表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第6章 海神の誓約者
33/133

第29話 新月の孤島

 采希(さいき)と晴海はそのまま家に戻り、采希は小太郎に頭を下げた。


「采希くん、明日は船は出さないんだ」

「晴海さんから聞いています。──新月だから、ですよね?」

「そう。これまでも新月の日に船を出して、帰って来なかった者が何人もいるんだ。君をそんな目に合わせる訳には……」

「俺なら大丈夫です。それに多分、俺なら新月の呪いを解けると思うんです」

「……」


 渋い顔の小太郎に、采希はにっこりと笑ってみせる。


「実は俺、こんなのに護られてるんで」


 ゆっくりと采希の背後に白虎が現れる。小太郎と晴海は口をあんぐりと開けたまま声も出ない。

 小春だけが『うっきゃー』と叫び、大喜びしていた。


「にゃーにゃ!」


 白虎に急いで歩み寄り、その毛皮に顔を埋めている。


「小春、ヴァイスだよ」

「ばいしゅ!」


 心なしか白虎も喜んでいるように見えた。


「だから、俺の事は心配いらないです。ただ、船を出してもらう事はお願い出来ないでしょうか。小太郎さんは、この白虎が全力で護ります」


 小太郎が、意を決したように顔を上げた。




 夜、港から静かに船が出る。時刻は午前二時を回った頃。

 小島が徐々に近付いて来る。

 月のない夜空をバックに、更に黒いシルエットが浮かび上がる。

 念のため采希は、白虎に小太郎を優先的に護るように伝えてあった。

 その白虎がほの明るい光を纏って現れる。


「ヴァイス、何か来たのか?」


 采希の問い掛けに答えることなく、白虎は前方の小島を睨むように見つめている。

 龍の姫と琥珀がそれぞれ飛び出して来た。


《采希、来る!》


 龍の姫の声と同時に、小島の祠からどろどろした【気】が襲い掛かって来るのが見えた。

 采希は右手に金剛杵を出現させる。船の前方に放り投げ、叫んだ。


「おん あびら うん けん!」


 金剛杵が光を放ち、空中に梵字を描き出す。

 梵字の防護壁が小島の方角から放たれた気をしっかりと防ぐと、辺りに金属音が響く。


「琥珀! おいで!」


 采希の声に応えて琥珀が姿を変える。

 一瞬で現れた白銀の弓の弦に、弓掛が装着された右手を添える。

 頭上に高く掲げ、引きながらゆっくりと手を降ろす。引くにつれ、光の矢がその姿を現した。


(なうまく さまんだ ばざら だん かん)


 引き切った所で、声に出さずに真言を唱える。

 光の矢が更に輝きを増す。

 ひゅうん、と風を切り、矢は真っすぐに祠の中に吸い込まれていった。

 呆然と事の成り行きを見守っていた小太郎が、身を乗り出す。


「采希くん、矢が……吸い込まれてしまっ──あ!」


 祠から、放射状に光が溢れた。

 長年の呪いが、奇声を上げながら消滅していく。


 後には波の音だけが残った。




「……すごいな、采希くん、那須与一みたいだな」

「那須? ──壇ノ浦の?」

「うん、的は扇じゃなかったけど。この距離で一発必中はすごいな。──弓道をやっていたのか?」


 采希は黙って首を横に振る。おそらく、多少狙いがズレていても琥珀が軌道修正しているはずだと思った。

 どう考えても自分に、この距離で必中できるような技量はない。ちなみに、本当は祠まで届く自信もなかった。


 それよりも采希には、祠を浄化した時に気になった事があった。

 祠が、どこかと繋がっている気配がしたのだ。ぶつりと切れた気配の先、既に灯りもほとんどない陸地に視線を向ける。


「小太郎さん、この先って、何があります?」


 采希の差した方角を見て、小太郎が首を傾げる。


「真っすぐだと、確か崖がせり出しているな。ほんの小さな海岸があるけど」

「そこ、行けますか?」

「いや、かなり遠浅で、船は着岸できない。それにあそこは……」


 小太郎が言い澱む。


「潮流の関係で、よく流れ着くんだ。……つまり、溺死体が。──行きたいのか?」

「……いえ、いいです」


 どのみち、暗くて確認できないだろうから、後でもいいかと采希は考えた。



 船の前方に放り出されていた金剛杵を、龍の姫が両手で持ち上げながら宙を飛んで運んで来た。


《あの祠にも、本来の役割をさせてあげなくてはならないと思うんだけど》


 龍の姫の言葉に、采希は思わず首を傾げる。


「それって、あの祠に海神を呼ぶってことか?」


 そう尋ねると、あっさり否定される。


《海神は祠には鎮座しないって言ったでしょ。でも祈りを捧げる場として、復活させるべきだと思う。せっかくいい場所にあるんだし》

「いい場所って、龍穴とか?」

《……そこまでじゃないけど、元々祈りの起点になるほどの場所だし。あとはこの土地の人の仕事》


 龍の姫に見つめられ、小太郎がはっと目を見開く。


「……分かりました。俺たち漁師や海の仕事をする者達がきちんとお祀りします」


 神妙な面持ちで頭を下げた。

 采希が祠のある辺りを確認するように眺めていると、まだ弓の形状のままの琥珀が慌てた声を出した。


《采希さん、私が変化(へんげ)したことで紅蓮に気付かれたようです》

「居場所を特定されたってことか?」

《はい。おそらく、方角だけだとは思われますが、榛冴(はるひ)さんの()那岐(なぎ)さんの()がありますので時間の問題かと》


 見鬼(けんき)である榛冴の眼と、野生動物並みの感覚を持つ那岐。

 この二人に居場所を特定されたら(かわ)すのは至難の業だろう、と采希は思った。

 今すぐこの地を離れるべきだろうか、と考える。


 だが、潮の匂いに混じって、微かに獣の匂いがしていたのを采希は確認していた。

 恐らくは祠を穢していた張本人が采希に気付いたのだろうと思った。真っすぐに恨みの念が伝わってくる。


 ──まだ、終わっていない。

 采希は小さくため息をついた。



 * * * * * *



 遠くから小島を眺め、晴海は眼を細めた。


「すごい、全然気配が違う……」


 その隣で采希は頭を掻きながら困った顔をしていた。


「俺にはよく分からないんですけど、そんなに違いますか?」

「うん、すごく清浄になってる。采希くん、あんまり眼は良くないの? ──視力じゃなくて」

「まあ、そうですね。俺の従兄弟の末っ子が一番良く視えて、俺の弟もかなり視るんですけど。その従兄弟の兄の双子たちはほとんど認識できないんです。なのに除霊したり結界を作ったりは出来るとか……なんだろう、考えてみるとかなり偏ってる感じですかね」

「へぇ……血縁なのに、それぞれ持ってる力が違うの?」

「そうみたいですねぇ」


 面白がる晴海にせがまれるまま、采希は家族の話をした。家族から離れてからほんの数日なのに、妙な懐かしさがあった。

 もしかしたら自分は寂しいんだろうか、と考えてしまう。

 感心しながら聞いていた晴海が、不思議そうに言った。


「そっか、従兄弟の双子くんでもそんなに違うんだ。ま、一卵性双生児でも全く能力が違ってる例もあるみたいだしね。片や寄せ付けずに、片や呼び寄せる、か。面白いね」

「……」

「それで、力を受け渡せるようになったの?」


 答えに詰まった采希は、小さくため息をついた。


「色々試したんですけどね。どうしても渡すことができなくて。一度だけ、琉斗(りゅうと)に無理矢理『持って行かれた』以外は出来ていないです。なので、紅蓮に力を直接渡してから琉斗に使わせる、って方法にしてみたんですけど、どうも効率悪いみたいなんですよね」

「ちょっと待ってね。愚問かもしれないけど、『気』と『力』って、別物なの?」

「……あれ?」


 晴海の質問に、采希が戸惑ったように眼を瞬かせる。


「身体の中や表面を巡るのは、気だよね。それが外部に向けて作用したら、力って呼ばれるのかな。そんな感じで認識していたんだけど、采希くんの話を聞いていたら全く別物みたいに聞こえて」


 口を半開きにしたまま、采希は黙って耳を傾ける。


「那岐くんが攻撃されて、那岐くんを癒そうとした時は、采希くんの気はきちんと那岐くんの中に溶け込んだって言ってたよね? 同じ要領で琉斗くんにも気を送り込んでみた事は?」

「──言われてみれば、試したことはなかったですね。でも、治療のための気と攻撃するための気って、同じでいいんですかね?」


 晴海があっと声を上げて天を仰いだ。


「気の、()が違うのかも。そうか、そうだよね。治療も攻撃もしたことないから気付かなかった」


 それはそうだろうと采希は頷いた。一般的には晴海のように、せいぜい感知と防御に使われるのだろうと思った。


「いや、でも何となく光明が見えた気がします。気の質なんて、考えてもみませんでしたから」

「その、巫女殿とやらには聞けないの?」

「……おぉ、思い付かなかったですね……」

「聞いた限りでは中々に世話焼きさんみたいだし、聞けば教えてくれそうなのに」

「──う、いや……それは……」


 采希は思わず口籠ってしまう。

 力を琉斗に奪われて怒られ、喧嘩を売って軽くあしらわれた。

 それなのに『教えてくれ』と言うのは、何となく完全に負けてしまうようで悔しいのかもしれなかった。

 確かに、教えないとは言われていない。でも……。


「何となく、聞きにくくて」

「どうして?」

「負けを認めるみたいな感じ、ですかね……」

「采希くんは、そんなに負けず嫌いには見えないよ」

「……」

「負けたくないくらい、巫女殿は特別とか」


 ぎょっとした顔で晴海を見返すと、晴海は面白そうに笑っていた。


「……俺、逢った事もないんですけど」

「聞いてみるのが一番手っ取り早いと思うよ。琥珀様を実体化させるような力の持ち主なんだから。──さて、帰ろうか。そろそろ小春もお昼寝から起きる時間だ」


 くるりと(きびす)を返して立ち去る晴海の後ろ姿を眺めながら、采希は少し感動している自分に気付く。

 晴海と話した事で、自分の中に答えのヒントをもらったような気がした。


 ──まだ、考える事はたくさんあるけれど。


 そっと溜息をついて、采希は琥珀に声を掛ける。


「琥珀、紅蓮はどうしてる?」

凱斗(かいと)さんたちと、こちらに向かっているようです。早ければ明日にも我々を確認するでしょうね》

「明日か……」


 では、決行は明日だ。采希は早足で歩き出す。




 その夜、小春が眠ってしまったのを確認して、小太郎が采希に尋ねた。


「采希くん、あの祠にいたモノを排除した事に気付かれたって言ってたけど、誰に気付かれたのかは分かってるのか?」

「あの祠を穢した犯人というか、海神が贄を求めるってでっち上げた張本人、ですかね」

「海神が贄を要求していると嘘の情報を流して、実は何に対して贄を与えていたんだ?」

「──聞かない方がいいと思います。かなり昔から繰り返していたらしくて、今は相当凶悪な状態なんじゃないかと感じました」

「そいつが采希くんに気付いたってこと?」

「俺に気付いたのではなくて、自分たちがせっせと集めた念を消された事に、ですね。はっきりと俺を特定するのに、何か仕掛けてくるかもしれないです。恐らく、俺が消したのはごく一部だと思うので」

「……?」

「獣系の匂いがしたんです。呪術の残り香っていうか……俺、那岐──弟ほどは鼻が利かないんですけど」

「ケモノ……」


 小太郎が嫌そうに眉を顰めると、晴海も指先が白くなるほどきつく手を組みながら尋ねる。


「あの祠に何かの呪術が仕掛けられていたってこと?」

「はい。おそらくですけど、あの祠だけじゃないと思います。もう一か所、どこかに繋がっている気配がありました。贄を与えていたのはそっちの方だと思います。どんな呪術かは俺には分かりませんし、他の場所がどこかも分かっていないんですが」

「だったら、それって……」



 突然、小春の叫び声が響いた。

 尋常ではないその声に、全員が立ち上がって転がるように寝室に飛び込む。

 布団に座り込んで、火が付いたように泣き叫ぶ小春の身体が、薄黒い靄で包まれていた。

 晴海が小春の元に駆け寄ろうとするが、何かに阻まれて近づけない。


「小春!」


 晴海の悲痛な声を聞きながら、采希は右手に気を込める。

 出現した金剛杵を身体の前にかざしながら靄のぎりぎりまで近付く。


「ヴァイス、頼む」


 采希の呼び掛けに応え、現れた白虎が見えない壁を切り裂く。

 その隙間から飛び込み、采希は小春を抱き上げた。


「ちーにーしゃ!」


 必死にしがみ付く小さな頭をゆっくり撫でる。


「小春、もう大丈夫だよ」

「ちーにーしゃ、むしむし!」


 小春が指さす方を見る。それは、いつの間にかそこに居た。

 蛞蝓(なめくじ)のようなシルエットに、百足(むかで)のように無数の足か触覚のようなモノが生えている。

 頭部と思われる場所には、目が判別できないほどに垂れ下がった瞼と、醜悪に口角の上がっただらしない口があった。


(……何か、これは……覚えがある。この感じは、()()だ)


 その者の本質を現すような、気味の悪い姿。

 怯えて采希の肩に顔を埋める小春に、そっと話しかける。


「大丈夫、兄ちゃんが今、退治してあげる。ほら、見てて」


 采希は生霊に右手を向け、そのまま拳を握る。不気味に蠢いていた生霊の動きがぴたりと止まった。


(この程度の力で俺に対抗しようってのか? ──ふざけんな。小春を怖がらせやがって!)


 采希の怒りに、額の辺りがちりりと反応する。

 ゆっくりと手刀印で四縦五横に九字を切っていく。

 空中に浮かんだ碁盤の目のような九字の軌跡を斜めに払うと、九字はその形のまま宙を移動し、生霊を切り裂いた。


 生霊を送った本人に返してもよかったが、消滅させてしまう事に躊躇(ためら)いはなかった。

 こんな事をする卑怯者の気など、消すことで生気を削り取ってしまった方がいいと思った。


 小春の眼が大きく見開かれる。


「ちーにーしゃ……むしむし、ない?」


 腕の中で小春が采希をそっと見上げる。


「もういないよ。……ごめんね、怖かったね」


 涙でぐしょぐしょになったまま、もう一度采希の肩に顔を埋める。

 小さな頭をそっと撫でながら残っていた壁を消し、采希は晴海に小春を渡した。


「ちょっと、この家の護りを固めて来ます」




 外に出て、家の周りをぐるりと一周する。

 念入りに気を巡らせ、一気に家全体を包む結界を張った。

 金属をぶつけたような『ぎぃん』という音と共に、立方体のような結界が組み上がる。

 あの程度の生霊なら全く問題無いという琥珀のお墨付きをもらって、采希はほっとした。


《采希、凱斗が……》


 家の中に戻ろうとすると、龍の姫が現れた。


「何? もう見つかった?」

《呼んでる……》


 そうか、と采希は思う。明日には追い付かれるらしいが、この状況で凱斗たちが来たら騒動に巻き込んでしまいかねない。

 それだけは避けたいと、そう思った。


「……姫、頼みがある」

《……》

「あいつらの所に行って、危険だから来ないように言ってくれ。無理にでも引き留めてほしい」

《……だけど、采希……》

「俺なら平気だから。琥珀もヴァイスもいるし。明日にはここを離れるつもりだしな。俺もわざわざ災厄に飛び込む趣味はないから、さっさと逃げるよ。だから、あいつらを絶対来させないでくれ」


 龍の姫の采希を見つめる眼が、迷うように揺らぐ。


 この地の穢れを見棄てるような風を装いながら、采希にそのつもりがない事は龍の姫にはすぐに分かった。

 采希は何より、弟たちを巻き込むことを避けたいのだと悟る。

 それでも龍の姫には恩人である采希を置いてここを離れる事など考えられなかったし、ましてやあの凱斗や那岐を説得できるとはとても思えなかった。


 采希にも、龍の姫に自分の気持ちが読まれているだろうという自覚はあった。

 それでも、どんな事をしてでも彼らを危険な目には合わせたくはなかった。

 眼を閉じて、大きく息を吐いた。


「姫、ごめんな」


 采希は、眼の前に浮かんだ龍の姫を両手で包み込む。

 じっと見つめ、すうううっと大きく息を吸い込んだ。

 采希の意図を察して驚愕の表情を張り付けた龍の姫に、にっこりと笑いかける。


「行け、姫──」


 采希の手の中から、龍の姫の姿が消えた。

 琥珀がバングルの中からそっと囁く。


《……采希さん、無理矢理に姫さまを送ってしまって、よかったのですか? 後で大変お怒りになるのでは──》

「あー、そうだろうな。でも、あいつらが巻き込まれるよりはマシだ」


 意図せず、采希の喉の奥が詰まる。

 涙が零れそうになるのを、顔を上げて瞬きを繰り返すことで凌ぐ。

 初めて出逢った時の事を思い出す。あれからずっと、采希を助けてくれた。消えかかった事もある。もうあんな怖い想いはたくさんだと采希は思った。


 平穏に、無事に過ごしてくれればそれでいい。

 龍の姫も、そして弟や従兄弟たちも。


 そう、願った。




 翌早朝、采希は再び小太郎の船に乗り込む。

 この船が港に戻ったら小太郎の家をお(いとま)し、もう一つの──おそらく元凶の──念の場所を探そうと心に決めていた。

 出来る事ならこの地から遠く、誰もいないような場所に誘い出してから消し去りたいと思った。

 誰にも危害が及ばないように、自分がしくじった時のために。──そう思っていた。


 祠のある小島付近はいつもよりかなり大漁だったと、小太郎が嬉しそうに教えてくれた。

 網を全て引き揚げ、港に向かう。


「采希くん、本当にもう行ってしまうのか? 小春もあんなに懐いているし、せめてもう少し……」


 小太郎の言葉に微笑みながら、采希は首を横に振る。


「もうそろそろ、先に進まないと。連休中に帰れなくなったら困りますし」

「……そうか」


 小太郎が俯く。『まだ何のお礼もできていないのに』と小さく呟いた声に、采希は気付かない振りをした。

 前方に港が見えて来たその時、バングルの中から琥珀が悲痛な声を上げる。


《采希さん! 小春さんが!》

(──!)


 脳裏に聞き覚えのある声が響く。


「小太郎さん、急いでください! 何かあったみたいです!」



 船が着岸するのももどかしく、采希は船から勢いをつけて飛び降り、走り出す。

 家の方向ではない。采希の脳裏に響いた晴海の悲鳴は商店街の方からだった。

 全力で走った先で、晴海の姿が目に入った。


「采希くん! 小春が……ほんの少し眼を離した隙に……」


 息が整わないので、采希はひたすら頷く。


「……ちょっと、読み……取らせて……もらっ……ても?」


 返事を待たずに晴海の手を握って眼を閉じる。

 スーパーの駐車場、買い物帰りにベビーカーを押して、駐車場に停めた車に近付く。

 車の後部ドアを開け、ベビーカーを振り返ると、そこに座っていたはずの小春が忽然と消えていた。


「晴海さん、小太郎さんと一緒に家で待っていてください。小春は、俺が絶対に連れて帰ります。お願いします」


 深々と頭を下げる。

 流れる涙を拭いながら、晴海が言った。


「……ごめん。多分、あいつの狙いは私なの。采希くん──小春を助けて!」


 晴海を安心させるように、笑顔を作ってみせる。そのまま踵を返し、再び走り出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ