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巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第1章 悪夢の行く末
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第2話 干渉する不条理 前編

 那岐(なぎ)の提案に従って大人しく過ごしていた采希(さいき)は、数日後、仕事が休みになった平日を狙って、いつもよりかなり早い時間に猫広場に向かった。

 固形タイプの餌が入った袋をトートバッグに入れ、のんびりと商店街を抜けたところで偶然、従兄弟の凱斗(かいと)に会う。

 同じ離れに住んでいるこの双子の兄の方は今朝、スーツではなく普段着で出掛けていた。


「あれ? 采希、今日休みだっけ? こんな時間に珍しいじゃん」


 あまり出歩く事を好まない采希にばったり会ったことに少々驚きながら、凱斗が駆け寄ってくる。


 二卵性双生児のため、弟の琉斗には全く似ていない。

 兄の凱斗は母親、弟の琉斗は父親の容姿を受け継いだ。

 そのため、凱斗は双子の弟である琉斗よりも、采希とよく似ている。幼い頃は凱斗と采希が双子だと思われる事が多かった。

 女顔の采希よりも若干男っぽい顔立ちは、その性格を現すようにいつも明るい笑顔で、人あたりもいい。


 人懐っこい笑顔に釣られるように、いつもは無表情に近い采希も自然と笑みを返す。


「まーね。ちょっと訳ありで」

「なに、また猫のとこ?」

「うん。負けたんなら凱斗も一緒に行くか?」


 見透かしているように含み笑いをする従兄弟に、凱斗はちょっと怪訝そうな視線を向ける。


「……なんで分かるんだよ」

「こんな時間にうちに帰ろうとするなんて、軍資金がなくなったんだろ? 昨日、新台入替で仕事帰りに行ってたって聞いてたし、今日は開店から打ってたんだろうと思ってさ」

「そーそ、最初は好調だったのにさ、気付いたら千回転だぞ。昨日の勝ち分、持ってかれた~」

「パチンコは天井ないんだから深追いすんなってな」

「へいへい、わーってるって」


 貴重な有休をそんな事で潰していいのかと考えながら、今は凱斗にも女性の気配がないことを采希は思い出す。


 元々社交的で、人の中心でリーダーシップを取れるような性格の凱斗だが、女心に疎いことが理由で破綻することが多かった。

 人付き合いに自信のない采希は交友範囲の広い凱斗を羨ましく思っていたが、凱斗は数は少ないが友人から信頼の厚い采希に、少しだけ嫉妬したい気持ちを抑えていた。

 それでも張り合う事はなく、同い年の従兄弟同士、かなり仲はいい。


 並んで歩く凱斗と笑い合いながら、一緒に付いてくるつもりなのか、と采希は思った。

 凱斗と琉斗(りゅうと)は、どちらかと言えば『犬派』だったはず。なので、暇潰しのつもりなのだろう、と勝手に納得する。




 いつもの空き地、近隣では猫広場と呼ばれる空き地に着いて、采希はぎくりと立ち止まった。


(──なんで、いるんだ?)


「あ、采希さん!」


 空き地を囲む柵に寄り掛かって待っていたのは、先日の話題となった女だった。

 采希に生霊を飛ばしていた本人が目の前にいる。ふわふわのニットに膝上のフレアスカート、小さなリボンの付いたハイソックスでローファーのその姿は聞いていた年齢よりも幼く見せているようだった。

 肩を少し越えた長さの髪は緩く巻かれ、小首を傾げて上目遣いに見上げられ、采希は思わず一歩後退る。


(俺を待っていたのか? 仕事は? なんでこんな早い時間に?)


 平日の昼を過ぎたばかりだ。会社勤めなら、今は働いている時間だと思ったからこそ、こんな時間にここに来たのに。

 采希の頭の中で思考がぐるぐる駆け巡る。嫌な汗が背中を流れていった。


「へ? なんだよ采希、ここで彼女と会う約束してたのか? じゃ、邪魔しちゃ悪い…………けど、俺も混ぜてもらっていい?」


 気を利かせて帰ろうとする凱斗の服の袖を必死に握って、采希はこくこくと頷く。


(よかった気付いてくれた。この間の一件もあるし、一人で相手するのは怖すぎる)


 凱斗に置いて行かれる事を察した采希が、引き留めようと眼で訴えてきたのを怪訝に思いながら、凱斗は采希の隣に留まる。


(──? 待ち合わせ、って感じじゃねーな)


 あまり感情を表に出さない采希が頬を引き攣らせている。

 勘のいい凱斗は、それだけで何かを察した。


 人見知りが酷かった子供の頃のような従兄弟の様子に、凱斗はつい、目の前の女をじっと見つめた。

 何かが鼻腔を刺激し、思わず辺りを目線だけで確認する。


「うわぁ、もしかして采希さんのご兄弟さんですか? よく似ていらっしゃいますよね! あたし、ここでいつも采希さんとご一緒させてもらってるんです、よろしくお願いします!」


 女が深々と頭を下げる。従兄弟とはいえ、母親同士が双子のため、今でも兄弟に見える程度には似ていると本人たちも知っている。

 だが、わざわざ『従兄弟だ』と訂正するつもりもなかった。


 一瞬采希の方を見た凱斗が、女の顔も見ずにさっさと空き地の奥に進む。


「はぁ~い、よろしくねぇ。じゃ、餌あげて早く帰ろうか」

「え? まだ来たばかりですよね?」

「ああ、ちょっとこの後、用があってさ」

「でも采希さんは……」

「こいつも一緒。ほら、急いで采希。時間ないんだから」


 無表情で告げる凱斗に急かされて、采希は慌てて猫の餌を広げる。何となく声を出すことも怖い気がしてずっと口を閉じていた。


「あ、あたしも……」


 采希の隣に女がしゃがみ込む。その途端、集まっていた猫たちが一斉に離散した。


「あれ?」


 凱斗が声を上げて不思議そうに辺りを見渡す。

 逃げた猫たちは木や草むらの陰からこちらを窺っている。猫に慣れた采希がいるのに、怯えた様子で警戒している。

 思わず采希の方を見ると、采希は覚えがあるように凱斗に小さく頷いてみせた。


「あ~あ、どうしてこうなんだろう。あたし、なんでか猫に嫌われちゃうんです。こんなに大好きなのに」

「…………へぇ、そう」

「だから、采希さんに猫に好かれるコツを教えてもらおうと思ってるんです! ね、采希さん。今度、猫カフェも連れてってくれるんですよね!」


 凱斗に顔を向けながら、女の視線はずっと采希に注がれている。聞いてもいないのに、女の口から延々と自分の不幸話や愚痴めいた話が紡ぎ出される。

 その声の大きさもだが、甲高いその音に、そして自分を主張(アピール)するような様子に凱斗は不愉快な気持ちが沸き上がってくるのを感じていた。当然、話の内容はほとんど頭に入って来ない。


「──あ~、采希、時間切れだ。帰ろう」


 唐突に立ち上がってぶっきらぼうに吐き出した凱斗の言葉に、少し驚きながらも采希は慌てて立ち上がる。


「あ、あの、采希さん、また明日!」


 反射的に返事をしようと振り返りかけたが、凱斗に強く腕を引かれる。


(……凱斗?)


 黙ったまま凱斗に引き摺られるように商店街を抜ける。

 凱斗の中では早くあの女から采希を遠ざける事で頭がいっぱいだった。理由もなく、強い想いに突き動かされるように、凱斗は小走りで采希の手を引く。

 しばらく歩くと凱斗は立ち止まり、ようやく采希の腕が開放された。


「采希、お前、わかってんのか? あの子、ヤバいぞ」

「……なんでそう思ったんだ?」

「あ? なんでって……あれ?」


 自分の発した言葉に気付いて混乱したように首を傾げる。

 那岐じゃあるまいし、会っただけで何かが見えたとは采希には思えなかった。──それでも。


(──本能、か)


 凱斗ならあり得ると、采希は密かに納得していた。以前、祖母に聞いたことを思い出しながら。




 家に戻り、離れに入ろうとしたところで二人は琉斗と鉢合わせた。琉斗は遅番、那岐も夜勤明けで家にいるはずだ。


「采希、今、追いかけようとしてたんだ。一人じゃ危ないかもと思って……兄貴と一緒だったのか?」

「ああ、途中で会った」

「琉斗、『危ない』ってなんだ? お前もあの子のこと知ってるのか?」


 あの子という言葉に反応した琉斗が、采希の方を見る。

 先日の生霊の話題は、自分の兄である凱斗にも話してはいなかった。それでも誰の事を指すのかは、察しの悪い琉斗にもすぐにわかった。


「この時間なのに、いたんだ。俺を待ってた」

「……本当か?」

「そしたら凱斗が……」

「とにかく、入ろうぜ。那岐、いるんだろ?」


 声を掛けながら凱斗たちが居間に進むと、那岐が凱斗の顔を見るなり不思議そうに首を傾げる。

 玄関の会話は那岐にも聞こえていて、凱斗の不機嫌な様子は、生霊を飛ばす女のせいなのだとすぐに気付いた。


「凱斗兄さん、あの子のこと、どうして警戒したの?」

「どうしてって言われても、俺にもよく分かんねーな。何となく『こいつヤバい』って思ったんだよ。それに匂いがさ、すごかったわけ。なんつーか、動物的な?」

「え? 俺、気付かなかったけど……」


 采希が驚いて凱斗の顔を見る。ほぼ同時に那岐が呟いた。


(むじな)……」

「ムジナって何? とにかくさ、なんか変だなと思ってたら、采希は何やら落ち着かないし、猫も怯えて警戒してるし、な~んか後頭部がピリピリして嫌な感じだから、さっさと帰ろうと思ってさ」

「……俺に、あの人と話をさせないようにしてくれた?」

「うん、気付いてたか。なんだか、お前に対して変に執着してるような気がしたんだよね。だから──なに、那岐?」

「……凱斗兄さんって、何者(なにもん)?」

「はい?」


 凱斗が状況をよく見ていた事に驚く采希だったが、那岐は、一度会っただけの女に対して凱斗がその本質を見抜いた事に感心していた。


「なんで見ただけでわかるの? まだ誰もあの子の話、凱斗兄さんにはしてないのに。そんな能力もあったのかぁ。実は僕より霊感体質なんじゃ……」


 自分でも言っている通り、周囲からは霊感体質と認識されている那岐の言葉に、凱斗が慌てて声を上げる。


「ちょーっと待て! ……ってことは?」

「あの子、俺に生霊飛ばしているらしくてさ」


 さらりと告げる采希に、凱斗が錆びついた歯車が動くようにゆっくりと顔を向ける。

『いきりょう……?』と呟いたその顔は頬の辺りが引き攣っていた。


「兄貴、何の話だと思ってたんだ?」

「変質的なサイコパスって言うか、なんかストーカーっぽい感じの……」


 琉斗と那岐が顔を見合わせる。


「ストーカーか。ある意味、間違いではないかもな。凱斗の勘ってすごいな」


 采希がしみじみ言うと、那岐も頷く。


「凱斗兄さんは僕らの中で一番、そういうモノの影響を受けないくらい、強いからね。そこにいるだけで悪いモノは寄ってこない」

「ああ、婆ちゃんもそう言ってたな」


 采希はこれまでにも、凱斗が妙に勘がいいとは祖母と那岐から聞いていた。

 凱斗の周囲には悪いモノが寄ってこないことも那岐はその眼で確認していたらしい。

 双子の弟である琉斗は『聞いていないぞ』と困惑顔だった。

 琉斗が自分に興味がない話は聞いていない事を知っている采希たちは、そうだろうと言わんばかりに勢いよく頷く。


「采希兄さんとはちょっと違った意味でね。采希兄さんは『何か』に守られていて、凱斗兄さんは自分自身が悪いモノを退けるって言うか……僕にはそんな風に思えるんだ。アミュレットとタリスマンの違いみたいな感じかな」

「アミュ……それは何だ?」


 初めて聞く単語に、琉斗が采希に助けを求めるように袖を引く。


「琉斗、話の邪魔すんなって。んー……アミュレットはお守りで、悪いモノから守護してくれるもの。タリスマンは守るための力を与えてくれるもの、だったかな?」

「……どう違うんだ?」

「だから……ちっ、めんどくせえから黙ってろ!」


 それらの意味の違いは、普通の男には理解できないだろうとは思ったが、いちいち説明するのが采希には面倒だった。

 自分の疑問を流されて、琉斗がまたちょっとしょげてしまう。そんな事はお構いなしに凱斗と那岐の会話は続く。


「でもあの子、見た感じは元気で明るそうだったし、生霊とかって陰湿そうなタイプには見えなかったと思うぞ。ちょっと自己中そうだったけど」

「明るそうだからって、本質もそうだとは限らないんじゃない? ちなみに生霊は執着心から発生するらしいから、陰湿な性格じゃなくても飛ばせるみたいだよ」


 自分としては決して相手したくないタイプだとは思いつつ、凱斗は那岐に同意する。


「執着、ねぇ。なるほど。だけど、お前らが采希を心配してるってことは、何かまずい状況なのか?」

「それはまだよく分からないかなぁ。でも、僕にも生霊の声が聞こえたんだ。かなり強力な生霊なんじゃないかと思うんだけど……」


 再び、凱斗の口元が引き攣る。


「……マジか」


(ま、いきなり生霊が──とか言われたらちょっと怖いよな)


 出来れば那岐以外は巻き込みたくなかったんだけど、と思いながら采希は口を開いた。


「これは俺の問題だし、凱斗は無理しなくていい。怖いんだろ?」

「そうだぞ兄貴、俺もついてるしな」

「琉斗、お前こそ()感じゃん。役に立たないだろーが。夜中にトイレに行けなくなるぞ」

「……」

「とりあえず榛冴(はるひ)には一応、話しておくよ。いざって時のためにな」


 琉斗と並ぶほどの怖がりである、蒼依(あおい)の三男で双子の弟、榛冴。

 榛冴には言わない方が、と口に出しかけて、采希はふと思い直す。後で自分だけが何も知らされなかったと知ったら、あの従兄弟がどれだけ拗ねるのかを想像し、小さく溜息をついた。

 一番年下の榛冴は、自分が爪弾きにされるのを嫌がる。それは榛冴の兄達が双子で、いつも二人で行動していたせいなのだろうと采希も理解していた。

 祖母によく似た丸みを帯びた輪郭の、拗ねた膨れっ面が容易に思い出される。


「ああ那岐、そういやさ、あの子俺の名前聞かなかったし、俺には名乗らなかったんだよ。これって意味、ある?」


 那岐が驚いたように凱斗を見つめる。


「よく、気付いたね。多分、向こうも凱斗兄さんの力がわかったんだ。『名前』は特別だから、凱斗兄さんには知られたくないって思ったんだろうね」


 那岐の言葉に、凱斗は黙って首肯した。

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