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7話目

7話目です

誤字・脱字があったら申し訳ありません

 劇の開始まで残り一時間を切った。

 時計の短い針がまた一周した頃には、俺はもう舞台袖から舞台に立っていて、体育館にぎっしりと貯まった人をちらりと覗くと、まだ始まってもないのに額に汗が垂れてくる。

 部長の願い通りの状況は出来ている。

 満員の体育館、主役の両立。

 公開告白と言う場も控えており、手札は完璧。

 それをどう使っていくのか分からないが、余計なババを持っていない事だけを祈る。

 今の舞台は吹奏楽部が音楽で会場に華を咲かせており、今日の日のため頑張ってきたであろうその勇姿は舞台袖からでもはっきりと見える。

 小部屋にずっと居るとあれこれ考えてしまいそうで、煮詰まらないよう、体育館側からは丁度カーテンで見えない位置からひっそりと楽しませてもらう。それに丁度そうしようかと考えた時に空間さん達が来て、小部屋は本来の予定時間よりも早く女子の更衣室になっている。

「ほらー!急いでー!」

 傍には次に出番が来た一応ライバルになっているらしいクラスが劇の衣装や小道具なんかを慌ただしく運んでいて、邪魔にならぬよう観覧は端。

 衣装を着てない事もあってか特別敵視されるような事もなく、時折「ちょっと通りまーす!」と大きな道具の為、道を開けるときに遠くから声を掛けられるぐらいで、いつの間にか図らずに敵情視察を行ってしまっていた。

「西谷くん…遅いね」

 彼彼女も話をした時にじゃあと付いてきていて、舞台袖の奥を見て大丈夫かなと不安そうに呟く。

 長い間、衣装に手付かずでいた俺を心配してくれたのだろうか。

「まぁ…余裕を持っての一時間だろうし」

「そっか、そうだね。待とっか」

 朝の劇の通しでは衣装を着るのはそんなに時間は掛からなかった。

 つまり一時間という時間には単純な準備のためだけでなく、心を落ち着かせる時間も含まれているのだろう。

 と、体育館に響いていた楽器の音がダンッと一斉に鳴った後にぴたりと止み、指揮していた人が振り返って頭を下げると大きく拍手が鳴る。

 どうやらこれで終わりらしい。

 お客からこちらが見えないように、こちらからもあちらが見えないが、拍手の大きさから観客の表情はすぐに想像が出来た。

 カーテンがシャーッと舞台を隠すと吹奏楽部が満足げな顔で片付けを始め出した。

 そして入れ替わりに置かれていく劇の道具。

 先攻の彼らの出来次第で後攻の俺らのモチベーションは左右される。

 叶うのであれば彼らがとてつもないハイクオリティで、俺らのは余興ぐらいの扱いで終われば心の負荷は軽くで済む。部長も劇のクオリティについてはこれと言って口出ししていなかったし、そこは無関係なのかもしれない。

 だからと言って露骨に手を抜いてしまうのもアレ。周りからの文句の目が突き刺さってくる。何より体育館に人が欲しいと言っていたし、余裕は持ってもいいが飽きさせてはいけない。それほどの実力を得られたかは知らないけれど。

 なんて考えている内に他クラスの劇の準備は整え終わったらしい。まだ開幕には時間があるが、各々カーテンの裏で深呼吸をしたり衣装をつまんでおかしい部分が無いかをチェックしていた。

「な、なんか僕達もドキドキしてくるね」

「うん。八つ橋もそうでしょ?」

 肯定の意を発しようとした瞬間、ふと割り込んでくる誰かの声。出所を見れば、海柱さんが飲み物の入ったビニール袋片手に立っていた。

「…あ、海柱さん。空間さんの衣装終わったの?」

「ん。よみなら部屋で覚悟準備中。私は終わって暇だったから」

 と、そこで彼彼女が俺に視線をちらりと向けてくる。その理由に一瞬悩んだが、少し考えてあぁと思い出す。

「その、西谷って」

「…?西谷くんなら部屋に入ってきそうになって、怒られて、今すぐそこの階段のとこでしょぼくれてる」

「そっか…部屋譲ったの言い忘れてたね僕たち…」

 申し訳なさそうに頬をかく彼彼女に釣られ、俺もあー…と苦い顔が表に出る。本来であれば、今の時間はまだ男子があの小部屋を使っているはずだった。

 この出来事が彼女の好感度を下げなければ良いけれどと不安に思っていると、海柱さんが手に持っていたビニール袋から飲み物を取り出して、俺にぽいっと投げつけてくる。

 綺麗な放物線を描いたそれを腹を壁にして両手で危なくもキャッチし、これはと運んだ視線で尋ねる。

「差し入れ。あ。あと、他にも色々買ってきたんだけど…唐揚げとか。食べる?」

「いや…。まぁ、ありがとうございます」

 ビニール袋が出てくるコンビニの唐揚げやお菓子、それと何を目的にしてか果てはトランプまでいらないの?と出してくる。

 俺が固い笑みで断ると中身の渡し先は彼彼女に移り、少し困った風にしながらも彼彼女はそれじゃあと飲み物だけを受け取った。

「唐揚げ…折角買ってきたのに…」

 ぶーっと残念そうにすると、自分でその唐揚げの入った箱を手に取り、付属のつまようじを開封してもぐもぐ食べ始める。

 本番間近の差し入れで唐揚げは厳しい。

 トランプに至ってはもはや後々自分が楽しみたいからとついでに買ってきているような気さえする。

 オレンジジュースのフタをかちりと開け、やり取りの最中に完成していたらしい舞台に身体を向ける。

 衣装に身を包んだ彼ら彼女らはふーっと深呼吸をし、各々近くだったり遠くの人と目配せをすると僅かに頷きを交わし合う。

 俺の目には写らなかったが、あのクラスも一丸となって今日という日を迎えたのだ。

 敵対関係だからと頭ごなしの否定は馬鹿らしい。色眼鏡は外しておくべきだろう。

 舞台袖から実行委員の腕章を付けた一人の男子が駆けてきて「準備は大丈夫ですか?」と舞台の彼らに声を掛けると、リーダーらしい一人が「はいっ!」と元気よく頷いた。

 すると、実行委員はまた駆け足で帰っていき、少ししてカーテンの奥から場を持たすための小話を話していた司会役の男子の実行委員が、それではと開始に繋がる言葉を言い放つ。

 劇の演目は眠れる森の美女。

 俺の赤色メインだった衣装とは対照的に、青をメインにした貴族服に身を包んだ主役の彼が、横に捌けていくカーテンに合わせ、伏せていた瞳をゆっくりと上に持ち運んだ。


 …劇も中盤。

 物語は重要な場面に差し掛かっていて、観客も食い入っているように見ているのか、最初こそ密やかに走っていた囁きも鳴りを潜め、主役の男子の姫を想う声は体育館に余すことなく響き渡る。

 このまま最後まで見入ってしまいそうになったが、肩をとんとんと叩かれ後ろを振り向く。肩を海柱さんの人差し指がつついていた。

「八つ橋、よみ覚悟出来たって」

「あぁ…じゃあ」

 奥からこちら目指して歩いてくるメイド服のような格好の空間さん。隣には数人の同じく舞台に立つ女子が似たような格好で並んでいた。

 隣で俺みたく観劇していた彼彼女に声を掛けると、行こっかと言われ、名残惜しくも舞台袖を後にする。

 少し歩いて短い数段しかない階段に差し掛かった時、端に見えたしょんぼりと丸まる濃い影を纏う制服の背中部分。

 ぶつぶつ何やら呟いていて、彼彼女に目配せをして何も言わずに脇を抜けようとする。

「…なぁ」

「うおっ」

「きゃっ」

 気付かれないようにとこそこそ行っていたのだが、彼の真横を歩いたとき幽霊のすすり泣きのようなか細い声が俺たちを呼んでくる。低く小さなその声に俺も彼彼女も驚き、彼彼女に至っては身体をびくっと飛び跳ねさせて可愛らしい悲鳴さえ漏らした。

「何処行ってたんだよぉ…。俺、空間さんに…ぁぁ…」

「いや…その、悪い」

「あはは…ちょっと八つ橋くんが舞台見てたいからって…ごめんね」

 二人で謝りながら三人で小部屋の中に入っていく。

 女子が着替えたばかりで甘い香りが立ち込めていて、少し心臓に悪かったが、そんな事を気にしていてはこの後の事で心臓が破裂してしまう。

 無理矢理に意識から外し、貰った飲み物をテーブルにとんと置いて、段ボールに一旦戻していた衣装をがさごそ取り出しぱっぱと着ていく。

 ついでに変わるかどうかは分からないが、髪の毛も少し整えておく。

 俺を除いたやる気溢れる男子は全て着替え終えていて、これ以上この小部屋に人は増えない。

「あれで空間さんに嫌われたりしてないなよな…はぁ…」

 俺が着替えてる間も西谷はぽつぽつと不安を漏らしていて、頭までついには抱えてしまう。

 と、西谷の不安を聞いた彼彼女があれ?と首を傾げる。

「…ね、どうして空間さんだけ気にするの?」

「え?」

「いや、他の女子も居たんだよね?なのに空間さんだけ嫌われてないか、って…あ」

 話の最後になにか勘づいてしまったような声の欠片が彼彼女がぽろっと溢れる。

「あ、いや…いやーその…や、八つ橋…」

 助けを求めているのか西谷の視線がこっそり俺に向くが、そう都合良く誤魔化しの言葉なんてのは出てこない。

 むしろ、その行動こそが彼彼女に確証を与えてしまった。

「そう…だったんだ。あ!だ、大丈夫だからね、変に広めたりとかしないから!」

「出来ればそうしてくれると」

「う、うんっ任せて!」

 俺が軽く口封じを頼むと、彼彼女はそう言って縦にうんっと頭を振る。彼彼女の性格がどんなのかは分かっていないが、それを信用するしかない。

 というか、あと数時間もすれば二人は恋人になる予定なのだ。

 面白半分で言いふらす風な後向きの考えでなく、祝福してくれる人が一人増えたと前向きに考えておくべきかもしれない。

「それで衣装って、こんな感じで問題なし?」

 項垂れる西谷をよそにして結果的に彼のためになる衣装を着て、変な部分が出来てないかと彼彼女にチェックを求める。

 彼彼女は俺の前だったり後ろだったり、身体全体を使って念入りにむーんと唸りながら見始めた。

「んーと…うん、うん…問題なし!」

 隅々までじろじろとチェックされ、もどかしさを感じながらもオッケーを貰ったことにふぅと安堵する。

 開始時刻までもう間もない。着替え終えたなら早々に出るべきだろうと、制服を手早く纏めて隅に置き、西谷に声を掛けて三人で小部屋を出る。

 さっきまで友人にでも見せびらかしにいっていたのか、姿の無かった男子達も揃っていて、小道具大道具も手伝いとして数人が控えていた。

 俺や空間さんのように舞台に出る人間の間では少し特別な関係が出来上がっていて、この衣装を見せるのも特別恥ずかしさはない。

 さっきと同じ位置にするりと向かい、終盤を演じる劇を眺める。

 スポットライトを浴びた王子が嬉しさを秘めた声で「姫…」と呟き姫に扮した女子の手を握れば、キャーと何処からか黄色い歓声が飛ぶ。俺もあんな感じになってくれるだろうか。…ならない。

「げふっ」

 先の分からないことに恐怖を感じていると、口の中にふと何かが突っ込んでくる。刺された時みたいな声が漏れ、何かが伸びてきていた横を睨めば、海柱さんがつまようじの先端をこっちに向けていた。

「美味しいでしょ?ふふっ」

 そこで舌が受け取った唐揚げの味。少し冷めていたが、まぁ…美味しい。

 首を可愛らしく傾ける海柱さんに小さな頭の振りを見せれば、満足そうにつまようじが引く。

 あんな姉と同居しているお陰かせいか、流石に間接キスがどーのと慌てふためきはしないが、その落ち着きを混ぜた暖かな笑顔は胸を跳ねさせる。

 俺が唐揚げをごくんと飲み込んだのを見ると、彼女は笑顔のまま距離を詰めてくる。

「でさ、部室って何処にあるの?」

 確実に来る気だ…。

 目の前にまで近づいた瞳の底は暗い色の筈なのに、きらんきらんダイヤでも埋め込まれたように輝いていて、いや…と苦笑いをしながら数歩後ろに下がりざざっと距離を取る。

「別に邪魔しようとかそういうのじゃないから」

「いや、俺達はそもそも…」

「おーい!みんなちょっとしゅーごー!」

 多分、円陣か何かだろう。

 助け船が不意に流れてきて、ここぞとばかりにあっち呼んでるからとそれに乗り込む。後ろを付いてくる海柱さんはケチめーと不満を言ってくるが、無視して半分出来上がっていた人の円に自分も混ざる。空間さんも俺から真反対の位置にいて、ちゃっかり西谷はその脇を取っていた 

 大声を上げても舞台には体育館全体に聞こえるぐらいの大きなBGMが流れている。観客に聞こえたりはしない。

「いーい、みんな?ここまで毎日頑張ったんだから、目指すのは大成功だけ!」

 割りと毎日遊び半分な感じはあった気がしたが、彼女達的には全力の努力だったらしい。似たような事をつい先程も、そして前の高校での文化祭にもやり、ボーッと話半分に聞いているとリーダーらしい女子の目が俺に来ていた。

「主役、折角だし掛け声やる?」

「あー…いや、俺は…」

 遠慮するような言葉を俺が並べ立てると、一人の女子がじゃあさとなにかを閃く。

「よみがやりなよ。よみも主役なんだし」

「わ、わたしっ!?」

「そーそー、良いでしょ?」

 彼女の顔には明らかに断りたいと意思がはっきり現れていたが、それを意に介さないのが空気というもの。周りもすっかりその空気に呑まれてしまい、空気を気にする彼女はそれに抗う事は出来なかった。

「えと、そ、それじゃあ…え、えいえいおー…!…で、良いんだよね…?」

 必死に頑張る彼女の姿に西谷だけでなく手を重ねていた全員がくすりと笑い、おーと多少ばらつきながらも全員の手は花が咲くときのように上に広がる。俺も出遅れながらもそれを真似た。

「な、なんかおかしかったかな!?」

「んーん、結構良かったよ」

 周りの反応を見てあたふたと慌てる空間さんに海柱さんが笑顔のままそう言うが、信じれないのかがっくりと肩を落とし、うぅと表情を暗くさせてしまった。

 各々円陣を終え散らばっていく中、俺もさっきの定位置でまた観劇を始めたのだが、ふと空間さんを見てみればその傍には西谷がいて、慰めているのか、何やら二人で話していた。

 と、耳に響いた拍手。

 終わりの合図として鳴ったそれは他の人にも聞こえたらしく、出番だ出番だと張り切って頬をぺちっと叩いたり、ふーっと深呼吸をする者もいた。

 舞台にカーテンが落ちると、喜びに浸りながらも他クラスは片付けを始め、俺達の脇を達成感あふれる面持ちで通り抜けていく。もう敵対関係どうのとそんなことを気にしている様子は見受けられなかった。

 入れ替わりに今度は俺達が舞台に向かい、今日のために揃えてきた道具を事前に決めた位置に慣れた動きで配置していく。

 俺も手伝おうかと近寄ってはみたが「主役なんだから」と追っ払われてしまい、結局朝と同じ位置で立ちっぱなしになる。

 …舞台には魔力があると言う。

 その魔力に見入られた者は舞台で活躍することを夢見、最初に感じていた緊張や恐怖が取り除かれるらしいのだが、俺にもその魔力は働いてくれるだろうか。

 このカーテンの奥には数えられない程の人が控えている。身内も赤の他人もごっちゃになっていて、だから数の多い赤の他人の目ばかりが気になって心を震わせる。奮わせてくれたのならまだしも、震わせるだけなのが本当に辛い。

 冷や汗がつっと頬を垂れてきて、申し訳ないと思いながらも衣装でそれを拭う。

 時刻が夕暮れと夜の境で、舞台の天井には強めのライトが幾つも付いてしまっている。

 汗だらだらで演じては、最前列の誰かしらに笑われてしまうかもしれない。

 準備が終わったのか、何も言わずそそくさと去っていく小道具大道具。遠くではさっきみたく委員がリーダーと色々確認し合っていて、終えると司会に伝えに舞台袖から消えていく。

 耳に聞こえるのは誰かの少し荒れた息。

 それは自分のかも知れなかったが、確認する前にマイクが響かす司会の声に全てを遮られる。

 ゆっくりと、カーテンが横に消えていく。



 話は終わり際。

 ここに至るまで細かい台詞のミスや動きの違和感はあったが、熱湯に冷水を少し入れても温度がそう変わらないように観客の熱はそのままで、叶わない恋を(うた)えば、意外にもそこそこ盛り上がってくれる。

 こちらがミスを気にしているのにあちらは気にしていない。その温度差のような物が頭に冷静さを生み出してしまい、気恥ずかしさを感じながらも空間さんの手を取り走るような演技をする。

 身分に悩んだ主人公はヒロインと共に全てを捨て、駆け落ちをするが行く先にいるのは王が遣わした兵士。

 結局、恋叶わぬまま二人はまた引き裂かれ、主人公は名も知らぬ他国の姫と婚約し、ヒロインは悲しさを抱きながらも街で平凡だが幸せな日々を暮らしていく。

 そこで総括をするようなナレーションが入り、劇はそれにてお仕舞い。

 何度も聞いた拍手を今度は目も含めて感じながら、落ち行くカーテンの奥に観客は隠れた。

 出番が最後ということもあってか他クラスと入れ替わる必要もなく、カーテンに覆われた舞台で各々顔を見合わす。

 そして咲いていく表情の花。

「け、結構良かったよな、俺達の演技…」

 兵士姿の男子がそう呟けば、同じく兵士姿の男子がだな!と笑顔を浮かべる。それを皮切りに皆が抑えていたものが爆発するように一斉に盛り上がり、俺にも二、三人から「お疲れさん」とか「頑張ったね」とか声を掛けてくれる。

 貰った言葉を素直に受け止め喜べれば良かったのだろうが、残念ながら俺はこの後、もう一回頑張らねばならない。しかも、何ならそっちの方が頑張りの難易度としては高い。

 女子が先にあの小部屋を更衣室として使うらしく、舞台の上で勇気を回復させる。

 そう言えば、西谷にも一応声を掛けて置いた方がいいだろうか。

 談笑混じりに片付けをする小道具大道具に混じっているかと辺りを見回すが、西谷どころか彼彼女も海柱さんさえ見当たらない。

 さっきまでいた筈なのだが、やはり見落としではなくいなくなっている。と、呑気している場合ではない。

 この片付けが終われば次は公開告白があるのだ。早々に体育館に降りておかなければならない。

 舞台から階段をとんたんと降り、衣装のまま体育館に繋がる扉をがらりと横に運ぶ。

 ライトの降り注いでいた舞台からでは体育館は割りと明るく見えていたのだが、体育館に出てみると思っていたよりも真っ暗。足元に小さな物が落ちていても、気付かず踏んでしまいそうなぐらい。

 だが、お陰で衣装でいてもあまり目立たない。

 未だ治まらぬ心臓の鳴りを聞きながら、近くの壁に軽く身体を預ける。

 この酔った時みたいな妙なテンションは、公開告白まで残しておいた方がいい。

 一度治まって冷静になってしまうと、また鳴り出した時に思考が手を挙げることを躊躇ってしまう。

「さて!次は皆様お待ちかねの公・開・告・白っ!手を上げた方にはこちらに立って貰い、好きな人に告白をしてもらいます!」

 昭和のノリみたいな感じで司会がコードレスマイク片手に話すと、体育館に居たほとんどの奴らがおーっ!と大きな声を上げる。中には自分は出る気もないくせに腕をグッと突き上げて振り回す者もいて、盛り上がりはクライマックスと傍目にも分かる。

 まぁ、彼らからすれば自分は一切の関わりを持たずに他人の恋を覗けるのだ。

 無責任無関係であればあるほど、人というのは残酷になれる。

 より一層、自分が楽しむ事だけに注力できる。

 言うならば、最高の観客になれるのだ。

 嘘とは言え俺はそんな観客の楽しみとして犠牲になるのだろうかと思っていると、掛かっていたカーテンが去り、背景の無くなった舞台が姿を現す。

 さっきまで無かったスポットライトも点灯し、舞台に立つ人間に全ての目を向けさせる準備は整う。

「…ん」

 部長も何処かしらにいるのだろうかと辺りを何となくぐるっと見渡せば、ここから反対側。

 委員が入り用だからと使用を禁止した、もう片方の舞台袖にこそこそと入っていく数人の人影。

 あちらが使用禁止なせいで右側の小部屋に更衣室の男女事の時間なんて設けられ結果西谷が苦しんだのだが、入り用とは果たしてなんだったのだろうか。

 なんて、考えている所に司会の「誰かいませんかー」と立候補者を求める声が聞こえ、意識を内から外に向かせる。

 やはり誰も見せ物になんてなりたくない。

 若干司会の声音にも困り気が含まれていて、悩む目が体育館全体を隠れたネズミでも探し出すように隅の隅まで運ばれる。

 …深く鼻で吸える限界まで深呼吸をした。

 それだけで無論勇気が湧くわけないが、気持ち楽になったような気はした。

 空間さんはまだあの小部屋にいる。(じき)にこちらに出てくるだろう。

 動きたがらない腕を一度手で掴み抑え、緊張を無理矢理存在しないものにする。

 きっと俺が手を挙げれば主役に立候補した時より何倍も、何十倍もあるかもしれない目が一斉に向く。

 その全てが好奇心で、己の好奇心を満足させるため、色んな俺についての情報が飛び交う。

 幸いにして何もやらかしてないし、飛び交うのは転校生ぐらいだろうが…まぁなんて考えてないでやるしかない。何度目か分からぬ覚悟を決め、遅くながらも右腕を上に伸ばした。

「おぉっ!悲運の王子を演じた彼がまさかまさかの立候補!?」

 探していたところでの、丁度良い話題性のある獲物。

 司会の弾んだ声が体育館に響くと、スポットライトがまるで怪盗でも照らす時のように俺を光で捕まえてきて、眩しさに目を細める。

 明順応してきた頃合いで目を開ければ、俺に向かってきていた暗闇の中の無数の目。ほとんど全員の身体の向きが俺に来ていて、やはり何やら隣や後ろ同士で会話を始め出す。

 本当、これでもしも西谷が何もしてこなかったら不登校になる。絶対なってやる。

「さーさー!舞台にどーぞっ!」

「……」

 テンションが一気に跳ね上がった司会にほらほらと急かされ、雑に取り付けられた短い階段を上って舞台に上る。さっきまでと同じ景色の筈なのに、身体がぞっと震えた。何気、これに長時間耐えている司会が一番凄いんじゃないだろうか。

「それでは、お名前と学年を!」

「あー…1-Cの初橋です」

 きっと、今日という日は同じクラスの奴等の俺に対する印象が大きく変わる日だろう。

「初橋さんですねっ!…それで、告白したい人というのは…!?」

 その話になって、ちらりと舞台袖と体育館とを繋ぐ扉に目を向けた。

 狙ったかのようなタイミングで扉が退き、数人の女子に混じって空間さんも出てくる。

 そして数人の女子含めて、舞台に立つ衣装で目立つだろう俺に視線が集まった。

 彼女の不思議そうに俺を見る表情には今から自分が巻き込まれるなんて考えは一つとして感じられない。そもそも今が、公開告白の時間すら分かっていないかもしれない。

「…」

「さ、ここまで来たんだから恥ずかしがらずに!」

 震える喉。

 このまま声を発しては、つまずくのは目に見えている。

 目の前で女子同士が密やかに繰り広げる会話の内容は、一切耳に届かない。だからこそ何を言っているのか怖さを感じ、ネガティブな方に思考を自然に持っていく。

 姉さんはこの状況を見て、何を思っているだろうか。…嫌なことを考えた。

 そろそろ目の前に出されたマイクに声を放たなければ、熱された場が冷めてしまう。

「空間、よみさんです。…あ、1-Bの」

 余計な事を考えていたからか、想像していたよりも喉の震えは小さかった。

「ほー…あ!あちらの方ですね!」

 俺の視線の先を追ったのか、司会が彼女にぴしっと指を指す。すると、スポットライトが機敏に動き、彼女を照らし出す。

 さっきみたくそれに釣られ、全員の目がスポットライトの先に運ばれた。

「え…」

 彼女の戸惑いの呟きはここにまで聞こえた。

 目はきょとんと丸くなっており、まさしく状況が飲み込めていない。しかし近くの女子はすぐに状況を飲み込み、キャーキャーと盛り上がって彼女の背中を無責任にもとんと押す。

 はっきりと照らされた彼女の顔を見て、マイクを引っ込めた司会が何かに気づく。

 そしておお!とまた大きく、楽しむような声を上げた。

「まさか彼女は先程、別れることになってしまった…!さ、舞台にどーぞっ!」

 この司会のメンタルが心の底から羨ましい。俺もこんな軽い感じに話せたら良かったというのに。

「あ、ちょっと…な、なに…?」

 きゃいきゃいとはしゃぎ色めき立つ女子に押され、空間さんは自分の意思関係なく舞台に立たされてしまう。

 押し終えた女子は満足げに階段から逃げ、最高の観客に自分達を溶け込ませた。

 何かを拒むようにして胸の前で止まった両手は、状況の理解に伴ってか下にだらんと落ちる。

 …これ以上、司会は手助けしてくれないらしい。

 密やかに舞台から去り、俺と彼女だけが取り残される。

「えっと…初橋くん?」

 その呼び方が俺と彼女の関係性を簡単に教えてくる。

 うっすらと頬が赤くなり、照れているものかと思ったが、時折ちらりと観客に向く瞳を見るに、単純に人前が恥ずかしいのかららしい。

 まぁ彼女は言わば一般的な女子高生。この空気に慣れている訳がない。

「…その」

 …このまま告白してしまって良いのだろうか。

 彼女が返事を言った後に何か起こるのか、はたまた返事が来る前なのか。部長が何も教えてくれなかった為、何処まで動いていいのか分からない。

「俺は…」

 告白に繋げようと放った言葉も途中で止まってしまう。けれど横を見れば未だ失せない熱。

 禁止の筈なのにカメラのライトのような物まで見えた。

「空間さんの…こ、事が…」

 嘘だと頭は分かっている。

 公開告白をの場に立った時点で、彼女にもう遠回しの告白をしているのも知っている。

 しかし、二文字は頭から下に落ちることはなく、代わりに忙しく流れるのは血液のみ。

 だが、衣装を着たままにしたせいで、排熱が悪くなってしまっている。

 …鈍る頭の働きを感じながらも、勇気を振り絞り、全てを捨てる覚悟で口を動かした。

「………好きです」

「…………」

 彼女の目が丸くなる。

 決して嬉しさや喜びからではなく、俺の目は驚きだけで招いたものと判断する。

 てっきり観客は皆、おーっ!とサッカーのゴールが決まったみたく大きく叫んだりするのかと思っていたが、予想とは違い密やかな会話の声量がほんの少し増しただけ。

 いつの間にか力の入ってしまっていた左手を緩める。

「私は…」

 彼女の目は返事を探しているのか床をさ迷い、声音も少し弱々しい。それも当たり前。仕事仲間ぐらいの奴から急に告白されたのだ。戸惑いもする。

 だが、安直に答えは出させてくれない。

 彼女の苦手な空気が今、この場に溢れんばかりに充満している。劇の主役同士で、尚且つ片方は衣装まで身に着けて。

 どれぐらい時が経ったか分からない。

 窓にはカーテンが掛けられており、時間的には夕日は消えた事は推測できたが、月の明かりは拝めない。

 …と。

 彼女の口が何かを言おうと動いたその瞬間。

「ちょ、ちょっと待ったーっ!!!」

 酷く上擦った男子の声が体育館に轟いた。

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