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巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第12章 羅刹の鏡像
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第58話 守護と呪と

 螺旋状になった階段を昇り、金属の重い扉を押し開くと、ぽっかりと天井がひらけた。

 水族館の見取り図を頭に浮かべた采希(さいき)は、どうやらイルカの水槽の真上らしいと見当をつける。

 一部に張り出した屋根はかかっているが、キレイな青空が広がっていた。


 光に目が慣れると、すぐ近くの水槽の中を上から覗き込んでいるような人影があった。


(──やっと見つけた)


 身を乗り出し、イルカの水槽の水面近くまで顔を寄せている。



 彼女を捜していた時、水族館の通路に表示された順路から外れた階段に、依頼者の姉の気配があるのに琥珀が気付いた。薄暗い鉄製の階段を、警戒しながらそっと登ってきたのが屋外に水槽が張り出したこの場所だった。

 水槽を覗き込んだ彼女は何やら小さな声で呟いているようで、采希には全く気付いていない。


(好都合かな。このまま観察させてもらうか)


 出口の壁に寄りかかり、腕を組んで彼女の様子を見守る事にした。

 水面に小さく波が立ったと思ったら、そのまま盛り上がってイルカが顔を出す。彼女がふっと破顔した。


(──お? 笑った。イルカ、好きなのか? ……え?)


 驚いたことに、イルカはそのまま立ち泳ぎしながら彼女の顔の高さまで水面に出て来た。彼女が嬉しそうにイルカの鼻先に指先で触れる。


「──は?」


 采希の口から思わず声が出た。その声に彼女がこちらを振り返り、采希を確認して怯えたように後退った。


「あ……ごめん、驚かせるつもりじゃなくて……その……イルカ、好きなんですね」


 慌てた采希は、思わずどうでもいい事を口に出してしまった。


(──バカなのか、俺? そんな事より何か話題を……もっとこう、気の利いた……いや、もう面倒だ)


 采希は大きく息を吐く。

 ゆっくりとイルカの方に近付くと、彼女がまた一歩、後ろに下がった。采希はそちらを見ないように気を付けながら、イルカに話しかけてみる。


「お前、人に慣れてんだな。俺が触っても大丈夫か? ──お、触らしてくれんのか。お前、優しいな」


 イルカは采希が差し出した手に、口先でちょこんと触れてくれた。冷たい感触。なのに思わず顔がほころんでしまった。


「俺、初めてイルカに触ったぞ。そう言えば、イルカは悲しんでいる人とかには自分から近付いて来るんだっけ? お前、俺を慰めてくれるつもりなのか?」


 猫に話しかける時のように、ごく自然に言葉が出てくる。

 二言三言、話しかけたところで采希の背後からくすりと笑う気配が伝わってきた。

 振り返ると、彼女が口元を覆いながら微笑んでいた。


「──あ、すみません」

「……いや、別に……変、だったですか? 俺、猫とかにも、つい話しかけてしまって……可笑しいっすよね」


 彼女の長い前髪の奥で、目が見開かれたのが分かった。


「猫、お好きなんですか?」

「うん。今は知り合いから預かってるお貴族様みたいな猫に振り回されてますけどね。お姉さんこそ、イルカ、好きなんですか?」

「……はい。さっき、あなたの言葉にちょっとどきっとしました。イルカは、人を癒すために近寄ってくるって。……だからこの子、私に近寄ってきてくれたんですね」


 少し伏し目がちに水槽のイルカを見る。もう立ち泳ぎはしていないイルカは、水面近くでこちらを向いて浮かんでいた。

 さっきからこっそり彼女の【気】を視ていたが、采希には彼女の複雑に絡んだような気が、どうにもよく分からなかった。様々な気配を放つ、複数の気が何重にも絡み合っている。

 他愛のない会話を続けながら、采希は琥珀にそっと指示を出す。琥珀は隠形(姿を消)しながら彼女の背後に回り込んだ。


「急にこんな事言ったら失礼かもしれないけど、お姉さん、不眠がちじゃないですか?」

「あ、はい。わかりますよね、こんなに隈作ってたら。ただでさえ肌とかぼろぼろで、みっともないのに……」


 小さく呟いた最後の台詞を、采希は聞き逃さなかった。


(みっともない? ……これって、もしかして……琥珀、聞こえるか? 彼女の眼を調べてくれ)


 黙り込んでしまった彼女の目元に、そっと琥珀が近付く。

 前髪の奥を覗き込み、得心したように頷いた。


《采希さん、この方の眼には呪が掛けられています。おそらく、ご自分の顔ではないモノが視えているはずです》

(──やっぱりそうか。前髪で隠れてよく見えないけど、凱斗たちがあの依頼者だと思って見ていた顔と同じなんだろ?)

《……その通りです》


 姉の顔をマスクした妹と、自分の顔を見失った姉。誰がどんな目的でそんな術を施したんだろう、と采希は訝しむ。


《そして、彼女の守護が呪で絡めとられています》

(守護って、守護霊とか? それが絡めとられているって、どう言うことだ?)

《呪いの糸でがんじがらめに縛られている、と言った方が分かりやすいでしょうか。采希さんを護る白虎さまのような存在ですが、もう随分と永い間、そのような状態のようです。なので、守護の光もかなり弱っています》

(それって、かなりヤバい状況なんじゃないのか?)

《その通りです》


 琥珀の説明で采希には姉妹のどちらが被害者なのか確信できたと思った。

 采希は意を決して彼女を真っすぐに見る。


「あの、余計なお世話だと思いますが、よく眠れないのって、寝ていても何度も眼が開いてしまって眠りが浅くなっているとか……そんな感じじゃないですか?」


 彼女の眼が、驚きに見開かれる。


「…………どうして、それ……」


 琥珀が確認したモノは、琥珀が采希にも見せてくれた。

 彼女の瞼に張り付いていたのは、アメーバ状の念だった。視覚を惑わす、幻惑の念だ。


「ちょっと怪しいって思われるのは百も承知なんですけど、俺にならその不眠、すぐに治せます。嫌じゃなければ、任せてもらえませんか?」


 疑われたり警戒されるであろうことは采希にも解っていた。

 自分ですら、いきなりそんな事を言われたら『こいつ、頭大丈夫か? 何かの勧誘や押し売りか?』と怪しむと思っていた。

 案の定、彼女も怯んだようにちょっと後ろに足を引く。


 だが、戸惑いながらも彼女ははっきりと頷いた。


「…………あの……自分で言っといてなんですけど……本当に、いいんですか?」


 思わず采希の口から本音が出てしまう。


「だって、治してくださるんですよね?」

「それはもちろん」

「だったら……あの、ちょっと時間がないんですけど、大丈夫ですか?」


 こんな初対面の男の怪しい提案に乗ろうという彼女の勇気に采希は驚いた。それほどに酷い不眠という訳か、とどこかで納得もしてしまう。


「じゃ、ちょっと失礼します──あ、怖いと思うんで、目は閉じなくていいです。触らないから安心してください」


 そう言いながら、采希は彼女の眼の辺りに右手を翳す。


(──右手は放出、左手は吸収だっけ。このアメーバは、消した方がいいよな。瀧夜叉(たきやしゃ)姫、呪を解く術式を)


 采希の右手がぼんやりと光を発する。彼女の口が、あっと言う微かな声を上げた。

 眼を閉じた采希の脳裏に、たくさんの梵字が浮かび上がる。

 それらは各々動き回っていたが、瀧夜叉姫の合図できちんと縦に並んだ。


(──今だ)


 采希の手の平が急激に熱を持った。

 閉じた眼にも眩しい、光。

 再び彼女が小さく声を上げた。


「──終わり、です。もうぐっすり眠れると思います」

「……あ……」

「ついでに、聞かせてもらいたいんですけど、この術は誰かがあなたに掛けたものです。心当たりは?」


 彼女が少し眉根を寄せながら、驚いたように采希を見た。迷うように視線が揺らぎ、逸らされた。


「あの……いいえ、ないです。えっと、ありがとうございました、もう、行かないと」


 心当たりがあったとしても見ず知らずの人間に話すはずもないか、と思いつつ、采希は黙って頷いた。

 彼女が慌てて走り出す。采希の背後に向かって遠ざかって行く足音が、突然ぴたりと止まった。


(……?)


「あ、あのですね……もし、あなたとお話がしたい時は、またここに来れば会えますか?」


 予想だにしなかった言葉に采希は、聞き間違いかと思った。

 慌てて振り返ると、依頼者の姉である彼女が采希を見ていた。


「──俺に?」


 身体の半分を入口から覗かせて、彼女がこくりと頷く。


「えっと……眠れたら、ご報告をと」

「あ~、随分と律儀なんだな。──いいよ、ここで」


 ほんの少し口元をほころばせて、彼女が建物の中に消えていった。


(──瀧夜叉姫、彼女に付いて行ってくれるか? 絶対感知されないようにした上で、彼女を悪意の念からガードしてほしい)


 采希の中から瀧夜叉姫の気配がするりと抜け出す。同時に采希の頭に声が響いた。


《──甘いな。あの娘を瀧夜叉が護っている事が分かれば、攻撃対象は貴様に移るだろうに》


 声の主は武将の三郎だった。戦国に名だたる武将には、もっと直接的な行動の方がしっくり来るのだろう、と采希は苦笑する。


「いいんですよ。その方が俺も楽なんで。何より、眠れないって辛いと思うから」

《術を掛けた者に心当たりはあるのであろう? 何故こちらから討って出ないのだ?》

「まだ確証はないからです、上総介(かずさのすけ)殿。目先の事象に惑わされて核心を逃したくないですから」

《……臆病なのか、慎重なのか……》


 少し呆れたように三郎が笑う。


「臆病なんでしょうね。誰も危ない目には合わせたくないんです」



 * * * * * *



「じゃ采希兄さんは、依頼者のお姉さんの方が被害者だって、そう思ったの?」


 榛冴(はるひ)の訝し気な声に、采希は黙って頷く。

 あの後、合流した琉斗(りゅうと)那岐(なぎ)にも彼女の様子と采希の見解は伝えてた。琉斗と那岐も状況から采希の意見を支持するつもりだった。


「まあ、自分の本当の顔を隠そうとしている時点で、どっちが怪しいかは歴然か。実際にお姉さんに会った采希兄さんが見破れないと思ったのなら、見くびられ過ぎな気もするけどね」


 榛冴が、腕組みしながら不機嫌そうに呟く。


「でも確かに、お姉さんの方が纏っている【気】はかなり良くないモノだった。那岐が気付いた依頼者の異様な【気】は本人が発している物だったけど、お姉さんの方は違う。誰かから色んな念を纏わされて、碌に眠れていないみたいだった。俺にはヴァイスや琥珀がいるし、そうそう惑わされることはないと思うけどな、恐らくどこかの霊能力者にでも相談して、見破れない事を試したんじゃないかと、思った」


 采希の言葉には那岐も心当たりがあったので、こくこくと頷いた。


「確かに、お姉さんの方は依頼者と違って身体の外側の気が侵されていた。何だか変な念が色々絡みついてたのは、お姉さんを苦しめるため?」

「それと、依頼者よりも良くない気配だと周囲に思わせるため、かもな。見た目も含めて」

「采希、ロキがずっと、彼女が臭うと言っていたが……」

《そうだな。彼女に纏わりついていた念の臭いだ》

「彼女自身が、ではないんだな?」

《もしもそうなら、とっくにお前たちに警告している》


 琉斗と白狼が采希たちの会話に割り込んできた。


「ロキさん、気付いてたんだ……」

《お前の方こそ、感知するのは得意だろう、那岐?》

「……色んな匂いが混じりすぎて……」


 那岐にとっては、鼻が利きすぎて逆に混乱していたらしい。


「──で? 結論は? どっちの味方すんの? どっちも同じ顔なんだろ?」

「凱斗兄さんは黙ってて。同じ顔じゃないし、見た目重視で味方するとか、有り得ないから。──采希兄さん、どうする?」

「もう結論は出てるだろ。依頼者のお姉さんの方は身体中に良くない念を纏わされ、呪のせいで眠ることもままならない。おまけに彼女の護りは呪で抑え込まれていて、その正体すら視えない。依頼者である妹の方は本当の顔を隠して表面だけ姉の顔に見せかけている。姉から呪われていると主張しているけど、依頼者にはその痕跡すら見えない。逆にごく表面だけ清浄な【気】で覆い隠そうとしたようで、那岐に見破られている。本当に呪われているなら、あの秘書が黙っているはずがない。ヒトに金縛りを掛けるようなヤツだ」


 状況を整理するように那岐と榛冴に確認する采希を、凱斗が遮った。


「でも采希、かなり狡猾なお姉さんらしいぞ。自分が被害者のフリくらいするって……」

「凱斗、それは誰に聞いたんだ?」


 琉斗が凱斗を睨むように見つめる。


「え……朋代ちゃんが……」

「──ほんっとにバカ? 片方の言い分だけを無条件に信じるとか、どこまでバカなの凱斗兄さん」

「だって榛冴、あんなにキレイな人……」

「顔?! 顔で判断すんの? 凱斗兄さんも見たでしょ? あの姉妹は容貌が逆だって!! 本っ当に節穴だよ!」


 榛冴のいつも以上に辛辣な言葉が凱斗に浴びせられる。

 榛冴ほどではなかったが、采希もこの件での凱斗の偏った反応に違和感を覚えていた。普段の凱斗なら、もっときちんと平等な思考をするはずだった。


「榛冴、問題はそこじゃない。──凱斗、お前まさか、俺たちの知らない所であの秘書に会ってないよな?」

「俺が? いや、会ってないぞ」


 凱斗ははっきりと否定するが、凱斗にはあっさりと催眠術に掛かってしまった前科がある。

 采希は凱斗の全身を眺め、手首に付けられた腕時計に視線を留めた。

 黙ったままその腕時計ごと凱斗の手首を掴んだ采希は、腕時計からサイコメトリーした内容に大きく溜息をついた。

 小さく地龍の姫を呼ぶ。


「姫、しばらく凱斗に付いていてくれ」

「え……采希、何?」

「凱斗、お前、これまで三回も催眠術を喰らってるぞ」

「嘘でしょ?!」


 榛冴が信じられない、と言いたげに叫び、琉斗が凱斗と采希の間に身体を割り込ませる。


「催眠術を解くにはどうするんだ、采希?」

「術者本人に解いてもらう以外に、俺は知らないな」


 双子の片割れである琉斗が、思い切り眉を寄せて兄を振り返った。


「よし凱斗、歯を食いしばれ」


 右手を血管が浮き出るほど硬く握りしめた琉斗を、那岐が全力で止めた。




 数日後、休日である采希にとってはまだ起きるには早い時間に、琥珀が耳元で囁いた。


《采希さん、瀧夜叉様から伝言です。本日10時、水族館に行く予定で進めている、だそうです》

「──やっと来たか。了解。瀧夜叉にはそのままガードを続けてって伝えてくれ」


 瀧夜叉姫は言葉を発しない。それは白虎も同様だったが、どうやら瀧夜叉姫の言葉には(しゅ)が乗ってしまうらしいと(れい)から聞いていた。

 まさに言霊(ことだま)となってしまうので、采希はこんな場合にはやはり不便を感じてしまう。琥珀の通訳がなかったら、意志疎通もままならなかった。

 そっと起き上がって階下に降り、母屋で眠っている榛冴に念を送る。


「榛冴、起きてくれ」

『う……何、采希兄さん?』

「彼女が動いた」

『……彼女?』

「お姉さんの方。10時に水族館に来る」


 一拍置いて、榛冴が跳ね起きた気配がした。


『どうして分かったの?』

「瀧夜叉姫を彼女に付いて行かせた。ついでに、彼女に憑いた念を掃除してもらってる」

『それ、一歩間違ったら危ないんじゃ……念を纏わせた術者に知られたら采希兄さんが……』

「それならそれでいい。こっちに矛先が向いた方が対処しやすいしな」

『黎さんからも忠告されてるのに──采希兄さん、お人よし過ぎでしょ』


 呆れたような榛冴の言葉に、采希は自嘲気味に笑う。


「確実な方を選びたいだけだ。榛冴も行きたいんじゃないかと思ってたんだけど、どうする?」

『采希兄さんの勘を信じるよ。──じゃ、うるさいのが起き出す前に出掛ける?』

「兄さん、僕も行っていい?」


 足音をさせずに階段を降りて来た那岐が、采希にそっと声を掛ける。

 采希は黙って頷いた。



 * * * * * *



「どう言う事なのか、説明してほしいんです。あの、眠れました。びっくりするくらい、ぐっすりと。その事にはすごく感謝しています。でも──」


 依頼者の姉は、先日とは打って変わった勢いで話し出す。


「顔が──私の顔、どうなったんですか? それとも私の眼がおかしくなったんでしょうか? これって、一体──」


 那岐と榛冴は、揃って采希の方を見る。

 先日と同じ、イルカの水槽の上にあたる人気(ひとけ)のないスペースに采希たちはいた。

 采希は塗りの剥げかけたベンチに彼女を誘う。ベンチに采希と依頼者の姉、その前方に少し離れて那岐と榛冴が立った。


「まずは、眠れてよかったです。あなたの眼には、念が──呪いって言った方が分かりやすいかな? ──掛けられていたんだ。なので、それはもう消しました。でも、眠れなくなるのは副作用みたいな物で、実際にあなたに掛けられていたのは、自分の顔が別の顔に見えるという呪です。鏡を見て自分の顔を触った時、これまでは違和感があったと思います。実際の感触と、鏡に映って見えている輪郭やパーツにどうしてもズレが生じますから。今日、鏡に映ったその顔が、あなたの正しい鏡像です。……俺が言っている意味、わかりますか?」


 相変わらず前髪で覆われた眼を覗き込むように、采希は静かに説明する。目の下の隈がすっかりなくなっているのは、瀧夜叉姫の仕事の成果なのだろうと感心しながら見ていた。

 那岐は首を傾げながらしきりに考え込んでいる。

 彼女はぽかんと口を開けて采希の言葉を聞いていたが、ゆっくりと俯いた。


「でも……アルバムなんかの写真でもあの顔だったんです。だから私は……自分の顔をあまり見せたくなくて……」

「アルバム、最近は見ました?」

「は? ……いえ、まだ」

「じゃ、確認してください。きっと、今の顔に変わっていると思うから。──信じられないですか?」


 俯いた肩がぴくりと震え、小さく頷く。


「だって、この顔は……私がずっと羨ましいと思ってた妹の顔で……」


 那岐と榛冴が、彼女の言葉に顔を見合わせる。


「あのさ、今のあなたの顔、妹さん以外に誰に似ている?」


 彼女が驚いた顔で采希を見つめる。


「あなたのお母さんと、そっくりなんじゃないか?」

「……どうして、それを? ──はい、亡くなった母によく似ています」


 采希は彼女から視線を逸らし、イルカの水槽から少し先の空に眼をやった。敬語で話すのを失念した事に采希は思わず視線を泳がせたが、彼女は動揺して気付いていなかった。


「それって、変じゃないですか? あなたと妹さんは半血の姉妹だ。なのに、どうして妹さんがあなたのお母さんと同じ顔なんですか?」


 彼女が息を飲んで、慌てて立ち上がる。その手は小刻みに震えていた。


「──なんで……あの……失礼します!!」




「采希兄さん、今のはどう言う意味? 説明してほしいんだけど」


 走り去る彼女の背中を見送って、榛冴が采希を振り返る。那岐がベンチの采希の隣に座った。


「言った通りだよ。彼女と妹は半血──つまり、片親だけの血の繋がりだ。後継者争いって事実から、父親は同じって推測されるだろ? 母親が違うのに、姉妹の顔がもう一方の母親に酷似してるって、変じゃないか?」


 榛冴が口をきゅっと窄め、考えるように視線を彷徨わせる。


「その母親同士がすごく似ていたとか……」

「赤の他人で? それはすごい確率だな」


 確かに采希の言う通りだった。全く縁のない自分の母親以外の人間に酷似しているなど、ほぼ有り得ない。

 困った顔で考え込む榛冴を見つつ、那岐が疑問を口にした。


「それより兄さん、どうしてお母さんに似てるって分かったの?」

「──ああ、妹の方があの顔に固執してるって事は、お父さんが前の奥さんを溺愛していて、その顔の方が有利だと思ったからじゃないかって考えたんだ。血が半分しか繋がっていないのは分かっていたし、もし全血の姉妹なら一緒に暮らしてないのはどうしてだろうって思ったからな。でも、しくじったかな。普通はそこまで読まれたら、怪しんで当然だ。これ以上接触するのは無理かもな」

「待って待って、どうして血が半分しか繋がってないって分かったって?」

「それは「匂いと気配が──」」


 采希と那岐が同時に答える。やっぱり那岐も気付いていたんだ、と采希はくすりと笑った。


「兄さんたち、動物なの? ……まあいいや。一緒に暮らしていないのは会話の内容で僕にも分かったし、確かにどうしてだろうって思ってたけどね。じゃ、妹は父親とは別に暮らしていて、後継者の権利の主張を有利にするために姉の顔を装着していた? で、姉は妹の顔を貼り付けられていた……これだけ聞くと、お姉さんの方が被害者な気がするね。でもさ、こんなに分かりやすいんじゃ、逆に何かの罠っぽい気がしない?」


 眉間に皺を寄せたまま、榛冴が一息に喋った。


「──僕の勘なんだけど……采希兄さんに、そこまで見破れないって、向こうはそう思ったと思う」

「──それは心外だね」

「でも榛冴、普通はそこまで視えないものらしいよ。僕らは、普通じゃない」

「…………」


 あっさりと普通じゃないと言われ、『へえ、そうなんだ』と返せるほどには達観していないので、采希も榛冴も黙り込む。


「それにしても、お姉さん、すごく【気】が清浄になってたね。五月姫さま、さすがだね」


 それは采希も思っていた。

 瀧夜叉姫は彼女に纏わりついていた念を丁寧に引き剥がして浄化し、今は絡めとられた守護の光を開放しようとしているようだった。


「確かに──あの念をほんの数日で片付けるのか。だったら、あきらの呪も何とかできないかな」


 ぼんやり空を見ながら采希が呟く。

 未だに、巫女を救う手立ては見つかっていない。

 いくつかの呪は判明していたが、解呪するためには巫女の元まで行かなくてはならない。しかもまだまだ術式が不明な呪が多く残っていた。

 采希が小さく溜息をついたその時だった。


 那岐の言葉に采希は息を吐いたまま、硬直してしまう。


「あそこまで一気に浄化されたらさ、仕掛けた術者にもすぐに分かっちゃわないかなぁ?」

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