8話目
8話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
体育館に轟いた一人の声。
俺の告白を楽しんでいた観客達も、なんだなんだと辺りを見回し、声の出所を途端に探し始める。
しかし、出てきた場所は案外普通に舞台袖。
俺たちが使用を禁止にされていた方、つまりは俺の背後からである。
使い終えたらしいマイクを、上手いこと観客からは見えない位置にいた部長に手渡すと、ぷるぷる震えた足でこちらまでとたとた歩いてくる。
まるで最初からそこから出るのが分かっていたかのように、スポットライトが素早く動き、そんな彼を照らす。
舞台の明かりのお陰で、彼の出で立ちは強く目に焼き付く。
「ぁ…丘、くん?」
現れた西谷にさっきよりも強く目を丸くする空間さん。
無意識にか、口が彼の名前を呼ぶ。
それよりも俺が気になったのは彼の服装である。
見覚えのある青を基調とした、まるで貴族が好んで着そうなその服に、俺は見覚えがある。
ついさっきまで他クラスの奴が着ていた衣装。
前の方の列の観客も、着ている奴が違うことに気付いたのか不思議そうな顔を見せていた。
だが、それを打ち消すぐらい大きく響いた歓声。
突然の乱入に熱された場がついに爆発したようで、その煩さに少し怯む。
逸れた視線を元に戻す際、部長がいた舞台袖の奥を見てみれば、部長だけでなく海柱さんや彼彼女までいて、海柱さんがぐっと親指を突き立てて全く分からないがなにかしらを言ってきている。
一応、空間さんも俺と同じ光景は見えている筈だが、西谷が出てきたのが驚愕の事態だったのか気づいている様子はなかった。
「おーっと!?まさかの乱入!!一人のヒロインを狙い、二人の王子が相対した!」
ここぞとばかりに荒らげた声をマイクで広げる司会者。
王子なんて洒落た言葉使って貰っちゃいるが、その王子は二人とも足がぷるぷるしている。理想と現実はやはり差が酷い。
「西谷…」
「……空間…。…よみ、さん」
小さな深呼吸をした後、彼女の名字を口は発するが、彼はううんと何かを断るように微かに首を振ると、決意に満ちた声で名前を呼ぶ。
瞳も空間さんに向け一直線で、横に立つ俺の事なんて眼中にないのだろう。
「その…多分、俺の事なんてよみさんは好きでもなんでも無かったんだろうけど、部活とかで声掛けてもらったの、凄く嬉かった」
懐かしむような声で、笑顔を浮かべ過去の思い出を語る西谷。
「俺さ、あの時、誰にも言ってなかったんだけど部活辞めようかなって考えてたんだ。頑張ってたのに…補欠で」
「そうだったんだ…」
「うん…なんかさ、自分の努力が認めらてないって感じがして…なんか、そんな感じで」
その時の記憶が蘇ったのか、西谷の顔はスポットライトにまで照らされているというのに、影が差し込む。
それとも光が強いからこそだろうか。
「はは…ほんとは皆が俺よりも頑張ってただけなんだけどさ、焦ってたのか、そんなのも見えてなくて。…でさ、そんな時によみさんと話して…俺」
…彼の喉がごくりと震える。
両手は強く握りしめられ、額には汗まで見える。俺の目にはすらすらと話しているように見えるが、きっと彼からすれば一言一言がやっと。
証拠に、感情豊かに語っている今でさえ、足はがたがたと震えまくっている。
「それで…俺、は…」
震えは声にまで伝達したが、唯一、瞳だけは揺るがない。
一直線で真剣な、俺が何度も見てきて目にもう焼き付いてしまっているその瞳。
観客も司会も全てが黙り、俺も一応ライバルみたいな立ち位置になっている筈なのに何も言えないし、起こせない。
彼と彼女だけの、二人だけが喋ることを許された舞台が、そこには出来上がっていた。
「俺は…よみさんが」
ただ、一直線に彼は心の中をぶつける。
「大好きになりました」
彼の心の叫びに触れた彼女は、俺の時同様に目を丸くした。
しかし、それは驚きによって招かれたものではなく、限界まで朱に色づいた頬から読むに照れによるもの。
俺の希望が入り交じってしまったのか、何処か彼女の表情は嬉しそうにも見えた。
自然と胸に運ばれた両手は、ぎゅっと強く握られる。
それが高鳴る胸を抑えているということならば、これ以上俺がすることはない。
もう彼女の目は俺には向かない。
もじもじしながら彼とじっと見つめ合っていて、居場所の無さで気まずさを感じて後ろをちらりと見れば、カーテンの影で部長が柄にもなくガッツポーズを決めていた。
彼彼女もその隣で両手の細くしなやかな指先を合わせ、朗らかな笑顔をぱぁっと咲かせる。海柱さんもまぁ微々ではあったが、同じように明るい笑みらしいのは覗けた。
と、西谷の身体がぴくりと跳ねるように動き、付け忘れていた言葉を加える。
「だ、だから付き合ってください!」
深く頭を下げた西谷を見て、部長がお前もやれと頭の動きと口パクで振ってくる。
確かに、未だ観客には俺達はライバルと捉えられている。西谷が勝ち確定の状況であれど妥協はまずい。
慌てて俺も頭を下げたが、正直、したところで彼女の目の端ぐらいにしか描かれていないだろう。
目は口ほどに物を言う。
彼女の目の輝きが、彩りが、全てが彼に惹かれていることを伝えてくれる。
自分の目の奥に灯された光に彼女は従い、胸に当てていた片手を青の王子に差し出した。
月明かりが照らす部室棟。
グラウンド方面に部室かあるため廊下からは見えないが、グラウンドでは大規模なキャンプファイヤーが行われている。オレンジ色の太陽のような明かりは、ここに来るまでの右側の道で漏れでたのを少し見ている。元々文化祭中、人の通りがそんなになかった廊下はこの時間ともなると最早誰もおらず、月明かりが寂しげに降り注いでいた。
そこを鞄とわたあめの詰まった袋片手に歩き、少しぶりの部室を目指す。片手で持つ鞄からは、ビニール袋に詰められた衣装が飛び出でいる。この出来の物を一回限りで処分してしまうのは勿体無いと、彼彼女に頼んで貰ってきたのだ。
着る予定は一切ないが、まぁ、未来で思い出を蘇らせる物になるんじゃないだろうか。…そう思うと、やっぱり返してきた方が良かったかもしれない。
なんて考えていると、右側端から三番目。
名無しの部活に辿り着く。
部長がいるかは分からないが、何となく足を向けてしまった。まぁいなかったらキャンプファイヤーでも見に行こうかと考えながら、荷物を片手に纏めて空けた手を扉に掛ければ、それはスムーズに横にがらりと退いてくれる。
電気も点けられていない真っ暗な部屋。
スマホのライトの奥で部長が何やら書き物をしていた。
「おー、今日は色々お疲れさん」
「どうも。なんでこここんな暗いんですか…」
無論、この部屋に電気は通っている。
出入り口脇にスイッチがあり、それに手を伸ばそうとしたが部長はいやなと訳があることを話す。
「俺もさっきまで点けてたんだが、急に窓叩かれて写真の邪魔になるからって文句言われてな。映えないんだと」
若干不気味な感じで照らされている部長は、はぁと深くため息を吐く。
叩かれたらしいその窓には、オレンジ色の炎が空を目標にしてめらめらと登り揺らめく。
そして、人の影がそれを輪で取り囲んでいた。
「で…スマホ」
「なんだが充電がちょっとヤバイ」
「あ、じゃあ俺のどうぞ」
鞄とわたあめをテーブルに置き、その鞄の中からスマホを取り出してライトを起動する。鞄を傍に置き、明かりの付いた背中を上に向ければ弱くはあるが光源にはなってくれる。文化祭中はスマホをろくに使っていなかったし、しばらくは持ってくれるだろう。キャンプファイヤーも二つ目の明かりとしてある。
部長の止まっていたペンが少し進んだが、鞄の近くに置いたわたあめに疑問の目が運ばれた。
「それ中庭で売ってたわたあめだよな…買ってきたのか?」
「いやなんか、途中で余ってるからってタダで貰って」
夏祭りであれば袋の外側は特撮やプリキュアのイラストだったりが貼られているが、文化祭のは丸い文字で書かれた中身の軽いスローガンや星やハートと、明るい色合いのペンでデコられている。…デコるってもう死語だろうか。
これに合わせて、頑張れよ!と励ましの言葉まで貰い、ダンと音が出る程力強く肩も叩かれた。
全く接点のない、少し上からの口調から判断するに俺よりも上級生。
なんか、と口にはしたがその理由は薄々見当が付いていた。
「同情してくれたんだな」
「…嘘、なんですけどね」
まさしく、いらぬ気遣いというもの。
けれど、あの舞台しか見ていなかった人達からすれば俺が敗者と思われても仕方がない。
翌々考えてみれば衣装が揃ったりで中々違和感を持たれるような箇所もあったが、きっとそれが表に挙がることはない。
挙げてしまっては単純につまらないから。
かと言って、あれは実は演技だったのだと自分から大声で言いふらすのも馬鹿らしい。負け惜しみと思われて、より一層可哀想な腫れ物扱いされるかもしれない。
地味な舞台裏にはいつだってスポットライトは当たらない。皆が求めるのは自分を満足させる楽しさだけである。
と、丁度さっきの事の話になったのだ。
聞きたかったことをそろそろ尋ねても良いのではないだろうか。
「で、そうなったさっきの話になるんですけど。わざわざ今日まで俺に隠す必要ありました、アレ?」
西谷の成功で終わらせられた公開告白だが、振り返って思うのは実にベターな作戦だったということ。
俺の実力不足を懸念してかもしれないが、何度か聞かれたのに隠し通す明確な理由はそこには無かった筈である。俺が最初から知っていても、この結果になっていたのではないだろうか。
「…空気だ」
「空気?」
説明をやっとしてくれる気になったのか、指に乗せていたペンをテーブルにかたりと置く。
ペンはほんの半回転だけすると、身に付けられたストッパーによって動きを止めた。
「彼女、空間さんだが空気に流されやすい人間に見えた。だか、それは同時に空気を読むのが上手い、要は人の顔色なんかを細かく気に掛けているということでもある」
確かに、空気を読むのが下手ならば流れるべきなのかどうかすら解らない。読めるからこそ流される。
「もしもお前が最初からどのタイミングで来るか知ってたら、気を抜いてたかもしれないだろ。実際、西谷が告白してたときこっち見てたしな。端からあんな感じで、彼女に勘づかれて冷静になられたりでもしたら危なかった。だからだ」
「はー…あ、というかあの西谷の着てたやつですけど。あれ他のクラスが使ってた衣装ですよね?」
部長の指揮の元とは言え、今日だけでもあんなにも俺は働いたのだ。
あれこれ聞く権利ぐらいは流石にあってもおかしくはないだろう。
「あぁ。八つ橋が劇やってるときに必死に頼んでな。ああいう服って思ったより着るの大変なんだな…彼が西谷の傍にいてくれて本当に助かった」
「彼?」
「前に廊下で会ったろ?何でか知らないが西谷の好意も知ってたらしくてな」
口調や大変だったと話す部長の表情を見るに、本当にギリギリだったらしい。思い返してみれば衣装のサイズがぶかぶかだったような気もする。
しかし彼彼女が…。
知られた時は多小なり焦りもしたが、結果本当に良い方向を招いてくれて、心の内でお礼を呟く。いつか直接もしておくべきかもしれない。
「他にもなんかあるか?終わったんだし、全部答えるぞ」
「なら、じゃあ一個。結局あれって雰囲気だけでごり押しただけで、空間さんが西谷を好きって訳じゃ別にないんですよね?」
最高潮に近かった雰囲気や答えなければ纏まらない空気。そういう物が積み重なり、空間さんを…言い方は悪いが追い詰めて、親しくない人間と親しい人間を並べてどっちが良いかと選択を迫った。
選ばれたのは親しい人間ではあるが、恋愛に類した感情があったから選んだのかは不明。
むしろ、無いのではと普通は考えてしまう。
依頼は告白の成功。
だから依頼自体はとっくに片付いていて、俺が今抱いている不安は個人的で不必要な物でしかない。けれど、だからと後の事を放棄してしまうのも如何なもの。これは例えるならば親心に近い。
部長も似たような事は、頭にあるのではないだろうか。
尋ねれば、部長はしばらくの沈黙を持ってから答える。
「…そこは信じるしかないな。俺たちもう何も出来ないだろ」
「でも…ああいうのっですぐ別れるとかそういう、ジンクスみたいなのありそうじゃないですか」
「西谷が例外になることを祈るしかないな」
「それって…」
「…なぁ、どうしてそんな不安がるんだ?」
俺が立て続けに不安を口にしようとした瞬間、部長が割って入ってくる。頬杖付いた部長に視線を運べば、不思議そうな目が俺に来ていて、自分でもどうしてこんなに彼を信用できていないのか、はっと謎が生まれる。当然、彼には上手く続いてほしいと思っている。俺の目に焼き付いた彼を決して嫌ってはいないし、なんなら好意的。
しかし親心とは全く違う感情は確かにそこにあり、答えを出そうと頭を捻っていると鞄の方かはばたんと音が響く。少し配置が悪かったらしい、スマホが倒れてしまっていた。
「…そうですね」
表を下にして倒れたそれに手を伸ばしながら、存在する謎を解くことなく話を閉める。
二度と倒れないようにと配置を慎重にし、前に倒していた上半身を後ろに引っ込める。
追及されるかと思ったが、部長はそうかと言ってまた置いていたペンを手に持った。
このままただボーッと窓の外のキャンプファイヤーを眺めても良い。だが、まだ最後の疑問が残っている。
「…最後に一つ、良いですか」
「まだあるのか。…いいぞ」
「部長って…生徒会長ですか」
俺が生徒会長と口にした瞬間、さらさらと動いていた部長のペン先が止まる。けれど顔は下に向いたままで、何かを考えるような間の後、瞳がわずかに持ち上がった。
「…どうしてそう思った?」
「前にスタジアムに行ったとき、なんでチア部が来るって断言出来たのか気になって。それと、あと公開告白も部長が言った通りになりましたし」
他にもまだ生徒会長という結論になるような部分はある。
例えば舞台袖。
公開告白前に見たあの影は、その後の事を考えると間違いなく部長達だった。
こっそり使ったのかもしれないが、監視が無いわけがない。
投票だって、結果をいじれるのは生徒会か文化祭実行委員のみだろう。しかし、今日一日俺は部長が実行委員として働いているのを見掛けていないし、加えて不正をするのが何処か慣れているような感じがした。別に生徒会を悪どい組織と言うつもりはないし、もしかしたら投票は普通に勝っただけかもしれないが、一日しかない文化祭の為だけに選ばれた委員が、容易くそういう風な事を、しかもさも平然と口に出来るのかは疑問である。
多少、俺の生徒会に対する偏見もあるが、生徒会長という特別な立場であれば何とか話として通せる部分が出てくる。チア部についても、やはり生徒会ならば事細かな情報が集まっているように見える。
直感のみの推理ではないことを部長は俺の目を見るだけで分かったのか、詳しく理由は求めてこない。
「もしそうだとして、八つ橋はそれを知ってどうするんだ?」
「いや、別に特に何もしないですけど…色々考えてそうじゃないかって気になっただけです」
例え部長が生徒会長だったとしても、頼みたいこととかは本当になにも無い。
ただそうだと思ったから口にしただけで、違うのであれば違うと、当たっているのであれば当たっていると言ってほしいだけ。
部長が俺を転校生と知って適当に流したように、俺もそれぐらいで終わらすつもり。
というか、それぐらいしか一般生徒には出来ない。
俺の雑な意思を受け取った部長は、止まっていたペンをまた走らせながら答え合わせをした。
「………残念ながら違うな」
「…そうですか。結構良いところいってると思ってたんですけど」
「だが、ハズレだ。ちなみに聞くがなんで生徒会長なんだ?」
「いや…それはなんとなく。生徒会って言ったら辣腕を振るう生徒会長とか真っ先に頭に出てきて、それで」
漠然としたイメージを言うと、部長はふっと息を吐き「まぁ、だな」と肯定してくれる。
と、鳴り響いたまるでなにかが爆発するような音。
「うぉぅ…!」
不意の出来事に身体がびくんと跳ね、音の聞こえてきた外を見るが特に異常は見えない。
「この時間…花火か」
淡々と答えをくれる部長。
「そんなのあるんですか?」
「去年からな。サプライズでやって、盛り上がったから今年もらしい」
言われて外の人影に視線を凝らしてみれば、棟のあるこっち側の空の辺りを見上げているような体勢であるような気がする。だが、花火だと確かめようにも、ここからでは位置的に見えない。
廊下に出れば良いだけなのだが、花火の為だけにそんなことをするのも子供っぽい。
「グラウンドに行けば、結構綺麗に見えるぞ」
俺のそわそわを汲んでか、はたまた俺関係なしに見ものだからと勧めてくれているのか、部長は見てきたらと言ってくれる。
「いやでもスマホ…」
「残りは適当に空いてる教室でも探して書く。流石に、普通棟なら誰も文句言わないだろ」
部長はそう言って走らせていたペンの頭をかちりと押してペン先を引っ込ませ、紙も一回軽く折って持ちやすくする。そして制服から鍵をちゃらんと取り出すと、俺よりも先に席を立つ。
俺も急いで荷物を纏めて部室から廊下へ。
「じゃあな」
「えぇ、じゃあ」
と、そこでハッとする。
「…どうした?」
俺のその顔を見て、鍵穴から鍵を抜いた部長がそう声を掛けてくる。
「西谷についてですけど、俺たちが探偵部じゃないって事教えといた方が良いんじゃないですか?変に広められたり…」
偶然か必然か、西谷の告白は盛大に成功してしまった。
きっと調子に乗っていることだろうし、口封じをするか事実を話すかしないと良からぬ事が起きてしまいそうな気がする。部長も俺の言葉でハッとし、しばらく悩むような唸りを漏らす。
「そうだな…。だが今からは時間も時間だしな…休み明けに呼んでみるか」
万が一にも探偵部の耳に入ってたり…とは考えたくないが、とりあえずそれでと俺が頷くと、部長は鍵を制服のポケットに仕舞って去っていく。
未だ耳にはバンバンと花火の打ち上がる音が聞こえているが、急がなければ終わってしまうかもしれない。
勧められた通りグラウンドを目指し、校舎の右脇を抜けていくルートを頭に描く。
校舎の左側にも通じる道はあるが、あの真っ暗な廊下を行くのは中々不気味。
右側の適当に付けられた感のある開けっぱなしの扉を抜け外に出る。内履きに土が付いてしまうが、履き替えに玄関まで行くのも億劫。
後で払っておけば大丈夫だろうと校舎脇に出る。
秋の夜は随分冷え込んでいて、冬の香りも何処と無く感じる。
身体を縮め歩いていると、すぐ目の前を楽しげな会話をして抜けていく4、5人の塊。
片付けでもしてた委員だろうかと思えば、その最後尾にいた海柱さん。翌々見てみれば、先頭を歩いていたのは西谷と空間さんだった。暗いからか俺に気付かないで、グラウンドへ向かっていった。
「あ、八つ橋だ」
「…」
けれど海柱さんだけは俺に気付いてくれて、塊から外れ声を掛けてくれる。それに軽い会釈で応えた。
一体何用でこんな時間までと塊が来た方向を見てみれば、その理由を察してくれたらしく海柱さんは簡単に説明してくれる。
「さっきまで教室で西谷くんとよみからかってたんだけど、先生来たから。八つ橋は?」
「部室でまぁ…色々話してて」
「あ…部室忘れてた…あぁ…」
表情こそそんなに動いていないが、心底悔しそうな感じは声に滲み出ていて、がっくりとさせた身体を上げるとむっと睨む時のような決意の目付きで俺を見上げてくる。
「今度は絶対付いてくから」
西谷同様に説明をしなければなんだろうが、海柱さんのこの具合では百聞させても納得はしてくれなさそうで、一見させるしかない感じがする。
「………」
何と返すべきかと悩んでいると、またドンッと花火の打ち上がる音。振り向いてみれば、普通棟の奥。
星空のない夜空に一輪の巨大な花が咲いていて、月と並んで美しく輝く。
光は少しの間垂れると、闇に呑まれてふっと消えていく。だがその寂しさを感じさせない内にすぐに二発目三発目が空で弾けて色鮮やかに輝く。
花火と聞くと真っ先にイメージするのは夏だが、その暑さを失った今の時期でも意外に目は奪われてしまう。それとも、その異様な風景こそが人目を惹き付けるのか。
横目でちらりと海柱さんを覗けば彼女の瞳も空に向けられていて、その瞳の奥で花火が光をもたらす。
と。
「…好きだったのかもね、よみ」
「え?」
ドンドンと鳴る花火の音が丁度途切れたとき、海柱さんの呟きが耳に届く。一人言かと口を慌てて閉じたが、目的は会話だったらしい。
「西谷くんのこと」
落ち着きと静けさを纏った瞳は俺へと運ばれた。
「ま、多分だけど」
「多分って…」
「別に隣にいるからって何でも知ってる訳じゃないし。私がそう思っただけ」
確かに、隣にいるから何でも知っている訳がないのは頷ける。俺だってつい先程それを証明するような事があったばかり。
納得して無責任を見るような目を止めると、彼女はくるっと回って火の灯りを漏らすグラウンドにつまさきを向ける。そして、上半身だけを俺の方に軽く捻った。
「八つ橋も、キャンプファイヤー行こ?」
「じゃあ…まぁ」
「ふふっ」
西谷の話をされてまた一つの事に気付く。
…これからしばらく西谷の近くに俺はいない方が良い。
この文化祭に来た人間のほとんどの目には、俺と彼は一人の女子を取り合った仲と思われている。
そんな二人が何事も無かったかのように表立って接しているのを見れば、違和感は一気に広がってしまう。
ぽつぽつと現れる疑問はすぐに消えてくれるが、そういうタイプは良からぬ事が起きたりもする。
彼の為、俺の為にもと頭にその考えをふとした事で忘れないぐらい深く刻み込む。
そして、くすりと笑った彼女の背中を駆け足で追いかけた。
花火もキャンプファイヤーも終わり、月のみが空を彩る夜。
玄関の扉に手を掛ければすんなりとそれはがちゃりと開いた。丁度飛行機でも過ぎているのか、鯨の鳴き声のようなエンジンの唸りが耳に触れる。
玄関を越えて、リビングへ。
いつもならばそれがお決まりだが、廊下を歩く足がどうにも遅く未だ道半ば。
…姉もあんなに来る気を見せていたのだ。
俺が出た劇のみではなく、その後の事も全て見たことだろう。
あれを見て俺に何を言ってくるのか、その考えが足にまとわりつく。からかってくるだけならまだいい。一番嫌なのは慰められる事。
同情の優しさはお前は惨めな存在だと遠回しに伝えてきているということ。
それとも案外、嘘だと言うこと全て見抜いているだろうか。
分からぬままリビングの扉を開ければ、ソファに座ってチョコ菓子をのんびりと食べていた姉。その瞳が少しだけ俺に向いた。
「おかえりー」
「…ただいま」
何か言ってくるのかと一瞬足を止めたが、待っていては逆に何か言ってほしいと思われるのではないかとすぐに自室に足を向かわせる。食べ終えたわたあめの袋をゴミ箱に捨て、永遠に観賞用の衣装をクローゼットに仕舞い、他のも手際よくぱっぱと片付ける。
リビングに戻るべきか悩んだが、姿を見せなければそれが傷の深さと勘違いされ、本当に同情されかねない。
リビングに戻って喉も乾いていないのに冷蔵庫に向かう。
結局何も取れずに冷蔵庫の扉を閉めれば、ふと後ろから声が掛けられた。
「ね」
「…」
「こっち。ほら座って」
ポンポンと叩かれた場所は姉の隣。まぁ、流石に何事も無かったように日常を送れる訳がない。
しかしこれが終わればそれが始まると、覚悟を決めてソファにぼふんと腰かけた。
今日一日の疲れは相当に溜まっていたらしく、座った瞬間に眠気が一気に襲いかかってきた。
「今日の告白の事だけど」
「……」
その眠気も、告白と聞いた途端に何処かに消え失せる。
ゆっくりと瞳を伏せ、からかいたいのであればと伝えると、楽しげな吐息は傍に迫り、身体を前に倒すと僅かに首を傾けて、俺の視界に笑顔を写り込ませてきた。
「あれ、嘘でしょ?」
「え…」
全てが嘘と見抜かれる。
それは考えていたことではあったが、自分を落ち着かせるための根拠のない楽観視でしか無くて、こうして言われると目がきょとんと丸くなる。
「なんで…」
「ふふーん、図星か♪」
自惚れではないが、我ながらあの時の演技は人を騙すぐらいなら、まぁ良かったのではないかと思っていた。実際観客のほぼ全てが俺の告白を信じ、盛り上がっていた訳で。
どうやって…と姉を見れば、姉さんはチョコ菓子を一度頬張った後、ごくんと飲み込んでから答えをくれた。
「姉だからです」
「…それだけ?」
「しょーがない、教えてあげる。嘘つく時ね、絶対にする癖みたいなのがあるの」
「俺?」
聞けば、姉さんは「そ」と言ってまたチョコ菓子をぽいっと口に入れる。
嘘を付く時にする癖…頭の中であの時の事を思い出してみるがそんな事している記憶はない。俺を外から見ている人間にしか分からない、無意識のやつなのだろうか。
「それって、どんな感じの?」
自分の身体を見下ろしてから姉に視線を運び答えを求めたが、姉さんはそんなの教える訳ないじゃんとソファに身体を深く預ける。
「ふふん。一生、姉に嘘を付けない身体でいなさい」
「いや…えぇ…」
「ほっほっほっ、お姉ちゃんは強いんだぞ~♪」
姉さんはまるで演技のような笑い声を上機嫌に放つ。
まるで酔ったときみたいなテンションに疑問を抱き、食べていたチョコを見てみればどうやらこれお酒が入っているらしい。しばらくすると肩にぽふっと何かが倒れてきて、視線を動かせば間近にあったぐっすりと眠る姉の頭。
目の前にまでつむじが迫ってきていた。鼻に香る何かの香水の甘いフルーツの香り。
物語みたいに、ドキドキしたりなんてのはしない。
しかし嘘を付くときの癖…。
俺は実は女性…と下手な嘘を付いて顔をぺたぺた両手で触ってみるが、特別無意識に動いているような箇所はない。
現れるのは顔ではないのだろうか。
けどまぁ、助かった…のだろう。変に家族会議にもならなかったし、同情もない。
昔からの付き合いの力という物を体感し、潰れそうなぐらい重い荷を背負っていた心が、やっと解放された感じがした。
すると、また蘇った眠気。
「っくぁ…」
肩から伝わる暖かな体温も合わせってか、ついには欠伸までも漏れ、瞼も勝手に沈もうとする。
最良にして明日は休日。
身体を支配し終えた眠気に、瞼をゆるやかに降伏させた。