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巫の血脈  作者: 櫟木 惺
第18章 逸走の里
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第95話 隠された境界

 トンネルの前に高く積まれたバリケードの隙間から内部を窺っていた凱斗(かいと)が、采希(さいき)を振り返った。


「そんなに長いトンネルじゃないな。向こうに小さく出口らしい光が見える」

「その子はこのバリケードを登ったの? 向こう側に降りる時、飛び降りる必要があるけど。かなりの高さだよ」


 榛冴(はるひ)が指摘したとおり、バリケードはこちら側から奥に向かって緩く傾斜がついている。

 一番上まで登ったら、降りるのに足掛かりは無いも同然だった。


「鼠返しの壁を降りられるような身体能力の中学生なのか?」

「いや、普通にぶら下がって、落ちてるな。少し足を捻ったみたいだ」


 采希がバリケードからサイコメトリーしていると、背後で那岐(なぎ)琉斗(りゅうと)が首を傾げる。


「この程度の角度だったら、向こう側も伝って降りられるだろう」

「そうだね、この位だったら楽勝だ」


 腕組みしながらバリケードを値踏みする二人に、榛冴が小さく舌打ちをした。榛冴の気持ちが痛い程わかった采希がくすりと笑う。


「一般的な中学生に、そんなバカみたいな握力はないな。凱斗、少し下がってくれ。バリケードを動かす」


 今にも登ろうとしている脳筋仕様の二人を睨んで制し、采希は念動でバリケードをずらす。

 全員がトンネル内に入ったところでずらした分だけ元に戻した。


「車が一台、通るのがやっと、くらいかな?」

「そうだな。これ、壁が石積みだぞ。どれだけ古いんだ?」


 榛冴と凱斗がトンネルの壁をしげしげと眺める。

 凱斗の言ったように、トンネルの先の出口からは光が見えていた。


「急に崩れたりはしないと思うけど、一応注意しながら進むか」


 凱斗の言葉で、自然にみんな歩き出した。

 妙に反響する足音と、時折聞こえる雫の落ちる音。

 日常とは違う周囲の様子に、誰もが隣にいるはずの気配を確認するように歩いていた。

 息を詰めていた琉斗が大きく息を吐き出し、その音に凱斗が驚いて琉斗を睨みつける。


「向こうの景色、見えて来たね」


 那岐の明るい口調に、誰もがほっとした。

 真っ白にしか見えなかった景色が、色を纏って輪郭をはっきり浮きだたせる。

 トンネルを抜けた先には更に山の方へと続く道が伸びていた。


「……この先に、行ったのか?」

「普通のトンネルだったよね。特に何も変わった事はなかったみたいだけど」

「じゃあ、山で遭難している可能性もあるのか」


 凱斗と榛冴と琉斗が足を止めて辺りを見渡す。

 ごくありふれた山道にしか見えなかった。


「なあ、采希……」


 凱斗が振り返ると、采希と那岐はトンネルの出口辺りでしゃがみ込んで地面を見つめている。

 何事かと思いながら凱斗が采希たちに近づくと、二人の会話が聞こえてきた。


「気配は、ないぞ」

「ここを通った跡もないね。でも確実にトンネルには入ってる」

「采希、那岐、それってどういう事だ?」


 凱斗を見上げた采希が、小さく首を振る。

 声に気付いた琉斗と榛冴も戻って来た。


「彼はトンネルに入った。だけど、トンネルから出ていない」


 断定するような采希の声に、榛冴と凱斗が顔を見合わせる。


「だったら彼は何処に消えたんだ? これが神隠しなのか?」

「いや……もしかして、凱斗が原因か?」

「…………何で、俺?」

「だとしたら、本当に異世界じゃなくても異空間に紛れた可能性はあるかもね」

「そうだな。……戻ってやり直しだ」

「おーい! だから、何で俺のせいなの?」


 騒ぐ凱斗を、采希と那岐が真顔で見つめる。


「邪気には無敵だと知ってはいたけど……」

「邪気で作られた物まで無効化するんだね」

「とんでもねぇな。向こう側の連中からしたら、凱斗が一番の邪魔者だろうな」


 面と向かって言われているのがとても誉め言葉には聞こえず、凱斗はあからさまに肩を落とした。

 何となく事情を察した榛冴は、兄の肩を軽く叩きながら采希に尋ねる。


「凱斗兄さんの内包する聖域のせいで、僕らは異界への入り口を素通りしちゃったってこと?」

「そんな感じだと思う。まさか本当に異界に繋がるとは思ってなかったしな。普通に山で迷っているんじゃないかと思ってたから、トンネルの出口に辿り着いていないとは思ってもみなかった」


 榛冴に答えながら立ち上がった采希は、背後のトンネルを嫌そうに振り返る。


「もう一度、戻るぞ。那岐、彼の気配を捜しながら進んでくれ。俺は凱斗の気配を隠形(おんぎょう)させる。榛冴、綱丸(つなまる)を呼べ。お前の気配も隠してもらうんだ。それと、どこかに入り口があるはずだから綱丸が感知したら教えてくれ」


 采希が指示を出すと、琉斗と眼が合った。


「琉斗、俺がいいと言うまで紅蓮(ぐれん)は起動させるな。出来るだけ、力を抑えていろ」

「……どうしてだ?」

「紅蓮もロキも、存在がバレたら多分入り口は見つからない。榛冴には綱丸がいるし、那岐は力の抑え方を知っているけど、お前はまだ制御出来ないからな、無心でいろよ」


 納得したように頷き、琉斗は凱斗の肩に手を掛ける。


「分かった、采希。──兄貴、呆けてないで、さっさと異界の入り口を探すぞ」




 周囲を(うかが)うように歩いていた那岐がふと立ち止まる。


「那岐?」

「ここからトンネルの入り口までは気配がある。この辺りで途切れているね」

「采希兄さん、綱丸もこの辺だって」


 それはトンネルから入って20メートル程の位置だった。

 采希はその場所から更に少し進んで出口の方を向き、全員が揃うまで待った。


「よし、ここから出口に向かうぞ。榛冴、綱丸を笛に戻して気脈だけを繋げていろ」


 榛冴の首から下げた小さな銀笛に、管狐が戻っていく。榛冴は銀笛をそっと右手で握りしめた。

 ゆっくりとした足取りで、再度出口に向かって歩き出す。

 采希は凱斗の手首を掴んだまま、出口に見える光を見つめていた。

 ふと、四角いはずのトンネルの出口が半円形になっている事に気付く。同時に軽い耳鳴りがした。


「榛冴、綱丸の様子は?」

「……マジで? 采希兄さん、今、僕らは異界の境を越えたらしいよ」

「全員、離れるな。──行くぞ」


 そう言いながら采希は自分が掴んだ凱斗の腕の違和感に気付いた。

 腕だけではない。凱斗の身体全体が発光しているように淡い光を帯びている。


「采希、何だか俺の身体、光ってない?」

「光ってるな」

「何これ? 俺、このまま昇天したりしないよね?」

瀧夜叉(たきやしゃ)の気で凱斗の気配を覆っているせいかもな。お前の気そのものが何かに反応しているんだろう。──ああ、出口だな」


 そう言いつつ、采希は眉を寄せた。

 出口が間近に迫っているのに、向こう側の景色が見えない。ずっと白い光だけが見えていた。


「兄さん、これって変だよね? この距離で向こうが見えないってことは、向こう側ってどうなっているの?」


 不安そうな那岐の声に隣を見るが、那岐の姿は確認できなかった。

 声と気配はそこに存在するのに、姿だけが見えない。


 思わず立ち止まった采希は、眼の前を流れる粒子の荒い煙のような物に気付く。


「……霧? だから景色が見えないのか。──那岐、何処だ?」

「ここに……あれ? 兄さん?」

「琉斗、榛冴!」

「え? 凱斗兄さんと采希兄さん、何処にいるの?」

「声は聞こえるが…………采希、お前と凱斗の姿が見えないぞ!」


 采希は思わず凱斗と顔を見合わせる。

 どうするべきか、迷った。

 異界への入り口はほぼ同時に潜ったはずなのに、どうやら二手に分断されてしまったらしい。


「……戻るか」


 どんな場所に出るかも分かっていないのに、ばらばらになるのは(まず)いだろうと思った。


「そうだな、一旦入り口まで戻ろう。琉斗、那岐、榛冴、聞こえるか? 一度戻るぞ」


 凱斗の声に、返事はなかった。

 眼を見開いた凱斗と采希の視線が交わる。


「あいつら、もしかしてトンネルの外に……」

「行こう、凱斗」


 采希は凱斗の手首を掴んだまま、霧に覆われたトンネルの出口に向かった。



 * * * * * *



 白く霞んだ視界の先に、うっすらとまばらな木々が見える。家屋の影も見えず、視界の届く範囲は平坦な地が続いているように感じた。


「たしか、山、だったよね」

「さっき出たトンネルの先は山だったな」

「ここって、どこかで見た農村みたいに見えるんだけど」

「霧が深くて確認できないが、そう言われてみればそんな風に見えるな」


 呆然と呟く榛冴と琉斗の声を聞きながら、那岐は背後を睨みつけるように見ていた。

 そこには、今出て来たばかりのトンネルは無い。


「凱斗兄さんと采希兄さんは?」

「……居ないな」

「僕ら、三人だけ?」


 不安気な榛冴に、琉斗はどう言ってやればいいのか分からなかった。自分も榛冴と同様かそれ以上に不安な気持ちになっている。


「とにかく、兄さんたちを捜そう。ここで待っていても仕方ない」


 那岐が眉を寄せながら歩き出す。

 榛冴は慌てて那岐の服の裾を掴んだ。


「でも、あまり動くのも良くないんじゃない?」

「ついさっきまで感じられていた兄さんの気配が、トンネルの出口が消えた途端に視えなくなったんだ。兄さんたちは別の所に出た可能性の方が高い」


 那岐が説明すると、琉斗が納得したように頷いた。


「出口は一つじゃなかったって事か。榛冴、これ以上ばらばらにならないよう、気を付けながら進むぞ」

「……分かったよ。でも那岐兄さん、もう綱丸の気を抑えなくてもいいよね? この先、何があるか分からないし」


 榛冴の(すが)るような問い掛けに、那岐は少し考えるように首を傾げた。


「そうだね、何があるか分からない。榛冴も琉斗兄さんも、すぐに対処できるように準備して」

「では紅蓮も呼び出して構わないんだな?」

「うん、何か起こったらね。ロキさんはいざという時まで琉斗兄さんの中に居てください」


 那岐の言葉に、白狼が琉斗の中から了承の意を返す。



 辺りが霧に覆われているため、出来る限りゆっくりと進み始めるが、琉斗は焦っているのかつい先行しがちだった。

 何度か那岐に引き留められては歩みの速度を落とす。


「琉斗兄さん、何にそんなに焦っているの?」

「え? ああ、いや、早く采希たちと合流したいと……」


 榛冴の問いに、琉斗は何故か眼を逸らす。

 (いぶか)()に首を傾げる榛冴の視線を避けるように顔を背けた琉斗が、遠くに人のような細長い影が揺らいでいるのを眼に留めた。


「……那岐、あれは、人じゃないか?」

「うん、人に見えるね」

「声を掛けてみるか──」

「いや、ちょっと待って琉斗兄さん!」


 榛冴に腕を引かれ、琉斗が少し足踏みした。


「榛冴?」

「あの、何かこんなの無かったっけ? どこかの怪談でさ、話しかけると何かされるヤツ」


 琉斗と那岐が顔を見合わせる。那岐が少し首を傾けた。


「僕の記憶には無いけど……何かの妖怪とか?」

「榛冴、怯えすぎなんじゃないか?」

「でも……ねぇ、あの影、近付いて来るよ」



 * * * * * *



 采希と凱斗がトンネルを出ても、辺りは霧の中だった。


「これ、視界ほぼゼロだよな。動くのは危ないんじゃないか?」


 凱斗が不安そうに呟く。

 同意しようと凱斗の方を見た采希は、自分と凱斗の身体の周りの霧の濃度が違う事に気付いた。


「凱斗、お前の周りだけ霧が薄い気がするんだけど」


 采希の声にきょとんとした凱斗が、慌てて自分と采希を見比べる。


「そうか? 俺にはよく分かんねぇな」

「もしかしたら……瀧夜叉、凱斗を覆っている呪を解除してくれ」


 采希がそう口に出した途端、凱斗の身体の周囲にあった薄い壁が消えた。

 凱斗を中心に霧が晴れていく。


「……マジか。琥珀(こはく)、この霧は邪気を含んでいるって事か?」

《そのようです。能力者が入り込まないように入り口で排除するようになっていたのではないでしょうか》

「なるほど。だから一度、素通りしてしまったのか」


 口元に手を当て、少し俯いた采希が何事か考え込んでいる。

 凱斗はゆっくりと自分たちから遠ざかって行く霧を気味悪そうに眺めた。


「采希、ここ、気持ち悪いぞ。あの霧に意識があるみたいじゃん」

「……霧に意識はないだろうけど、誰かの意思で動いてるのかもな」


 視認できる程の速度で、霧は動いている。

 ならば、と采希は左手のバングルに手を添えた。


「琥珀」


 小さく呼び掛けると琥珀は白銀の弓となって現れた。

 霧が逃げて行く方向に向けて、采希は弓の弦を引く。

 薄青い光を纏った矢を放つと、矢は風切り音を残しながら霧を裂いて飛んだ。

 一瞬で視界が開ける。


「……どこだ、ここは」

「さっきと景色が違うな。……凱斗、後ろ、見てみろ」

「後ろ? あれ? トンネルは?」


 采希と凱斗は見渡す限り続く、森の中に立っていた。




 森の中を慎重に進んで行くと、誰かの声が聞こえた。


「采希」

「俺にも聞こえた。──向こうか」


 采希と凱斗は、声の方に向かって可能な限り急ぐ。

 考えていた以上に距離を進んだ所で、大きな黒い生き物が見えた。


「あれ……熊か?」

「それっぽい形だけど、違うな。熊にあんな長い尾はない」


 凱斗がもう一度良く見ると、熊よりも長い手足と長い尾が確認できた。


「なんだよ、あの生き物」


 少し声を震わせながらも、その生き物との距離は近付いて行く。


「来るな! 来るなって! くっそぉ、ファイアーボール!」


 少し高い少年のような声が聞こえた。

 尻もちをついたような恰好のままずるずると後退(あとずさ)る姿が采希と凱斗にも見えた。


「なんで、なんで出ないんだよ! ファイアーボール! ストーンバレット! ウインドカッター! ウォーターストーム!!」


 熊のような生き物に右手を向け、必死に叫んでいる。


「……采希、あのガ……子供は何をしようとしてるんだ?」


 思わずこめかみを指で押さえていた采希が、走る速度を上げる。

 少年が采希たちに気付いた所で、采希の右手は炎を纏った。


「多分、こういう事かな、っと!」


 熊もどきに向かって突き出された采希の右手から、火球が放たれる。

 火球は采希の手を離れても回転しながら成長を続け、熊もどきを包み込んだ。

 凱斗が素早く回り込み、少年の身体を炎に包まれた生き物から遠ざける。


「おー、確かに熊じゃねぇな。一瞬で燃え尽きるのか」

「あー……まあ、念の塊だからな。こっちも罪悪感がなくて済んだ」


 ひと筋の煙を残して消えた熊もどきが居た場所から、采希は少年に視線を移す。

 斜めに見降ろす采希と眼が合った少年は、怯えたように息を飲んだ。


「お前、名前は?」

「……」


 震えながら口を開こうとするが、声が出ない。

 凱斗がしゃがみ込んで目線を合わせ、少年の顔を覗き込んだ。


必殺技(まほう)の詠唱は出来るのに、名前は言えないのか?」

「あ……あんたたちは……」

「あんたじゃねえだろ、クソ餓鬼。助けてもらってその態度は何だ?」

「別……に……助けてもらわなくたって……僕は……」


 震える声で凱斗に答えながら、少年の視線は采希の方を何度も見ては眼を逸らす。


「あぁ? 自分でも倒せた、とでも言いたいのか? 腰抜かしている奴がどうやって倒すんだ? 『ファイアーボール』とか言う魔法でか?」


 眉を片方だけ吊り上げて、凱斗が少年に顔を近付ける。

 脅すなよ、とでも言いたげに額を押さえた采希が、ゆっくりと近付いて来る。

 それだけで少年は息を飲んで後退った。


「お? 凱斗よりも俺に怯えてる? 心外だ」

「そうみたいだな。──おい、お前、どうしてここにいるんだ? 紗矢(さや)さんとこの中学生だろ?」


 紗矢、という単語に、少年はぴくりと身体を強張らせた。

 (すが)るようにデイバッグを胸元に抱き締め、采希と凱斗の間に視線を泳がせる。

 何となく何が言いたいのかを察した采希が、心底嫌そうな顔で首を振った。


「いや、俺たちは別に勇者の仲間じゃない」

「采希、何言って──」

「紗矢さんも勇者の仲間じゃないし、ましてやお前は勇者なんかじゃない。現実を見ろ」


 凱斗は訳も分からず、冷たく言い放つ采希と眼を見開いて硬直した少年を交互に見た。


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