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巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第6章 海神の誓約者
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第28話 穢された霊場

 夕刻までさんざん采希(さいき)と遊んでいた小春は、タオルを首に掛けた小太郎の姿を見て采希の身体にしがみ付く。

 大嫌いな風呂の気配に気付いたためだった。


「小春ー、風呂に入るぞー」


 気付かれたと察した小太郎が改めて声を掛けると、小春が嫌そうに首を振る。


「小春? お風呂、いやなのか?」


 采希の膝の上に陣取ったままの小さな頭に声を掛けると、小春はちょっと怒ったような顔で采希を見上げる。


「あー、小春は頭を洗われるのが嫌いなんだよ。──仕方ない、ホラ、行くぞ」


 小太郎が小春に手を伸ばすと、身体を精一杯ねじって采希にしがみ付いた。

 困ったように頭を掻く小太郎と小春の様子に、思わず笑みがこぼれた。

 采希は必死にしがみ付く小春をそっと抱き締めて、笑いかける。わざとらしく驚いた顔をして言ってみた。


「あ、小春、頭にむしむし!」


 小春が驚いた顔で自分の頭に手をやる。

『むしむし』と言うのは、小春が嫌いなモノ全般を差すらしかった。今にも泣きそうな小春に、にっこり笑った采希が優しく言った。


「頭のむしむし、お風呂でお父さんに退治してもらおう。そしたら、兄ちゃんとごはん食べようよ」


 小さな頭がこくこくと頷く。


「とーた、むしむし!」


 采希の膝から滑り降りて、小太郎の脚にしがみ付く。

 小太郎が感心したように言った。


「……采希くん、すごいな。子育ての経験、あるのか?」

「いや、ないっす。彼女もいないんで」

「そうか? ──じゃ、小春、采希お兄ちゃんと一緒にお風呂に……」

「うあああ、勘弁してください!」


 采希は真っ赤になってぶんぶんと手を振る。

 笑いながら、二人が浴室に消えて行った。




 一人、居間に取り残された采希は、そっと玄関に向かう。

 スニーカーを履いて夕暮れの迫った外に出た。さっきからずっと落ち着かなかった龍の姫が、待ちかねたように采希の身体から出て肩に乗る。


「采希、向こうに、おかしな気配がある」

「姫、どっちの方角?」

「海の……沖の方」


 ゆっくりと、采希は海の方角に向かって歩き出す。


「琥珀、紅蓮は今、どうしてる?」

那岐(なぎ)さんの腕に装着されているようです。どうやら、那岐さんから気の供給を受けようと試みているようです》

「へぇ、上手く出来そうか?」

(かんば)しくはないようですね》

凱斗(かいと)だったらどうなんだろうな。──琥珀の探査は紅蓮にバレたりしないのか?」

《問題ありません》



 海沿いの道路に出たところで、海のずっと沖にうっすらと小島が見えた。

 その小島を龍の姫が指差す。


「あの島、祠がある。でも、穢されている。人の手で」


 そう言われて采希は眼を凝らすが、どの程度の大きさの島なのかも良く分からない。


「祠? 何を祀っているんだ?」

「海だから……多分、海神(わだつみ)

「わだつみ? ああ、海の神様か。その祠に海神がいて穢されたのか?」

「海神は祠には鎮座されない。あの祠は海神と繋がるための場所だったと思う。その場所が穢されている」


 龍の姫の言葉に采希は少し考える。

 海神を祀る理由は海の安全祈願などだろう。だったら祈りを捧げる場が穢されたら、漁師にとっては致命的な打撃があるんじゃないか、と采希は思った。


 しかも、人の手で穢されたと龍の姫は言った。

 自分がこの街に降り立ったのは、果たして偶然なんだろうか。そう思いながら采希は遠くにある小島を見つめた。




 小太郎の家に戻ると、すっかりほかほかになった小春が玄関で出迎えてくれた。


「ちーにーしゃ、むしむし、ない?」


 両手を広げる小春を、采希は玄関に上がりながら抱き上げる。


「うん、もういない。小春、きれいきれいになったねぇ」


 そう言うと、小春は嬉しそうにしっかりと抱き着く。


「じゃ、ご飯食べようか」


 抱き上げた小春は暖かくてふんわりといい匂いがして、采希が感じている凍えそうな寂しさを紛らせてくれるような気がした。




 食事を終えてくつろいでいると、ふいに玄関の戸が開けられる音がした。

 声も掛けず、こちらの了承も得ずに上がり込んで来たのは、お腹の突き出た赤ら顔の男だった。

 はち切れそうな身体と、肉に埋もれて触ったら油が付きそうな顔。


「小太郎、また得体の知れないのを拾ったんだって? ……そいつか。本当にお前は昔っから間の抜けた事ばかりしているよなぁ」


 下卑た薄ら笑いを浮かべ、顎を突き出して小太郎を見下ろす。


「何しに来たんだ」

「おいおい、親友に向かってそれはないだろ~? ほら~、晴海ちゃん、こいつこんなヤツなんだぜ~。さっさと見切り付けて俺んとこ来いよ~。俺なら楽させてあげるよ~」


 気味の悪い猫なで声に、晴海が相手の顔も見ずにぴしゃりと返す。


「楽? そーね、あんたんちはお金持ってるだろうけど。でもあんたの稼いだお金じゃないでしょ」


 不機嫌そうな顔を隠そうともせず、くるりと采希を振り返る。


「采希くん悪いけど、小春を運んでくれる?」


 そう言われて采希が自分の膝に視線を落とすと、小春がもう眠っていた。

 起こさないようにそっと抱き上げて、晴海の後をついて行く。その背中に、小さな声で呼び掛けた。


「晴海さん、あの人──」


 晴海が肩越しに振り返り、そっとため息をつく。


「采希くんにも分かった? あいつ、変な拝み屋とかと繋がってたり、ちょっとヤバいんだよね。気配や匂いが濁り切ってる感じ。だから、小春の傍にいてくれる? 小春にも感じるらしくて、あいつが来ると必ず夜泣きするんだ。親友とか勝手に言ってるけど、小太郎は関わりたくないと思ってるから、何を言っても気にしないで」


 やっぱり、と采希は思った。さっきから龍の姫が落ち着かない。琥珀もずっと警戒するように観察している。

 特に意識していなかった采希ですら、男の持つ気配に嫌悪感を感じていた。


「了解です。できるだけ、ガードするんで」

「お願い。悪いね」


 小春と采希を残し、晴海が居間に戻る。小春用の小さな布団の脇に座り、采希は龍の姫と琥珀を呼ぶ。

 小春の周囲に小さなドーム状の防護壁を展開して琥珀たちを見ると、采希の作った防護壁を少しずつ調整しながら説明してくれた。


「なるほど、こうすると結界になるのか」

《小春さまをあの気配から護るのであれば、この方がよろしいかと。小春さまは晴海さまより強力な感応力を持っておられますので》


 小春も能力者なのか、まだこんなに小さいのに──と思いながら采希は苦笑いをする。



 琥珀と初めて話した時、琥珀は采希を『采希さま』と呼んだ。

『様は、やめてくれ』と言ったおかげで采希たちは『さん』付けで呼ばれているが、本来の琥珀は誰に対してもそうなんだろうと思った。

 ご神体ならば御供(おとも)であっても神格クラスだろうに、その腰の低さが采希を苦笑させていた。


 大きな声で話す赤ら顔の男の声が、嫌でも采希の耳に飛び込んでくる。


 もうすぐ新月だ。また──が贄を欲しがって──。この一年ほど、ずっと──差し上げていない。そろそろ──。


 何の話だろうと訝しんでいると、小太郎の声がする。


 生贄──迷信だ。これまで新月──亡くなった人が──偶然だ。そんなことで漁の──が上がる──。

 いや、迷信じゃ──。別に、この町の人間じゃ──いいんだ。都合よく亡く──れて、あの祠に捧げ──。

 お前、まさか──これまで──旅行者が溺死──。

 何言って──。あれは自殺──。みんな──の一人旅だったじゃ──。お前が今日拾っ──男も──。



 集中しても時々途切れてよく聞こえない。

 ふと気付くと、小春が眼を開けて采希をじっと見ていた。


「小春?」

「ちーにーしゃ、むしむし、ないない」

「……?」


 琥珀がそっと采希に声を掛ける。


《采希兄さん、むしむしを退治して、だそうですよ》


 ──むしむし? 贄を欲しがるモノのことか? それとも……。采希が考えていると、再び小春が目を閉じた。

 この子には、一体どんな風景が見えているんだろう、そう思いながら、采希はそっと小春の頭を撫でた。




 翌朝、まだ陽の登る気配も見えない時間に、采希は小太郎に連れられて家をでて港に向かう。


「采希くん、船に乗ったことは?」

「漁船は、ないですね」

「そうか、別に操船を任せるってんじゃないけどな、小型の船は酔いやすいから」

「それは多分、大丈夫です」


 手際よく準備を済ませ、船が港から出る。

 小太郎の指示で采希は船の上を動き回る。

 いつもはもう一人、年輩の親類と共に漁に出ていたが、腰を痛めてここ数日動けないと聞かされた。


「だから、本当に助かるよ。結構な重労働だしな。──そろそろ到着だ」



 網を設置していたポイントに到着し、網を巻き上げる準備をしている間、采希は周りを見渡す。あの小島があった所は、ここからかなり離れているようだと思った。

 遠くを見つめる采希に気付き、小太郎が声を掛けてくる。


「采希くん? 酔ったのか?」

「いえ、小太郎さん、祠のある小島があるって聞きましたが、この方向ですよね。俺、あまり詳しくないんですけど、魚って小島の近くの方が獲れるんじゃないですか? 沼とかだと、ハンガーとか杭の傍とか、そういう所の方が魚がいたと思うんです」

「そうだな。あの小島のあたりは潮流の関係でもよく獲れる。でもあそこは……」

(さわ)りがある?」

「──昨夜の話、聞いていたのか」

「琥珀たちが教えてくれたんです。あの小島には人の手で穢された祠があるって」

「…………」


 小太郎が口を引き結んだのを見て、采希は肯定と受け取った。

 この土地の人も知っている。

 それならば、祠が穢された影響も既に出ているのではないか、そう思った。


「小太郎さん、俺、本当は山に向かうつもりだったんです。ちょっと訳あって、自分の力の理由を探しに。なのに気付いたらここの駅に降りていた。なんとなく、この土地に呼ばれた気がしています。俺に何か、出来ることがあれば……」

「采希くん、君は土地の者じゃない。迷惑を掛ける訳にはいかない」

「……迷惑じゃ、ないです。お世話になってますし、俺は──」

「いや、これはこの地に住む者の問題だ。俺は采希くんを巻き込むために呼び止めた訳じゃない。君に前を向いてもらいたかったからだぞ」

「…………」

「でも、采希くんがそう思ってくれた事は嬉しい。──さあ、巻き上げてしまおう」


 申し訳なさそうに首を横に振りつつ、ほんのりと笑った小太郎が機械を稼働させ、網を巻き上げる。

 どの程度だと豊漁と言うのか采希には分からなかったが、かなり大量の魚が引き上げられる。

 勢いよく跳ねる魚を次々に船の生け簀に放り込みながら、小太郎はずっと無言だった。


 もしも穢された祠を浄化するだけなら、特に問題はないように思えた。采希にはその力があるし、晴海もそれには気付いているようだ。当然、小太郎も晴海から聞いているはず。

 それなのに一体何が迷惑になるんだろう、と采希は怪訝に思った。




 昼過ぎまで小太郎を手伝い、采希は夕方近くにまた一人で海沿いの道路まで散歩する。


「琥珀……」

《紅蓮でしたら、すっかり拗ねて誰の呼びかけにも応えていないようです。琉斗さんはずっと考え込んでいるようで、那岐さんは家から出ずにこちらからの連絡を待っています。凱斗さんも那岐さんの傍を離れずにいますね。榛冴さんは、こちらの様子を確認できないか、試されているようです。姫を媒介にできないかと、考えておられます》


 自分の質問に先んじて答えた琥珀に苦笑しながら、采希は首の後ろあたりをぽりぽりと掻く。

 母の携帯にメッセージを残したものの、みんなに心配を掛けていることに心が痛んだ。

 榛冴はお稲荷様の加護を頂いているようだし、凱斗と那岐が居れば、何かあってもそうそう困った状況にはならないだろう。


 そこまで考えて、采希はふと我に返る。

 大体、そんなに頻繁に怪異と出会うことなんてあるはずがない。

 邪気を持つモノが狙うのは采希の力だ。

 だから自分が傍にはいなければおそらく彼らは大丈夫なんだろう。

 そう考えて、采希はほんの少し寂しい気持ちになった。



「采希くん」


 後ろから声を掛けられる。買い物袋を下げた晴海だ。


「小太郎から聞いたけど、あの小島の祠が気になっているの? もしかして、見に来たのかな」


 自分の行動が読まれているようで、采希は口元に笑みを浮かべながら答える。


「はい。なぜ(にえ)を求めるのかって思ったので」

「あ~、昨夜の話か。あいつの言う事はほっといていいよ。でもあの祠に何かあるのは確かだろうと思う。近付けないからよく分からないけどね」

「近付けないんですか?」

「船でないと行けないし、基本的に許可がないと上陸できないからね」


 祠の気配が晴海には見えるのだろうか、と怪訝に思って采希は晴海の横顔を見つめる。

 その視線を受けて晴海が笑った。


「この距離だとさすがに見えないけどね。采希くんの方が分かるんじゃないかと思う。琥珀様たちになら感知できるんじゃない?」


 采希は左腕を胸の高さに上げ、声を掛ける。


「琥珀、姫、おいで」


 ふわりと現れた琥珀と龍の姫を見て、晴海が感嘆の声を上げる。

 思わず手を差し出すと、二人とも晴海の手の上に移動し、ぺこりと頭を下げる。


「うわぁ、こちらが龍の姫様……お初にお目にかかります」


 琥珀と龍の姫が顔を見合わせる。ものすごく困った顔をしているので、采希はちょっと笑いを堪えながら提案する。


「晴海さん、普通に話しかけて欲しいみたいですよ。俺たち、ずっとタメ口だったんで」


 晴海はかなり顔を引き攣らせ、怯えながらも頷いた。


「──琥珀、どうだ? あの祠には何がいるか分かるか? 姫は穢されてるって言ってたけど」


 琥珀と龍の姫が一緒に遠くに霞む小島をじっと見つめ、采希を振り返る。


《人の、念です》

《うん、長い間蓄積された妬みと……恨み》

「それが(にえ)を求めているのか?」


 龍の姫が否定するように首を振る。


《人の念に贄を捧げても何も起きない。ただ取り込まれるだけだよ。贄を欲するのは【魔】に属するモノ。あの祠にある念は【魔】に限りなく近いけど、人から生まれたモノだから贄は必要ない。ましてや、海神が贄を要求することは無い》


 琥珀も龍の姫の言葉に頷いて同意する。


「じゃあ、どうして贄なんて話になるんだ?」

《これまで偶然が重なって贄が必要なんだと思い込まれているか、贄の話自体が捏造されているか。いずれにせよあの祠には念しかいない。贄を捧げているとすれば、別の場所だと思う》

「別の場所って、どこだ?」

《隠匿されているようで、ここからだとはっきりと分かりません。近くまで行けばわかると思います。探しますか?》


 采希たちの会話をじっと聞いていた晴海が口を開く。


「あいつ──夕べ押しかけて来たあいつん家ってさ、昔、この辺の網元だったのね。どんなに周りが不漁でも、あいつの家だけは豊漁だったんだって。仮によ、贄の話をでっち上げて魚の集まる時期にそのポイントからみんなを遠ざけていたとか、本当に誰かを犠牲にして漁を成功させているとかだとしたら──」


 晴海が俯きがちに呟くのを聞きながら、采希は嫌な可能性を思い付いていた。


「でも、話をいくら捏造したとしても、いずれ誰かが気付きますよね? 誰も贄にはなっていないって。だから、その話が本当かもしれないって思うような事が、実際にあったって事ですよね?」


 晴海が弾かれたように采希を見る。


「晴海さんは、元々この街の人じゃないんですよね。詳しく、教えてもらえますか?」

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