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巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第13章 清む常闇の巫鈴
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第66話 紫電の狂乱

 空間を切り裂いて、朱雀が滑空する。

 その大きな背には、那岐(なぎ)榛冴(はるひ)と気を失ったままの采希(さいき)が乗っていた。

 自分たちの身体の脇を、勢いよく景色が流れていく。かなりの速度に、歪んだその風景はほとんど確認できない。


「那岐兄さん、本当にこれで兄さんたちの所に行けるの? 僕、何の説明もされてないんですけど!」


 それはそうだろうと那岐は思った。自分にもよく分かってない。


(れい)さんが言うにはさ、一刻も早く琉斗(りゅうと)兄さんに封印の鍵を掛けてもらうようにって。このままだと采希兄さんの身体が危険なんだって。兄さんの意識がないから、白虎さんやガイアさん、ナーガ様の力は借りられないから。でも、琉斗兄さんはどこにいるか分からないでしょ? そしたら『お前の朱雀なら行ける。朱雀は時間と空間を跳べるからな。封印がない状態なら、多分采希にはあいつらの居場所が分かっているはずだ。采希の無意識に問い掛けてみろ』って。──ねぇ、これで分かる?」


 榛冴がぐっと返答に詰まる。

 那岐は黎に言われたとおり、采希に封印の守護者の居場所を問う。

『封印の守護者』、それは二番目の兄の事だ。その居場所を訊ねられた采希の元に舞い降りたのは那岐の中から引き摺り出された朱雀だった。


「──たぶん、何となく。ひとまず、琉斗兄さんの所には行けそうなんでしょ? 他の二人も一緒にいるとは限らな…………あぁ、いたね。……って、何? あれ、ロキさん? 琉斗兄さんは…… ──は? ちょ……どういう事?!」


 眼下の様子に盛大に騒ぐ榛冴を気にも留めず、那岐は采希の身体を抱えて朱雀から飛び降りる。

 那岐の視線の先には凱斗(かいと)陽那(ひな)。琉斗の姿はない。

 陽那が作った結界の上部から、その構造を壊さないように慎重に飛び込んだ。


「那岐さん! ……采希さん、どうされたんですか?」


 凱斗と陽那の前に着地した那岐は、陽那の問いには答えず、すぐに後ろを振り返った。

 炎駒と白狼が結界の外でたくさんの影のような物体と闘っている。


「琉斗兄さんは、どこ? ここにいないの?」


 慌てて詰め寄る那岐に、凱斗と陽那が無言のまま揃って那岐の背後を指差した。


「………え?」

「だから、あれ。あそこにいるのが琉斗」


 那岐は炎駒と白狼の動きをじっと見つめ、恐る恐る凱斗に向き直る。


「……まさか、ロキさんと同化したの?」

「よくわかんねぇけど、そうなんじゃない?」


 那岐は困り果てた。琉斗が白狼の姿になっているのでは、采希の封印に干渉できるか分からない。

 実際にどうやって封印するのかは知らなかったが、今の白狼の姿に琉斗の意識がどれ程反映されているかも分からなかった。


(──どうしよう……どうしたらいい?)


「それより、采希、どうしたんだ? 気を失ってるみたいだけど。いつもの電池切れか?」


 凱斗が横たわった采希を覗き込む。そっと近付いて、驚いた様にのけ反った。

 凱斗の表情がたちまち険しくなる。


「……おい、那岐」


 俯いたまま采希を見つめる凱斗から、低い声が発せられた。


「お前ら、何をした?」


 凱斗には分かるんだ、と那岐は思った。今の采希が普段とは全く違う気配になっていることに。


「あのね、凱斗兄さん──」


 答えようとして、那岐は采希の眼が見開かれているのに気付いた。その両眼は虹彩が金色に変わっていた。


「兄さん! 危ない!」


 凱斗を付き飛ばし、その身体の上に覆い被さって顔を上げる。

 采希の身体は白く発光し、帯電しているようにぱちぱちと音を立てていた。那岐の頭上を紫電が通り過ぎていく。

 ゆっくりと起き上がった采希は、炎駒たちの方へ顔を向ける。

 すっと右手を炎駒たちが闘っている影の方に翳すと、采希の身体から大きな音と共に雷光が放たれた。

 徐々に影の連中の方へと進みながら、放射状に次々と放たれる紫雷は、那岐たちの傍を掠めていく。


「これって……采希兄さん、僕らを認識してないみたいに見えない?」


 ようやく降りて来た榛冴が、陽那を庇うように前に立った。


「那岐、これは何だ? 采希の中身がいつもと違ってることと関係あるのか?」

「うん。今の采希兄さんは封印の鍵が全部解除されてて……このままだと采希兄さんの身体が危険だから、琉斗兄さんに鍵を掛けてもらおうと──」

「封印って……あきらちゃんが解除したのか?」

「うん、しかも兄さんは無意識のあきらちゃんに解除させたらしくて、制御出来ないみたいなんだ」

白虎(ヴァイス)とガイアは?」

「……わからない」


 那岐の言葉に、凱斗が呆然と采希の背中を見つめる。

 自分を守護するはずの存在までも、采希は力でねじ伏せているんだろうか、と冷汗が流れた。


 那岐たちのすぐ傍で暴れていた雷が、陽那の結界をすっかり消滅させていた。

 炎駒と白狼が慌てたように戻ってくる。


「ロキさん……琉斗兄さんは?」

《ここにいるぞ。采希は一体どうしたんだ?》


 白狼から琉斗の声が聴こえた。


「琉斗兄さん! 急いで采希兄さんの封印を戻して!」

《──これは……力が暴走しているのか?》

「分からないけど、多分」


 了解した、と言うようにこくりと頷いた白狼が、ゆっくりと人型に戻って行く。

 その間も采希は瞬き一つせず、影たちを消滅させていた。

 以前、那岐を傷付けられて力が暴走した時よりも、はるかに強大な力が暴れているようにみえた。

 あの時は暴風に紫電が混じっていたが、今回は雷雲も無いのに采希の身体から無数の雷光が生み出されている。


(これが兄さんの本来の力なのか……とにかく采希兄さんを止めないと、封印を施すことも……)


 封印を施すには、おそらく対象の身体に触れる必要があるのではないかと那岐は考えた。

 だが帯電状態の采希に触れたら、感電するのは避けられない。

 何とかして、あの暴走する力を止めないと、と那岐は采希の背中を見つめる。


(だけど……僕の声が兄さんに届くんだろうか?)


 采希にとって誰よりも大事な人は、ここには居ない。

 今は意識がないであろうその彼女に、どうすれば自分の声が届くのかも分からなかった。


「兄さん! お願い、止まって!」


 追い詰められた那岐は、采希に向かって駆け出した。

 凱斗が慌てて那岐の袖を掴んで引き留めようとする。


「離して、凱斗兄さん! 采希兄さんを止めないと! このままだと琉斗兄さんが力を封印することも出来ない!」

「いや待て待て、だからって、お前が突っ込んでってどうすんだ? あの雷、半端ないぞ? もし当たったら無事じゃ済まないだろ」

「それでも行かなくちゃ。──分かってる。采希兄さんを止められるのは、僕じゃない」


 那岐は俯いて、唇を噛みしめる。

 言葉に出してしまったことで、那岐は自分ではどうしようもない事が改めて心に沸き上がり、涙が溢れ出した。

 ヒトが持つには大きすぎる力。荒れ狂う雷など、人間では敵わない。


「僕には……止められない」


 那岐の肩に陽那の手がそっと乗せられる。頭にはふわりと大きな手が乗せられた。


「大丈夫だ、那岐。──下がってろ」


 那岐に笑ってみせた琉斗が、采希に歩み寄る。


「采希」


 琉斗の声に、その身体がぴたりと止まる。ゆっくりと振り返って、琉斗の方に手を伸ばす。

 それは琉斗に向かって差し伸べられたものではなく、琉斗を押し留めようとするように掌が向けられていた。


「──ダメだ! 兄さん!」

「那岐!」


 采希の雷よりも、那岐が跳ぶ方が速かった。

 采希の手から琉斗に向けて放たれた雷は、采希の眼の前に跳んだ那岐の腹部から全身を一瞬で駆け巡る。

 ほんの刹那、青い炎が紫電を遮るのが見えた。


 空中で雷を受けた那岐の身体は、そのまま力を失って采希の身体に倒れ込んだ。

 気力を振り絞って那岐は必死に腕を采希の首に巻き付けた。


「兄さん……お願……」



 * * * * * *



 那岐の声が聴こえた気がした。采希は声の方に顔を向ける。

 ゆるやかに浮上する采希の意識が、これまでの記憶と周りの風景との違和感を洗い出す。


(……ここ、どこだ? ──那岐?)


 采希の首に腕を回す那岐の身体が、力無く崩れ落ちそうになるのを慌てて支えた。

 采希には状況が全く分からなかった。


「琉斗兄さん! 今だ、封印して!」


 榛冴の声が聴こえて、采希の眼が駆け寄ってくる琉斗の姿を捉えた。

 琉斗が両手で采希の顔を包み込み、額を合わせる。

 采希の中の何かが小さくなっていくような気配がした。


「大丈夫か、采希?」

「だい、じょう、ぶ……それより、那岐が……」


 黙って頷いた琉斗が、那岐の身体を抱え上げる。陽那が震える手で那岐の脈をとった。


「これって……まさか、俺が……?」

「憶えてないのか? 力が制御出来なかったらしいぞ」


 凱斗に言われ、采希の脳裏には自分の手から放たれた紫電の感触が甦る。吐き気が込み上げ、思わず口元を両手で覆った。


「俺が、那岐を……」

「すまない、采希。俺が間に合わなかったせいだ」

「いや、那岐に向かった雷を弱めたのは、お前の力だよな?」


 凱斗の言葉に、琉斗は驚いたように眼を見開く。

 自覚していない双子の弟に笑い掛け、凱斗は那岐の顔を覗き込む。感電はしているものの、意識を失っただけで済んでいるらしいとほっとした。

 力無く下がった那岐の腕を肩に乗せ、琉斗が采希に向かって小さく首を振ってみせる。


「封印の鍵である俺には采希の攻撃は届かない。それを那岐に伝えていなかった俺の失態だ。采希、お前のせいじゃない」


 顔を上げた采希には、琉斗の姿がぼやけて見えた。

 榛冴が那岐の身体に触れ、気を送り込んでいる。

 采希が表情を歪ませているのに気付いた陽那が、静かに采希に向かって微笑んだ。


「気を失っているだけのようですよ。呼吸も脈も正常です。早めに医療機関で確認した方がいいとは思いますが」

「……よかった。それなら早く帰ろうよ」

「え? 榛冴、ここがどこだか知ってんのか?」

「知らない。でも、朱雀がここまで僕らを連れて来たってことは、朱雀なら行き来できるってことだと思うんだよね」


 凱斗が、おおっ、と手を合わせる。


「でも、那岐兄さんが倒れてるから、朱雀を呼べるかどうかは分からないけど」


 榛冴が不安そうに言うと、口元を両手で押さえていた采希が小さく声を上げた。


「──俺、呼べると思う。さっき、那岐の中から呼び出した感触を覚えてる」


 全員が一斉に采希を見つめる。


「采希兄さん、封印は……」

「問題ない、ちゃんと抑えられている。琉斗、助かった。ありがとな」

「采希、お前の身体は──」

「動くよ」


 ゆっくり深呼吸しながら采希が答えた。

 采希の眼を覗き込んでいた凱斗が、にやりと笑って采希の肩に手を乗せた。


「んじゃ、頼むわ。朱雀に頼んでさっさと帰ろうぜ」




 ~side:那岐~


 ずっと、声が聴こえていた。

 僕の大好きな、ちょっと低い囁くようなその声。

 嬉しくなって、呼び掛けようとしたところで眼が覚めた。


「──那岐? 大丈夫か? 俺…………榛冴から聞いた。……ごめんな」


 横になったまま、声の方に顔を向ける。


「采希兄さん! 身体は? ちゃんと動ける? ちゃんと、ごはん、食べられる? 眠れてる?」


 たたみ掛ける僕に、ちょっとたじろいだ采希兄さんがふっと笑う。


「心配されてるのは俺の方なのか? 俺は、大丈夫。みんなが揃って回復させてくれたから」

「……みんな?」


 ゆっくりと起き上がりながら、采希兄さんと目線を合わせる。


「そう。ヴァイスとシェン、それにあきらの【後ろの人】だな」

「後ろの……? それって守護霊みたいな?」

「いや、違う。俺も子供の時に会ったきりだったんだけどな、何て言うか……全身が光ってて、胸元に甲冑を着けた金髪碧眼の白い長い衣装のお姉さん?」

「……それで羽根と輪っかがあったら、天使だね」


 僕の呟きに采希兄さんは、ああ、と思い当たったようだ。


「そうか、天使か。なるほどな、そんな感じかも。何しろ、本人は微笑むばかりで何も教えてくれないし」

「どうしてその光のお姉さんが……?」

「あきらが覚醒してない状態で、俺の封印を開けちゃったお詫び?」


 ──そうだったのか。あんな状態になるのが分かってるのに、あきらちゃんはどうして封印を解いたんだろうって思っていたんだ。


(そんな判断も危ういほど、あきらちゃんは……)


 ちょっと目を伏せた僕の眉間に力が入る。

 黎さんも、あきらちゃんはまだ微睡んでいるような状態だと言っていた。兄さんの呼び掛けに思わず封印を全て解いてしまったんじゃないかと思った。


 今回みたいな事がもう起こらないとは限らない。琉斗兄さんがいない状態でも、采希兄さんがあんな無茶をしないで済むようにしないと、と思った。そのためには、僕には何ができるんだろう?

 黙り込んだ僕の顔を、采希兄さんが心配そうに覗き込む。


「僕、どのくらい寝てた?」

「丸3日、だな」

「もしかして、采希兄さん、ずっとここに?」

「うん。俺のせいだから……もし、琉斗があの時、力を削ってくれなかったら……」


 申し訳なさそうに視線を逸らす。

 僕の頭に紫電を遮った青い炎が思い出される。

 自然の雷ではない、兄さんの力で作られた雷。

 その威力は、兄さんが一番よく分かっているのだろう。


 優しい、采希兄さん。例え兄さんにとって誰より大事な人が出来ても、そして僕にも護りたい人が出来ても、それでも兄さんの一番頼れる相手が僕だったらいいなと思う。


「ぃよっし!!」


 気合いを入れて立ち上がると、采希兄さんが眼をぱちくりと瞬かせた。


「もっと、強くならなくちゃ」

「…………お前、急に起き上がって平気──なんだな。普通はもっとフラついたりするもんだぞ」


 呆れたように笑う兄さんに、僕も笑ってみせる。

 護りきれずに後悔するのは、もう御免だ。僕には止められないって思った采希兄さんの暴走も、どうにか止めることが出来たんだ。

 だから、きっとまだまだ強くなれる。



「お? 那岐、起きたか。もう元気そうだな」

「無理をするんじゃないぞ、那岐」

「もうすぐご飯だって。那岐兄さん、プリン、取ってあるから、後で一緒に食べようね」


 ぞろぞろと従兄弟たちが部屋に入って来た。

 部屋に入って来たのは四人。最後尾は猫背の──


「黎さん! 来てたの?!」

「よぉ、思った以上に元気そうだな。さっきまで白目剥いて寝てたのに」

「え~~~? 僕、そんな風に寝てた?」


 笑いながら黎さんが僕の頭を撫でてくれる。


「どうしたの? 黎さん、忙しいんじゃないの?」


 ふと黎さんが眼を逸らす。


「……あぁ、朱莉(あかり)さんにちょっと、ご挨拶をな」

「挨拶?」


 気付くと、みんな黙り込んで俯いている。

 嫌な予感が僕の背筋を駆け抜けた。


「──何の……?」

「那岐、あのな──」


 采希兄さんが僕に一歩近付き、そのまま唇を噛みしめる。

 その肩に黎さんがそっと手を置いた。采希兄さんの顔を覗き込み、ゆっくりと頷く。


「那岐、俺は──采希を迎えに来た。……采希を連れて行くために、挨拶に伺ったんだ」


 僕の思考がフリーズする。


 ──何? 采希兄さんを連れて……どこへ? この家から、采希兄さんが居なくなる?


 僕はずっと兄さんと一緒にいた。

 これから先も、それは変わらないはずで……


 従兄弟たちを見渡す。

 みんな一様に僕から目を逸らし、榛冴は目元を手で覆っている。その喉がひくっと引き攣れるのを、僕は虚ろな気持ちで眺めた。


「黎さん……何を、言っているのか……僕には……」


 喉が詰まって、うまく声が出せない。

 とうとう榛冴が泣き出した。

 凱斗兄さんは自分の両腕を抱きかかえるように、俯いたままだ。

 琉斗兄さんはさっきからずっと天井を睨んでいる。


 ゆっくりと采希兄さんを見る。


「兄さん?」


 微動だにしない僕の兄さんは、唇だけが小刻みに震えていた。


「嘘、だよね? どこにも行かないよね? 兄さん……」

「那岐……ごめん」

「……どうして……」

「……あんな風に……力が暴走するなんて、考えてもみなかったんだ。お前に怪我まで……俺は……」

「そんな事、何でもないよ。ほら、僕、全然平気だし。もしまた暴走しても僕が止めて──」

「そう、お前が俺を止めてくれた。でも──」


 采希兄さんの首が項垂れる。


「……俺は、自分が怖いんだ……。いつかお前を……お前たちを傷つけてしまいそうで……」


(ああ──兄さんは、もう決めたんだ……)


 眼を閉じて、天を仰ぐ。眼の奥が熱くなるのが分かった。

 兄さんが決めたこと。

 それは、僕が止めてはいけないことだ。


(泣くな、那岐。兄さんが心配しちゃう。笑うんだ。ほら──)


「兄さん! 兄さんも、強くなりたいんだよね」

「……那岐……」

「あのね、僕、もっと強くなる。兄さんが暴走しなくて済むように。そして、兄さんが居ない間は、僕がみんなを護る。──だから、兄さん……いってらっしゃい!」


 口角を出来るだけ横に引いて、思いっきり笑顔を作る。

 眼の端から、つうっとひと筋、涙が零れた。


「──那岐」


 兄さんが僕の頭を抱きかかえた。


「……うん、頼んだ。お前に任せるよ、相棒」


 耳元で小さく呟く声に、堪えていた涙が堰を切って溢れ出す。

 大好きな兄さんの肩に顔を埋めたまま、僕は大きな声で泣き続けた。



 * * * * * *



「本当にいいのか、采希? ──って、言い出したのは俺なんだが……」


 ハンドルを握って前方を見据えたまま、黎が心配そうに尋ねた。

 采希たちが家に戻った翌日、黎は突然訪ねて来た。そして、朱莉と蒼依(あおい)に向かって頭を下げた。


『今回の息子さんの怪我の一因は、俺の身内のせいでもあります。今後このような事のないよう、俺が責任をもって護りますので、采希くんを預からせて頂けないでしょうか』


 正座して畳に額を擦りつける黎を驚きを持って見つめながら、采希の心は決まっていた。


『でも……采希一人で行かせるの、姉さん?』


 不安そうに尋ねる蒼依に、朱莉はじっと黎を見つめる。

 これまでずっと一緒に暮らして来た息子を、見知らぬ他人に預けるのは承諾できかねた。

 采希の祖母に相談させてもらいたいと返事を保留していたが、黎の名前(フルネーム)を聞いた祖母は驚いて黙り込み、しばらく経ってから采希の意思に任せるようにと告げた。

 采希には師となる者が必要ではないかと言われれば、朱莉にはもう反対出来なかった。


『采希、お前はどうしたい?』


 問い掛ける朱莉の眼を真っすぐ見返して、采希は頷いた。


 初めは力などいらないと思っていた。だけど力が発揮できないことで家族が何度も危険に曝された。

 だから、大切な家族を護るための力が欲しいと思った。なのに、その力で弟を傷つけた事が采希は自分でも許せなかった。


(──だから、俺は強くならないと)



「いいんだ、黎さん。──俺は、俺のために、行くって決めたんだ。きちんと自分に出来る事を見極めて、最善の結果が出せるように。もう二度と、後悔せずにすむように」


 采希の言葉にじっと耳を傾けていた黎がくすりと笑う。


「俺は未だによく後悔してるぞ。……ま、いいんじゃないか? 失敗と反省を繰り返してたとしても、ちょっとでも前に進めればそれでいいと、俺は思ってる」

「……そうですかね」

「それにしても、最後までごねていたのが凱斗だったのは意外だったな」


 凱斗は那岐が目覚めるほんの少し前まで、采希が家を出て行くことに強固に反対していた。


「双子の兄ちゃんの方は、実は誰より寂しがり屋なんですよ」

「そのようだな。その片割れの琉斗はずっと黙り込んでいたが……」


 少し心配そうに黎が采希を横目で見る。采希にもそれは気になっていた。

 普段通りに振る舞っているように見えるものの、気付くと琉斗が無表情でいるのがやたらと眼に付いた。何を考えているのだろうと問い掛けてみたが、笑って首を横に振るばかりだった。


「何でしょうね? 悩んでいるとか、凱斗みたいに寂しがっているようでもなかったですけど」


 采希が小さく溜息をついた、その瞬間、頭の中に声が響いた。


《采希、聴こえるか?》


 思いがけない声の主に、采希は驚いて固まる。


「…………は?」

《聴こえているんだろう? 返事はどうしたんだ?》

「……はい」

《OKだ! どうだ、采希? お前に繋がれるようになったぞ。ずっと、練習していた甲斐があったな!》

「……練習?」


 無表情の琉斗が采希の脳裏に浮かぶ。

 不機嫌そうにも見えた無表情は、集中していたためか、と閃いた。


《これで、いつでもお前と話せるな。──采希……》


 突然途切れた声に、采希はじっと次の言葉を待つ。だが、そこで会話は途切れてしまった。


「……集中が切れたのか? ──とんだポンコツだな」


 采希が思わず笑い出すと、黎も釣られて笑った。


「琉斗か? あいつ、感応が使えるようになったようだな。この間、俺にも呼び掛けて来たぞ。しかも、傍にいた陽那の声まで届けるようなパワーだった。──今回は違うみたいだが」

「ま、初心者ですからね」

「ムラがあるのは仕方ないか。……結局、あいつの力って、何だったんだ?」


 黎の質問に、采希はどう答えたものか少し迷った。


「転移は二度、出来たみたいです。自力で紅蓮を扱えるのと、後は……ああ、あのニット帽の呪が効かなかったのは、琉斗の力なのかな?」

「呪が、効かない?」

「はい。俺があの男から最初に喰らった五感を遮断する力が、琉斗の身体には効かなかったみたいで。俺には琉斗の近くで力が霧散したように見えました。念の刃みたいなのも琉斗には届かなかったみたいです」


 頷く采希に、黎がちょっと呆れたように笑った。


「術の影響を受けないってのは、ある意味最強だな。琉斗には体術の才能もあるし、紅蓮もついている。──あの那岐の、上を行くんじゃないか?」

「霊に憑依されやすい体質も紅蓮のおかげで防げているようですし、そうかもしれませんね。ただし、覚醒状態ならば、という条件が付きますが」

「俺は実際の力を見ていないから何とも言えないが、うちの八咫烏には馴染みのある気配だったらしいぞ。次に顕現する時が楽しみだな」


 八咫烏に馴染みのある気配と聞いて、采希は首を傾げる。

 だったら琉斗の力は、何処かで八咫烏が見た事があるのだろう。

 その力の持ち主は誰だったのかと思いを巡らせかけて、采希は頭を振った。


 当てにできない琉斗の覚醒より、采希には自分の力を制御する事の方が重要だった。

 封印されている力に頼らず、自分が今使える力を練磨して精度を上げる。それが黎から与えられた課題だった。


 今回の琥珀が告げた【意思】の闇の部分とやらは、結局誰が操っていたのか分かっていない。采希の目の前で消えた八つ当たり男の行方もだ。

 まだ全然足りていない自分の力に嫌気が差しそうになる。


(護りたい人達を、護れる力を、どうか──)


 進行方向の左手、助手席側の窓からうっすらと、雨上がりの空に虹が見える。

 采希はそっと袖で目元を拭った。

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