第93話 集う能力者
「采希さん、まだお休みでしたか? また、こちらで寝ていらしたんですね」
聞き覚えのある声に采希が眼を覚ます。
横になっていたソファーから身体を起こすと、陽那が眼の前の低いテーブルに朝食の乗ったトレイを置いた。
朔の組織の当主に当てがわれた地味目の役員室のような部屋を、采希は見回した。部屋の主である当主はまだ出勤していないらしい。この部屋に顔を出さない日も多いという。
「いや、寝るつもりじゃなかったんだけどな。ちょっと疲れたんで、横になっただけのはずだったんだ」
「……相当お疲れなんじゃないですか?」
「自分じゃそうは思えないけど。……悪いな、わざわざ朝食を用意してくれたのか?」
「さっき扉の外で情報部門の女性が、入るのを躊躇っておられたので、代わりに受け取っただけです。朝食を用意されたのは多分その方ですよ」
「……入りたくなかったのか、悪い事をしたな」
采希はその女性が自分のいる部屋に入るのを嫌がったと思っていたが、そうではない事を陽那は知っていた。
整った顔立ちをしている采希がこの組織の女性陣に絶大な人気となっているのを、本人だけが知らない。
まだ眠そうな目でぼんやりと珈琲のカップを手にする采希を眺める。
母親の朱莉によく似たその顔は、数日前に比べて少しやつれたように見える。
陽那は黎に言われた事を思い出していた。
『封印が効いていない? どういう事ですか?』
陽那は、驚いて上擦った声を上げる。
以前、黎から采希の力が封印された経緯は聞いていた。
『分からん。龍神たちの守護が原因らしいというのはナーガから言われた。だが、そのナーガも自分たちの守護が封印に作用するとは思ってもみなかったらしい。最後に守護に就いた海神がようやく気付いたそうだ』
『では、守護を返上すれば……』
《それは、叶わぬな》
『ナーガさま……』
《余程の事がない限り、我らは采希の命が続く限り護ると誓った。朱雀や玄武と違ってな》
『朱雀さまたちは、違うのですか?』
那岐への守護が一時的なものらしい事を匂わせる龍神の言葉に、陽那は少し不安を感じた。
《四神は常では守護には就かぬ。力が強大すぎて向かないのだ。人には四神の気は強すぎる。──采希は稀な例外だ》
『強すぎる……』
《四神の気に当てられ、人ではなくなる那岐の姿など、見たくはないだろう》
『……』
今でも時々人間離れしている那岐だが、龍神の言う意味はそんな生易しいものではないのだろうと思った。
陽那の表情が曇る。
『空と地と海の龍神が守護に就いた事で封印が無効化されるってのは、何故なんだ?』
《巫女の封印は、采希の強すぎる力を抑えるために力全体を包み込んでいる箱のような物だ。我らの護りを得た事で采希の中に在るその箱は、采希の身体が安全な状況にあると判断して消えたのではないかと推察するが……》
そんな事で巫女の封印が消えるとは、黎には思えなかった。
采希自身が意図せずに封印を解いたような気がしている事は、黎には絶対に口に出来なかった。
『封印がなくても采希さんは大丈夫なんですか?』
『今のところは自分で制御出来ているようだな』
『でも……制御するための力が消えてしまったから、あきらさんは采希さんの力を封印したんですよね? どうやって制御しているんですか?』
『……分からん。柊耶の推測に、カイとシンは絶句していたし、俺は認めたくないと思った』
『……その推測って?』
──聞かなければよかった。
後々まで、陽那は後悔する。
『今の采希は柊耶に言わせると、常時力を発現させている状態だ。自分の力で強引に、力の制御を行っている、もしくは──』
黎は眼を閉じて言葉を絞り出す。
『──自分の命脈を削って抑えている』
珈琲を飲み終えた采希がことりとカップをテーブルに置いた。そのまま立ち上がる。
あの恥ずかしがり屋の情報部門の女性が心を込めて作ったであろう朝食には、手を付けていない。
きゅっと唇を噛んだ陽那は、努めて明るい声を出す。
「采希さん、ちゃんと食べて下さいね。少し痩せたみたいだって、那岐さんにも言われました。私、凱斗さんや琉斗さんに恨まれたくないですよ」
にっこりと笑う陽那に、采希は困ったように眼を逸らす。
「……あんま、お腹空いてなくてな」
「駄目です。采希さんは仙人じゃないんですから、きちんと食べて下さい。──蒼依さん、連れてきますよ」
心配性の叔母の名前を出され、采希は苦笑しながら再びソファーに腰掛ける。
渋々といった様子でゆっくりと食事を始めた采希を見ながら、陽那は気付かれないように溜息をついた。
采希が朔の組織に正式に採用されてひと月、采希は依頼された仕事をこなしながら、注意深く自分の仕事の結果を確認していた。
除霊の依頼を処理している時に、ふと気付いた事があった。
除霊をするとその場所を含めた周囲の気が巡り出す。
それは、邪気のせいでその地の気脈が阻害されていると言う事ではないか。これと似たような事を誰かに聞いた気がしていた。
その事に気付いてみると、呪いに関しても同じ事に気付く。
呪われた対象に呪いが届く前に掻き消す。その上でその道筋を逆に辿ると、呪いを依頼した者には滞って澱んだ気が存在していた。
(呪そのものは良くない気を相手に送り込むような感じなのか? でも術者の気がここまで澱んでいるのは、呪を行使したせいか、澱んでいるから行使できるのか……)
考え込みながら食事をしているせいで時々手が止まってしまう。
その度に陽那が顔を覗き込んでくるので、采希は急いで食事を掻き込んだ。
「今日のお仕事の予定は何ですか?」
「んー、榛冴が持ち込んだ依頼の確認と……カイさんにも呼ばれてる」
「カイさん? さっき今から空港に行くって走ってましたけど」
「……予定変更かな。出掛ける前に確認しておく。ありがとう」
ようやく片付いた朝食のトレイを手にして、陽那がすっと背筋を伸ばした。
「榛冴さんに、よろしくお伝えくださいね。では、私はこれで──」
「陽那、就活はしてるのか? ほとんど組織にいるみたいだけど」
「大学院に進むことにしました。少し研究してみたい事があって」
「研究? 何の?」
「まだ、秘密です」
くすりと笑って陽那はトレイを手に部屋を出た。
閉まったドアの奥から、ふうっと息を吐く気配と、大きく伸びをしたような声が聞こえて来た。
自分はまだ采希にとって気が抜ける相手ではないのだろうと思いつつ、陽那は顔を上げる。
こんな事で気落ちしている場合ではない。
陽那はトレイを炊事場に置き、今日の仕事のためにシンの元へと急いだ。
* * * * * *
「……榛冴からの依頼って、そういう事か」
采希は目の前で笑う亜妃を複雑な気持ちで見つめる。
以前、住んでいた部屋に霊道を通されて霊障を受けていた榛冴の知り合いだ。
「采希さんたら、そんなに嫌そうな顔をしなくても。地味に傷付きますよ」
「だってなぁ、そんな強力な巫女さまに護られた亜妃が手に負えないような案件は、流石に嫌だろ」
「采希さん、一つ大きな間違いが」
「……?」
「私の後ろには確かに飛鳥時代の巫女さまがいるかもしれません。でも私自身には何の力もないんです。だから、私の手に負えない、という認識は間違いです。私は、どんな事態にせよ手を出す事ができないんです」
言われてみれば、と納得し、采希は小さく頭を下げる。
「そうだな、悪かった。ちょっと疲れ気味なせいか余計な警戒をしたみたいだな。──で、どんな内容なんだ?」
「私の友人が困っていまして」
「うん」
「中学校の先生をしてるんですが、一人困った生徒がいるそうです」
「…………」
「何と言うか、普通と少し違うらしくて、時々おかしな事を口走るとか。妄想癖……夢見がち? 違うな、えーっと……」
「待て、こら」
采希は身を乗り出した亜妃の額を指先で押し返す。
「何で俺にその話を振る? そういう相談は然るべき所に持ち込め」
「分かっていますよぉ。話は少し厄介なんです。その友人がもうすぐここに来るはずなので、それまで私の話を、いいですか?」
采希は渋い顔のまま小さく頷く。
面倒事の気配が確実にしていた。
☆ ☆ ☆
先日、ちょっとした飲み会があったんです。大学時代のメンバーが集まって。
その帰りの事なんですが、メンバーが連れて来た──いや、無理矢理ついて来た女がいて、まあ仮にA子とします。
そのA子が突然肝試しなどと言い出して、街外れの古い隧道に行くって言い出したんです。
采希さん、そこ知ってます?
知ってましたか、やっぱり。
当然、私も陸玖くんも猛反対しました。そんな悪ふざけをするなんて考えられないような、怖い経験をしましたからね。
『行くなら、悪いけど自己責任で頼むよ。僕らは絶対に行かない』
『やっだぁ、陸玖くんてば怖いの? 意っ外~、可愛い所あるんだ~。でもダ~メ。男なんだから可愛い女の子を危険な目に遭わせるなんて、ダメに決まってるでしょお~』
いやー、ムカついたわ。自分で可愛いとか言うのか、とは言わなかったですけどね。メンバーの子の幼馴染とかで、その子以外に知り合いもいないのに押しかけてきたヤツなんで。
まあ私は、どんな子かはA子周りから色々と聞かされてたんですけど。
あ、陸玖くんの事は知ってたらしく、あからさまに陸玖くん狙いではありましたね。めっちゃベタベタしてました。
陸玖くんはそんなA子の言い分にも全く動じる事もなく、淡々と
『何と言われようと、そんな悪ふざけに参加するつもりはない。何かあった時、僕には除霊することも結界を張ることも出来ないからね』
って言ったんですよ。
流石にA子も怪訝そうな顔をしていました。
肝試しからいきなり除霊だの結界だのの話ですからね。
A子に付き纏われていたのは私の友人なんですが、彼女は陸玖くんの言葉に大きく頷いていました。
彼女──紗矢子は、視える人なので。
以前、私の後ろにいる人が巫女だって指摘したのも彼女です。
『いいから一緒に来て! このあたしが頼んでいるんだよ!』
『僕は君の事を知らない。だから君に従う義理はない。亜妃ちゃん、紗矢ちゃん、帰ろう』
『ちょっと待ってよ、女の子を置いて行く気? 信じらんない!』
『無理矢理、何の関係もない飲み会に乱入してくるような失礼さを恥じる気持ちはないのに、一人にされるのは嫌なの?』
『…………酷い、何それ。何でそんな酷い事言うの?』
『君、ずっと亜妃ちゃんや紗矢ちゃんの事、バカにしてたよね。何が気に入らないのか知らないけど』
『……そんな事ない! 紗矢は幼馴染で……』
『幼馴染だから粗忽に扱ったり、隷属させていいとでも思ってるのかな。他のメンバーの中には君の顔やスタイルが気に入った奴もいたみたいだけど、僕は君と仲良くするつもりはない。だからあいつらと一緒に行けば良かったのに。僕らはもう帰るから、君の希望に沿うことは出来ない』
見た事もないような冷たい眼でA子に言い切った陸玖くんに、ちょっと驚きました。
他の男の人たちはA子の童顔と真逆の豊満なスタイルのギャップに大抵鼻の下を伸ばすものだと思っていたので。
ああ、榛冴くんもA子とは一度会っているはずです。彼も全く興味なさそうでしたけど。
☆ ☆ ☆
一息つこうと紅茶のカップに手を伸ばした亜妃が、ふと入り口に目を向ける。
店に入って来たのが待ち人ではないと分かって、腕時計に視線を落とした。
☆ ☆ ☆
A子に言い寄ろうと思ったのか、私たちの後をついて来ていた二人の男がA子に声を掛けて、紗矢子を無理矢理連れて行ったんです。その、肝試しに。
まあ、A子が紗矢子の腕を強引に引いて行ったんですけど、男たちはへらへら笑ってついて行っただけなので、私と陸玖くんは特に動くこともしませんでした。
だけど紗矢子を置いて帰るのもどうかと迷って、その場に留まっていたんです。そしたら、A子の悲鳴が聞こえて来て──
☆ ☆ ☆
「ちょっと待て。……その話、一か月くらい前じゃなかったか?」
亜妃に手の平を向けて遮った采希に、亜妃が大きく頷く。
「あ、そうです。陸玖くんが榛冴くんを呼んで何とか助けてもらった件です。ご存じでしたか」
「いや、助かってないじゃん。そのA子とやらと男たちは、えらい目に遭ったって聞いてるぞ」
「ですね。私の本音としては、紗矢子が巻き込まれなくてよかったと思ってますよ。A子狙いの男たちはどうだか分かりませんが、A子は……自業自得です。私、紗矢子に何度も忠告しました。一方的に利用しようとするのは友達じゃないって」
「……」
采希から少し視線を外し、悔しそうに目を伏せる。
はきはきとしている亜妃が敢えて女の悪業を並べ立てない事で、采希には亜妃がその女と余程関わりたくないのだろうと察した。
「……まあいい。で、あの場所がどうかしたのか? 那岐まで呼ばれて片付けたって聞いてるけど」
「そうです、那岐さんにもご迷惑を──あ、紗矢!」
嬉しそうに立ち上がって入り口に向かって手を上げる亜妃の様子に釣られ、采希も振り返った。
そこに驚いた顔で立っていた女性に、采希は見覚えがある。
ちょっと眉を寄せて考える采希に、彼女は一瞬で笑顔になった。
「采希さん、ですか? 一度、お会いしていますよね? お久しぶりです。その節は──」
「──あ!」
思わず采希は指差しそうになり、慌てて手を押さえる。
「……公園の桜の木の所で、お爺さんの車椅子を押してた人、ですよね?」
「はい。あの時は動揺しててきちんとお礼も出来ず、すみませんでした」
「あれ? 知り合いだった?」
亜妃が慌てて紗矢子の腕を掴む。
「知り合いというか、初対面で私の変な力を見抜かれた」
はあ? とでも言いたげに亜妃が采希と紗矢子を交互に見た。
「そっか、亜妃を飛鳥の巫女さまが護っているって教えたのが、君だったんだ」
「亜妃が霊障に遭っているのを助けてくれたのが、あなただったんですね」
お互いにくすりと笑い合う。
もう会えないだろうと思っていたが、榛冴を通して繋がっていたとは意外だと思った。
ふと、桜の木の傍で紗矢子と会った時は、凱斗と榛冴が居なかった事を思い出した。
「榛冴とは、結構前からの知り合い?」
「そうですね、もう五年くらいです。ある日突然、榛冴くんが管狐を連れていたので驚きました」
「一か月前って事は……」
「玄武さまにも、お目に掛かりましたよ」
「やっぱりそうか。榛冴は玄武を呼ばなかったって言ってたけど、見られてたのか」
「はい。朱雀さまも」
何の事か分からずにきょとんとしている亜妃に笑いかけ、采希は紗矢子に座るように促した。
「それで、解決したはずの廃隧道の件から何があったのか、教えてくれ」
「采希さん、引き受けて頂けるんですか?」
「すごく乗り気じゃないし、出来ればこのまま帰りたいけどな」
「……本当にいいんですか?」
依頼を受けてもらえると分かって満面の笑みをたたえる亜妃と、申し訳なさそうな表情をする紗矢子との対比に、采希は思わず吹き出しそうになった。
本当に仲の良さそうな二人に、改めて姿勢を正す。
「解決できると断言することは出来ません。ですが、可能な限り尽力させて頂きます」
ゆっくりと采希は頭を下げる。眼を見開いた二人をちょっと上目遣いに見て、口角を上げてみせた。
紗矢子は迷うように亜妃を見る。
微笑んで頷いた亜妃に、きゅっと唇を噛んで頷きを返すと、紗矢子は采希の方に身を乗り出した。
「あの……私、この春から中学校で理科を教えています。だから担任ではないのですが、授業をしているあるクラスの男子生徒が突然学校に来なくなりまして」
言葉を選ぶようにゆっくりと話す紗矢子に、采希は怪訝そうに眉を寄せる。
教育に関する相談のはずはないが、廃隧道と何の関係があるのか、とても嫌な予感がした。
「家にも帰っておらず、家族も心配しているのですが、おかしな噂を耳にしました」
「……」
口に出そうか、ほんの僅か戸惑うように紗矢子は視線を泳がせる。
「彼は、神隠しに遭ったのだと」




