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巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第15章 翹望への羅針盤
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第76話 榛冴の依頼

 待ち合わせの時間よりちょっと遅れて、彼は指定のカフェのガラス戸を開ける。ドアベルが軽やかな音を立てた。

 斜めに流した濃い茶色の前髪を軽くかき上げ、小洒落た店内を見渡す。

 少し細めの眼は、すぐに目当ての人物を見つけた。

 スマホを片手に頬杖をついて小首を傾げている。


 そういう仕草がよく似合う男というのもどうか、と思っていると、榛冴(はるひ)は彼に眼を留めて片手を挙げ、小さく振ってみせる。


「ごめん、待たせたかな?」

「ううん、そうでもないよ。まだ僕の頼んだパフェも来ていないしね。……あれ、陸玖(りく)くん、少し痩せた?」


(──パフェ、また頼んだのか……)


 榛冴が写真を撮るためだけに、大仰なクリーム満載のパフェを注文するのはいつものことだった。

 そんなに甘い物が好物という訳ではないことを彼──陸玖は知っていた。

 陸玖が店員に軽く手を挙げ珈琲を頼むと、間もなく榛冴のパフェが向かい合う彼らの間に鎮座した。

 ぱしゃぱしゃとシャッター音が続く中、陸玖は榛冴にどう切り出そうかと今日何度目かの思案をする。


(どんな話の持って行き方をしても、良い返事は無理かもな。最悪、絶交されたりとか……)


 高校時代から何かと仲が良い榛冴と陸玖だったが、相談する内容を聞いたら榛冴が嫌な気持ちになるであろうことは想像できた。

 陸玖からみた榛冴は、素直な好青年だった。人付き合いも上手で心根も優しい。隠し事はしても、嘘はつけない。

 男にしておくのが惜しいような可愛い風貌で、女の子からの人気も高い。

 本人は祖母によく似たその顔ではなく、もっときりりとした容姿が欲しかったと洩らしていた。


(……話すことで、上代(かみしろ)に嫌われたら……困るな)


 憂鬱な気分で小さく溜息をつく。

 陸玖にとって、榛冴の容姿は正直どうでもよかった。話上手で聞き上手、その素直な明るさに、何度も気持ちが救われた。


「どうかした? 陸玖くん、何だか今日は様子が変な気がするけど」


 撮影の終わったパフェから大量の生クリームを陸玖の珈琲に盛り付けながら榛冴が覗き込む。


「僕の珈琲をウインナコーヒーにしなくていいよ。食べきれないなら残せばいいんじゃない?」

「そんなの、作ってくれた人に申し訳ないじゃん」


 少し頬を膨らませる。

 陸玖としては甘い珈琲の気分ではなかった。生クリームが珈琲に溶け込んでいく。

 苦笑いしながら、陸玖は珈琲に手を伸ばした。


「あのさ、上代」

「なに?」

「僕の大学の同期の子がさ、就職を機に独り暮らしを始めてたんだけどね」

「……ふ~ん」

「どうやら困ってるみたいなんだ。同じサークルだったし、何とか力になってやりたいと思ってる」

「へぇ、それって、女の子?」

「うん」

「彼女?」

「いや」

「…………」


 妙な所で会話が途切れてしまい、お互いに視線が泳ぐ。


「去年、サークルの打ち上げで上代も会ってるよ。ほら、僕が無理に誘ったことがあっただろ?」

「ああ……どの子?」

亜妃(あき)ちゃん。肩までの髪がゆるっと波打ってた子」

「……他に情報はないの? それだと該当者が多すぎだよ。彼女でもないのに、心配して助けたいと思うんだ? 彼女にしたいと思ってるとか?」

「……特に興味はないけど。困ってる内容、聞いたら、上代も助けたいって思うんじゃないかと思って」


 陸玖の言葉に、榛冴の眉が訝し気に寄せられる。


「……何、それ? どんな事情で僕が助けたいと思うってのさ」

「上代──お前、『視える』だろ」


 たった一言で、榛冴が硬直した。

 瞬きも呼吸も忘れたように向かいに座る陸玖を凝視する。

 長い長い時間のように感じた。

 榛冴はゆっくりと息を吐き、手元のパフェをつつく。


「……視えるって、何が? それがその彼女と何の関係があるの?」


 榛冴の睫毛が小刻みに揺れているのに陸玖は気付いた。

 多分、背中は大量の汗が流れているのだろう、前髪の奥で額が汗びっしょりなのが見て取れた。


(本当に嘘が苦手なんだな……)


 榛冴を困らせたい訳ではなかったが、陸玖にはもう他に打つ手がなかった。

 榛冴が秘密にしたいと思っている事を口に出して疎遠になる事も怖いが、友達を巻き込むかもしれない事も怖かった。

 ちょっと唇を噛んで榛冴を見つめ、陸玖は意を決した。


「上代、これ──お前たちの事だろ?」


 スマホの画面を表示して差し出す。

 ちょっと嫌そうに斜めに覗き込んだ榛冴の顔色が一変した。



『何十年も放置されていた山中にある幽霊屋敷。そのお化け退治をしたのは某霊能者が率いる、一切表に出ない口コミだけの組織らしい。しかも今回実際に大量の除霊をしたのは、女系で有名だった神職の血筋に何故かこの代で五人も揃った、双子をはじめとするその一族の男性たちだった。月の名で呼ばれるこの組織は、政治家や大物芸能人、果ては海外の有名どころにまで顧客がいるらしく、あまりの効果の大きさに世間への情報は伏せられているようだ──』


「ちょっ……これ……」


 陸玖のスマホをひったくり、慌てたように画面をスワイプするが、途端に小さな画面が並ぶ中に収納される。


「それ、スクショだから。記事の出所を確認しようにも、もう削除されちゃってるからね」

「スクショ……」

「うん。双子を含む男性五人がお化け退治をした話はさ、投稿されてもすぐに削除される。まるで誰かが監視しているみたいに」

「……」

「他にもいるかもしれないけど、僕が知っている中で当てはまりそうなのは君たちだけだ。──上代、確かお前んち、昔は神職だったって言ってたよね?」

「……」

「お願いだ。お兄さんたちに会わせて」


 陸玖の真摯な願いに、榛冴は困り果てたように両手で頭を抱えてテーブルに伏せた。



 * * * * * *



「どんな理由があろうと、引き受ける事はできない。分かっているだろ、榛冴」


 凱斗(かいと)が珍しく真面目な顔で腕組みしたまま目を伏せる。不満そうに寄せられた眉、見るからにかなり不機嫌度は高そうだ。

 こんな顔の兄を説得するのが非常に困難であることを、榛冴は嫌になるほど知っていた。


「──あのね、陸玖くん、さっきも言ったけどさ、僕らは某組織からの依頼だけでそういった仕事をしているんだよ。勝手に動くわけにはいかないし……。それに、今、采希(さいき)兄さんはここには──」

「榛冴!!」


 凱斗が榛冴を制止する。采希の名前を出した事を咎められているのだろうと思った。

 陸玖はきちんと正座したまま困ったように目を伏せる。


「──でも……あのさ、凱斗兄さん、本当に困っているみたいなんだ。霊能力者って呼ばれる人にもお願いしたのに効果がないんだって。おまけにその部屋の住人はかなり欝っぽくなってるみたいで」


 気乗りはしないものの、さっき聞き出した内容をかいつまんで説明するが、凱斗は腕組みをしたまま微動だにしない。

 母屋の居間には榛冴と陸玖、そして凱斗がいる。

 いつも榛冴の味方をしてくれる琉斗(りゅうと)も、仲の良い那岐(なぎ)も、そして誰より親身になってくれる采希もいなかった。


(これが女の子の依頼なら絶対引き受けているのに……)


 以前勝手に依頼を受けた前科はあるが、それは催眠術の影響であり、実際、凱斗は誰の依頼であろうと引き受けるつもりはなかった。

 どうしても説得できそうにない兄に、榛冴はそっと溜息をついた。

 そんな榛冴の思案を躱すように凱斗が冷たく告げる。


「とにかく、引き受ける事はできないので、お引き取り願えますか?」



 * * * * * *



「酷いよ、凱斗兄さん! 僕の友達なのにあんな言い方しなくたって!」


 榛冴が金切り声で叫ぶ。

 その様子を見ながら榛冴の伯母・朱莉(あかり)はくすりと笑った。隣では榛冴の母・蒼依(あおい)が少し狼狽えている。

 息子たちの言い争いに困っている妹の肩を軽く押さえながら朱莉は思った。


(全く……凱斗は素直じゃないねぇ)


 凱斗が断ったのには理由があった。

 陸玖に対して凱斗が言ったように、采希たちは黎が率いる宮守の組織から厳選された仕事を引き受けている。

 問題はその采希だった。


 先日の除霊で琉斗が解いたはずの封印の鍵は、施錠の術がうまく稼働しなかったようだった。采希には隙間が空いているみたいに力が漏れ出すように感じられた。

 そのため、采希と琉斗、那岐の三人は現在、宮守の別邸で黎の保護下にいた。


(おかしな連中に狙われやすいあの力が駄々洩れじゃあね。落ち着いて普段通りに、って訳にもいかないし。でも那岐や琉斗まで行く必要はなかったと思うけど)


 榛冴の友人が依頼したかった内容は聞いていなかったが、残された凱斗と榛冴だけでは解決できるとは到底思えなかった。

 凱斗がどんなつもりで依頼を断ったのか、朱莉には予想がついていた。

 どう考えても霊障としか思えない現象を放っておけるようなお気楽さは、今の凱斗にはないだろう。

 朱莉は、素知らぬ顔をしている凱斗の耳元でまだ騒いでいる榛冴の肩を、ぽんと叩く。


「あのね榛冴、あんたたちは宮守の──朔の組織の指示で動くんだろ?」

「そうだよ! 何を今さら──」

「だから、あんたが(れい)くんに依頼すればいいんじゃないの?」

「──あ……」

「やっぱり気付いてなかったか。──お友達の彼にはまだ追い付けるんじゃない? ついでに、黎くんに采希の様子も聞いといて」


 ぱあっと顔を輝かせた榛冴が、つんのめりそうな勢いで家から飛び出した。


「……朱莉さん、甘いよ」

「なに言ってんだか。本当は榛冴に気付いてほしかったんだろうけど、あの子は友達の前で気持ちが焦ってたみたいだしね。最初から『俺が黎さんに頼んでやる』って言えば、榛冴の受けもよかっただろうに」


 悪戯っぽく笑う伯母を、凱斗は心底嫌そうな顔で見返した。



 * * * * * *



「今度はどうだ、采希?」


 不安そうに琉斗が采希の顔を覗き込む。少し眼を閉じ、采希は首を横に振った。


「……ダメだな。変わらない」


 がっくりと項垂れる琉斗の背を撫でながら、那岐が首を傾げる。


「僕にはきちんと封印されているように見えるんだけどね。いつもとそんなに違うの?」


 那岐の問いに、采希は自分の感覚を確認するように中空に視線を這わせる。


「そうだな、うまく言えないけど。なんだか、こう、きちんと蓋が閉まっていない感じ。どこかに隙間があるみたいな」


 那岐も困ったように口元に手を当てて小首を傾げる。


「……ペットボトルのキャップを斜めになったまま閉めちゃった、みたいな?」

「ああ、そんな感じかな、多分」

「原因は、何なんだろ? 采希兄さんも琉斗兄さんも、思い当たる節はないんだよね?」

「……あったらとうに対処してるだろ」


 意識が途切れる寸前の琉斗が開けた采希の封印の鍵は、事件後にきちんと施錠されたはずだった。

 手順はいつも通りだったし、龍神に確認しても原因は分からないと言われた采希は、不測の事態が起こらないよう、黎の所に転がり込むことにした。

 責任を感じた琉斗と、采希のサポートの名目で那岐も同行していた。



 封印については門外漢である黎は、困り果てながらも組織の情報部門に調べるように依頼していた。


『あ~……あきらになら解決できるかもな。俺には無理だ。封印ってのは、一体どうやるんだ?』


 真顔で黎に聞き返され、無言で滝のような汗を流していた琉斗を思い出し、采希は少し笑いがこみ上げてきた。

 ただでさえ説明の下手な琉斗が、龍神の力で感覚的に叩き込まれた封印の方法を説明できるとは到底思えなかった。


「他に、試していないことって何だろう?」


 那岐が天井を見つめる。


「試していないことか……」


 琉斗がじっと自分の掌を見つめている。


(……?)


「──俺の力が覚醒していないから、だろうか? 覚醒状態で封印したら、もしかして……」


 その可能性は采希と那岐も考えた。

 だが、その覚醒の発現が偶発性を帯びているため、頼ることが出来ないのが現状だった。以前は覚醒していなくてもきちんと封印が成っていた。


「采希──」


 意を決したように采希に向かって一歩踏み出した琉斗を手で制する。


「またお姉さんにお願いするのは不可」

「…………ダメなのか?」

「ああ。この間、お前を覚醒状態にしてもらったのは、完全にイレギュラーだから。あきらが取りこぼした案件だから、あのお姉さんが力を貸してくれたんだしな。──ああ、青龍から力を奪うなんて暴挙も、二度とするなよ」

「……その件については、俺は力を奪い取ったつもりは全くないんだが」

「それでも駄目だ。普通なら神霊から無断で力を引き出すとか、祟られても文句は言えないんだぞ」


 困ったように眉を顰める琉斗に、采希は口角をすっと横に引いただけの笑みを作る。


「俺はな、相手が例え万能の神様だとしても、一方的に何か頼みごとをするってのは好きじゃないんだ」

「そう言えば、兄さん、神社でもお願いごとはしないって言ってたね」

「……そうなのか?」

「そう。俺は、神社にはご挨拶に行く。──人ってさ、何の見返りもナシに誰かのために何でもお願いを聞くことって出来ないと思わないか? 親子や恋人同士だってそこまでは出来ないだろ。神様なら無償で聞いてくれるかもしれないって思うかもしれないけど、神様だってみんなのお願いを叶えていたらどこかで矛盾が生じる。だったら誰のお願いを優先するんだ? その優先順位は誰がどうやって決める? 信心深い人の順? それなら、神様も人間みたいに見返りを求めるって事じゃないか? ──まあ、そう思ったらむやみにお願いすんのはどうなんだろうな、って思ったってこと」


 どうせ説明の間に考える事を諦めるだろうと踏んでいた琉斗は、意外な事にじっと采希の眼を見つめて聞いていた。


「…………そんな風に考えた事は、なかったな。采希はいつもそんな事を考えているのか?」


 真面目に返されるとは思ってもみなかった采希は、眼を瞬いて思わず黙り込む。


「兄さんのそう言う話は、いつも面白いよ。僕とは違う視点で考えているところとか」


 嬉しそうな顔で片手に持った長い棒を器用にくるりと回す那岐に、琉斗がふっと破顔する。


「そうだな、興味深い。采希、もっと──」

「おおい! お前ら、ちょっと来てくれ!」


 黎の呼ぶ声が、道場の壁に貼られた紙の形代から聞こえて来た。



 * * * * * *



「黎さん、形代を通じて呼ばれると、びっくりするんで止めてもらえると──」

「便利だろ? 榛冴から連絡があってな。仕事の依頼だ」

「…………は?」

「正確には依頼者は榛冴の友達だそうだがな。お前が本調子じゃないことを心配してた。だから、どうする? 受けるかどうかはお前に任せる」


(榛冴が、依頼?)


 一体何があったのだろう、と采希は考える。

 しかも友達からの依頼と言う事は、また何かの事件に巻き込まれたんじゃないだろうかと心配になった。


「黎さん、榛冴から詳細は聞いていますか?」

「いや、榛冴もまだ相談されたばかりで状況が確認できていないようなんだ。どうやら霊障のようだが、榛冴もちょっと焦って余裕がないように感じたな」

「…………」


 どうしようか、と那岐が目線で問い掛けて来る。

 その視線を見つめ返しながら、采希は中途半端な状態の自分でも役に立つんだろうか、と考える。


「直接、榛冴の友達から話を聞いた方がいいと、俺は思うぞ。この件に関してはお前の判断でいい。何かあれば組織がサポートする」


 微笑みながら黎が右手を握ったまま、采希に差し出した。

 怪訝に思いながら手を出すと、掌にころんと乗せられたのは、紫水晶だった。

 以前巫女に貰った、剣を模った紫水晶。真っ黒に変色していたはずのそれは、以前の輝きを取り戻していた。


「──黎さん……」

「うん、浄化しておいた。──ごく稀に、あきらの声が聴こえる。寝言みたいだがな。お前の封印の助けになってくれるんじゃないかと思う。だから、持って行け」


 采希は手の中で光を反射する紫水晶を見つめる。

 きゅっと握り込むと、微かな波動が感じられた。


「榛冴がわざわざ助けを求める、と言うのは珍しいんじゃないか?」

「そうだね……。それより、そのお友だちがどういった経緯で榛冴に依頼したのかが気になるかな」


 采希の後ろで話を聞いていた琉斗と那岐が、顔を見合わせながらぼそぼそと話している。

 那岐の言った事は、采希も気になっていた。


「どう言う意味だ、那岐?」

「僕らがやっている仕事は基本的に秘密裏に行われている。世間にバレないよう、ある程度は黎さんの組織が後始末してくれているんだよ」

「……そうだったのか」

「うん、だからね、凱斗兄さんが拉致されたビルも今では何事もなかったように更地になっているし、地龍のいる秘湯もすっかりリニューアルされているらしいよ」

「そうか、じゃあ一度、行ってみないと。俺たちは温泉に浸かることも出来なかったしな」


「……琉斗、そういう問題じゃない」


 采希は額に手を当てて俯きながら首を振った。


「そこまで徹底した後始末をしているんだから、当然情報操作もしているだろ? なのに榛冴の友達は榛冴に依頼を持ち掛けた。だったらそのニュースソースはどこだ?」


 やっと気付いた琉斗の眉間が深い皺を刻む。


(偶然か──それとも俺たちに関わらせたい何かの力が働いた……? ……まさかな)

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