第3話 走り出す狂気 前編
神社から家に戻り、采希たちが夕食のために母屋に行くと、母屋では従兄弟の榛冴が自分も行きたかったと拗ねていた。
母親の妹の末子・榛冴は、采希より二つ歳下で祖母によく似た少し幼く見える顔立ちをしている。
幼く見える頬を膨らませると、益々少年のように見えた。
「でも榛冴、俺たちは遊びに行った訳じゃないぞ」
「分かってるけど……僕も行ったことないし、ご利益のある石畳の写真、撮りたかったんだよ」
采希と琉斗が顔を見合わせる。何の事だかわからずにお互い首を傾げると、榛冴がスマホの画面を差し出した。
水に濡れると龍のような模様が現れる、という石の写真を、采希と那岐が覗き込む。ただの石に水を掛けると赤や青の線が浮かび上がり、言われてみれば龍の頭部にも見える。
「これなんだけど……まさか、見てないの?」
二人で同時に頷く。その様子を眺めながら、母の朱莉が苦笑いしていた。
しょっちゅうスマホを弄っている榛冴とは違い、采希も那岐もスマホどころか、あまりテレビも見ていないのを知っていた。情報に疎いのは、もう仕方ないだろう。
(霊と電波は相性がいいとか、そんな都市伝説を信じている感じでもないんだけど。そう言えば采希も那岐も小さい頃からゲームやテレビよりも本を読んでる方が多かったな)
従兄弟の榛冴の勢いに引き気味の二人の息子を、朱莉はちょっと可哀そうに思ってしまった。
「マジで? 兄さんたち、一体何しに行ったのさ」
「お詣り」
「あー、もう!」
「だから遊びに行ったんじゃないから」
「有名な御守りすら買うのを忘れたんだから、写真くらい撮ってきてもいいじゃん。わざわざ一日がかりで出掛けたのに」
「…………」
自宅からかなり遠いその場所まで出掛けたにも関わらず、御守りのことなど全く頭になかった采希と那岐は、榛冴の言葉に反論すら出来ない。
思い起こせば、何やら行列が出来ている区画があったと納得した。特にその日は月一限定の御守りがあったらしい。
「じゃあ、今度榛冴も一緒に行こうか」
黙り込んでしまった二人を、フォローするように発せられた琉斗の誘いに、榛冴が渋々頷く。
一連の様子を笑いながら見ていた凱斗が口を開いた。
「いろいろ調べてみたんだけどさ、生霊って、本人が無自覚でも出現するらしいな」
「そうなのか?」
「うちの会社に、そういうのに詳しい子がいて、色々教えてもらった」
自分よりも役立つ情報を持ってきた兄の様子に琉斗が慌てている。その様子に笑いながら、那岐が凱斗の言葉に同意した。
「うん。でもメア子の場合は、自覚あると思うよ。仕事休んでまでも兄さんを待ち伏せたくらいだから」
凱斗が少し考え込んだ。生霊について教えてくれた後輩の言葉を思い出そうとする。
「いや、生霊自体は無意識なんじゃないかな。意識的に飛ばせるなら、もっと采希に影響がありそうな気がする。琉斗から聞いた感じも俺の見た感じでも、生霊よりも本人の気配の方が嫌な感じだ」
「あー、そうかもね。本人が自覚なしで飛ばしているなら、こっちも防衛するしかないってことかな」
「どういうことだ?」
うまく会話の流れに乗れない琉斗が疑問を口に出す。采希には、会話の邪魔をされているようにしか思えなかった。
「お前さ、こういう話題には疎いんだから黙ってた方がよくないか?」
「しかしだな……」
「あー、凱斗と那岐は、相手に自覚があるなら生霊を送るのを止めるようにお願いすることもできるけど、自覚がないなら本人に話しても無駄だって言ってるんだ」
「ああ、なるほど。それはそうだろうな」
霊関係などに興味もなかった琉斗だが、本人は恐怖心を乗り越えて真剣に解決したいと考えていた。もっとも、いちいち説明を求められる采希は既に辟易していたが。
「まぁ、とにかく何か御守り的なものを探してみるか。生霊を防ぐ御守りとか、あんのかな? 悪霊退散的な?」
「凱斗、そういうのに詳しかったっけ?」
「いや、これから調べる」
躊躇なく答える凱斗に、采希はちょっと申し訳ない気持ちになる。
「手間かけさせて、悪いな。俺の事なのに」
「大丈夫、今はそんなに忙しい時期でもないから」
軽く頭を下げた采希をちょっと見つめた凱斗は、照れたように眼を逸らす。
臆面もなく笑顔で礼を述べる従兄弟に、被害を受けているのはお前なんだから気を付けろ、と言おうとして思い留まった。
自分よりも相手を気遣う采希には『気を付けろ』という言葉は効果がないのを、凱斗は理解している。
「それに、お前が生霊に憑かれておかしくなったりしたら、俺たちも大変だろうしな」
「そうだな、気を付けるよ」
うまく凱斗に誘導されたことには気付かず、采希は力強く頷いた。
その夜。
采希の夢の中にその女は再び現れた。
(……メア子だ。本人と顔は違うけど)
「そんな名前じゃないですよ、采希さん。ちゃんと名前を呼んでください。そしたら、いつでも会えるんですから。これから、あたしとずっと一緒に居られるんですよ? 嬉しいですよね?」
(ずっと一緒にって、何だ? もし那岐の忠告を無視して呼んでしまっていたら……)
そう考えて、采希はぶるっと身震いする。
「あんた、なんでそんなに俺に執着すんだ? 俺にはそこまで親しくした覚えがないんだけど」
相変わらず意思疎通が出来るとは思えない状況に、采希がうんざりしながら告げると、女はにっこりと笑う。
「采希さん、あたしに優しくしてくれたじゃないですか」
(だから、何のことだよ)
「それって、あたしのことが好きだから特別だってことですよね? だからね、あたしも采希さんにお礼がしたいんです。いつも傍にいて、お世話させてください」
「……お世話?」
(こいつ、やっぱり何かおかしい)
采希が不審を抱いている様子に気付くこともなく、女が右手を上げて采希を指さす。それだけの動きで、気功を受けたように采希の身体が後ろに倒された。
夢の中で自分の身体が思い通りにならないことは、よくある。でも今のはそういうのとは完全に違うと采希は確信していた。
次の瞬間、女が采希に馬乗りになり、圧し掛かってくる。
(やめろ!)
夢の中だからなのか、うまく叫べない。
女の顔が采希に近付く。その顔は、いつの間にか仮面が剥がれたように元の顔に戻っていた。
気味の悪い笑いを口元に浮かべ、徐々に顔が近付いてきた。猫広場で会った時とは表情が全く違う。
自分に会う時は意識して可愛らしい表情を貼り付けていたのだと、ようやく気付いた。
女に対する嫌悪感から、采希は思わず顔を背けて逃れようともがく。
──その時。
唸り声とともに青銀の毛並みが目の前を横切った。
思わずその軌跡を目で追うと、着地した昨日の猫が、采希を振り返るのが見えた。
女が叫び声を上げて采希の上から退いた隙に、慌てて立ち上がる。
昨日の夜と同じように、猫が采希を庇うように前に立ちはだかった。
そして背後から足音もなく現れたのは、数匹の狼。
(は? なにこれ?)
采希の周囲を護るようにして、狼たちは黙って女に視線を向けている。唸り声を上げるでもなく、ただその身体から相手を圧倒するような怒りの気配だけが立ち昇る。
昨日と同じように女の周りにイタチもどきが現れる。──その数は昨日の倍以上だった。
ケモノ達を認識し、采希の背後にいた狼たちが一斉に飛び掛かった。あっという間にイタチもどきを消し去っていく。
「お前たち、これって誰の仕業?! なんでちぃの邪魔すんの?! 酷い! あたし、なんにもしていないのに!!」
悔しそうに顔を醜く歪め、ケモノを一掃された女は一瞬で消える。
猫が振り返って采希と視線が合った。
(何だろう……何となくだけど、やっぱり俺の護りじゃない気がする)
采希の声が聞こえたかのように、猫が首を縦に振る。
(──! 今、俺の考えに応えた? 夢なんだから、何でもアリか? だったら少し話を……)
「兄さん!」
那岐の声で、采希は急速に目覚める。
不快なほどに全身が汗まみれだ。
「大丈夫? すごくうなされてたけど、平気?」
「……あぁ、多分。那岐、メア子が……」
「来たの?」
「うん、夢の中で襲われそうになった」
「はぁ? サキュバスかよ」
那岐の声で琉斗と共に部屋に駆け付けていた凱斗が、呆れた声をあげる。夢の中での一連の様子を采希から聞き、首を傾げた。
「気功? 手も触れずに相手に干渉するとか……生霊にそんな事できんの、那岐?」
「さあ? でも色情霊がいるくらいだから」
「色情霊は死霊なんじゃないか?」
「……そうだね」
凱斗と那岐が困ったように顔を見合わせる。
「もう向こうにも、余裕はないんじゃないかって気がするな。無理にでも名前を呼ばせようとするのは怪しい気がする。呼んだら、繋がるんだっけ?」
「うん、多分」
「繋がったらどうなるんだ?」
「もっと深く取り憑かれると思う」
淡々と言う那岐の言葉にちょっと想像してみた凱斗が身体をふるりと震わせる。
「そいつが使役していた手駒のケモノはその猫が消したんだろ? だったらもう、意地になって手段を択ばない、なんて事に……」
「そうかも。どうしよう」
「……あのさ」
考え込む二人に采希が恐る恐る声を掛けると、二人揃ってこちらを向いた。
「狼がいたんだ、俺の周りに。あの狼って、あの神社のだと思うか? お詣りしただけで、特に狼をお借りするってお願いはしていなかったと思うけど」
「狼? お札も貰わなかったしね、特別に助けてくれたのかなぁ? どんな感じだった?」
「俺の前にあの猫がいて、左右と後ろに狼が何匹かいたみたいだった。メア子の周りにいた獣を消してくれた。で、みんなに睨まれて、メア子が消えたんだ」
采希が説明するが、動物たちが何か教えてくれた訳でもなく、それだけで何が起こっているのかを断定することは出来なかった。那岐が困ったようにため息をつく。
「よく分からないけど……今日は兄さん、凱斗兄さんと一緒に、うちにいて」
「お前はどこか行くのか?」
「どうしたらいいか分からない。でも、とにかく出掛けてみる。なんだか気分が落ち着かないんだ」
* * * * * *
那岐の言葉に従い、一日中、采希は凱斗と家で過ごしていた。勘のいい、元・霊感少年の言葉に逆らう気は皆無だった。
その那岐とは別に琉斗も出掛けていたが、琉斗は夕刻前に帰ってきた。
「おかえり琉斗。お前今日、仕事だっけ?」
凱斗が声を掛けながら振り返り、怪訝そうな顔をする。俯いたままの琉斗から返事はない。
礼を尊ぶ体育会系の琉斗からは考えられないその反応に、もう一度静かに声を掛ける。
「琉斗?」
訝し気な凱斗の声に、采希は凱斗の視線を追って琉斗を見る。
(──なんだ?)
琉斗の様子がおかしい。
眼が据わっていて、何やらぶつぶつと呟いている。
凱斗が立ち上がって琉斗に近付き、肩に手をかけようとした。
その瞬間、琉斗の手に払い除けられた凱斗が、信じられない勢いで吹っ飛ばされた。その身体が壁に強かに打ち付けられる。
「凱斗!」
叫んだ采希に向かって、琉斗が一瞬で間を詰める。
(なんだよ、この動き? まるで……)
──人間じゃないみたいだ、と思う間もなく采希の身体は押し倒される。
ただでさえ筋力の強い琉斗に、両腕と足を拘束されて動けない。
(凱斗は大丈夫なのか?)
凱斗の事は心配だが、そちらを確認する余裕はない。
「琉斗! お前、何してんだ! どけよ!」
光を失ったような眼が、采希を覗き込む。その眼は見慣れた琉斗の眼ではなかった。
「……お前、まさか……」
気付いた事実に顔を引き攣らせながら、震えた声を発する采希に、にやりと笑うその顔。
目鼻の配置は琉斗なのに、その歪んだ笑い方も寒気のする気配も、琉斗のものではなかった。
「メア子!」
「違いますよ、采希さん。そんな名前じゃないです。ちゃんと呼んでくださいよ。ねぇ采希さん、あたしのこと大好きなんだから、忘れるはずないですよね。なのに、どうして会いに来てくれないんですか?」
「……!」
これまで感じたことのないような悪寒が走る。
采希の手足を抑え込んだ琉斗の口から、不気味な女の声が発せられている。
いつもの琉斗の、腰に響くような低音ではなかった。
「てめぇ、琉斗から離れろ!」
「どうしてそんな事をいうんですか? あたしの事、嫌いになるはずないですよね? あんなに優しかったのに……。昨日、邪魔が入ったから怒ってるんですか? もう大丈夫です。今なら邪魔者はいませんから。安心してください」
自分の中に沸き上がってきたのは、恐怖なのか怒りなのか、分からないままに采希は叫ぶ。
「ふざっけんな! こいつの身体から出て行け!」
「采希さんたら、変ですよ。せっかく二人になれたのに、どうしてそんなに機嫌が悪いんですか? 采希さん、素直じゃないんですね。あたしに甘えたいんですか?」
琉斗の顔が采希に近付いてくる。昨夜の夢が再現されているようで、怖気が走る。
「ちょ……やめろ、琉斗! おい!」
琉斗の身体が、采希に圧し掛かるように前傾姿勢になったことで、少し足の重みが移動した。
(──足が、動く! 琉斗、ごめん!)
思い切って、采希は自分の脚を跳ね上げる。
膝の辺りに嫌な感触を感じながら、キレイに脚の付け根を蹴り上げた。
声もなく琉斗の身体が崩れ落ちる。
「……ナイス、采希。いや、良くはないか?」
「凱斗、大丈夫か?」
「背中、かなり強く打ったみたいだ。呼吸がうまく出来なくて動けなかった。悪い」
采希の上に倒れ込んで気絶している琉斗の身体をどかし、凱斗に駆け寄る。
顔色が青褪めてはいるが大丈夫のようだと確認し、采希は少しだけ安堵した。
二人の視線が、倒れた琉斗に注がれる。同時に呟いた。
「「嘘だろ……」」




