甘さが終わらない
「ルシアン様。これ以上はもうやめてください……」
夜の王城内にエステルの悲鳴のような声が響く。けれど、ルシアンは無慈悲だった。エステルのか弱い抵抗など無視して進んでいく。
「だめだ。ここで下ろしたら、エステルは自分で歩くだろう?」
「当たり前です! だって自分で歩けますから!」
今、エステルはルシアンによっていわゆるお姫様抱っこで客間へと運ばれていた。
「ついさっきまで薬品を使って眠らされていたんだ。いつ不意に体から力が抜けて歩けなくなってもおかしくない」
「目が覚めてからもう一時間は経っています。どうか下ろしてください……!」
「嫌だ」
エステルは「体が心配だから、どうしても自分が運ぶ」と言って聞かないルシアンにほとほと困り果てていた。
(自分で歩けるのに、こんなのって)
ここは王城である。いくら夜中といえど、屋内に入ってしまえばそこらじゅうに人の気配がするのだ。会う人全員に「まぁ」という顔をされ、頬を染められるこちらの身にもなってほしい。
しかも、ルシアンはエステルを抱いて移動している間、一度も余計な本音が漏れていなかった。
(私だけ余計なことを考えているみたいで恥ずかしいわ……!)
自分の膝下と背中を支える手は、多少暴れてもびくともしないほど力強い。それなのに、壊れ物を扱うような優しさも感じられるのがうれしくて、叫びたくなってしまう。
(今の私……禁呪の呪い返しにかかっていなくて本当によかった。今考えていることが口から全部出てしまうなんて、絶対に無理)
ルシアンの胸元から香る香水にくらくらしながら頬を両手で覆えば、視線を感じた。顔を上げると、ルシアンの青みがかったグレーの瞳に吸い込まれそうになる。
どきりとして固まるとルシアンの顔が近づき、お姫様抱っこのまま、わずかに温もりを感じるほどのキスが落ちてくる。
(……!)
思わず悲鳴をあげそうになったところで、ルシアンの顔のすぐそばに黒猫が現れた。
「オマエたち、何やってんだにゃ。オレたちは一生懸命探してたっつーのに、こんな公衆の面前でいちゃいちゃしてるとかどういうことだよ」
「うるさいな。クロードがいるといちゃいちゃしづらいから、仕方なくここでやってるんだろう」
ルシアンから聞きたくなかった類の本音が聞こえ始めてしまった。
「クロード! た、助けて」
助けを求めたところで、廊下の向こうにスレヴィとリーナの姿が見えた。
「エステル! よかった、無事だったんだね」
「心配したわ」
「ごめんなさい。私が迂闊な行動をしたばかりに」
どさくさに紛れてルシアンのお姫様抱っこから解放されたエステルは、二人と一匹に謝罪する。
リーナは呆れたように笑った。
「ルシアン殿下、急遽届いたスレヴィ宛の手紙を取り上げて読んだ瞬間にいなくなっちゃったのよ。ルシアン殿下なら必ずエステルを見つけて助けてくださるとは思ったのだけれど、念のために探していたの」
クロードはルシアンの肩の上で拗ねたように丸まっている。
「使い魔のオレも呼ばないなんてどういうことだってばよ」
「何を言っているんだ。帰り道のいちゃいちゃに邪魔だからだろう」
「王子様、本音、本音」
すっかり慣れてきたエステルは、クロードとルシアンの会話に少しだけ赤くなりつつも笑ってしまったが、リーナとスレヴィがあからさまに頬を染めている。
コホンと咳払いをし、ラベンダー色の垂れ耳を揺らしたリーナが、気を取り直したように聞いてくる。
「それで――スレヴィ暗殺を企てていた犯人はどこに捕えているの? ぶっ殺してやるわ?」
◇
それから、リーナはスレヴィ暗殺の黒幕であるグレンダが代表を務める新興宗教を呪って根絶やしにした。
グレンダと恋愛関係にある男たちが信者だということだったので、容易く消せると思ったのだが、実は裾野は相当に広かったらしい。
信者は男たちの家族や親戚、友人づてに広がり続けていて、知らない間に一大勢力になりつつあった。
リーナ曰く、スレヴィの誕生日パーティーにはもっとたくさんの信者が潜んでいて、グレンダを捕まえない限り死に戻りは繰り返されただろうということだった。
(グレンダを捕まえられて本当によかったわ)
ちなみに、処分を知ったほかの新興宗教も危機感を持ったらしい。それ以来、日々、数は減り続けているということだった。
(私もほんの少しだけれど光魔法を扱う身として、喜ばしいことだわ)
そのスレヴィは、なんとエステルに教わって光魔法を覚えた。
もともと、『光属性持ち』というだけで嫌われていたスレヴィは、別にエステルのように光属性の魔力量が少ないわけではないのだ。
しかも、意外なことに聖女に適した補助魔法に適性があり、エステルが使えなかった光魔法の呪文を知るだけでぐんぐん使えるようになっている。
フリード国では闇魔法による緩やかで見えにくい部分からの浄化が一般的だが、オリオール王国では光魔法による浄化は華やかで見た目上も好まれる。
誤った認識さえなくなれば、スレヴィが自分の能力に自信を持って生きられる未来はすぐそこに見えていた。
(近い将来、スレヴィが望み通りリーナ様を守ることができる日が来ますように)
そんなことを考えているエステルは、聖女リーナが主催する夜会に参加しているところだった。
スレヴィ暗殺の黒幕は捕まり、全てが終わった。明日はいよいよエステルとルシアンがオリオール王国へと帰る日だ。緊迫感に包まれていたスレヴィの誕生日パーティーとは全く違う雰囲気に、リーナはニコニコ楽しそうに微笑んでいる。
「スレヴィが殺されずに済むことを祈らなくてもいい夜会なんて、久しぶりだわ。だってずっと死に戻っていたんだもの」
「そうですね。リーナ様がスレヴィを救うためにどんな思いをして、どんな人生を繰り返してきたのか。それを思うだけで、胸がいっぱいになります」
エステルの言葉に照れくさそうに笑ったリーナは、二冊の古い魔導書を渡してくる。
「はい、これ」
「リーナ様、これは……?」
わけがわからずに首を傾げると、リーナは教えてくれた。
「一冊は、伝説の聖女様が使っていた魔法書という名のレシピ本よ。私はお料理とかできないし、聖女をお姫様に近い扱いをするフリード国の制度を考えると、今後この魔法書を活用できる聖女は絶対に現れないわ。だからあげる」
「! カフェのメニューが増やせます。……ありがとうございます」
「もう一冊は、死に戻りの禁呪を解く呪文が載った魔法書よ。こっちは、呪い返しで私には使えなくなってしまった魔法だから貸すわ。もし使わないようだったら、いつか遊びに来たときに返して」
「んじゃ、どっちもオレが腹ん中にいれとくにゃ。大事なものだろうしにゃ」
様子を見ていたクロードが大きな口を開け、二冊の魔法書をお腹に収めた。それを見届けたリーナは、離れた場所でグラニテを食べているスレヴィのもとへ小走りで去っていく。
ちなみに、今日のクロードは黒猫の姿である。エステルはルシアンがエスコートするため、猫で十分だった。
(スレヴィを送り届けたらすぐに帰るつもりだったのに、いろいろなことがありすぎて二ヶ月近くも滞在することになってしまったわ)
そんなことを考えていると、ルシアンが心底名残惜しそうに告げてくる。
「エステルの、フリード国風のドレス姿は今日で見納めか」
「ふふっ。そうですね」
「さっき、リーナから禁呪の呪い返しを解く呪文が載った魔法書を受け取ったのか?」
「はい。クロードのお腹の中に」
笑って答えると、ルシアンは軽く微笑んでから表情を引き締めた。
大事な話がしたいのだとすぐに理解したエステルは、言葉を待つ。
「……俺はエステルと過ごしてきたこの日々が何よりも大切だ」
「……はい」
「この前は、俺の本音が止まらなくなったせいで真面目に話せなかったが、死に戻ってからの日々の記憶がなくなってしまうのは、死ぬことよりもつらい。だから、随分前から禁呪の呪い返しを解く方法に心当たりがあったが、黙っていた」
ルシアンの声音は柔らかくエステルの心に染み入ってくる。
それを聞いていると、いつもの本音がだだ漏れているときよりもずっとずっと、深い愛の告白を受けているような気持ちになる。
そうして反省した。
(王族だから呪い返しにかかっていてはいけない、なんてルシアン様の心を無視したとんでもない思い上がりだったわ)
「……ごめんなさい。私も、スレヴィとリーナ様をうらやましく思うことがあったのに。思い出がたくさんの二人に憧れながらも、ルシアン様からこの一年間の記憶を奪おうとしていたなんて最低です。本当に、ごめんなさい」
「エステルが謝ることじゃない。……そうやって、俺の立場のことを真剣に考えてくれたことがうれしいんだ。……だが、あの二人がうらやましいとはどういうことだ?」
不思議そうな顔をしたルシアンに、エステルは微笑んだ。
「リーナ様とスレヴィは子ども時代からずっと一緒に過ごして、仲が良かった思い出があるんです。それが、すごくうらやましくて。私たちもそういう思い出を持てたらよかったなと」
「そういうことか。だが、これから作っていけばいい」
「はい」
返事をすれば、ルシアンの指がエステルの顔にかかっていた髪の毛を掬いとる。フリード国の夜の空気は凍りつきそうなほどに冷たいはずなのに、全然寒さを感じない。
視界の端に映る氷の粒も、空から煌めくようにして降ってくる雪の結晶も、どれもが幻想的で、全ては今日この瞬間のためにあるのではと錯覚してしまうほどの美しさに思える。
エステルの髪を掬ったルシアンの手は、そのまま頬を温めてくれた。優しい仕草に鼓動が高まったところで、次の言葉が紡がれた。
「エステル。オリオール王国に戻ったら、今度こそ本当に俺と結婚してくれるか」
「……はい。私、幸せです」
二度目の求婚は、びっくりするほど素直に喜んで受けられたのだった。





