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巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第15章 翹望への羅針盤
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第79話 導きの霊鳥

采希(さいき)兄さん、都合が悪いって、どういう事?」


 家で夕飯を食べた後、榛冴(はるひ)は母屋のソファーで寝そべる采希に声を掛けた。

 腹の上で猫のアルビオンを遊ばせながら、采希は少し考えるように視線を泳がせる。


「あの神社の神様がな、とても薄っすらとしか視えなかったんだ。だから、場を整える必要があるかなって」

「……いらっしゃるのに、視えなかったの?」

「うん、御不在ではなかった。──多分、神様の通り道があのループ霊道にぶつかったせいで、神様が身動きできなくなったんじゃないかと思う。しかもあの霊道、損傷しているせいで霊道から霊が溢れていたしな。その穢れが神社まで届いているように視えた」

「……お社が穢れに遭っているってこと? それって、大変なんじゃないの?」


 少し焦ったように榛冴が言うと、そこに凱斗(かいと)がやって来た。──何故か、庭に面した大きな窓から入って来る。


「おかえり、凱斗。どうだった?」

「うん、采希の言った通りだった。霊道を通じて神社まで邪気が届いている。霊道が通っている場所は一通り確認してきたぞ」


 凱斗が夕食後にふらりと居なくなってからそんなに時間は経っていない。

 短時間でどこまで行ってきたのかと榛冴が怪訝に思っていると、それに気付いた凱斗が榛冴に笑顔を見せながら采希の傍に座った。


「ちょっと、姫さんと一緒に見て来た。ナーガの眼も借りたから、間違いない。俺にはよく視えないし、ましてやあの神社までの距離を遠見はできないからな」

「……姫ちゃんと? じゃ、空を飛んで?」

「うん。この時間なら、誰かに見られる事もないと思って」


 ゆっくりと采希がソファーから身体を起こす。


「それで采希、霊道の修復は出来そうなのか?」

「修復も、軌道修正も問題ない。ただ──」


 言い澱む采希の隣で、凱斗が先を促すように顔を覗き込む。


「神様の通り道を浄化する必要があると思うんだけどな」

「うん」

「俺には、無理かなって」

「……無理なのか?」

「……多分」

那岐(なぎ)炎駒(えんく)でも?」


 采希がそっと首を横に振る。

 榛冴は口元に手を当てて、俯いた。炎駒でも無理と言う事は、あまり浄化が得意ではない凱斗の力が通用しないからなのだろうと思った。

 それ以前に、采希が浄化できそうにないとまで口にしたのは初めてだ。


「……無理、なの?」

「凱斗なら神社の場を浄化することは出来る。だけど、()()()穢れを祓うことは出来ないんだ」

「どうして?」

「俺も凱斗も、祝詞(のりと)を唱えられない」


 榛冴の大きな眼が見開かれた。

 思った以上に困難な状況に、采希と凱斗が困ったように顔を見合わせている。


「霊道の方は、大丈夫って……」

「ああ、それは問題ない。陸玖(りく)くんの依頼はすぐにでも解決できる。だからこれは、俺が個人的にどうにかしたいだけだ」


 陸玖の依頼である、亜妃(あき)の部屋の怪現象を解決する事はできる。でも采希にとっては、それだけじゃダメなんだろう、と榛冴は納得した。

 見知らぬ神様が、困っているのを知ってしまったから。それを放置できるような従兄弟ではない。



「采希兄さん!!」


 那岐が勢いよく飛び込んで来た。こちらも庭に面した窓からだ。

 玄関ではなく窓から平然と出入りする凱斗と那岐に、榛冴はそっと溜息をついた。


「思い出した! (れい)さんに繋いで!」

「那岐、どう言う……」


 那岐に問い掛けようとした采希がふと考え込む。


「──あ、そうか。その手があった」

「ね?! これで万事解決でっせ!」


(──だから、説明をしてくれ。きちんと)


 榛冴は声に出すのを諦めた。



 * * * * * *



 さっきからずっと助手席で話し続ける声に、陸玖は適当に相槌を打ちながらそっと溜息をつく。


 どうしても今日までに仕上げなくてはならない書類があり、采希に一日猶予を貰った。

 どうにか書類を上司に提出し、定時に上がれそうだと考えていたところでスマホのメッセージに気付く。


(……これ、誰だ? ああ、亜妃ちゃんの友人とか言ってたっけ。無理矢理アドレス聞き出されたんだったな)


 陸玖は彼女にあまりい良い印象はないが、亜妃のお見舞に行きたいから連れて行ってくれとのメッセージを無下に断るのはどうかと思った。

 指定の駅で乗り込んで来た亜妃の友人は、車中でも病室でもずっと一人で喋っている。──時折、声が裏返るようなその口調が、何となく陸玖をイラつかせた。

 何か必要な物があれば部屋から持ってくると主張する友人に、亜妃も遠慮ではなく丁重に断ったのだが、食い下がる友人に渋々着替えを頼むこととなった。

 鍵は陸玖が預かったままだったのを知り、友人の顔が一瞬醜く歪んだのを陸玖は見逃さなかった。


「亜妃ってぇ、結構男にだらしない所があるんですぅ。亜妃、ちょぉっと可愛いもんだからぁ、周りの男もすぐ騙されちゃうんですぅ。陸玖くんもぉ、気を付けてくださぁい」

「いや、別に亜妃ちゃんとは、そういうんじゃないから」


 正面を向いたまま陸玖が抑揚無く答える。


「そぉなんだぁ。亜妃、自信家なのに可哀想ぉ」


 いい気味だとばかりに歪んだ笑みを見せ、女は嬉しそうにまた捲し立てる。二つのお団子に派手なシュシュを付けた頭を小刻みに振りながら、今度は女の自分アピールが始まった。


(……うるさいな)


 やたらと拳を顔の近くに持ってくる仕草と、いちいち上目遣いに瞬きを繰り返す女に視線を向けないようにしながら、陸玖は余所行きの笑みを作る事すら億劫に思った。




 ようやく着いた亜妃の部屋に入ろうとして、陸玖は僅かに躊躇する。


(──昨日、采希さんが中をキレイにしてたけど……今日は大丈夫なのか?)


 亜妃の友人だという女は勝手に一人で、部屋に上がり込んで行った。



 さっき病院を出た直後に榛冴に電話してみたが、榛冴ではなくて凱斗が出た。


『今、榛冴は(みそぎ)の最中なんだ。だから代わりに出てくれって言われたんだけど……急ぎの用?』

『あ、いえ、ちょっと聞きたい事があったんですが、忙しいなら結構です。すみませんでした』

『……陸玖くん、この間は悪かったな。こっちも一応、筋を通さないといけなくてさ。明日は、俺も協力するから』

『あ……ありがとうございます。よろしくお願いします』


 凱斗を怒らせたのではなかった事にほっとしたが、采希に代わってもらえばよかったと通話を切ってから思い付いた。



(何となく……嫌な感じなんだけど……)


 恐る恐る見渡しながら玄関をくぐった陸玖は、亜妃がリビングに使っている部屋で眼を疑った。

 無遠慮に陸玖より先に部屋に上がり込んでいた女が、仰向けに泡を吹いて倒れている。


(──!!)


 驚く陸玖の背後から肩越しに誰かの息が掛かる。


《──つかまえた》


 陸玖の喉が大きく震えた。



 * * * * * *



 那岐と二人で榛冴の気を整えていた采希の身体が、びくりと跳ね上がった。


「兄さん?」


 那岐が怪訝そうに首を傾ける。


「……榛冴、ヤバい。陸玖くんがあの部屋に入った」

「……え?」

「昨日ナーガに吹き飛ばされて、怒り心頭の霊が再び溢れたあの部屋に、行ったらしい」


 采希の言葉に、榛冴は思わず息を飲む。


「ちょ……そん……行かなきゃ!」


 慌てて立ち上がると、采希に腕を掴まれた。


「離して、采希兄さん!」

「待て。──俺たちも行く。那岐、朱雀を呼べ」


 三人で顔を見合わせ、こくりと頷き合う。

 急いで窓から庭に出ると、朱雀が待っていた。


「待ってくれ、俺も行く!」

琉斗(りゅうと)、お前は家で待ってろ」


 采希の言葉に小さく首を横に振った琉斗が、白狼を呼び出してその背に乗った。

 白虎に跨った采希が諦めたように正面を見据えた。


「……行くぞ」


 朱雀は音もなく亜妃の部屋を目指して舞い上がった。



 * * * * * *



「陸玖くん!!」


 亜妃の部屋に飛び込むと、陸玖が蹲るように座り込んでいた。

 肩に手を掛けると、陸玖がゆっくり顔を上げる。ひどい顔色であることを確認し、榛冴の表情が歪む。


「……大丈夫? 今、気を整えるから」


 陸玖に手を翳して気を送ろうとすると、何者かが榛冴の背中にずしんと乗った気配がした。怖くて振り返る勇気はない。


「ヴァイス! 榛冴を!」


 采希の声に従い、白虎が前脚を振るうと、榛冴の背中が軽くなった。

 少しずつ陸玖に気を分けながら、榛冴は采希達の闘いを視界の端で確認する。

 狭い室内では大きな弓の琥珀を扱えないためか、采希の手には両端が長く変化した金剛杵が握られている。

 那岐も三節棍を振り回し、琉斗の手には刀の紅蓮が収まっていた。

 いつのまに采希の力を受け取ったのだろうと思いながら、榛冴は管狐を呼び出した。


「綱丸、兄さんたちを手伝って。白虎さま、少しの間でいいから護りをお願いします」


 陸玖の呼吸が苦しそうだ。顔色も全然良くならない。


「陸玖くん、苦しい?」


 榛冴の声に応えようと口を開くが、陸玖は音を発することが出来ない。どうやら眼もよく見えていないようだ。


「采希兄さん、どうしよう……」


 どこからともなく湧いて出て来る霊の集団を相手にしていた采希が、大きく腕を振りかぶり、そのまま床に拳を叩きつける。

 一瞬、眩しい光に包まれ、消えた後には部屋の中から霊の気配がなくなっていた。


「……え? 今のって?」

「昨日ナーガがあいつらを吹き飛ばしたのと同じ気。……うーん、ちょっと弱かったか」

「……采希兄さんにも出来るんだ」

「いや、そう簡単じゃないんで出来れば使いたくない。あの気を練り上げるのに、かなりの時間と気力が必要だから。ナーガでもまだ復活してないようだしな」


 そうなのか、と榛冴は部屋を見回す。

 それほどこの部屋の状態は悪いという事か、と思った。

 一息ついた琉斗と那岐も陸玖の傍に寄ってきた。全員で陸玖を見守るような感じになり、陸玖がほんの少し笑うように眼を細めた。

 その眼が一瞬、見開かれる。


 気付くと榛冴は、陸玖の腕の中で天井を見上げていた。

 陸玖の身体が榛冴に圧し掛かっている。その陸玖にさらに覆い被さっていた身体がずるりと床に落ちる。


「采希!!」「兄さん!!」


 榛冴を庇おうとした陸玖と、榛冴と陸玖を護ろうとした采希。その采希が床に意識もなく倒れている。

 どんっ! と言う和太鼓のような音と共に、琉斗の身体が青い炎に包まれた。

 那岐の手から噴き出した朱金の炎と琉斗の拳が何かの塊に繰り出され、断末魔の声と共にひと筋の煙となって消える。

 すぐさま琉斗が采希の元へ駆け寄った。


(──何? 何が起こって……采希兄さん、陸玖くん!)


 焦りながらも榛冴は自分の身体をずらして陸玖の身体を仰向ける。

 その口元から僅かに血が流れて来た。


「陸玖くん! ちょ、大丈夫?!」

「榛冴、ちょっとどいて」


 那岐が陸玖の身体を床に横たえる。すぐさま那岐の気が陸玖の身体に送り込まれた。


 琉斗が采希を抱き起し、そっと額に触れる。


「采希……意識はないか。ヴァイス、采希の身体に戻れ。回復を頼む。──瀧夜叉、いるか?」


 琉斗の声に応え、古風な(うちぎ)姿の姫が現れる。


「さっきのヤツと似たような極悪霊がまだ外にいるようだ。一掃したい。お前の力で一か所に集められるか?」


 呪術の姫がゆっくりと頷いて、窓をすり抜けて外にでる。


「三郎殿、手伝ってくれ。一気に消滅させる」

《──心得た》


 武将の声だけが聞こえた。


(……琉斗兄さん? あ、覚醒したんだ。それにしたって、いつもの琉斗兄さんじゃない。まるで采希兄さんみたいだ)


 琉斗が采希の身体をそっと横たえる。采希のジーンズのポケットを探って、巫女の水晶を取り出し、水晶に向かって話しかけた。


「あきら、まだ眠っているとは聞いているが──采希の回復を頼みたい」


 榛冴は眼を見張る。ほとんど意識のない巫女に、何を言っているのだろうと思った。


《相変わらず、采希は無茶してばかりだな。琉斗、お前が護ると言っていたのに、そのザマか?》


 水晶から巫女の声が聞こえた。少し籠っているように感じられた。


「説教は後でいくらでも受ける。頼む、あきら」

《問題ない。大神さまが気を送ってくださる》

「すまない。──では、任せた」


 そう言い終えると、琉斗は水晶をそっと采希の身体の上に置く。労るように琉斗が采希の前髪をかき上げた。

 水晶が内部から光を放つのを確認して、琉斗が立ち上がる。


「那岐、お前は陸玖くんの回復を。大丈夫だな?」

「うん、もうすぐ終わる。琉斗兄さん、外の鬼退治、よろしく」

「──任せろ」


 きっ、と窓の外を睨みつけ、琉斗は真紅に輝く紅蓮を握り直す。


(ちょっと、カッコいいんじゃない? 琉斗兄さんのくせに)



 * * * * * *



「さっみ~……琉斗、何もこんな朝早くさあ、いきなり山の上に連れてくるとか……何のお仕置きだ?」


 ぶつくさとうるさい凱斗には応えず、琉斗は黙々と山道を登る。

 榛冴たちは今頃、車でここに向かっているはずだった。

 陸玖の車は乗れても五人までなので、凱斗と琉斗は地龍の姫の背に乗せてもらって、空から神社を目指した。


「もう少しゆっくりでも良かったんじゃね? あいつら、まだまだ着かないだろ?」

「いや、俺たちには先にやることがある。そのために別行動になった」

「ほえ? やること?」

「ほとんどお前の仕事だ、凱斗」


 嫌な予感を感じたように、凱斗の口元が引きつるように歪む。


「──まあ、多分その顔で正解だな」

「……えっと……琉斗? 仕事って……」

「ああ、着いた。この鳥居の向こうだな。──ほら、鳥居をくぐる前に一礼しろ」


 困ったように眉根を寄せたまま、凱斗が小さく一礼する。手水場で両手と口を漱ぎ、お社に向かって歩き出す。


「なぁ琉斗……あ! 参道の真ん中は歩いちゃいけないんだっけ?」


 妙なところで真面目な兄に、琉斗はちょっと笑ってみせる。


「そういう説もあるらしいな。神様がお通りになるから、とか。色んな意見があってどれが正しいのか俺には分からん。──だが俺は、神様に伺うのに真正面から突っ込んで行くのはどうかと思うから、真ん中は通らないように心掛けている」


 ちょっと考えるように視線を彷徨わせた凱斗が、納得したように何度も頷く。


「確かに。神様にメンチ切るのは良くねえな」


 形通りの参拝を済ませ、お社の脇にある小さな御堂にも手を合わせる。


「──で? ここで何すんだ?」

「……また、采希の話を聞いていなかったのか。誰かが霊道を移動させて、霊道がループしたまま亜妃さんの部屋を通っている。ループしたその一部が神様の通り道を塞いでしまっているんだ。そのせいでこの神社の神様の御力が弱まっている」

「うん。それは知ってる」

「……このままだと鎮守の意味をなさない。だから俺たちが──凱斗、聞いてるのか?」


 凱斗の視線は琉斗の背後、お社の方を見つめている。


「琉斗、あれって……」


 怪訝に思いながら振り返ると、真っ白な長い髭に真っ白な(かみしも)を身に付けた老人がこちらに向かって頭を下げている。

 ご丁寧に、仙人のような長い杖を持っていて、琉斗は怪しい者を見るような目つきになってしまった。


「まさか、ここの神様?」


 恐る恐る指差す兄の手をそっと降ろさせる。


「神様を指差すとか、罰当たりか」

《いや、お気になさらず。私は遣いの者ですゆえ》

「……神様の、お遣いの人?」

《はい。この度、皆様がご尽力くださるとのこと、龍神様より伺っております。主も心待ちにされておりました。どうぞよろしくお願い申し上げます》

「龍神……ナーガのこと? 神様たちって仲良しなの? ご尽力って、何すんの?」


 神様本人ではないと分かって、へらへらと話し出す凱斗の脇を肘で小突く。


「いや兄貴、ちょっとは遠慮ってもんを……と言うか、きちんと敬え」


 さも可笑しそうに神様の御遣いの老人が笑う。


《あなた方が先陣でございましょうか? 場を整えるためにおいでになられたとお見受けいたしますが》

「──流石、もうバレていましたか。貴殿の仰るとおり、こいつの身体の中には神域と同じ位の【場】が存在します。なので、ここで開放して、まずはこの神社の気を整える手筈になっています」


 琉斗の言葉に、凱斗から表情が消えた。


「…………マジ?」

「ああ」

「俺に……出来ると思う? 全っ然コントロール出来ないんだけど……」

「そのために瀧夜叉に付いて来てもらった。──瀧夜叉、いるな?」


 微笑みながら、瀧夜叉が現れた。どちらかと言えば笑われているのだろうと琉斗は嘆息する。


「凱斗、金剛杵は持ってるだろうな。それを──あ、采希!」


 鳥居の向こうから、みんながやって来るのが見えた。




「早かったな。こちらは全く用意できていないんだ」

「そうみたいだな。──どうだ、いけそうか?」


 采希が凱斗の調子を聞いているのだろうと判断し、琉斗は首を振る。


「……俺には無理そうに思える。『心の準備』に時間の掛かるヤツだし、どれだけ待たされることやら」

「…………そうだな。じゃ、予定通り手伝ってもらうか」


 琉斗と凱斗が『誰に?』と、聞く暇もなく、采希が西の空に視線を向ける。遥か遠くに富士山が薄っすら見えた。

 ざあっと風が通り過ぎ、采希の視線の先には黒い雲が浮かんでいる。

 榛冴の眼には、その遠くの雲の正体が分かった。


(……違う、雲じゃない……あれは、鳥? 烏の群れだ)


 急速に近付いてきた烏の集団は、采希の上空で円を描くようにして留まる。

 その烏たちが一瞬、誰かの大きな手で掴まれたように球状に集まり、細長くなって地上に降りて来た。

 ぱぁっと羽根が飛び散ったと思うと、そこには──。


「黎さん!」

「──予定より早いな。何かあったのか?」


 采希たちを見渡しながら、黎が尋ねる。榛冴には心なしかその身体の輪郭がぼやけているように見えた。


「すみません、場を整えるのに凱斗の力を引き出したいんだけど、時間がないんで黎さんに手伝ってもらいたくて」


 采希の説明で即座に状況を理解したらしい黎が、凱斗の前に立つ。


(やっぱり少しぼやけて視える……僕の眼がおかしいのか?)


 凱斗に座るように促し、手を翳して何やら詠唱している黎の背中を首を傾けながら眺める。

 榛冴の様子に気付いた采希が、そっと榛冴の肩に手を置いた。


「一応、言っとく。──あの黎さんは実体じゃない」

「……僕の考えてる事が分かった?」

「まあな。──凱斗は大丈夫だ。すぐに炎駒の力も発動する。だから、お前はこっち」


 采希にそっと背中を押され、崖の手前にある柵の傍まで導かれる。眼下に広がる街並みを指差された。


「彼女の住んでるのは、あの辺。霊道、視えるか?」

「……うん。って言うか、霊道ってこんなにたくさんあったんだね」

「そうだな。とりあえず、問題の霊道を俺と那岐で移動させる。ループしている軌道を修正して、その先にある山の霊道に繋げる」


 榛冴が頷こうとしたその時、自分たちのいる神社の境内が真っ白な炎に囲まれた。


「場が、整ったな。──じゃ、行くか」



 * * * * * *



 突然、境内を取り囲んだ真っ白な炎に陸玖が息を飲む。

 驚く陸玖を尻目に榛冴たちは平然としていて、陸玖は落ち着きなく身体を揺すった。


(……何、これ? なんでみんな、当たり前のような顔を……)


 この数日、陸玖は驚かされてばかりだった。これが、榛冴が隠していた力なのか、と身体がぞくりと震えた。

 信じがたい出来事を実際に目の当たりにすると、思考も身体も動かなくなるんだと、そう思った。


 烏の群れから唐突に現れた男性は、一瞬、陸玖が采希かと見紛うほどに似ていた。しかも実体じゃないと聞こえ、陸玖は眼を細めて凝視する。

 采希は、那岐と共に街を見下ろせる場所で二人、何やら遠くを見つめていた。


(何を、しているんだろう?)


 思わず榛冴を振り返ると、陸玖の戸惑いを理解したかのように頷く。

 黙って陸玖を手招きして肩に手を乗せ、街の一角を指差した。


(──何が……あ……亜妃ちゃんの部屋から何かの、線? いや、霊道とか言っていた、あれか)


 かなり遠いにも関わらず、何故か陸玖の眼にははっきりと見える。

 どこかから彼女の部屋に向かい、円を描くようにループしていた道がゆっくりと動いている。

 彼女の部屋から離れ、道の先が徐々に伸びて遠くの山に向かって行くのが分かった。


「どう? 見える? 彼女の部屋に留まって悪さをしていた霊はこれで一掃されるよ。──采希兄さんたち、凄いでしょ?」


 嬉しそうに榛冴が笑う。

 榛冴がどうにかして陸玖にも視えるようにしてくれたのだと、ようやく気付いた。

 作業が終わったのか、那岐と頷き合った采希が榛冴のところに戻って来る。


「采希兄さん、終わったの?」

「ああ。──あとは、お前に任せるぞ」

「ふふっ、そう言いながら采希兄さんはいつもこっそり手伝ってくれるよね。今日も、頼りにしてるから」


 にこにこと応えながら、榛冴がお社の階段を昇る。拝殿の入口に立ち、中に一礼して振り返るとその場に正座した。


「琉斗、紅蓮を連れて榛冴の背後に立って。那岐、階段の下で待機。道が出来たら後押ししてくれ。凱斗、炎駒を借りるぞ」


 采希の指示でそれぞれが位置に付く。

 ふと采希が陸玖を振り返り、ちょっと考えてから陸玖を手招きした。


「陸玖くんは俺の近くにいてくれ。変な場所にいると巻き込まれるから」


 何に巻き込まれるのかは、聞かない。聞きたくなかった。

 黙って采希の真後ろにぴたりと張り付く。


「黎さん、八咫烏、お借りします」


 烏の群れから現れた黎が、采希の声に頷いた途端にその姿を変える。

 通常の烏よりも遥かに大きな三本脚の烏が、ふわりと舞い上がる。


「じゃ、榛冴、行くぞ」


(──上代? 身体が光って……ああ、那岐さんの言ったとおりだ)


 榛冴が静かに眼を閉じ、ゆっくりと両腕を前方に差し出す。その身体からはきらきらと光が溢れていた。

 身体の周りを光が粒子になって舞っているようだ。ふわふわと漂っているのは花びらだ。

 一体どこから現れたんだろう、と陸玖は思った。

 何かを呟いているようだけれど、陸玖には聞こえない。

 ゆっくりと開かれた眼は、淡い金色に見えた。


 榛冴の傍近くに舞い降りて来た三本脚の烏は、何かを導くように西の空へ向かう。

 拝殿の奥から小さな光の珠が飛び出し、その後ろを追うように西へと向かった。


「……大丈夫そうだな」


 満足そうに采希が微笑む。


「あの……今のって? 説明して貰ってもいいでしょうか?」

「ああ、ここの神様のために道を繋げたんだ。あの鳥は八咫烏っていって、導きの霊鳥って言われている。だから、八咫烏に神様を先導してもらったんだ」


 拝殿から飛び出した小さな光が神様と聞いて、陸玖は驚いた。神様の姿って見ていいのか、と思わず口元を手で覆う。


「どこに、向かわれたんですか?」

「富士山」

「富士山?」

「ああ、富士山は霊峰と言われているからな」

「富士山に行けば、神様の力が戻るんですか?」

「多分。八咫烏が導いたんなら、そうだと思う。通り道や霊道は修復済だ」


 いつの間にか神社を囲んでいた白い炎も消えていて、みんなが集まって来た。


「榛冴、お疲れさま!」

「初めてにしちゃ、上出来じゃないか? やっぱり神様がらみは榛冴だな。采希、俺も頑張っただろ?」

「お前は黎さんのおかげだろう。ところで采希、俺が榛冴の背後に配置されたのは何でだ?」

「無防備になる榛冴の護り。ま、仁王像みたいなもんかな?」

「……仁王、像?」


 それぞれに笑いながら、神社の鳥居へ向って歩き出す。

 陸玖も歩きながら、そっと榛冴の隣に並んだ。


「上代、お疲れさま。──それと、ありがとう。これで終わったんだよね?」

「陸玖くんも、お疲れさま。こんなにあちこち移動させられると思わなかったんじゃない?」

「──そう、かも。亜妃ちゃんの部屋で全部完了すると思っていたのは事実。……ところで、僕らが誘い込まれたあの廃病院って、結局、何だったの?」

「それは──采希兄さん?」


 彼らの後ろで那岐と並んで歩いていた采希を、榛冴が振り返る。


「ループした霊道の一部があの廃病院の傍を通っていた。だから、榛冴に邪魔されたくない霊が脅しをかけて来たんだろうな」

「……ねぇ、それって僕がまだあの部屋に行く前から、僕は奴らに認識されてたってこと?」

「陸玖くんが亜妃さんに榛冴の話をした時から、奴らに監視されてたみたいだな」


 思いがけない采希の言葉に、陸玖はちょっと背筋が寒くなる。


「監視……? 僕にも何か憑いていたってことですか?」

「陸玖くんは気付いてなかったと思うけど、何度か僕や兄さんたちがこっそり祓い落としてるよ。他愛のない雑霊に視えたんだけど──采希兄さん、違ったの?」

「違わない。気付かれないように小者の雑霊を使ったんだろう。奴らの眼の代わりにしたんだと思う」

「奴らって? 誰か黒幕がいたってこと?」

「いや、黒幕ってほどじゃない。瀧夜叉と三郎と琉斗があっさり片付けたらしいしな。霊道自体はどこかの霊能力者が自分の都合で動かしたのが変な形で作用しただけだろう。迷惑な話だ」

「その霊能力者は気付いているの?」

「ちゃんと視えてすらいなかっただろうな。でなきゃ神様の通り道にぶつけたりしないだろ」


 二人の会話に、陸玖は再び背中がざわりとした。

 視えていない一般人には知り得ない所で、一体どれだけのことが起こっているんだろうと思った。

 しかも自分たちには対処する術もない。


「……霊感をもたない普通の人が、自分が知らない所で霊障を受けることって、多いんですか?」


 ちょっと愕然としながら問いかけると、采希がふわりと笑った。


「そんな事がないように、俺たちは頑張っているつもりだけどな」


「あ!!」


 そう言えば、まだ依頼料を払っていなかった、と陸玖は気付いた。

 恐る恐る、榛冴の方を窺う。


「あの……上代、こういう依頼って……相場はどれくらいなの?」


 一瞬、眼を丸く見開いた榛冴が、親指で後ろを指す。


「うちの稼ぎ頭に聞いて。依頼料は采希兄さんの口座に入ってそこから僕らに報酬が分けられる。僕らは歩合制みたいなもんだからさ」


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