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巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第5章 呪縛する想い
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第26話 解放された願い

 細かい霧のような、雨が降る。

 采希(さいき)那岐(なぎ)琉斗(りゅうと)と一緒に、桜の木から少し離れた場所で作業を見守っていた。

 役所から依頼された業者が、折れてしまった桜を伐採して切り刻み、トラックに積み込む。


 作業が終わって誰もいなくなってから、三人は桜の木の切り株に近付く。

 撤去作業を見るのは恐らく辛いだろうと思ってはいたが、どうしても見届けたいとやって来ていた。


「あんなロクでもない目に合ったのに、雨の中、ご苦労さんだな」


 そう言っていた凱斗(かいと)も、仕事がなければ多分一緒に来ていただろう。


「木が倒れた時、桜ちゃんの姿が一瞬見えたんだ。悲しそうに、でも少し微笑んでいるように見えた。僕には、何かを諦めたような風に感じたよ」


 榛冴(はるひ)はそう言って、憂鬱そうに仕事に向かった。

 巫覡(シャーマン)の能力を持つ榛冴には、桜の精の想いが伝わったのかもしれないと采希は思った。


 あの桜が待っていたのは、いつか見た少年だったんじゃないか、と采希は思っていた。


 おそらく、この桜の精霊と意志疎通のできる、稀有な力を持っていた少年。

 精霊の思い出は、あの少年で埋め尽くされていた。

 嵐の夜にその根元に少女の死体を埋められた桜の木。

 その前後の記憶で、桜の精に話しかけた少年と殺された少女が仲良く遊んでいる場面と、少年が泣きながら桜の根元を素手で掘っている場面が見えていた。

 そのあと屋敷からこの公園に移植され、自分から遠く離れてしまった少年を待っていたのではないかと。



 でも植物にそこまでの意思があるのだろうかと、首を捻る。

 采希が見た映像では、少年はこの桜とのみ話していた。もしかしたらこの桜だけが何か特別だったのだろうか。

 少年ともう一度会うために生きることを願った桜が、あの根に棲み付いた念を呼び込んでしまったのかもしれない。

 そしてその念は采希の力を欲して、凶悪化した。


 そこまで考えて、采希は身体からすっと血の気が引いた気がした。

 自分の存在が、桜の木に宿った闇を呼び覚ましたようにしか思えなかった。




 ──天を仰ぐ。

 采希の顔に当たった雨が、涙のように目尻を流れ落ちていく。


「采希兄さん。違うよ、兄さんのせいじゃない」


 突然言い出した那岐に、采希は驚く。

 眼が合うと、那岐はゆっくりと瞬きをした。


「兄さんが考えてること、言わなくても分かるよ。兄さんの力があいつの欲を活性化させたのは事実かもしれない。でも、あいつの闇を作ったのは多分あのお屋敷の人たちだ。兄さんのせいじゃない」


 唇を噛みしめて俯く采希に、那岐が続ける。


「植物にたとえ意識があったとしても、()()はないと思うよ。闇の意思を持たせたのは人間だ。でもそれは兄さんじゃない」


 じっと那岐の言葉に耳を傾けていると、采希の耳が微かな声を拾った。


《そう、あなたのせいじゃない》


 葉擦れのようにか細く聞こえた声に、思わず桜の切られた跡を見る。

 那岐が全く反応していない。

 不思議に思った采希の脳裏に、琥珀の声が届く。


《采希さん、あの精霊が最後に伝えたいと。私がお繋ぎいたします》


 声に出さずに采希が琥珀に了解の意を伝えると、さっきよりはっきりと声が聴こえた。


《あのお屋敷の人たちは、私の根元に死体を埋めた。私だけではない、周りの木々のいくつかに。それらの闇を、処分されなかった私が全て引き受けた。闇を受け入れた私に、もうあの子の声は聞こえない。それでも、あの子にもう一度会いたかった。ただ一人、私の声に気付いてくれたあの子に……》


 桜の精がほとんど消えそうなほど、うっすらと見えた。


「だから、あの念に協力していたのか……いや、従わされていたんだな」

「兄さん? どういうこと?」


 桜の声が聞こえなかった那岐が采希に尋ねる。

 どう説明しようかと采希が迷っていると、背後から明るい調子の声が聞こえた。




「あ、あそこかな? お爺ちゃん、あの場所でいいの? ──あ~、もう撤去されたみたいね。間に合わなかったか」


 いつの間にか雨は止んでいた。

 雲間から差す陽射しの中を、車椅子に乗った老紳士と若い女性がこちらに向かって来るのが見えた。

 老紳士がもう自力で動くこともままならないであろうことは、その手足の細さから推測できた。


 その老紳士に見覚えはない。でも采希はその気配を知っているような気がした。

 采希たちの目の前を通りながら軽く会釈して、女性は車椅子を押しながら桜の切り株に近寄る。


 何故か采希は、無意識にふらふらとその車椅子に歩み寄った。

 薄ぼんやりと霞んだように姿を見せていた桜の精が驚きに眼を見開く。


『あの子だ』──采希は、確信した。


「あの、突然で失礼ですが、ここにあった桜をご存じでしたか?」


 采希は車椅子の前に回り込んで老紳士に話しかける。

 その采希に、車椅子を押していた女性が申し訳なさそうに答えた。


「あ、すみません、うちのお爺ちゃん、耳がほとんど聞こえないんですよ。──え? お爺ちゃん?」


 耳が聞こえないという老紳士は、采希の問い掛けにはっきりと頷く。


「……まさか、聞こえたの?」


 女性が驚いたように采希と老紳士を見比べる。老紳士の肩に手を乗せて、女性が動きを止めた。

 老紳士が何か訴えるような眼で采希を見上げる。

 おそらく光を捉えることも困難であろうその眼は、采希の眼をしっかりと見据えていた。


《采希さん、申し訳ございませんが、もう一度、今度はその方に声を──》

(分かってる、琥珀。俺からも頼む)


「……ちょっと、失礼しますね」


 采希はそう言いながら、しゃがんで老紳士の手を取った。




 采希を通して桜の精霊の意識が老紳士に流れ込む。

 敢えて意識を閉じていた采希には言葉としては伝わらなかったが、桜の痛いほどの気持ちが感じられた。


 美しい、切ない想い。

 人でないモノの、純粋な願い。

 老紳士の閉じられた眼から、涙があふれ出す。

 采希は、桜の気持ちが彼に届いたと悟った。美しい、涙だと思った。


「……お爺ちゃん……。ねぇあなた、もしかして精神感応者(テレパス)なの?」


 女性が遠慮がちに采希に声を掛ける。周りを(はばか)ってか、かなり小声だった。

 若い女性から意外な単語が出たことに驚きながら、采希はある可能性に思い当たった。


「あ、いや、多分サイコメトリーというか……」

「あ、そういうことか。お爺ちゃん、あの桜に逢えたんだ。よかった!」


 説明の途中で女性にあっさり納得されて、采希は戸惑った。


「……えっと?」

「あ、ごめんなさい。話が見えないですよね。この桜の事はおじいちゃんから色々と聞かされてたんですけど、不思議な桜なんですよね? うちのお爺ちゃんは──あ、私の曾祖父なんですけど、()()()()なんです」

「……あなたも、ですよね?」


 慌てたように目線を動かす女性に采希がぽつりと告げると、ぴくりと反応が返される。


「……わかります?」


 采希に顔を寄せ、女性が小さな声で囁く。


「視線の動きで、なんとなく。精神感応者(テレパス)って、自分のことですか? お爺さんと会話できるのはそういう力のおかげでしょ? どうやら意思疎通も難しそうなお身体に見えますし」

「あはは、バレてますね。とても弱いんだとは思いますが、触れた人の気持ちが何となく分かります。──私、気持ち悪くないですか?」

「何で? あぁ、だったら俺も気持ち悪いですよね、すみません」

「うおっ! 違います! 気持ち悪くなんてないですよ。どちらかと言えば、嬉しいです。これまで理解してくれる人にはあまり会えていないから」


 そう言って笑うと、采希をじっと見つめて真顔になる。


「あなたも、大変そうですね」

「……」

「こんなに大きな守護を受けている人を初めて見ました。だから桜の木を浄化できたんですね。お爺ちゃんも、これまではこの桜に近づけなかったんです。あまりに禍々しくなってしまっていて……」


 この女性が采希たちが桜の闇を消し去ったことを知っている事に、采希の表情が強張る。

 浄化した訳ではなかったが、あの念が消えた事を知れば浄化と勘違いしてもおかしくはなかった。

 それに気付いたのが眼の前の女性なのか、老紳士なのか測りかねて、采希は黙り込む。


 老紳士の手から力が抜けて、采希の手から滑り落ちた。


「あー、眠っちゃったみたい。じゃ、これで失礼しますね」


 ゆっくりと車椅子を押しながら帰っていく後姿を、采希は口を引き結んで見送った。




「桜ちゃん……」


 那岐の声にはっと我に返って、采希は桜を見る。もう消えかかっていた。


「お前、俺と一緒に来る? ──って言っても、どうしたらいいか分かんないけどな」


 桜の精が俯きがちに首を横に振る。

 そのままふわりと、消えていった。


「消えてしまったな」


 琉斗が目元を拭いながら言った。


「そうだね……。──あ、采希兄さん、桜の根元に……」


 切られた場所のすぐ下に、まだ若い桜の枝が出ていた。細い枝がまだ小さい葉を数枚つけて風に揺れている。


「この枝を接ぎ木すれば、また大きな桜の木になるね」

「そうなのか? じゃあ、うちの庭に──」


 琉斗が嬉しそうに言うのを、采希は手で制する。


「接ぎ木なんて、やり方が分からん。うちの庭に桜の木を植えるとか、母さんたちが何て言うか」

「喜ぶんじゃないか?」

「……そうかも」

「ま、帰ってみんなに相談だね」



 * * * * * *



「桜の木のことは置いておくとして、あんたの話をしようか」


 母の朱莉(あかり)が腕組みをしながら言う。采希は母の向かいに正座させられていた。


「凱斗と榛冴から聞いた。今度はどこか変な空間に消えそうになったって?」

「あ、いや、でもきちんと戻って来たし」


 思わず朱莉から目を逸らす。


「凱斗や榛冴がいなかったら危なかったって、凱斗が言ってたぞ」

「それはそうだけど、二人のおかげだけじゃない。那岐と琉斗がいなきゃあの念を倒せなかったと思うし。俺一人だったら、とても無理だったと思うけど……」

「一人じゃ無理だって分かってるなら、おかしな事に首を突っ込むのは止めなさい。余計なモノが視えないように、あんたなら出来るんじゃないの?」


 幼い頃に出来ていた事を、朱莉に求められているのだと采希は思った。

 無意識に唇を噛みしめる。


「今の俺には、まだうまく出来ない」

「──そうか」

「俺だって、好き好んで首を突っ込みたくはないよ。だけど、気付くといつも渦中にいる」

「……」

「自分自身をガードする方法も教えてもらった。それすらも上手く出来ない」


 無表情でぽつぽつと話す采希の様子を、朱莉は黙って見つめている。


「こんな力、いらないんだ」

「采希……?」


 俯いた采希の声が震える。


 力なんか、自ら望んだことはなかった。

 いつも隣にいた那岐が時折、何を見たのか蒼褪(あおざ)めて眼を逸らすのを知っていて、自分には視えなくてよかったと心から思っていた。

 誰よりも優しく強い心を持つ那岐だからこそ、力を持つ恐怖にも耐えられ、行使できるのだと思う。

 また、いつでも先に立って何でもそつなくこなす凱斗だからこそ、邪気を寄せ付けないような力を持てるような気がした。


 では自分はどうだろう。


 優れたところがある訳でもなく、人付き合いも得意ではない。力を持つ理由も権利も自分にはない、と采希は考えていた。

 ましてや、自分の力は邪気を持つモノに狙われるという。

 何度も凱斗たちを巻き込んで、危ない目に遭わせてしまっている。もういい加減、自分が嫌になっていた。


「俺の力は邪気に狙われやすいんだって。それって、俺が厄災を呼び寄せるって事なんじゃないかって思ったんだ」

「それは、那岐にも聞いてる。でも明確に狙われたのは今回が初めてなんでしょ?」

「そうだけど……もしかしたらこれまで琉斗が憑依されたのも、俺が近くに居たせいなんじゃないかって思った。だって、あの事件の前までは琉斗が憑依された事なんてなかったよね?」

「ない、と思うけど……」

「普通の人がそうそう憑依されたりする筈がない。だったらやっぱり、俺のせいかもって」


 今までは何とか無事だった。でもこれからもそうとは限らない。

 今回みたいに狙われて巻き込まれるかもしれない。

 そんな采希の迷いが明確に伝わってきて、朱莉は思わず黙り込む。


「……」

「母さん、こういう力って、どうやったら無くなるんだ? 婆ちゃんなら知ってるかな?」

「…………」

「こんな力は、要らない。こんな俺は…………母さん、俺──」

「采希!」


 自分の存在を否定する言葉を口にし掛けた采希を、朱莉が制する。


「もう、休みなさい。余計な事は考えなくていい。──悪かった。采希を責めるつもりじゃなく、自分の身体を大事にしてほしかったんだ。頼むから、おかしな事は考えるんじゃない」


 朱莉の手が、采希の頭に乗せられる。

 子供の頃のように、ゆっくりと撫でられた。


「──うん。心配かけて、ごめんなさい」


 涙の滲んだ眼を瞬きで誤魔化し、朱莉は采希に笑ってみせた。




 外はもうすぐ暮れる。

 色の変わり始めた空が、母屋を出た采希の眼に映る。

 ふと、左腕に視線を落とす。そこには、銀のバングルが装着されている。

 紅蓮が入っている金のバングルは、琉斗が持っていた。


「姫、琥珀、ちょっと出掛けようか」

《采希?》

《采希さん……》


 胸の辺りと左腕のバングルから同時に戸惑った声が掛けられる。


「小学生の頃に行った山、か。場所は記憶に無いな。まあ、そのうち思い出すかな」



 采希は離れには戻らず、まっすぐ門に向かう。

 離れの方を振り返って建物全体を視界に収め、しばらくそうして立ち尽くす。


 ゆっくりと、采希は駅に向かって歩き出した。

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