第33話 辿られる記憶
翌朝、前日の疲れからか采希と琉斗はすっかり寝坊をしてしまった。
チェックアウトぎりぎりに旅館を出て、登山口付近までのバスに乗る。
目指した山は小学生が登れる程度だが、舗装されていない道を上って行くのは運動不足の身にはかなり堪えた。
采希と琉斗は黙々と山を登る。
二人とも道は覚えていなかった。それにも関わらず、采希は枝分かれした道を妙な確信を持って進む。
《采希さん、目的地までの道をご存じなんですか?》
水干の童子姿の琥珀が、采希の横をふわふわ飛びながら声を掛けてきた。
「いや、知らない」
《……ですが……》
「心配ない。俺、迷う気がしないから」
《……》
不安そうに采希を見る琥珀を安心させるように、笑ってみせる。
「大丈夫だ」
采希は気付いていなかったが、子供の頃とは逆方向から登っていた。それでも記憶のない采希に違和感はなく、山道のある地点で立ち止まる。
後ろを歩いていた琉斗がやっと口を開いた。
「采希、目的地はここなのか? 何もないただの山道の途中に見えるが」
采希は息を整えながら琉斗を横目で見る。そのまま視線を山の方へと向けた。
「もう少し。──この上だ」
そう告げると、采希は道を外れて山肌を登り始めた。
その辺の下生えや木の枝に掴まりながら、かなり急な勾配を上へ上へと進む。道から二十メートル以上の高さになったところで、山が切り取られたような、かなり広い開けた場所に到着した。
奥まった所に小さなお社。その前に注連縄の張られた小さな鳥居が立っていた。
木製の鳥居は風化でひび割れ、注連縄もほとんど千切れかけている。
「……なんだ、ここは?」
突然視界に現れた異様な光景に、琉斗が呟いた。
「あの時も、お前、そう言ったな」
「……采希?」
首を傾げる琉斗には応えず、采希はゆっくりと鳥居に近付く。
夢から眼が覚めた時のように、自分の中に記憶が戻ってくるのを自覚していた。おそらく、自分がこの土地から読み取っているのだろうと采希は思った。
鳥居にそっと手を触れる。
(そうだ、この場所を見つけて──そして)
「采希、それは……何だか触ってはいけないモノのような気がする」
声が震えている琉斗を、ゆっくりと振り返る。
「そうだな、お前の記憶がそんな気持ちにさせているんだ。だけど、ここにはもう何も居ない。──あの日、消滅させたから」
「采希、お前……? 眼の色が……」
「うん、今、この封印の残骸から……あの日の事を読み取ってる」
鮮やかな紫色に変わった采希の眼に、琉斗はごくりと喉を鳴らした。
「封印の、残骸……?」
「鳥居は、この世とこの世ならざる場所を分ける結界。そして注連縄は、向こうからこちらに来られないようにするための封印だ」
「……何が、あった?」
唇を噛みしめて俯く琉斗に、両眼が紫色に変化した采希が手を伸ばす。
「知りたいか? だったら一緒に、確認しよう」
* * * * * *
「なあ、采希。俺、すごいもの見つけたかも」
琉斗が嬉しそうに采希の耳元で囁く。
小学生の姿の采希が聞き返すと、更に生き生きと話し出す。
「さっきのオリエンテーリングの時、すごく光っている場所が遠くに見えたんだ。きっと何か宝物とかじゃないかと思うんだ。後でこっそり行ってみないか?」
怖がりのくせに色んな事に首を突っ込みたがる子供の頃の琉斗を思い出し、大人になっても変わっていないな、と采希は密かに笑った。予定が詰まっていて、夜まではこっそり抜け出す事が出来なかったのを思い出す。
みんなが寝静まるのを待って采希と琉斗は宿舎を抜け出した。
(俺は一体、何を見たんだ?)
(いいから黙って見とけ)
(……)
二人が訪れたのは、今の采希たちが佇むこの場所。
懐中電灯に照らされた鳥居がかなり不気味だ。
「……ここでいいの?」
「場所はここだと思う。でも……何が光っていたんだろう?」
呟きながら、琉斗が恐る恐る鳥居に近付く。
琉斗は懐中電灯を持った采希の手を掴んでいるが、その手は小刻みに震えている。
「琉斗、怖いならやめて帰ろうよ」
「いや、怖くない。それより采希、この中には何があるんだ?」
「……僕にはよく視えない。でもここは、僕たちが来ちゃいけない場所だと思う」
(この頃の采希は自分を『僕』って言っていたのか)
(だから黙ってろって)
「なんだ、采希の方が怖がっているんじゃないか。俺は怖くなんかないぞ」
そう言いながら琉斗は采希の手を離し、鳥居を手でばしばしと叩く。振り返ってにやりと笑い、鳥居を回ってお社に近付こうとした。
「琉斗! やめてってば! ダメだよ、そっちは──」
「大丈夫だって。ほら、采希も──」
《おおおおおおおおお──》
琉斗の言葉を遮るようにお社から大きく唸るような音が発せられた。
びくりと固まる琉斗に、采希が慌てて駆け寄ろうとする。──その刹那、お社の小さな扉が勢いよく開き、中から異形のモノが飛び出して来た。
黒い、顔のようなモノの集合体。それぞれに空洞のような眼窩と、歯のない顎が外れたような大きな口腔が見て取れた。
一瞬で琉斗が異形の塊に飲み込まれる。
「琉斗!!」
采希は急いで駆け寄ったが、あまりの邪気と瘴気に近付けない。
拒絶する身体と心を奮い立たせ、無理にでも琉斗に近付こうとするが、強烈な向かい風に向かっているように全く進めなかった。
「……りゅう……」
黒い塊の中に、琉斗の姿は確認できない。その事がさらに采希に恐怖と不安を与えていた。
今にも泣き出しそうな采希の視界の隅に、白い光が急速に近付いてくるのが映った。思わずそちらに視線を向ける。
采希の斜め上で停止した大きな光の中から、誰かが飛び出して来た。それは自分たちと同じ年くらいの少年に見えた。
一瞬、背中に羽根があるように見えたが、身体からわずかに発光しているのだと気付く。
眼の前に降り立った少年は采希と同じ位の背丈で、采希よりも髪が短い。そしてその眼は、金色に近いオレンジに見える。
呆然と少年を見ていた采希は、夕焼けの雲のような色だと思った。
異形の塊を一瞥した少年は、采希に向かって声を掛ける。
「あの中に取り込まれたのは、君の友達?」
声を聞いて、少年ではなく少女であることに気付いた。
慌てて従兄弟だと告げると、少女は自分の斜め後ろを振り仰ぐ。
「あれ、消しても中の人には影響ないよな?」
少女が声を掛けた先を見て采希は息を飲んだ。
そこにいたのは背に光彩を背負い、白い袖の無い長い衣装で胸に甲冑を着けた女性のように見えた。宙に浮かんでいる。
光の女性は采希をちらりと見て微笑んだ。
《大丈夫です。急いで消してください》
少女が無造作に右手を振ると、異形の塊は塵や煙のようにあっさりと霧散した。
采希にも分かる程のその力の大きさに驚きながら、慌てて倒れている琉斗に駆け寄った。
その身体に触れ、采希はびくりと手を引く。
──冷たい。この身体に、生気はないのが本能で分かった。
「琉斗? 琉斗!」
采希は琉斗の身体の横に跪き、震える手で琉斗の肩を掴んで揺する。
「琉斗、返事して!」
「ちょっと、見せてくれ」
采希の肩に手が掛けられた。さっきの少女だ。
横たわる琉斗の額に手を当て、眼を閉じる。
「──持って行かれたか?」
その呟きに、何のことか分からず采希が眉をひそめると、上から声が降って来た。
《そのようです》
「取り戻せるか?」
《まだ、追えるとは思いますが……おそらくは禁忌を犯すことになるかと》
「禁忌……」
少女が眉をひそめながら呟き返したその時、さらに上から声が降りて来る。
《そうだ、宮守の巫女。その魂は既にこの世の境を超えた。反魂は、理に反する》
見上げた采希の眼に映ったのは、空を覆うほどに大きな龍の姿。
驚きに、ただぽかんとするしか出来ない采希の隣で、少女が立ち上がる。
「だけど巻き添えで命を落とすなんて、ちょっと酷い。可哀想だろ。──取り戻してくれ」
少女が、臆することなく果敢に龍に反論する。
《しかし、反魂は……》
「ナーガがやらないなら、俺が自分でやる」
《……巫女、しかし──》
「問答無用だ。何の罪もない命を見棄てることは、許さない」
龍といえば神聖なもののように思えたが、少女の態度からはとても畏怖しているようには見えなかった。
こんなものに喧嘩を売るなんて、一体どういう子なんだろうと采希は驚く。
怒った顔のまま、少女が采希の顔を覗き込んだ。
「君、名前は?」
「……上代、采希……」
「この子は?」
「琉斗」
采希の眼をじっと見つめる。その金を帯びた眼は采希の中を見透かしているように思えた。
それでも何故か怖くはなかった。
「あのな、この子の魂はさっきのヤツのせいで遠くに持って行かれたんだ。君はかなり力が強いらしいから、手伝って欲しい」
《……待て、巫女。禁忌を犯せばその子にも反動が──》
少女が空を仰ぐ。龍を睨みつけ、大声で叫んだ。
「采希は関係ないだろ! 反魂の術を使うのは俺だ! 俺にだけ罰を与えればいい!」
《しかし、理に反する罰を決めるのは私ではない》
《そうですよ、ナーガを責めるのは筋違いです。その子があなたに力を貸せば、おそらくは……》
状況はよく分からなかったが、少女は琉斗の魂を取り戻そうとしていて、そのためには自分の力が必要らしいと采希は理解した。
だけどそれには何らかのリスクがあって、龍たちはそれを懸念している。
俯いて唇を噛みしめる少女に、采希は恐る恐る話しかける。
「君なら琉斗を助けられるの?」
「……一人では、無理だ」
「僕が手伝えば助けられるなら、手伝うよ」
《いけません!》
《よせ!》
「……どうして?」
上空を振り仰いで、采希は白く光る女性と空を覆う龍に尋ねる。
《禁忌の技を使えば、あなたにどんな災いがあるか分かりません》
今ここで琉斗を見棄てる以上に酷い事態があるとは、采希には思えなかった。
「──君は? 君にも何か災いがあるの?」
少女に尋ねると、あっさりと頷く。
「先見の力を失う、らしいな」
「さきみ……?」
「予知の力だ」
《お前は宮守の最後の血筋だ。先見の力を失えば、その血は途絶えてしまう。我々もそれでは困る》
なおも押し留めようとする龍たちをうるさそうに見上げ、突然少女がぱあん、と柏手を打った。同時にりん、と鈴のような音が鳴り響く。
その瞬間、采希たちの周りだけが外界から隔絶される。
半球の白いドームで囲まれたような空間の中、改めて少女が采希に尋ねた。
「さっき聞いたように、君にどんな事が起こるか分からない。多分、君の力の一部を失うとかだと思うけど。──どうする?」
「……君こそ、予知できなくなると困るって龍が言ってたけど」
「構わない。予知なんて、出来ないのが普通だ」
「……僕は、琉斗を助けたい」
こくりと頷いた少女が采希の手を取る。
──視界が暗転した。
* * * * * *
「思い出したか?」
背後から聞き覚えのある少し低めの女性の声がして、采希はゆっくりと眼を開ける。以前のように強気な声ではなく、穏やかな声音だった。
琉斗は采希の手を握ったまま、滂沱の涙を流していて、采希は大きく息を吐いた。
琉斗が何を思ったのか、采希には想像に易すぎた。
「あの時、俺の力は失われなかったのか?」
「そうだな……失われはしなかったが、一部が変質した。お前の中にあった抑止機能というか──それが変質して力を制御することが出来なくなった。だからあの時、記憶ごとお前の力を封印したんだ」
声を聞きながら、采希は振り返る。
鳥居に寄り掛かるようにして立つ彼女は、わずかに透けていた。以前那岐と一緒に覗いた、あの巫女だった。
きりりと意思の強そうな目元に、少し薄めの唇。はっきりした顔立ちは美青年でも通りそうだった。
幼い頃の少女の面影が残っている。
「あんたは──」
「うん?」
「あんたの先見の力は?」
「……もう、ないな」
その返答に、琉斗が反応する。
「俺の、せいで……」
「違うな」「違うぞ」
采希と巫女が同時に答える。
「あの時、ここに封印されていたモノは私が浄化するはずだった。多分あいつの狙いは采希で、采希の魂に近い琉斗が、ヤツの采希への誘いというか、呼び掛けに気付いた。普通の人間は近寄れないように結界を置いていたはずなのに、強すぎる采希の力で結界が無効化されたんだ。慌てて飛んで来たんだが──間に合わなかった」
「……だが、俺があの時、采希の言う事を聞いて戻っていれば……」
琉斗の言葉に、采希はゆっくりと首を横に振る。
「いや、この場所に踏み入った時点で手遅れだったと思う。あの時、俺は注連縄から先に踏み込んでいなかったからな、だからお前が襲われたんだろう」
「……」
泣きながら俯く琉斗を困った顔で見ていた巫女が、采希に向き直る。
「よく分かったな、采希」
「まあな。ほとんど思い出したから」
采希の言葉に琉斗が眼を見開く。慌てたように采希の肩を両手で掴んだ。
「采希、身体は? 何ともないのか?」
「おう。ちゃんと生きてるぞ。特に問題はないな」
半分透けたままの巫女が采希と琉斗の方へ歩み寄って来た。
「あの時、琉斗に近い血を持つ采希に、お前の魂を追ってもらったんだ。でも、お前はもう大きな生命の塊というか──そういうものに取り込まれかけていて、魂の一部が消えかかっていた。だから采希の力を借りてお前という魂を再構築した。今のお前は、采希の魂を分けてもらったようなものだな」
「……采希の、魂を?」
「そうだ。元々似通った魂の色だったからな。だからお前だけは采希の力を借り受け取ることが出来る。──お前と采希の魂は、ある意味繋がっているんだ」
琉斗に向かって話す巫女の言葉を聞きながら、采希はそうだったのか、と思う。巫女に力を貸した詳細までは思い出せなかった。
では琉斗の憑かれやすい体質も、元を正せば奴らが自分の力に惹かれたせいと言う事で間違いないんだろう、と考えて一気に気持ちが沈んだ。
──ゆっくり、息を吐き出す。今は落ち込んでいる時ではない。
ふいに、空気が変わった。
空を見上げる巫女に釣られて采希も顔を上げる。
あの日と同じように、大きな龍が浮かんでいた。
その眼は真っすぐに采希に注がれている。記憶のままの姿に、采希はそっと呼び掛けてみた。
「もしかして、ナーガ?」
《お前の封印が解けてしまったことは聞いている。何度も死にかけたこともな。やっとここに戻って来たか》
「──戻って?」
《あの日、お前や巫女と約束したからな。お前たちの力を元に戻せ、というのは無理だが》
「約束……」
《記憶を取り戻し、この場所に戻って来られたら、お前に力を貸す。あの日お前と、そう約定を結んだ》
采希は、覚えていなかった。
少し不安な気持ちのまま、隣に立つ巫女の横顔を見た。
幼い頃、采希が少年と見間違えたその顔は、長めの髪を切ったら美形の俳優にも見えそうだ、と思った自分に苦笑する。見惚れている場合ではない。
采希の視線に気付き、巫女が申し訳なさそうな顔で微笑んだ。
「覚えていないだろうな。封印後のお前は、少し朦朧としていたはずだから、仕方ない。自宅に戻ってから、熱をだしただろう?」
「──何で知ってる? 確かに母さんがそう言って……お前、まさか俺を監視したりしてないだろうな」
「監視なら、していたぞ。私の眼ではないがな」
「──おい」
「何かあった時だけ教えてもらうようにしていた。お前を常に観ていたのは、千里眼の霊鳥だ」
「…………」
「封印した後の状況を知りたいのなら、見せてやるぞ」
采希は覚悟を決めて頷いた。




