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巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第1章 悪夢の行く末
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第3話 走り出す狂気 後編

 すごい勢いで玄関の引き戸が開けられる音がして、那岐と榛冴が駆け込んできた。


「采希兄さん!」

「兄さん、無事?!」

「……えっと、なんとか」


 榛冴が居間を見渡す。壁に寄り掛かって動けない凱斗と、凱斗に寄り添う采希、そして倒れたままの琉斗を見て、那岐の顔を見る。


「那岐兄さんが言ってたのは、このことなの?」

「うん、兄さんたちが何とかしてくれたみたいだね」


 那岐は榛冴に返事をしながら、采希と凱斗の元に近寄る。

 琉斗の身体を、離れた位置から覗き込んで様子を確認しながら、榛冴が話し出した。


「那岐兄さんが、急に『まずい、琉斗兄さんが!』って言って走りだしてさ、理由を聞く暇もなく必死に走って帰って来たんだ」

「うん、多分琉斗兄さんはメア子に憑依されたんだと思う。いきなり、琉斗兄さんの気配が消えたんだ。唐突に、ぷつんって感じに。だから急いで帰って来たんだけど…………あれ? 榛冴?」


 いつの間に動いたのか、大きめの袋を両手で抱えキッチンから居間に駆け込んできた榛冴が、琉斗の傍まで行って立ち止まる。

 突然、抱えていた袋を逆さまに琉斗の上にぶちまけた。


「──!! ちょ、榛冴?」


 那岐の驚いた声に、何が起こったのかと采希が振り返ると、琉斗の身体に大量の塩がかけられていた。塩の袋には十キロと表示されている。


「……榛冴、ナメクジじゃないんだからさ……」


 那岐の呆れた声に、采希は思わず吹き出す。

 ナメクジが大嫌いな榛冴は、子供の頃も同じようにナメクジを見つける度に大量の塩をかけては母の蒼依に怒られていた。それを采希は思い出す。


「あーあ、その塩、蒼依さんに怒られるよ。お漬物用なのに」

「だって、浄化には塩がいいんだって、那岐兄さんが言ったんだよ。琉斗兄さん、メア子にとり憑かれたんでしょ?」


 弟の咄嗟の判断に、凱斗がちょっと呆れたように笑う。いつもは冷静な末っ子は、余程、霊現象が苦手らしい。


「これで元に戻ってくれるとは限らな…………琉斗?」


 塩まみれの琉斗が身じろぎした。

 慌てて那岐が手を貸して起き上がらせる。


 ──起きたのは、琉斗(ホンモノ)なのか? と、一瞬、全員に緊張が走る。


「……ん? うおっ、これは何だ? ぐおっ!」


 起き上がった拍子に、塩が眼に入ったらしい。身体を丸め、その背は小刻みに震えている。

 痛そうな呻き声に、自分が蹴りを放った事を思い出し、采希は申し訳ない気持ちになった。

 全員、一斉にほっと息を吐き出す。


「うん、琉斗だな」

「那岐、そもそも生霊って憑依できるもんなのか?」

「僕は聞いたことない。でも、あれは確かにメア子だったんだよね? だけどメア子がもう亡くなってるって感じでもないし……わかんないなぁ。メア子、ここまでするのか……」

「もしかしたら、憑依出来るヤツがいてもおかしくはなさそうだけど、何で琉斗なんだ?」


 解決の糸口が見えない事に、那岐は歯痒く感じて軽く額を押さえる。凱斗が、そんな那岐の肩を軽く叩きながら慰めた。


「琉斗兄さんを標的にするのは想定外だったかも。メア子が恨んでるのは凱斗兄さんだと思ってたから……」


 那岐が悔しそうに呟くと、箒を片手に采希が居間に戻ってきた。


「凱斗じゃ、強すぎて憑依できなかったとか? それに琉斗も一度メア子に会ってるし、俺の代わりに猫広場に現れたことで、恨みを買う理由はあるんじゃないかと思うんだけど」

「あ、そうだった」


 采希の言葉に那岐がぽんっと手を叩く。


「すっかり忘れてた」

「那岐……」


 琉斗が恨めしそうに那岐を見る。


「あはは、ごめんね、琉斗兄さんも警戒しとくべきだったね。──ところで憑依された時、どんな感じだった? 僕には琉斗兄さんの気配がいきなり消えたみたいに感じたんだけど」

「……なにか、冷たい布のようなもので首筋を触られたような気がした途端、意識が浮き上がったようだったな。自分の意識は身体の少し近くを漂っていて、身体が自分の意志とは関係なく動くのを、不思議な気分で見ていたんだ。──采希」

「ん?」

「……すまない」

「いや、俺のほうこそ……痛い、よな?」


 今になって、采希は琉斗が変な汗をかいているのに気付く。

 咄嗟の対応とはいえ、自分のせいである事に間違いはない。どう声を掛けたものか迷い、ひとまず撒き散らされた塩を箒で集めていく。


「采希や兄貴に怖い思いをさせたことに比べたら、このくらい何でもない」

「はいはい、強がってないで、部屋で休もう。幸い、メア子は抜けたみたいだし」


 榛冴が琉斗の身体についた塩を払い落としながら言った。


「いや、ここにいる。お前たち、何か調べて来たんだろう?」

「うん、少しね。でもホントに平気なの?」


 榛冴が心配そうに聞くと、琉斗は親指を立ててみせる。

 その腕が微かに震えているのを確認し、強がって見せる兄に榛冴は思わず笑ってしまった。


「じゃ、簡単にね」


 那岐が説明を始める。凱斗もゆっくりと壁際から皆の方に移動した。


「まず、生霊って本人の意思でもそうじゃなくても、かなり身体に負担がかかるらしい。メア子の場合、毎日だし、本体は相当消耗してると思うんだけど、これも個人差があると思う。霊的に力があるタイプだったら、まだまだ余力があるかもね。僕たちで解決するとすれば、本人に説明して直接やめるように言うか、向こうの体力──霊力かな、が尽きるのを待つか、だね」

「いつまでか分かれば対応のしようもあるけどな。延々と怯えて警戒してるのはしんどいぞ」


 凱斗がため息をつく。呪いの長期戦とか、笑えない。そもそも、この呪いに終わりなんてあるのか? ──そう考えながら。


「うちにいたら、安全なんじゃないの? 凱斗兄さんもいるんだし。歩く聖域とやらなんでしょ? 今日は琉斗兄さんが生霊を連れて来ちゃったけど」


 榛冴が呟いた、歩く聖域と言う言葉。

 それは、幼い頃にある神社で凱斗に掛けられた言葉だった。まだ凱斗たちの父が健在だった頃、祖母も含めて旅行に行った先の大きな神社。そこの神職の男性から、驚きと共に凱斗に向かって発せられた。

 今回の一件で双子たちの母親の蒼依が思い出し、那岐の『悪いモノは寄ってこない』という発言を肯定していたのを、榛冴は思い出していた。


「……うーん、琉斗兄さんが一度、繋がっちゃってるしなぁ。凱斗兄さんの力も、采希兄さんの夢の中までは届かないみたいだし……」


 那岐が首を傾けながら考え込む。


「あ、俺の夢は心配いらないかも。だから現実の話をしよう」


 采希が軽く手を上げる。自信がある訳ではないが、大丈夫だという気がしていた。


「え?」

「なんとなく、だけど。夢の中なら動物たちが助けてくれそうな気がする」

「でも確実にそうだとは断言できないんじゃない?」


 兄達の会話に割り込んだ榛冴が何やらごそごそとポケットを探っている。

 自分の事には大雑把で無頓着な従兄弟・采希の言葉を、全面的に認める気は全くなかった。


「はいこれ、采希兄さんに」


 采希の掌に、銀の鎖が乗せられる。鎖の先に、六芒星が下がっていた。


「なに、これ?」

「ヘキサグラム。六芒星。籠目紋。ダビデの星。いろいろ呼び名はあるけど、世界的に魔除けの形だって言われてるんだって。那岐兄さんが作ったんだよ」

「……作った?」


 那岐が照れながら笑っている。


「路上で手作りアクセサリーを売ってるお兄さんにお願いして、作らせてもらったんだ。ちょっと歪んでるけど」

「銀粘土とかで形を作って焼いたんだけど、面白そうだったよ。那岐兄さんが作ったんだから、きっとご利益あるよ」

「そうだな。ありがと、那岐」


 さっそく身につけようと、采希が金具に取り掛かる。


「琉斗兄さんの分も作ってくればよかったかなぁ」

「気持ちだけで充分だ」

「声が震えてるぞ。お前、怖かったんだろ?」

「そんなことは……いや……」


 からかうような凱斗の言葉に、琉斗が少し俯く。


「……すごいマイナスな感情だった。采希への執着が、気味悪いほどだったんだ。この人は自分が助けてあげなくちゃ、って。そう考えた理由が滅茶苦茶でな、それが俺には何だか怖い気がした。全身で誰かに依存したいと考えてるのに、自分が何かしてあげる、ということに酔っている……まともな思考回路じゃないんだ」

「……お前、メア子に同調(シンクロ)したんだな」

「……そうなのか? 俺はメア子の感情を感じ取っただけで、その気持ちに同意は全くできなかったぞ」


 しかめっ面で反論する琉斗に、采希は『そうじゃなくて』と軽く額を押さえる。


同調(シンクロ)と同意は違うだろ。そんな感情にお前が同意するとか、どう考えても怖すぎだわ。──相手の感情を読み取った、って意味で同調(シンクロ)って言ったんだ」

「ああ、そうなのか。采希までおかしな事を言うのかと思った」

「おかしな事?」


 一同の視線を受けた琉斗が腕組みをして、思い出そうとするように少し視線を中空に漂わせる。


「采希へのメア子の想いが伝わって来た時、思わず『何だそのおかしな理屈は? こんなヤツ、いるのか?』と考えてしまったんだ。なのに、メア子が『あたしの気持ち、分かってくれるの?』って……。どこにそんな要素があったんだか」


 琉斗の説明に、那岐が嫌そうに眉を顰める。


「琉斗兄さん、もしかして霊媒体質だったのかな? 采希兄さん、そんな話蒼依さんから聞いてる?」

「いや、聞いてない。でも、もしそうなら双子なのに凱斗は霊を寄せ付けなくて琉斗は霊を呼び寄せる、って事にならないか?」

「それは──うーん……」


 困ったように視線を合わせる二人に、榛冴がおずおずと尋ねる。


「凱斗兄さんが傍にいてもダメなの? 采希兄さんの夢の中までは干渉できなくても、琉斗兄さんが憑かれるのは防げるんじゃないの?」


 心配そうな榛冴に、那岐が首を横に振る。


「琉斗兄さんは一度、乗っ取られて感情まで読み取ってしまってるから……メア子にしたら、次はもっと簡単だと思う」

(ルート)が出来てしまっているって事か……」


 榛冴が唇を噛み締めて俯いてしまう。


「俺が狙いなら、琉斗じゃなくて俺に直接くればいいのに」


 采希が呟くと、那岐が首を横に振った。采希がそう言いだす事は、那岐には想定済だった。


「それが無理だから琉斗兄さんが標的になったんだよ。采希兄さんは護りが強いから。それに……」


 那岐が何やら考え込んでいる琉斗に視線を移す。


「なんでか僕には説明できないんだけど……でも、ここまで采希兄さんに執着しているのに、僕にはメア子が琉斗兄さんにも惹かれているように思えるんだよね」


 思いがけない那岐の発言に、采希が一瞬呆けたような表情になる。

 那岐が自分たちには視えない世界を感じているのは知っているが、あまりに思いがけない言葉だった。

 琉斗は学生時代もスポーツが得意で、女子生徒に人気があったのは知っている。だから自分から琉斗に乗り換えたとしても不思議ではないかも、と思ってしまってから、ふと思いつく。


(でも相手は生霊だよな? ……ああ、そっか、本体は生きているから生霊って言うんだし。一度は琉斗に会ってるから、おかしな話じゃないのか)


 微妙に納得したような気持ちになりながら、采希は那岐に尋ねる。


「根拠は?」

「琉斗兄さんがメア子の気持ちを理解できると認定されたっぽいこと、かな。僕は実際会ってないし話した訳でもないけど、思い込みの激しいタイプのようだから。自分の勘違いでも好意を抱いたかもって思って」

「ちょっと想像したくないけど、お気に入りの琉斗の身体に嬉々として憑依する、って感じ?」

「待て待て! ちょっと怖すぎるだろ、そんな女!」


 凱斗が身震いしながら采希の言葉に声を上げる。そんな兄弟たちを余所に、琉斗はぶつぶつと呟きながら何故自分が理解できると誤認されたのかを、延々と考えていた。

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