹蔵たけぞうには、それぞれに一千万円ずつを遺贈する。但し、本人が遺言の公開時に死亡している場合には、その権利を失うものとする。

 尚、この四名については、遺産相続後もひき続き当財閥のためにご尽力いただくことを強く要望する。その際にはこれまで通りの能力に見合う報酬を用意することとする。

 第三条―― 第一条の条件を満たす者で、長女摩帆、次女摩耶、三女摩衣、四女摩奈の優先順で最上位にいる者には、五月女財閥の正統なる後継者として財閥の全指揮権を与える。そして、現在進行中の事業プロジェクトの最高責任者として、それを引き継いで執行する義務を課す。

 第四条―― 万一、第一条を満たす生存者がたった一人になった場合には、たとえ二十五歳の誕生日を迎えなくても、その時点で最後の生存者に遺産の相続を行うこととする。

  日付 ――年六月六日

  住所 群馬県多野郡上栗村――

  遺言者 五月女摩由姫―― 



 遺言状が最後まで読み終えられた時、誰もが衝撃のあまり、声を出すことすらままならなかった。


 やがて、重々しい静寂を切り裂くかのように、摩帆がヒステリックに笑い出した。

「あはは、いかにも母らしいわね。

 ねえ、遺言の作成日を聞いた。摩由姫は私たちがまだ子供の頃に、この書類を作っているのよ。さあて、どういうつもりなのかしら。

 きっと、あの女は何か勝手な台本シナリオを想定して、私たちをあやつろうとしているんだわ!」

 たしかに摩帆に指摘されてみると、母は私たちの年齢が五歳に満たない時に、すでに遺言状を執筆していたことになる。いったい彼女はその時何歳だったのだろうか。

 摩奈がポツリと呟いた。

「摩衣って誰?

 でも、ここにいないのだから、そのに財産の相続権はないのよね」

 今度は私が甲高い声を張りあげた。

「つまり、私たちは三つ子ではなくて、四つ子だった。

 松川さん、あなたの手にしているその手紙には、摩衣というむすめの住所も記載されているのよね」

「申し訳ありませんが、必要以上の事実を相続の権利を有した方々に話すことは、固く禁じられております」

 松川氏は冷静に返答した。

「誰に、摩由姫に? それはさぞかし結構なことね」

 挑発的な口調で、摩帆が割り込んできたが、

「さようでございます」

 と、今度も松川氏はあっさりとかわす。

「なるほど。松川さんは、摩由姫が遺言でうたっている事業プロジェクトとやらについても、きっと何かをご存知なのね。ようやく、納得できたわ」

 皮肉っぽい言い回しをおりまぜながら、摩帆は悔しそうに松川氏を睨みつけた。

 そのやり取りを黙って見つめていた摩奈が、車椅子の上で両手で口元をさっと覆うと、唐突にくすくすと笑い出した。

「それにしても、二十五歳の誕生日まで生存していること、ですって。

 うふふ。可笑おかしくない。

 私たちが普通にしていれば、二十五歳まで生存するなんて、当たり前なのにね」

 私はどきっとした。その言葉は、ここでは口に出してはならない禁句タブーなのではなかろうか。

 遺言によれば、私たち三人の中で二十五歳まで生きている者だけが遺産相続の権利を有している。いい換えれば、死んでしまった者は権利を失い、その分、残っている者たちの遺産配分が増えるということだ。

 私は恐る恐る摩帆のほうに目をやった。摩帆はしばらく薄気味悪い笑みを浮かべながら、じっと肩を震わせていたが、キッと顔を上げると、摩奈に向かって突き刺すように、激しい剣幕で雑言を並べ立てた。

「あんた、その台詞せりふ真面目にいっているの。それとも私たちを油断させるための、あんたお得意の、迫真の演技なのかしら。

 五月女財閥の権限を相続できるのはこの中でたったの一人しかいないのよ。

 ということは、優先順位が一番高いこの私が、一番危険にさらされているってことになるわよね。冗談じゃないわ」

「まあ、お姉さんったら、何をおっしゃっているの」

 その時、車椅子の摩奈は、氷のように無表情のまま、摩帆の顔をじっと見つめていた。

「私はただ、三人がこうして一緒にそろったのだから、これからも仲良くしていかなきゃ、といっているのよ。だって遺産はみんなで平等に分配されるんだからね。私たち三人姉妹で」

 その口調はとても柔らかなものであったが、それと同時に、摩奈のかわいらしい唇がちょっとだけほころびたのを、私は見逃さなかった。


 私は咄嗟とっささとった。私たち三人が仲良くしていくなんて土台から無理な話であったのだ。

 自分と全く瓜二つの人間がこの世に他に存在するなんてことが、そもそも許すべからざる事実であるはずなのに、ましてや、莫大な遺産の相続権までもがからんでしまったのだから。

 そしてこの思いは間違いなく、摩帆も摩奈もはっきりと感じ取っていることであろう。


 ところで、この場に立ち会わなかった摩衣という女性はいったい何者なのか。もしここいいれば、遺産が四人で分配されることになったはずなのに、なぜ姿を現さなかったのだろう。そして、彼女は今どこにいるのだろうか。


 遺言の公開はわずか三十分ほどで終わって、私たちはそれぞれの部屋へと引き下がった。

 でも、自室前までやってきた私は、ドアノブに手をかける瞬間、扉に鍵がかからないことに一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

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