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巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第7章 封印の守護者
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第32話 符合する要素

采希(さいき)、そろそろ休まないか?」


 この日何度目かの、いい加減聞き飽きた台詞が采希の背後から聞こえた。

 采希はこれまで通り、完全に無視してひたすら緩い登りの街道を歩く。


「なあ、采希……」

「うっせーな! だから付いてくんなって言ったろうが!」


 堪らず采希は振り返りながら琉斗(りゅうと)を睨みつける。

 朝からずっと歩き続けているのはさすがに堪えるらしく、昼過ぎからずっと琉斗の『休もう』コールは止まらない。

 采希は琉斗や那岐(なぎ)ほど体力がある訳ではないが、最初からどの程度歩くかの覚悟が出来ていた分、琉斗よりはマシだった。


「だって、もう何時間歩いているんだ? ヴァイスに乗せてもらってはダメなのか?」

「……喋ると余計に消耗するぞ」


 琉斗の意見はもっともだったが、采希はあまり白虎に頼りたくはなかった。白虎を信用していない訳ではない。

 自分の守護とはいえ、頼りきりになってしまうのが何となく怖かった。気脈から断絶された時のように、白虎と繋がれないだけで泣きそうな気持ちになる自分が嫌だった。

 姿が見えないように白虎を隠形させても、極稀にその存在に気付く者もいる。弟たちのような『見鬼』の能力は、珍しくもないらしいと聞いていた。


「しかしだな、昨日は野宿だったし……小太郎さんにお礼も貰ったのに──」

「俺の金だし、ほっといてくれ。勝手について来たお前が悪い」


 確かに、いくら琉斗の体力があるとはいえ、野宿の後ではキツいかもしれない、とは思っていた。なのに何故か采希自身は、目的地に近付くほど身体が軽くなっているように思えた。

 采希の左手に装着されたバングルから穏やかな声が掛かる。


《采希さん、琉斗さんの体力はかなり消耗しています。そろそろ休まれてはいかがでしょうか? 気付かれていないようですが、采希さんの脚も限界のようですよ》

「俺の……?」


 琥珀の言葉に思わず立ち止まる。大腿部を手で撫でてみると、はっきりと筋肉の形がわかるほどに固くなっていた。

 意識した途端に、微かに痙攣し始める。最近は運動らしい事をしていなかったし、限界か、と采希は考える。


「琥珀、この先に宿はあるか?」

《そうですね、あと5キロほどかと……》

「ご?!」


 琉斗の声が裏返る。見るからに情けない顔で、がっくりと肩を落とした。

 ──仕方ない。采希は来た道を振り返る。ちょうどいいタイミングで来た空車のタクシーを停めた。

 琉斗が笑顔になり、いそいそとタクシーに乗り込む。


「すみません、この先でどこか宿泊できるホテルか旅館までお願いします」


 采希が言うと、すかさず琉斗が身を乗り出す。


「できれば温泉のあるところが──」

「お前は黙ってろ」


 タクシーのドライバーが面白そうに笑う。少し先の旅館の女将が知り合いだから値段も交渉してやると言われ、采希は丁寧に礼を述べた。




 思っていたよりも大きな旅館に到着し、親切なドライバー氏の値引き交渉の末、景色のいい和室に通される。

 狭くても構わないと言ったのだが、案内された部屋はゆうに十二畳はある。二人では広すぎな気がした。

 畳にごろりと横になってみると、脚の筋肉が軽く痙攣しているのがよくわかった。

 采希は身体を起こし、這うようにして部屋に準備された備品の傍に辿り着く。


「俺、先に温泉入ってくる。ちょっと脚がつりそうだ」

「待ってくれ、俺も行く」

「待たない。俺の脚は限界。別に一緒に行かなくてもいいだろ。大浴場なんだから自由行動って事で」

「……場所が分からないんだ」


 采希は面倒くさそうな表情を隠そうともせず、黙って部屋の真ん中に据えられた大きな卓の上を指差す。卓の上にはお茶のセットと、旅館の案内のファイルが並べられていた。


「──そこに書いてある」


 そう言い放ち、一人で旅館の浴衣とタオルを手にスリッパを履いて部屋を出た。




 半ば衝動的に駅に向かってしまった采希は、財布以外何も持たずに家を出てしまった。

 さすがに余所様のお宅にお邪魔して着たきりと言う訳にもいかず、小さなデイバッグと着替えが増えてはいたが、それも凱斗たちが乗って来た車に乗せてしまっていた。

 ほとんど荷物を持たない当てのない旅だったが、采希は妙に清々した気持ちになっていた。

 気持ちと裏腹な重い身体を引き摺って、采希は旅館の大浴場に辿り着く。


 まだ早い時間なのか、大浴場には人がいない。汗まみれの身体を洗い、頭を洗い始めたところで、琉斗がやって来た。


「おぉ、人がいないな。貸し切りみたいで、いいな」


 そう言いながら、呑気そうに采希の隣で身体を洗い始めた。


「もう連休も終わりに近いし、まだ時間も早いからな。時期的にもそんなに観光客が多くないらしい。だから値引いてくれたんだろ」


 夕食まではまだまだ時間があった。采希は大きな風呂の縁に腰掛け、膝から下だけを湯の中に入れてゆっくりと下腿のマッサージを始めた。

 軽く指圧しただけで、かなり痛い。

 翌日の筋肉痛を思い浮かべ、少し憂鬱な気分になる。

 しかも筋肉痛が明日来るとは限らない。


「ひとりでマッサージするのは大変だろう? 俺に任せろ」


 琉斗が湯船に入って采希の下腿に手を掛ける。


「いや、いい」

「遠慮するな。俺の方が慣れている」


 悔しい事に、その通りだった。足首からゆっくりと膝に向かって、筋肉に沿って琉斗が親指を滑らせる。時折、ツボにぎゅっと力を加えられるのが痛くて気持ちいい。

 琉斗はいつも運動後のクールダウンまで丁寧に行っているのだろう、と推測できるような丁寧なマッサージだった。

 運動後に入浴してそのまま寝てしまい、翌日の筋肉痛に苦しんでいる凱斗とは真逆だと思った。


「双子なのに、全然違うよなぁ」


 思わず呟いた采希に、琉斗が怪訝そうな顔をした。


「何のことだ?」

「いや、何でもない」


 両脚をほどよくマッサージしてもらったところで、采希は琉斗に声を掛けた。


「かなり楽になった、悪かったな。のぼせる前に湯船から出た方がいいぞ」


 そう言いながら、湯船に全身を浸す。さすがに身体が冷えて来た。

『悪かった』じゃなくて、お礼を言うべきだったと気付き、口を開きかける。


「まだ大丈夫だ。それに、これでは足りていないはずだぞ。──采希、明日も歩くのか?」

「ああ、しかも明日は、山だな」

「……それは歩くのではなく『登る』と言わないか?」

「そうだなぁ」


 大きく息を吐きながら、のんびりと答える。腕も脚も思い切り伸ばして、ゆっくりと力を抜いた。

 礼を言えるタイミングではなくなってしまった事に、ちょっと眉を寄せる。


「そうだ采希、姫はどうした?」

「凱斗のとこ。念のためにこっそり預けた。すぐにバレるだろうけど」

「念のため?」

「何かあった時に巻き込む訳にはいかないからな。姫は龍神から預かってるだけだし」

「……ここで何か、あるのか?」


 采希は神妙な顔の琉斗をちらりと横目で見る。どう答えたものか迷いながら眼を伏せ、正直に呟いた。


「さあ?」

「さあ、って……」


 困惑したような声が琉斗の口から洩れる。采希は大浴場から見える景色に視線を向けた。


「俺にも分からないんだ。だけど、ここに来れば何かあるんじゃないかって思った」


 采希の言葉を待つように、琉斗が湯船の中で腕を組んだ。


「小学生・夏・山、そして龍だ」

「……?」

「小学生の時、夏休みに登った山が、この先にある」

「思い出したのか?」

「場所だけはな。──五年生の時だ。お前と那岐(なぎ)も一緒だった。何かのイベントでこの山の宿泊施設に来ている」

「俺もか? ──あぁ、少年の家とかなんとかいう……」

「そう、それ。でも何があったのかは全く覚えていない。母さんも『視えなくなったのはその頃だろう』って言ってたしな」

「……巫女さんのヒントと符合したわけか」

「そう。『空と地と、そして海の龍の加護』って白狼(ロキ)に言われたのも気になってて。──空の龍の加護ってのが、記憶にない時期に会っているとすればここだと思った」

「全部、ここに繋がっている?」


 口元まで湯につかり、采希はちょっと迷いながら答える。


「断言はできないけど、多分」


 それきり、琉斗も黙り込んでしまった。




 たっぷりの美味しい食事を堪能して横になると、もう采希は起きていられそうになかった。

 行儀悪く仰向けに大の字で寝転がり、このまま睡魔に襲われてしまおうかと考えていると、突然琉斗に身体をごろりとうつ伏せにされた。


「さっきの続きだ、采希」

「はい?」


 応える代わりにいきなり尻を手の平でぐっと押された。


「……っおい!」

「この辺、痛いだろう?」


 尻の上の方を押されると、脚がぴくりと反応するほど痛い。

 なるほどと納得し、采希はされるがままマッサージを享受することにした。

 琉斗の頭の中には筋肉の位置が正確に記憶されているらしく、緩急をつけたマッサージにますます眠気が襲ってくる。

 気付くと采希は、口元から細く涎を流し、布団を敷きに来たお姉さんの声で覚醒するまで堪能していた。


「そういえば、お前の方が疲れたって大騒ぎしてたんじゃなかったか?」


 采希の問いに、琉斗がちょっと眼を逸らす。

 その仕草で采希は気付いた。


「紅蓮」


 采希の呼び掛けに、小さな巫女装束の少女が琉斗の腕に着けた金のバングルから飛び出す。采希の意図を酌んで、勝手に喋り出した。


《琉斗はねぇ、采希は疲れているはずだって。破邪の弓は引くだけでかなりの力を消耗するらしいし、小太郎さんの家に結界も張ってたんだから、休ませてあげたいって──》

「紅蓮! おしゃべりなレディは采希に嫌われてしまうぞ。さぁ、腕輪の中に戻るんだ」

「俺が紅蓮を嫌う訳がない。おいで紅蓮」


 慌てて捕まえようとする琉斗の手を器用にすり抜け、紅蓮が采希の手の中に飛び込んでくる。

 手の平にちょこんと座った紅蓮から読み取るまでもなかった。

 落ち着かない様子の琉斗が面白くて、采希は揶揄(からか)うように笑う。


「俺、そんなに体力なさそうか?」

「いや、そうじゃない。そうじゃなくて……」

「心配してくれるより、もう少しマッサージしてくれた方が俺は嬉しい」


 琉斗が少し笑って布団を指差す。

 采希が枕を顎の下に抱え込み、いそいそとうつ伏せになると、背中から腰にかけて、かなり力を入れた指圧が始まった。


「……采希、お前、ちょっとおかしいぞ」

「何が?」

「こんなに全身が強張(こわば)っているのに、歩くペースが落ちなかっただろう?」

「そうか? 気付かなかった。何となく、どんどん身体が軽くなってく気がしてたけど」


 采希の返答に琉斗が否定するように唸る。


「こんなに筋肉が疲労しているのに、身体が軽いはずがないだろう。それはお前の気持ちのせいじゃないのか? ──この先の山に、一体何があるっていうんだ?」


 身体をひねり、枕から顔を上げて琉斗の顔を見上げる。


「お前、山に来た事を覚えてないって言ってたよな?」

「ああ」

「俺も覚えていなかったし、那岐もそうだ。あいつ、そこだけ記憶が曖昧で繋がっていないっていうんだ。それ以前の──俺が力を封印される前のことはよく覚えているのに、だ」

「小太郎さんの家で遅くまで那岐と話していたのは、それか?」


 琉斗が跨っていた采希の背中から降りて、きちんと座り直す。采希も起き上がって琉斗の前に座った。


「……凱斗(かいと)榛冴(はるひ)は?」

「参加していない。あいつらは海の方のイベントに参加している。母さんに確認したから間違いない。だから多分、こっちに参加した俺とお前、そして那岐の間でだけ起こった何かの事件のせいで記憶が封じられているんじゃないかと思った」

「だが三人とも全く覚えていないなんて、あるのか? 逆に思い出に残らないほどつまらなかった、と考える方が自然じゃないか?」


 琉斗の意見ももっともだと思った。普通なら、そう考えるだろう。

 だが采希には確信があった。

 生霊事件の時、自分たちの記憶は巫女の力で一時的に忘れさせられている。何日分かの記憶にのみ齟齬があったのは、完全に忘れてしまえば日常生活に支障を来たすからだったのだと理解出来た。

 逆に言えば、短時間の記憶ならば完全に封じる事も可能なのではないかと考えていた。


「相手があの巫女殿だしな。それ位の芸当は出来そうだ。記憶って連鎖的に思い出すらしいし、思い出す事で封印が解けるのを危惧したのかもな」

「何のために?」

「さあ? だからそれを捜しに来たんだけど」

「消された記憶でも思い出せるのか?」

「記憶の仕組みは俺も良く分からない。でも()()ことは出来ないんじゃないかって、そんな気がする。だから封印に至ったその事件の記憶を丸ごと深層意識下に沈めたとか」


 あくまでも采希の想像に過ぎなかったが、琉斗の眉間には考え込むように皺が寄る。

 はっと顔を上げ、采希を凝視した。


「なぁ、采希」

「何だ?」

「思ったんだが、封じ込めるような記憶ってあまり良くない記憶なんじゃないか?」

「俺もそれは考えた。でも俺は、この山の事を思い出した時、嬉しかった。自分の欠けた一部が戻ったような気がしたんだ」

「……」


 琉斗は更に険しい表情で黙り込む。その顔を見ていると、采希は何となく不安な気持ちになる。


「まだ何か──」

「采希!」

「……なに?」

「記憶が戻ったら、お前の力の封印も解けるんだよな?」

「あ~……そうだな、多分。そういう約束だし」


 いきなり琉斗が膝立ちになって采希の肩を掴む。


「ダメだ!」

「おおぅ……何を──」

「それはダメだ、采希! お前の身体がもたないから封印したのだと、そう言われたじゃないか!」


 怒ったような顔のまま、琉斗の眼に涙が浮かぶ。


「それだけはダメだ。お前の記憶の一部が無くても、それでもいいじゃないか。お前の身体が危険になるより、その方が──」

「待てって、なんでお前が泣いてんだよ。別に封印が解けたって、それだけで俺が死んだりする訳じゃない。力を使う事が身体の負担になるって事なんだから。そんなに心配することはないだろ」

「いや、お前は俺たちのためなら無理をするに決まっている。この間だってそうだ。お前は自分の大切な者のためなら全力で護ろうとする。自分の身体の状態や自分の命に対して無頓着すぎるんだ」

「……」

「このまま、帰ろう采希」


 涙を拭おうともせず、肩を掴んでいる手に力がこもる。

 以前、自分の力を奪われた時の記憶が過り、采希は思わず身体を引こうとした。


「……おい」

「ダメだ。お願いだから、帰ろう」

「……琉斗」

「お前を死なせたくないんだ、采希」

「……人の話を聞けって」


 肩を掴んだままの琉斗の頭に拳を下ろす。鈍い音がして、ようやく采希の肩が開放された。


「聞けよ。俺の力が戻ったら、お前に力を渡す方法も見つかるかもしれないだろ?」

「……? 闘気を受け取ればいいんだろう? もう出来るじゃないか」


 采希はぎゅっと眼を閉じ、そのまま顔を琉斗から背ける。


「あ~~~……。ごめん、実は、無理」

「…………はぁ?」

「あの時は出来たはずなんだ。だけどな、その後は、その、出来なくて……」


 とても琉斗の顔が見られない。顔を見たら言いにくく、期待されている事に応えられないのが心苦しかった。


「慣れていないせいだろうって、那岐は言うんだけど。──普通の状態から闘気を出す事が、俺にはちょっと……今は、無理だ」


 采希がそっと薄目を開けて窺うと、琉斗は呆けた表情で口を半開きにしていた。


「……琉斗?」


 采希の呼び掛けに琉斗は我に返ったようにゆっくりと口を閉じた。


「闘気、というのは具体的にどんなものなんだろうな」

「文字通り、闘う時に発する()だろ。身体の感覚がうまく掴めなくて……」


 申し訳なさそうな顔をした采希に、琉斗はふっと笑みを浮かべる。


「問題ない。考えてみればそうだな。采希、俺はお前が平穏な状況で闘気を発するような人間じゃなくて、よかったと思うぞ」


 心底、嬉しそうに話す琉斗の言葉を、采希は心に留める。琉斗はいつでもこうして采希を肯定してくれる。その優しさがくすぐったい気がした。

 記憶が戻って封印が解けたら、巫女殿に頭を下げてでも気の扱い方を教えてもらおうと、そう心に誓った。

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