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巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第1章 悪夢の行く末
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第1話 邪心の呼ぶ声 後編

 上代家の母屋の前を通り過ぎ、離れに到着するなり采希は台所に走る。

 急いでグラスに水を入れ、塩を一つまみ口に放り込んで水を一気に飲み干した。


「どうした、采希?」


 離れの台所でなにやら作業をしていた母、朱莉が采希の行動に手を止める。


「──母さん、那岐は?」

「二階にいるけど。塩ってことは何か拾ってきたとか?」

「いや、まだわかんない」


 さすが母親だ、と采希は思った。

 子供の頃から霊感体質でいろいろ()()()いるらしい那岐を見て来た朱莉は、すぐに察したように采希に尋ねた。

 采希が行ったのは、一つまみの塩と一杯の水による簡単な厄落とし。そうするべきと思わせるような何かがあったのだと察する。

 ばたばたと二階に向かう背中を見ながら、朱莉は溜め息をついた。


 霊感少年と呼ばれていた那岐の兄である采希も、子供の頃は何かの力を持っていた。

 頻繁に有らぬ所を見つめながら固まる采希を心配し、お寺や神社に連れて行った。

 なぜ、自分の息子たちだけがそんな体質なのか、悩んだこともあった。妹の息子たちにはどうやら何も視えてはいないらしいのに、だ。


『子供の頃には稀にあります。大人になるにつれ、見えなくなるケースの方が多いですよ』


 僧侶の言葉に頷きつつ、朱莉の心は晴れなかった。


 だがある日を境に、唐突に采希は眼に見えないモノたちに一切反応しなくなった。

 元々人懐っこい那岐と違って、采希は人見知りであまり社交的ではない。向こうの世界に引きずり込まれたり、命を削るようなことになっては、と心配していた朱莉は密かに安堵していた。

 それでも、ごく稀に今日のように身体が危険を知らせてくれるらしかった。

 采希の後を追うように走り込んで来た琉斗が、強張った表情で朱莉に小さく手を上げて階段へ向かう。


(……何事もなきゃ、いいけどねぇ)


 霊能者ではないが、全く無縁でもない朱莉は、小さく息を吐いた。




 采希が二階に上がると、那岐が窓の縁に座り、外を眺めていた。


「あ、おかえり、兄さん」


 振り返って采希を見た那岐の視線は、采希の左肩の上で一瞬止まる。その表情で采希は察した。


「ただいま。……やっぱりお前には何か視えるか?」

「……あ~、徐々に強くなってるみたいだし、もう兄さんにも分かるくらいなんだね」

「……うぉ、マジか」


 采希の後ろで琉斗が呟く。部屋の入り口で立ち尽くしたまま、入るのを躊躇(ためら)っていた。


「……那岐、采希に何か……その……()いているのか?」

「お前、怖いなら自分たちの部屋に行ってろよ」


 采希と那岐の部屋と向かい合わせになっているもう一つの部屋を顎で示す。


「いや、俺は──俺にも聞かせてくれ」


 意を決したように入り口の敷居を跨ぎ、琉斗は采希たちの部屋の真ん中に座り込む。

 眠れなくなるほど怖がりの琉斗を一瞥し、采希は小さく溜息をつく。


(超ビビりだし、那岐みたいに俺の話を理解できるとは思えないんだけど……。ま、いっか。邪魔しなければ)


「那岐、これは何だと思う? やっぱ霊障かなんか?」

「兄さん、心当たりはあるの?」

「うーん……事故とかにも行き当たってないしなぁ」


 宙空を睨んで考えこむ采希に顔を向けている那岐の視線は、采希の少し後ろを見つめていた。

 那岐は采希に纏わり付く気配を探る。


「この一週間くらいで誰かと知り合った? 僕の知らない人で、女の人」

「おんな?」


 琉斗がおかしな声を出す。これまであまり女っ気のない従兄弟(采希)に一体何があったのかとの思いに、意図せず声が裏返ってしまった。

 那岐の言葉に采希は頷く。身に覚えはあった。


「ああ、一週間くらい前かな。いつもの空き地で猫に餌あげてたら急に声掛けられて」

「──ああ、よく猫集会があるとこ?」


 那岐が件の空き地の場所を思い出すように目線を泳がせると、采希は頷く。


「いきなり大声出すから猫たちが驚いて逃げ出してさ、文句言おうと振り返ったら女の人がいた」

「そんな出会いがあったのか」

「静かにしててくれ、琉斗。結構見た目は悪くないし、元気で明るい子なんだけど、とにかく声がでかい。せっかく集まった猫たちもずっと怯えてたし」

「采希が『見た目は悪くない』と言うなら、結構かわいい部類なんじゃないか? お前、好みが──」

「だから黙ってろって。その後もなぜかよく来てさ、声は出さないように努力してくれてるんだけど、猫たちが絶対近付こうとしないんだ」

「いくら可愛くても、猫に嫌われるようじゃ、猫好きの采希としては──」

「琉斗、黙ってろって、言ったよな。お前、怖いんだろ? まだ猫の話しかしてないってのに、邪魔すんなよ」


 那岐が采希に向かって手を伸ばす。黙って采希の左肩に触れて、すぐに手を引く。小さく溜息をついた。


「琉斗兄さん、正解。多分その人の【生霊】かな。兄さん、かなり気に入られたみたい。生霊を飛ばしちゃうような人だから、猫たちが嫌がったんだと思う。どんな感じの人だった?」


 淡々と告げる那岐に、琉斗が息を飲んで蒼褪(あおざ)める。嫌な予感はしていたが、生霊などという非日常な言葉に全身が強張った。

 琉斗と采希は同い年。那岐は采希の一つ下。

 なので那岐は自然と、従兄弟を含めた自分たちよりも年上の三人を『兄さん』と呼ぶようになっていた。


「どんなって……普通にお勤めしてるらしいけど。一人暮らしだって言ってた。俺よりいくつか歳下らしい。あんまり友達もいないし、暇だからよく猫の所に遊びに来てるとか、そんな話を聞かれるまま話したんだけど……いきなり泣き出されて困った」

「泣く? なんで?」

「俺は、かわいそうなんだとさ。『いきなり泣いちゃってごめんなさい。あたしってダメですね。でも友達がいないとか、本当に可哀想で。あたし、力になりたいです!』って。そこまで()()()とか、本気で言ったつもりもなかったんだけど……まあ、しょうがないからハンカチを貸して……」

「渡したの? うーん……今の話でどこに泣く要素があったんだろ? それで、その子が泣いたのに対して申し訳ないとか思ってないよね?」

「……」


 すっと視線を逸らした采希に、那岐が大きく息を吐く。


「初対面だったんだよね? さっき兄さんが言ってたような状況で、人のことを可哀想って泣いてそれをアピールする女の人は、自分に酔ってるんじゃないかと思う。僕が視た生霊の感じでも思い込みの激しいタイプみたいだしね。兄さん、もう名前、教えた?」

「うん、向こうが先に名乗ったから」

「……その名前、この先絶対口にしないでね」

「え? ……もしかして、繋がる?」


 思わず身体を引いた采希に、那岐が頷いて肯定する。


「多分」

「繋がるって何がだ?」


 采希の服の袖あたりを引っ張って、琉斗が尋ねる。


「『縁が』だよ。名前を呼ぶってのはそういう事らしい。っつーかさ、声が震えるほど怖いなら下とか母屋とか、凱斗(かいと)の所に行ってろよ。でも那岐、名前言えないとなると話しづらくない? 『自分は、こう呼ばれてる』ってニックネームみたいなのは教えられたけど」

「それこそ呼ばない方がいいね。その子が呼んで欲しいと思ってるなら」

「そっか」

「べ、別に名前とか、どうでもいいんじゃないか?」


 ちょいちょい口を挟んで来る琉斗が、いい加減うるさいと采希は思った。


「お前な、いい加減に──」


《くすっ》


 琉斗に言い募ろうとしていた采希の身体がびくりと硬直する。


《呼んで……采希さん》


「……やばい、僕にも聞こえちゃった」

「……な、何がだ?」


 嫌そうに目元を歪ませた那岐を見て、琉斗が思わず身体を縮ませる。『那岐には何が聞こえたんだ?』と目線だけを動かして周囲を窺った。


《あたしの名前、呼んで》


「琉斗兄さん、やっぱり僕らから離れてて」


 そう言いながら、那岐が采希に抱き付く。

 驚く采希の耳元で那岐が一言二言呟くと、采希の身体がほわんと暖かくなった。

 そこで、悪い霊は寒さを感じて良いモノは暖かい、と何かの本で読んだことを采希は思い出していた。


「いや、ここにいる。俺達は家族だからな。身内は守らないと」


 言っている内容は前向きだが、その声は心情を現わすように震えていた。見た目とのギャップに、思わず采希から呆れたような視線が注がれる。


「あのな、この件に関してはお前は役立たずだろ? いいから無理すんな。ってか、邪魔」

「采希……」

「兄さんの言う通りだよ。あ、邪魔ってことじゃなくね。琉斗兄さんにできることはないと思う」

「……」

「とにかく、兄さんはしばらくその子に会わないようにして。その人に会いそうな時間を避けて猫たちに会いに行くことはできるよね? 出来れば行かないでほしいんだけど」

「んー……わかった」

「とりあえず、応急処置が必要、かな」


 呟きながら那岐が階下に降りて行くのを見送っていると、琉斗がまだ蒼褪めながら肩を落としている。

 傷付いたようなその顔に、采希は謝るべきか少し迷う。


「もしかして、邪魔って言ったこと気にしてる?」

「いや、──そうだな。俺にできることはないのかって、少しがっかりした」

「あー……那岐が言いたいのは、それぞれ役割があるってことだぞ、多分。ま、しょうがないんじゃないか? お前はお化け屋敷すら苦手だろ」

「采希もお化け屋敷は嫌いだろう?」

「俺の場合は、いきなり驚かされるのが嫌なだけ。お前は凱斗にまで迷惑掛ける事になるから、関わるな」

「でもな、誰かが困っているなら、ましてやそれが家族なら、役に立ちたいじゃないか」

「わかったわかった、じゃ、今度の機会に頼むよ」

「……」


 ひらひらと手を振ってみせると、琉斗はものすごくがっかりした表情をみせた。

 生霊だと那岐に断言された以上、どんな霊障があるか分からない。それが自分だけに影響するならまだしも、他の家族に降りかかるのは嫌だと采希は思った。




 戻って来た那岐が手にしていたのは、線香と塩だった。


「塩は分かるけど、お線香?」

「うん、これを砕いて……塩と混ぜて袋に入れて……はい、即席お守りの出来上がり」


 小さなビニールのジッパー付きの袋を手渡される。


「へぇ……」

「結構効き目あるよ。生霊にはどうだか分かんないけど。兄さん、ちょっと後ろ向いて」


 那岐の言葉に素直に背中を向けると、ぱしん、と背中を二度叩かれる。


「生霊は面倒らしいからなぁ。どうしたらいいのか誰かに相談できるといいんだけど。お婆ちゃんはいないし……」


 今うちにいる家族の中で一番そういう事に詳しい那岐に分からないんだったら、誰にも無理なんじゃないか、と采希は心の中で思った。


「霊能者とか……? 誰か知らないのか、采希?」

「……琉斗、何で俺に聞くんだ。あのな、そう簡単に霊能者の知り合いがいたらおかしくないか? それにそういうのって当たりはずれがありそうだし」


 落ち着かない様子で視線を泳がせながら、琉斗が思いつくままに口に出す。怖いのを誤魔化そうとしているのだろうと気付いた那岐がくすりと笑った。


「当たりはずれがあるとは聞いた事があるよ。料金も高そうだよね」

「マントラ、とか言うのを唱えてみるとか……」

「お前な、漫画じゃないんだから。そういう真言とかは付け焼刃で唱えても効き目ないんだぞ」

「お祓いとかはどうだ?」


 琉斗が一生懸命考えようとしてくれるのは、多少うるさくてもありがたい。

 でも、怖がりなくせに何故こいつは首を突っ込みたがるんだろう、と采希は不思議に思っていた。


「あのな、お祓いなんかも金がかかるし。それに、家族の中で一人だけお祓いすると、お祓いしてない家族が厄を(かぶ)る、って」

「──!」

「ま、都市伝説だろうけど」

「……采希……」

「大丈夫だよ。なんとなく、俺にはそんな気がする」

「だけど……」

「琉斗兄さん、采希兄さんは大丈夫だと思う。なんて言うか……兄さんのオーラみたいなのがみんなとは少し違うんだ。あまり、うまく言えないけど」


 オーラねぇ……。

 那岐の言葉に采希は少し眼を伏せ、額を指で押さえる。

 生霊に憑かれるとか現実にあるんだなと、他人事のように思っていた。少し煩わしいだけで、特に被害もない。

 そう、思っていた。

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