堕天
世の中ってわりと簡単だ。最近まで死ぬほど怖いと思っていたオトナ達は、案外ただの人だと気づいた。誰を傷つけてもいいと割り切ってさえしまえば、案外、楽に生きれるもんだ。
あいつの人生はあいつの人生。私の人生は私の人生。
あいつと出会ったのは中二の秋頃。中二というだけあって、厨二病まっさかりだった。2人でよく、自分たちには誰にも見えない傷やら能力やらがあるという話をしていた。要するにアホみたいな話をしていた。
中三になった。当たり前だが、高校受験が待ちわびている。私はわりと頭が良かった。いや、頭は良くなかったのかもしれないが、成績は良かったのだ。努力ができたのだ。けど、あいつは違かった。勉強なんてものは少しもせず、
「俺は頭悪いから」
と、言い訳ばかりを口にして、勉強から逃げた。
だんだんあいつとは話をしなくなった。私の目指している高校は偏差値が高い。ちょっとやそっとの努力じゃ到底届かないレベルなのだ。休み時間全てを使って勉強をした。厨二病は、全治していた。
中三、冬。久しぶりにあいつと話した。
「最近、どう?」
「んー、まぁまぁ」
「勉強してんの?」
「してないよ、全く」
「大丈夫なわけ?」
「……」
「はぁ、ちゃんとしなさいよ?」
「……俺、堕天使になるわ」
「は?」
「いや、来たんだよ、堕天使が家に。いいか、これは、お前だけに話す。昨日、ヨダっていう堕天使がうちに来た。そう、来たんだ。そしたらな、俺に堕天使になれって言うんだ。どうやら俺は敵と戦わなければいけないらしい。俺は、選ばれちまったんだ」
不幸な天命を知らされたかの如く、寂しそうな顔をして言っている。
「ちょ、何言ってんの?」
「いや、だから……。まぁ、人間に言ったってわからないか」
そういえば、そんなアニメがあった気がする。堕天使が人間界にやってきて、選ばれし主人公が地獄に降りて敵と戦うっていうやつ。呆れた。
「そっか。頑張ってね」
「ありがとう」
彼は遠くを見つめていた。
翌日、学校中が大騒ぎになった。あいつが、飛び降り自殺をしたと言うのだ。
死ぬ前に言っていた言葉、あいつの母親が私にだけ教えてくれた。
「俺は行く。ありがとう、みんな。俺は、俺は、地獄に行って敵と戦うんだ。じゃあな、また、会う日まで」
厨二病をこじらせて自殺するやつっているんだな。
念願叶って志望校に合格した。
あぁ、世の中って簡単なのかも。
私は友達も多いし、地味なやつにも話しかけるからまじで人気者。勉強すればわりとなんでも覚えられるし、解けてしまう。親にも先生にも褒められた。
高校生になった。バイトを始めた。社会を知る。厳しくて責任も重くて大変なのだろうと思ってたけど、案外そうでもない。
ミスらなきゃいい。サボらなきゃいい。そうしたらめちゃくちゃ褒められる。
「高校1年生なのに、偉いねぇ、すごいねぇ」
メイクも学んだ。かわいくなった。色んな人からモテ始めた。同級生、バイトの先輩、インスタのフォロワーも右肩上がり。
あー、チョロいチョロい。
なんて簡単な世の中だろう。
けど、なぜか、虚しいのである。
本当の私はきっとこんなんじゃない。本当の、私、本当の私は……。
そう思う度、あいつの顔が頭に浮かんだ。戦いに行っちゃった、あいつのちょっと寂しそうな顔。
あいつの部屋に行ってみた。1年前から何も変わっていない。棚にはフィギュアや漫画が掛けられている。平凡すぎるほど平凡な男子の部屋。彼は、ここから飛び降りた。窓のそばにそっと近づく。
私はあいつがいじめられていたことを知っていた。ついでに、本当に勉強が苦手だということも。
なんであの時言ってあげられなかったんだろう。
私も一緒に戦うよ、と。
窓に少しだけ足を掛けてみる。マンションの7階は思ったよりも高く、恐れおののき、すぐに足を部屋に戻した。
彼は、本当に戦いに行ったんだ。この世界で生きていくことよりももっともっと辛い場所へ。戦って、戦って、それでもまだ、戦っている。
両手を合わせ、空に祈る。
どうか、彼が、幸せでありますように。