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巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第19章 内界の檻
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第99話 邪心を綴る者

「ただいまぁ、あー腹減ったぁ」


 会社から帰宅して、離れで着替えるのも億劫に思った凱斗(かいと)は、離れには寄らず直接母屋に向かった。

 女子社員に連れて行かれたランチでは、どうにも量が足りなかった。

 何故唐突にあんな事を聞かれたのか、彼女たちの落胆振りに聞きそびれてしまった。とても微妙な空気感に、食べた味すら思い出せない。


『僕が視える(・・・)って分かるとさぁ、必ず『だったら自分に何か憑いているのか?』って聞かれるんだよねぇ……』


 弟が憂鬱そうに言っていたのを思い出す。

 自分たちのすぐ近くに『元・霊感少年』がいると思ったから、自分をランチに誘ったのだろう。

 不快な気持ちが込み上げるが、もうこれで関わることもないだろうと頭を切り替える。


 まだ調理中と思われる音が聞こえるが、玄関まで旨そうな匂いが漂ってくる。

 ビールを飲みながら、弟たちに愚痴でも聞いてもらおう。そう思っていた。


「お帰り、凱斗兄さん」

「おー、那岐(なぎ)もお帰り……」


 居間のソファーに鞄を放り出そうとして、凱斗は思わず動きを止める。


「……君、どうして(うち)にいるんだ?」


 凱斗の眉が訝し気に寄せられる。いつもの愛想笑いはすっかり鳴りを潜めていた。


「あの──」

「俺が、招いた。うちの前で困っていたからな」

「…………」


 今日のお昼を一緒に食べた三人のうちの、ひとりだった。ほとんど口を開かず、ひたすら絶望したような顔で俯いていた女だ。

 采希(さいき)の言葉に、凱斗の問うような視線が返される。


「久々に帰って来たら、何度もうちの前の道を往復している女性がいる。一見、怪しいからな、悪いけど表層の意識だけ読ませてもらった。──凱斗、お前に頼みたい事があるそうだ」


 凱斗の顔が更に不機嫌そうに歪む。

 そんなに自分の後ろ(・・)を確認したいのか、と思った。

 興味本位でそんなモノに近付く気持ちが、凱斗には理解できなかった。

 意図せず冷たい声が出そうになる。


「…………俺? 君が会いたいのは那岐なんじゃないのか?」

「那岐、さん?」

「君たちが言っていた霊感少年。それが、ここにいる那岐だよ。俺の従兄弟」


 そう言って凱斗が視線を那岐に向ける。

 困ったような表情で視線を泳がせる女性に、采希は笑って助け船を出した。


「霊感少年でもそうでなくても構わない、伯父と従姉妹を助けてくれた凱斗に、もう一度助けてほしい。──これで合ってる?」

「…………すみません。その通りです」

「謝るのはこちらの方です。考えを勝手に読んで申し訳ありませんでした」


 丁寧に頭を下げる采希に、女性は慌てたように両手の指を広げて左右に振った。


「いえ! 怪しげな行動をした私の方が……すみませんでした」

「それで、あなたの名前を聞かせてもらっても? 俺は凱斗の従兄弟で那岐の兄、采希といいます」

「あ、すみません……私、時末綾乃と申します。あの……凱斗さんが今日契約を取って来られた鳴海社長は、私の伯父なんです」


 綾乃の言葉に凱斗は思わず眼を瞬かせた。

 初対面でいきなり仏頂面を見せてくれた強面の社長の顔を思い出す。


「……そうなのか。鳴海社長の……」

「私の母の、兄です。多分、秘書として私の従姉妹──伯父の娘がいたと思うのですが」

「あー、言われてみれば」


 凱斗が邪念を吹き飛ばした時、社長室に二人いた秘書のうちのひとり、若い女性が何かに気付いたように視線を動かしていた事に思い当たった。


「その従姉妹から、凱斗さんが戻る前に連絡がありまして、『さっき綾ちゃんの会社の人が来た途端に、ずっと息苦しかった空気が一変したんだけど。どうやらお父さんに纏わり付いていた()()が一瞬で消えたみたいだった。しかもその人、凄いオーラが見えたよ。一体どんな人なの?』って聞かれました。ユウちゃん達にその話をしたら『子供の頃に聞いた事がある、近くの小学校に霊感少年がいたって。よく覚えていないけど『かみ何とか』って名前だったと思う。綾ちゃんの従姉妹さんって霊とか視えるんだよね? だったらその霊感少年は凱斗さんの事じゃない?』って言って、だから凱斗さんの最寄り駅を確認させてもらったんです」


 一息に話して俯いてしまった綾乃に、凱斗は困ったような視線を向けたままだった。

 興味本位ではなかった事に安堵したが、ここまで訪ねて来る程の理由が分からない。

 じっと聞いていた采希がちらりと凱斗を見る。

 自分の行動の後始末は自分でな、と眼で訴える采希に、凱斗は後頭部を掻いた。


「あー……もし俺がその霊感少年だったら、どうしたんだ?」

「……え?」

「俺が肯定したら、君たちはどうするつもりだったんだ? 幼い頃に有名になった人間を捜して、野次馬気分を味わいたかったのか? それとも、自分の背後霊でも確認して欲しかったのか?」


 凱斗の言葉にちょっと身を乗り出した那岐を、采希はそっと手で制する。

 興味本位で近付く種類の人間に対しても、本来であればこんな態度をとるような凱斗ではない。それは采希にはよく分かっていた。

 俯いてしまった綾乃に、采希は低く声を掛ける。


「別に、凱斗はあなたを責めている訳じゃない。あなたや友人の、凱斗のプライバシーに対する聞き方に少し難があったとしても、こいつはそんなに気にしない。だけど、凱斗に否定されてあなたたちはどんな態度を取ったのか、教えてもらえるか? まさか、がっかりした表情を見せたりとか、してないよな?」


 弾かれたように顔を上げた綾乃は、にこやかな笑みを張り付けた采希の顔を見た。

 その全く笑っていない眼の色に、背筋が硬直した。


「あの…………申し訳ありませんでした」


 ごく小さな声で呟く綾乃に、凱斗がちらりと采希を見る。

 軽く額を指で押さえ、大きく息を吐いた。


「……あのさ、ごめん」

「……」

「采希は、悪気があって言ったんじゃない。自分が悪者になる事で俺の怒りの気を逸らそうと……あー、まあいいか。──で? 別に謝るためにこんな所まで来た訳じゃないんだろ?」

「……はい、あの……実は従姉妹からの電話の最後に、神棚にお祀りしていた神様の気配が感じられなくなったと──」

「……んだとぉ?」


 身を乗り出した凱斗に、綾乃が怯えたように身じろぎした。

 表情を強張らせた凱斗の肩を采希が押さえる。


「凱斗、何をしたんだ? 聞いた感じだと、お前、邪念か何かを吹き飛ばしたんだよな?」


 問い掛ける采希を一瞥して、凱斗は唇を噛みしめる。


「……ああ、吹き飛ばした。単なる嫉妬の念だと思ったからな」

「嫉妬?」

「そう。もの凄く濃い粘着質な妬みの念だ。成功している鳴海社長を羨んでいる奴の念だと思ったんだ」

「じゃあ、神様を吹き飛ばした訳ではないんだな?」

「俺にそんな力はないし」


 憮然とした顔で答える凱斗に、ずっと黙っていた那岐が口を開いた。


「そんな真似が出来るのは采希兄さんと柊耶(とうや)さんくらいだねぇ」


 綾乃が驚いた顔で那岐の方を見る。

 その視線に那岐は笑ってみせた。


「えっと、時末さん? 困っているようなら正式に依頼してみる?」



 * * * * * *



「一体、どうなっているんだ?」


 不機嫌そうに呟く凱斗に、采希が首を傾げる。

 依頼の件を伯父に確認すると言って綾乃が退去して間もなく、琉斗(りゅうと)榛冴(はるひ)も帰宅した。

 那岐が簡単に琉斗たちに説明している間、凱斗はずっと頭を抱えていた。


「俺が何か間違ったのか?」

「いや、そうじゃないと思うぞ。その邪念、相当に濃かったんだよな?」

「うん、嫌悪感で退かしたくなる位には」

「だったら、凱斗がそこに行った時にはもう神様が居なかったんじゃないか?」

「……?」

「そんな邪念の中で神様の気配まで分かるとは思えないし、何より神様がいたらそんな状態にはならないんじゃないか?」

「……おぉ、なるほど」

「まあ正式に依頼が来てからだけどな。凱斗がその社長と面識があるなら、一緒に──」

「行くぞ」


 かぶせ気味の凱斗の返答に破顔した采希の額に、榛冴の手が当てられる。


「……榛冴、何の真似だ?」

「采希兄さん、精密検査の結果は? シュウ先生に診てもらったんでしょ?」


 医師だと分かった途端に『先生』呼びか、と苦笑した采希に、全員の視線が集中する。


「特に何もなかったぞ。胃カメラまで飲まされたけど」

「胃カメラ? 本部にそんな設備もあるの?」

「いや、シュウさんの親父さんの病院で」

「……親? 開業医だったの?」

「親父さんがな。シュウさんはでっかい総合病院勤務だと」

「でもいずれは跡取りかぁ、凄いねシュウ先生」


 感心する榛冴に、采希はシュウとの会話を思い出して頬を緩めた。



『シュウさん、頭良かったんですね』

『……采希、俺は頭は良くない。試験のために覚えるのは得意だが、知識を発展させることが苦手だ。分析力とか判断力、知識を元に予測したりだな。そういうのは黎とカイ、柊耶の得意分野だな。俺とシンは応用が利かない分、あいつらよりも知識を詰め込んだと思ってる』

『そう、ですか?』

『それは頭がいいんじゃなく、成績がよかった、というべきだろうな』


 天才タイプと秀才タイプの違いだ、とあっさり笑い飛ばしたシュウに、采希は感心した。

 そうやって冷静に自分を分析して努力を怠らない、それだけでも尊敬するには充分だと思った。



「だったら、もう仕事に復帰するのか?」

「明日からな。──いいタイミングで依頼も入りそうだし」


 凱斗に答えながら采希は庭の方に視線を向ける。

 采希の眼には捉えられないが、ずっと微かな気配を感じていた。


(柊耶さん、どうして俺についているんだ?)



 * * * * * *



「采希、お前に指名依頼だ。例の、凱斗が吹き飛ばした邪念に纏わりつかれていた鳴海さんだな」


 黎から声が掛かったのは三日後だった。

 思った以上に遅かった事に、采希は少し不審に思った。

 自分が彼女に教えた連絡先は、組織の依頼を担当している部署に直通で繋がるはずだった。


「少し、シンの所で調べさせてもらったから、遅くなった。強面の社長だが、社員からの評判は上々だ。不正や偽善を許さないタイプらしく、人を見る目は確からしい」


 納得したように頷く采希をみて、黎は続けた。


「最近、辞めた女がいるんだが、これがかなりの食わせ者だったらしいな。娘がひとりと幼い孫がいるんだが、夫はいない。見た目は白くてぽっちゃりでかなり若く見える。声や仕草も可愛らしく、男性社員からは好評だったようだ。だがこの女、上にはあからさまに媚びまくるのに、下に対しては職場内虐待を繰り返していたらしい。その事が発覚しそうになる度に泣いて身に覚えがないと訴えて誤魔化し、上の者はそれを信じてしまう。──そうして若い優秀な社員が次々と辞めていったそうだ」

「……上の者はずっと気付かなかったって事ですか?」


 采希が心底嫌そうに黎を見返す。女の行いに対してか、その女の所業に気付かなかった者たちに対するものか、恐らくはどちらも采希の嫌悪感を刺激したのだろうと黎は思った。


「そうだな。上手いこと隠匿されてきたようだ。優秀な人間が次々と辞めていくのを不審に思った社長が、一計を案じて投入した布石が自分の娘だ。時末綾乃さんの従姉妹とやらだな。心理学を学んで別の会社で働いていたが、悩んでいる父親の力になろうと、母方の姓で秘書として採用された。そして密かに内部調査を行って、その女──風間貴理の悪業を洗い出した。色香に迷った部長連中の事実改竄や調査不足も含めてな」

「それで、その風間って女は辞めさせられた?」

「ああ。最後まで認めずに泣き喚いていたらしい。どうしても心根を入れ替えるとは思えなかった社長は、弁護士にも相談している」


 そこまで調べ上げたシンに感心すると同時に、采希はその意図に気付いた。


「その女が、今回の事件の原因ってことですか?」

「おそらくな。柊耶に一日張り付いてもらったんだが、その女、ずっと部屋に籠って何やら祈祷の真似事をしていたらしい」

「祈祷? 呪いの儀式とかですか?」

「そういう事だと思う。ただ、柊耶の知るどの流派でもなかったそうだ。オリジナルか、今は失われた儀式なのかもな」


 人を妬み、恨む念は強い。

 相手が死霊であれば生きている人間の(エネルギー)にはほとんど勝てない。

 だが生きている人間の発する邪気は、死霊のそれとは比べ物にならない。


 采希はふと、自分がこんな世界に入り込む切っ掛けとなった生霊を思い出した。


(無意識の生霊でも、今考えるとかなり強かった。今度は意識して呪いの力を乗せた邪気か……どれだけ厄介なのかは、凱斗が躊躇なく吹き飛ばそうと思った事からも推測できるけど)


 考え込んだ采希を、黎はじっと見つめていた。

 口を引き結んで、采希の気配を探る。

 精密検査の結果も、今目の前にある気配も、特に変わった様子はなかった。それなのに、黎の中には落ち着かない気持ちが湧き上がってくる。

 一瞬、眉を寄せて口を開いた。


「神様を連れ去ったかもしれない事といい、簡単には対処できない可能性がある。那岐たちも連れて行った方がいいな」

「そうですね……あ、黎さん、柊耶さんが最近、俺に付いているのはどうしてですか?」

「放って置くとお前は限界まで力を使うからな。何かあった時、最悪でも本部まで連れ帰れるように、だな」


 采希の問いに、黎は全く表情を変えずに答えた。

 身に覚えのある采希はそっと視線を逸らす。


(だけど……それなら依頼がある時だけでいいんじゃないか? 柊耶さん、自分は黎さんを護るために在るんだ、って言ってたのに)


 常に采希の傍にいるのではないらしい事は采希にも分かったが、気付くと柊耶の気配を感じていた。

 隠形の得意な柊耶だが、あえて采希にほんのわずかな気配を知らせているような気がした。


(何だろう、牽制みたいな? でも何のために……?)


 不思議な眼をした高位の魂を持つ柊耶の意図は、未だに采希にはうまく掴めなかった。


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