第87話 不変の決意
那岐が自分の中の気配を探ると、朱雀がじれったそうに羽根を広げているのが分かった。
那岐の中で急速に練り上げられた【気】は、今にも身体から飛び出しそうに昂る。
ふと、自分の中の朱雀が、結界の中にいる従兄弟に意識を向けたのが分かった。
その意思が那岐に伝わっていく。
「……玄武さま? 榛冴、朱雀がちょっと玄武さまの御力をお借りしたいみたい」
瞬時に朱雀の意図を解した榛冴は、那岐に頷きを返す。
結界の中から榛冴の伸ばした手に沿って飛び出した艶やかな黒い気配が、那岐の身体にするりと入り込んだ。
その玄と朱、二つの力が那岐の中で組み紐のように絡み合う。
「北方守護神、水の玄武。南方守護神、火の朱雀。──お願いします、封縛結界!!」
耳が神楽鈴の音を捉えたのを合図に、一気に【気】を解き放つ。
聞き慣れた陶器を弾く音がして、巨大な結界が組み上がる。
《上等だ、那岐。そのまま結界を収縮させるんだ》
巫女の声が聞こえた。心なしか、掠れているような気がした。
(小さく……このまま小さく……)
胸元で組み合わせた両手に力が入る。うまく結界を収縮させることが出来ない。
那岐の気持ちが焦り出す。
「那岐、大丈夫か?」
那岐の前に、采希の気配を纏った琉斗の身体と柊耶がふわりと降り立った。
握りしめた那岐の手に、采希の手が重ねられる。
軽やかな金属音を立てて、巨大な結界が震え出した。
急激に小さくなった結界は、掌に乗る程の黒い立方体となって黎の手の中に降りて来た。よく見ると中に黒い靄が蠢いている。
「……あまり、気色がいいとは言えないな」
琉斗が嫌そうに呟く。その声に那岐は驚いて隣に立つ顔を覗き込んだ。
「あれ? 采希兄さんは?」
「采希は休養中だ。……かなり力を使ったようだからな、俺が強引に交代した」
ずっと空中に留まったまま柊耶を支え、防護壁を展開して太刀まで振るっていた。
それがどれ程の力を要するのか、那岐には想像もできないかった。
以前から大きな力を行使した後は『落ちる』ように昏睡していたので、多分、琉斗の判断は正しいと思った。
「意識はあるのか?」
「いや、交代した途端に途切れたようだ」
土地神たちを封じた結界石を手にした黎に、琉斗が答える。
(聞いてみてもいいのかな? さっきの……黎さんの気配がない黎さんは……?)
那岐の視線に気付いた黎が、そっと自分の口元に人差し指を当てる。
(……秘密、ってこと?)
知らなくてもいい事だったら、無理に聞かなくてもいいと思った。
体力には自信があった那岐も、今はとにかく休みたかった。黎の顔色も悪く、結界から飛び出して来たシュウとカイが黎の身体を支える。
息を一つ吸い込んで、那岐は隣で脚を投げ出して座り込んでいる凱斗に手を差し出した。
* * * * * *
「あれ? 采希くん、もう大丈夫なの?」
土地神を封じた後、采希は琉斗の身体に入ったまま自分の身体の呪を解き、やっと自分の身体に戻ることができた。
日常生活に戻れる程度に回復してすぐに、采希は黎の家を訪ねた。
柊耶の声に、軽く頭を下げる。
「はい。まだ身体が軋む感じは残ってますけど、何とか。柊耶さんこそ、あの後熱をだして寝込んだって聞いてますけど大丈夫なんですか?」
采希の返答に柊耶はにっこりと笑い、隣にいる琉斗に視線を移す。
「黎くんよりは早く復活できたよ。琉斗くんは、傷は治ったの?」
「いや、まだ……だが、大丈夫だ」
顔に大きな絆創膏を貼ったまま、琉斗が笑おうとして顔を引きつらせる。黎も柊耶同様、発熱して寝込んでいたと聞いていたが、二人揃って出迎えてくれた。
榛冴の『気』のおかげで琉斗の傷は塞がったが、回復魔法のように治るわけではない。
琉斗の様子を眺めながら、柊耶が小さく溜息をついた。
「あの時、無理に僕を庇わなくても良かったんだよ」
「柊耶さん……」
「そしたら琉斗くんの身体も怪我しなくて済んだのに」
申し訳なさそうに言う柊耶に、采希は小さく頭を振った。
「俺は……どうあっても柊耶さんを護るつもりでいたんです。琉斗には悪い事をしたと思っているけど、こんな事で柊耶さんに恩返しができたとは思っていません」
柊耶が、じっと采希を見つめる。
「…………恩返し?」
「子供の頃に。俺の記憶を消してくれたのは、柊耶さんですよね?」
「…………」
「おかげで、こうして無事に生きてきました。──ありがとうございます。黎さんにも、本当に感謝しています」
深々と頭を下げる采希に、柊耶が戸惑っている気配が伝わった。
「えっと……もう、バレてるの?」
「はい。柊耶さんの眼を見ていたら、思い出しました」
そう采希が答えると、屋敷の奥から出て来た黎が柊耶の横に立つ。
「やっぱりな。柊耶に会ったら思い出すんじゃないかとは思ってた。そのために柊耶もお前らに姿を見せないようにしていたんだけどな」
「だから、忍者みたいに居なくなったんですね……」
「うん、ごめんね那岐くん」
柊耶と那岐が見つめ合い、同時に笑顔になる。
「いいえ! それより僕、お願いがあって。柊耶さん、僕と手合わせ、お願いします!!」
絶対、そう言うだろうとは思っていたが、回復したばかりの身体で言い出した弟に、采希は思わず額を押さえた。
「……那岐、お前な……」
「面白そうだな。俺も見たい」
黎と琉斗が眼を輝かせるのを見て、采希はそっと溜息をついた。
誰かの呼んでいるような気配を感じて采希は目を覚ます。
両隣では琉斗と那岐が寝息をたてている。
訪れた黎の屋敷の、いつもの部屋だ。
暗闇で采希は目線を動かす。
(……? 誰だ?)
そっと布団から這い出し、玄関に向かう。
何となく黎の家の裏にある四阿に足を向けると、柊耶がこちらを見て手招きしていた。
「ごめんね、呼び出して」
やっぱり呼ばれていたのか、と采希は納得した。本当に不思議な人だと思った。
「柊耶さん、疲れていないんですか? 那岐は完全に爆睡してますよ。白目剥いて寝てます。琉斗も同様です。その二人を相手して、平然としているのが俺には信じられないんですけど」
「訓練と経験の量が違うからね。二人とも、もっと強くなるよ、きっと」
にっこりと笑いながら、柊耶が温かいココアが入ったマグカップを差し出してくれた。
両手で受け取ってお礼を述べる。
「それにしても、柊耶さんと那岐の動体視力ってどうなってるんですか? 結局、俺には動きが追えなかったんですけど」
マグカップを口に運ぼうとしていた柊耶がぴたりと止まって采希を見つめる。
「……うーん、うまく説明出来ないな。那岐くんもそうだと思うけど。采希くん、途中から僕たちを目で追わずに、正面に視線を固定したまま全体を『観て』いたでしょ」
今度は采希が動きを止める。
「…………気付いてたんですか?」
「うん。黎くんも以前、同じようにしていたから。やっぱり似ているなぁって思った。多分だけど、僕らの動きもそうだよ。相手の全体を見る。僅かな予備動作を見て、動く」
淡々と話す柊耶に、采希は苦笑する。どうやら柊耶や自分の弟は、自分には分からない感覚で、自分たちには理解出来ない領域で動いているらしい。
ふと宙に浮かんだまま柊耶と共に見た、黎が憑依された姿を思い出す。『知らない気配』だと思っていたが、どこかであの気配に出会っている気がした。
ぷるんと頭を振って、采希は頭に浮かんだ考えを追いやった。黎が話すまで待とうと決めた。
マグカップを持ち上げて、温かい液体を口に含む。
「柊耶さん、本当に凄いですね。俺の弟より速い動きを見たのは初めてです」
「そう? 那岐くんの眼は、いいね。確実に僕の動きを捉えていた」
弟が褒められた事に、思わず笑みが零れた。
「でも柊耶さん、霊能力は本当にないんですか? 気配と勘だけであそこまで見事に念を排除できるのが、今だに信じられないんですけど」
柊耶はマグカップから一口啜り、采希の眼を見つめる。
「……忍足って言うんだ、僕の名前」
「……え?」
「忍足 柊耶」
「…………おしたり、さん?」
柊耶がこくりと頷く。
「僕の家はかなりの旧家でね、古くはある一族の守護職をしていた。でも忍者とかそんなんではなくて、武道の流れなんだけど。僕は小さい頃から人より勘が鋭かったらしくて、気味悪がられていた。霊能力者やお寺のお坊さんやら、色んな人の所に連れて行かれたけど、みんな口を揃えて言ったんだ。『この子は得体が知れない』」
采希は思わず俯いた。
巫女ですらも、子供の頃は柊耶の深淵のような気配が少し怖かったと言っていた。
あの巫女でさえそうなんだから、常人には理解できない恐怖の対象だったんじゃないかと思ってしまった。
「当然、友達も出来なくていつも一人ぼっちだった。気味悪がられるのが嫌で、いつも気配を消すようにして過ごしていたよ。でも五年生になった時、転校してきた黎くんと同じクラスになって。『忍足くん? 君、すごいね』って僕に話し掛けてくれた」
『忍足くん? 君、すごいね』
『は? えっと……』
『俺は宮守黎って言うんだ。君は、普通の人とは気配が違うよね』
『……ごめんなさい……』
『どうして謝るの?』
黎くんは、心底理解できないというように眼を丸くした。
『だって……気味悪いでしょ、こんな僕……』
『……誰かに、そう言われたの?』
黙って頷く僕に、黎くんは優しく笑ったんだ。
『あのさ、俺んち、除霊なんかを請け負っている仕事をしてるんだ。俺も手伝っている。だから君が何かの力を持っているのが俺にはわかるんだ。君の力は、うちの一族からしたら喉から手が出るほど羨ましい力だと思うよ。だから、堂々としていればいい』
『え……? そんな凄い仕事をしているの?』
『俺はまだまだ下っ端だけどね。一族の中でも、能力が顕現する者は少ないんだ。──俺も本当は遠い親類なんだけど、たまたま力を持って産まれたから、今の家に引き取られた』
『家族と離されたの?』
『うん、一族に生まれた能力者は本家の仕事を手伝う事になってるから』
『家族といられなくて、寂しくないの?』
『二度と会えない訳じゃないし、本家のみんなも優しい。修行は大変だけどね。……あのさ、俺の本当の名前は、如月 黎士郎って言うんだ。引き取られた時に、一族の都合で本当の名前は伏せられたんだよ』
『……その名前、僕に、教えていいの?』
『言わないようにって婆様に言われてる。でも何となく、君には知ってもらいたい気がした。友達になりたいから』
そこまで聞いて、采希は柊耶を制するように手を上げた。
「黎さんは、柊耶さんにだから教えたんですよね? 今、俺に喋っちゃってますけど……」
「だって、采希くんはもう知っているでしょ?」
采希は思わず目を伏せた。黎の真名の中に、『きさらぎ れいしろう』という名が組み込まれているのを采希の能力は読み取っていた。
「……柊耶さん、そんな事まで気付いていたんですか?」
「うん、采希くんが黎くんを呼ぶ時の声のトーンで」
それは、ちょっと怖い、と采希は苦笑する。
「──黎くんだけが気配を消していた僕を見つけてくれた。自分ですら否定していた僕の存在を認めてくれた。……だから僕は、黎くんを護るって決めたんだよ」
だから、あの時。
「……危険だって分かっていて……あきらでさえ躊躇した策を……」
「まさか采希くんに護ってもらえるとは予想外の幸運だったけどね。例えこの身体に何が起ころうと、僕に出来るなら全力を尽くそうと思っていた。僕の一族が護っていた血脈はもうないけれど、僕は黎くんを護るためにいる。──だから、采希くんには本当に感謝している」
「…………」
「僕をあそこまで運んでくれて、土地神の攻撃を身を呈して庇ってくれた。おかげで僕は、これからも黎くんの力になることが出来る。──そのお礼が言いたかったんだ」
不意に、采希の眼から涙が零れる。
常人とは違う、自分たちとも違う異質な力を身の内に抱え、幼い頃から苦悩していた柊耶。自分には幼い頃から話の通じる弟がいつも傍にいたし、黎は家業のためにその力は歓待されたはずだった。
(……そうだよな……能力者であることが、誰にでも受け入れてもらえるとは限らないんだ……)
周りに──両親にすら恐れられるのは、どんな孤独だったんだろう。
(その柊耶さんの心に、最初に光を与えたのが黎さんなのか……)
采希には柊耶の気持ちが少しだけど分かった気がした。
自分の存在を認めてもらえることがどれだけ嬉しかったか、采希は自分の経験で知っている。
──柊耶とは比べられるはずもないけれど。
「……采希くん?」
急に俯いて足元の土に涙の染みを落とした采希を、柊耶が心配そうに覗き込む。
「……こちらこそ……柊耶さんが居なかったら、子供の頃の俺は、戻って来れたか分からないし。柊耶さんのおかげであんなモノを封じる事が出来たし、本当にどうお礼を言ったらいいのか……」
鼻を啜りながら言うと、柊耶がちょっと困ったように口元に手を当てる。
「……正確に言ったら、君を取り戻したのはあきらちゃんの力だけどね」
「でも柊耶さんが記憶を封じてくれたおかげで、あきらの封印も効果があったんだって聞いてます」
「僕の暗示は単なる切っ掛けだ。君自身が内包している能力を呼び起こしただけなんだよ。僕も後で気付いたんだけど」
「それって、どう──」
「──あ!」
急に何かを思い出したように声を上げられ、采希はちょっと驚いて身体を引いた。
「……?」
「采希くんは自分の意思で身体と精神を切り離すことはできるの?」
「……できないと……多分」
この人は、突然何を言い出すんだろう? と訝しんだ表情には気付かず、柊耶が独り言のように呟いた。
「あのさ、これは僕の推測なんだけど……采希くんを取り込んだ状態の琉斗くんになら、あきらちゃんがいる所まで自在に行けるんじゃないかなって」
「幽体離脱の方法ぉ?!」
朝食の味噌汁を椀によそっていた黎の声が裏返る。
「なんだそりゃ、何のために?」
どう説明したらいいのか躊躇した采希に代わり、柊耶が昨夜の話を繰り返す。
「……琉斗の中に? ……確かに、采希が憑依した琉斗は青龍の力に頼らずに覚醒できてたみたいだけど……」
黎が考え込む。
「琉斗には人の念が効かない……そして采希は神様系の呪に対応できる。……あきらの元に到達さえできれば、もしかしたら……」
ぶつぶつと呟く黎に、琉斗が少しじれったそうに意気込む。
「やってみよう、黎さん! それであきらを救えるなら──」
身を乗り出す琉斗の頭を、采希は後ろから思いっきり叩く。
「采希……」
後頭部に手を当てて、涙目で見返す琉斗の胸倉を掴みあげる。
「だ・か・ら! そんな簡単にはできないっつってんだろ! このポンコツ!!」
「どうしてだ? 采希は何度も身体と心を分離させているじゃないか」
「俺の意思で出来た事なんて、一度もないって何度言わすんだよ!」
ぎりぎりと琉斗を締め上げる采希を余所に、黎と柊耶、そして那岐が顔を見合わせる。
「黎さん、僕は采希兄さんが琉斗兄さんの中にいた状態が、これまでの中で最強に見えたんだけど……」
「そうだな、俺もそう思った。あの状態なら多分、あきらの能力を余裕で凌ぐだろうな。しかも封印されていない力を完全に制御していた」
「うん、僕にもそう見えた。普段の采希くんの闘いぶりは時々遠くから見ていたけど、格段の差があったと思うよ。反応速度とか、琉斗くんの身体の方が采希くんには動かしやすいんじゃないかって」
「そうなんだよな……いつもは采希の意思に身体がついて行けないようだしな」
「采希兄さん、身体を動かすのを億劫がるから……」
「基礎体力が無さすぎだな。俺もあまり得意な方じゃないが」
「黎くんは気を巡らせて補ってるからねぇ……」
話の流れが嫌な方向に向きそうだと気付いた采希はそっと琉斗から手を離す。
この面子を相手に特訓なんぞされた日には体力がもつはずがない。
采希は黙ったまま後退り、静かに居間を抜け出した。
ぼんやりと顔を上げた采希の前には、丸まって眠る少女の姿が浮かんでいる。
屋敷の裏手、四阿の椅子に腰かけ、じっと見つめる。
微かな声──まだ幼い声が風に乗って運ばれる。
『おおきなしろいねこさんと、いっしょにあそびたかったんだ。でも、あきらがおおきくなっても、ねこさんにはあえないんだよ。あきらは さいごのみこさまだから、このちからは おおがみさまにささげて、きえるんだって』
巫女の、先見の予言だ。唐突に、そう確信した。
おそらくは、巫女が幼い頃に発した言葉を自分がサイコメトリーしているんだろうと采希は思った。
(大神さまに捧げて、消える……?)
「……その言葉のままだな」
采希の背後から、いつの間にかやって来た黎が答える。
「大きな白い猫さんって……」
「白虎のことだな。子供の頃のあきらがお前の白虎をそう呼んでいた」
「最後の、巫女? 消えるって、……もう、戻っては来ない、って事ですか?」
「……先見の予言通りなら」
黎の声が、少し震えている気がした。
采希は後ろを振り返らずに、口元を引き結んで顔を上げる。
眼の前の幻影に両手を差し伸べた。
あきら、お前が見ているのは、『可能性の未来』だろ?
そんな未来なら──
「俺がお前の先見の予言を覆す。そんな可能性が、あってもいいよな?」




