3話目
3話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
名無しの部活が探偵部に名を一時的に貼り替え、どう動くのか具体的な事を決めずに着いてしまった休日。
俺の精神的にも後の高校生活のためにも、何より彼のためにも動かないとという焦りは大きく、休む日なのに心は休まらない。
リビングで一人ソファに腰かけて、テレビを付けた時に映ったさして面白くもない番組を落ち着かない心持ちで見ていると、玄関の扉が開く音と閉まる音が少しの間を経て響く。
時刻は午後一時。
昼食を済ませた姉さんは「ちょっと行ってくるね」と一言言うと、何処かへと出掛けていった。
今の音はきっと帰ってきた音だろう。
リビングの戸を見れば戸に付いたガラス越しに何やら腕に二つのビニール袋を下げた姉さんが見え、靴を並べることなくぽいぽいっと脱ぐと、るんるんと嬉しそうな足取りでリビングまで歩いてきた。
「ただいま~♪」
「お帰り…なんか、テンション高いけど」
「ふふ~♪見てよこれー!」
ビニール袋をがさごそ鳴らし、かたりとソファ前のテーブルに置かれたのは一本の映画のパッケージ。
上部に書かれた名前から思い出すに、一年ぐらい前に上映して結構な人気を博した海外映画。
右上の方にはレンタルを現すシールが貼られていた。
「見たかったけど、見逃しちゃったやつ!あって良かったぁ…♪」
「これ確か、ネットもあったような…」
「知ってる。でも、映画ってさ、映画館かテレビで見たくない?パソコンだとな~」
「で、もう一つは?」
腕には二つビニール袋が掛かっている。
一つは映画だと分かったが、もう一つの映画の袋よりも少し重そうな物が入った方の中身は不明。
姉さんはそっちの袋に手を突っ込んでまたがさごそさせると、その中身を引っ張り出しとんとんとテーブルに並べていった。
「えっとね~お酒とお菓子と…お酒と…お酒と……お酒」
「まだ昼なんだけど…」
ひたすら並べられていくお酒の缶を見てじとりと冷えた視線を姉さんに送れば、その頬がぷっくりと膨れる。
「良いでしょー?お姉ちゃんはこうしないと死んじゃうの。働けなくなっちゃう」
頬からぷすーっと空気を抜くと、外行きの服と靴下をそこらに脱ぎ捨ててソファにぼふんと腰掛ける。脱いだ服の下から寝巻きが出てくるということは、寝巻きの上に着て出掛けていたらしい。
座った姉と行き違いで立ち上がり、捨てられてしまった服を拾い上げる。
「あ、それ片付けたらさ、一緒に映画、見よ?」
「ん」
ソファの背もたれに首を乗せて逆さま笑顔を見せる姉さんに冷ややかな目のまま一言返事をする。
お風呂前の洗面所に向かい、服の中に変な物を入れっぱなしになってないか一度確認してから洗濯機にぽいっと放り込む。昔、化粧道具が入っていて洗った服全部が酷い有り様になったことがあった。
流石にあの時ばかりは姉さんも申し訳なく思ったようで、服の中に物をそのままにすることは以降完全に無くなったのだが、一応念のため。
「おーい」
と、リビングの方から聞こえてきたその姉の声。
戻ってみれば買ってきたばかりのお酒片手に、姉さんがテーブルに置いていった俺のスマホの画面を覗いていた。
「なに?」
「いや、副彼って人から連絡来てるけど?」
姉さんからブルブル震えるスマホを受けとれば、確かに表示されていた部長の名前。入部を決めたあの後、必要になるだろうと連絡先を諸々交換しておいたのだ。
アプリの方もやっておいたのだが、今回鳴ったのは電話。通話ボタンを押して耳に当てた。
「お、出たな」
「どうしたんですか?」
「初橋、お前今からちょっと出掛けられるか?西谷の件なんだが」
「はあ…分かりましたけど」
彼の件は丁度俺も気に掛けていたこと。今日からやっと動くのだろうか。
「んじゃ、駅前に来てくれ。バスん所にいるから」
何処に行くのか目的地は言わずに、電話はぶつりと切れてしまう。
聞けなかったが、何故バス停なのだろうか。
遠くに出掛けることと告白の成功が繋がるとは考えられない。その点はやはり行って直接聞くしかないらしい。
ツーツー鳴らすスマホを耳元から離す。
すると、姉さんの興味ありげな声が次に耳に届いた。
「どうしたの?やけに早い電話だったけど」
「あぁ、いや部活でちょっと出掛けることになって」
放り出した足をパタパタ振りながらお酒をぐいっとあおる姉さんに言うと、表情がえーと不満そうなものになる。
「映画一緒に見てくれるんじゃないのー?ぶー…」
「…ごめん」
こんな短い言葉で許してくれるとは思っていなかったが、意外にも尖っていた唇は形を普通に戻した。
「良いよ。こうなるかもしれないから話したんだもんね。映画は帰ってくるまでお預けかぁ」
映画のパッケージを持つと、しょうがないとばかりにビニール袋にそれを仕舞う。テーブルに残ったのはちょっとのお菓子と大量の酒。
「別に見たかったら先に見てても…」
「いーや。映画は映画館かテレビ、それと弟と一緒に見るのが私流。ほら、準備しなくて良いの?呼ばれてるんでしょ?」
「あぁ、うん」
言葉に背中を押され、自室に歩いていく。バス停を話に出していたなら、使う足はバスと考えるのが当然。もしも駅だったにせよ、一本逃してしまえば部長の計画が狂ってしまうかもしれない。手っ取り早く着替えを済ませ、ほとんどなにも入っていない鞄を担いでリビングにとたとたと向かう。
「行ってきます」
「ん、行ってらっしゃ~い。お姉ちゃんはやけ酒して待ってま~す」
ソファでくつろぐ姉さんはいつの間にか二本目の酒に手を出していて、見送りにと振られたその手はまるで骨がないような不安定な揺れ。もう相当に酔い始めているらしい。
上げられた手は力尽きるように下へと落ちていった。
姉さんが防犯的に役に立たない事を考慮して、玄関に置かれた鍵束から鍵を一つ取り、靴を履いて外に出たら玄関の扉に鍵をガチャンと掛けておく。
後ろを向けば、三階部屋住人の特権であるそこそこ良い見晴らし。
遠くの公園の木々達は朱色にその葉を染めあげ、頬を撫でて抜けていく風は体温よりも10度は低い。
夏の異常とも言える気温のせいで一時は秋はもう来ないんじゃないかと思いもした。
だが、思いの他あっさりと季節は変わってしまい、終わってみれば辛い辛い言ってた夏にも名残惜しさを感じてしまう。まぁ、またあの猛暑が来て欲しいかと聞かれれば答えには詰まるだろうけれど。
夜にも当然のようにセミがミンミン鳴いてたりしてたし。
アパートの端っこの方に付けられた階段までの道のりで軽く夏を振り返る。螺旋状の階段をタントンタントンリズム良く降りきれば、秋を描いた遠くの景色は見えなくなる。
代役に出てきた歩道をしばらく歩けば駅に着く。一定間隔で植えられた歩道の木も紅く染まっていたが、どうしてか感動を強く受けたのは遠くの木々の景色。
ほとんど同じ木々だと言うのに近くで見るか、遠くで見るかで印象に差が大きく出る。
近くで見た時には落ちてしまった葉だったり寂しげな枝が見えてしまうが、遠くの木にはそれが見えない。
だから、あれは完成された綺麗な木なのだと無意識的に思い込んで期待して、近付いたらあぁ一緒なんだと身勝手にも落胆する。
そういう風に考えると、案外こういう所に生える街路樹の方が気楽なのかもしれない。
暇潰しに木の心模様を想像していると一旦の目的地である駅が見えてくる。
秋の涼しさを感じてか駅には人の溜まりが出来ていて、ここからでは部長を発見するのは難しい。
駅に併設されたバスターミナル付近にいると知らなければ、気力を一気に持っていかれるところだった。
バス停の並んだ場所をきょろきょろしながら歩いてると、とあるバス停のベンチに見覚えのある後ろ姿を見つけた。
何やら誰かと連絡しているようで、声を掛けて邪魔して良いものか近付きながら考える。
「あの…」
まぁ呼び出された立場なんだしとそれでも恐る恐る声を掛ければ、部長はこっちに首を回し俺と分かるとスマホをポケットに入れた。
「おぉ、来たか。…バスも来たな」
部長の視線の先を追えば、俺と同じく一台のバスもここを目指して向かってきていて、傍のバス停の前のスペースに停車した。扉が開くと中から数人の人が出てくるだけ。
「あれ乗るんですか?」
「あぁ」
「何しに?」
「それは…まぁ、バスに乗ってから話す」
ベンチに置いた腰を起こすと部長は停車したバスに乗り込む。俺も訝しみながらもその後ろを付いていく。その際バス停の名前をちらりと覗いたが、立ち止まれば良かったのに全てを読む前にバスに乗ってしまう。
読み損ねた後ろの言葉は部長が教えてくれる。
扉近くの座席に腰かけた部長。そこは一人掛けの席の為、後ろの同じく一人掛けの席に俺も腰を降ろすことになる。発車までの時間がまだあるからか、それとも行き先は人気がないのか、俺たち以外に乗車してくる人はいない。
「それで、これからどこ行くんですか?」
聞くと、椅子に深く腰かけて部長は淡々と答えた。
「スタジアムだ」
「スタジアム?」
「あぁ。そこでサッカー部が練習試合をするらしくてな」
サッカー部と聞いて真っ先に思い当たるのは依頼人。補欠ではあるが、だからこそ練習試合を観戦しているはず。
「西谷に会いに行くんですか?」
「いや、練習にはチア部も応援で来るからな。会いに行くのはそっちの方だ」
「相手の方…ですか。というか、文化祭近いのにそういうのやってるんですね」
「三年生が引退したばかりだからな。育てときたいのもあるし、あとうちにはエースもいるからついでに見せびらかしたいんだろ」
と、話しているとバスの扉が音を立てて閉まる。結局バスに乗り込んだのはさっきこのバスから出ていった数と大体同じ。途中下車が目的かもしれないが、スタジアムが行き先だと考えると、後ろに乗った同年代くらいの彼女たちの目的も練習試合の観戦なのだろうか。
扉が閉まってから少し。
ゆっくりとバスは歩き始め、その速度を上げていく。バスなんて人が多いときには億劫の塊だが人が少ないと揺れも合わさって心地良い。自分の足で歩く時よりも早く目の中を流れていく朱の木は、秋風に身を靡かせていた。
しかし、さらりと部長は言っていたが練習試合があることを何処で知ったのだろうか。
いやまぁ、練習試合ぐらいならサッカー部について調べればどうにもなるかもしれないが、気になるのはそこにチア部が来ると確実な情報を得ているところ。かもしれない、ならまだしも、言い方は完全に来ると断言していた。チア部にだって大事に向けた練習があるだろうし、練習試合に来るかどうかなんてその都度の可能性もある。
「…チア部が来るの、よく分かりましたね」
「まぁな」
スタジアムに着くまでの適当な雑談を装って聞いてはみたが、返事は随分と適当な言葉。
誰が聞いても今のは『情報源は何処なんですか』と受け取る言い方にしたつもりなのだが、これは明かす気がないと暗に言ってきているのか。
部長は窓の奥で流れ行く景色をぼーっと眺めていた。
…しばらくの間バスに揺られ、言っていた通りスタジアムの前でバスはタイヤを止めさせる。
このスタジアムに来る事自体は始めてだが、他のスタジアムなら出掛けた時にふと見掛けた事がある。大抵、中でなにか行われていない限り人の出入りは全くない場所で、イメージは常にガランとした雰囲気。だが、今日は幾らか人の出入りがあり、そのほとんどが同世代。本当に練習試合をやっているらしい。
バスを降り部長の背中を追いかけて中へと入っていく。まぁ、高校の練習試合。
大きなスタジアムな訳がなく、他の用途にも使えそうな小さなサッカー場。
そのフィールド上で色違いのユニフォームを着たざっと20人が、各々の立ち回りで駆け巡っていた。
「確か、うちの高校の席は…あっちだな」
場のサイズうんぬんもあって段々の座席は一辺しかなく、少しの間を空けて他校とうちの高校の部員が座っている。練習試合だからか、そんなにいがみ合っているような感じはない。
お互い、手をメガホンの形にしたりして快活な応援を自チームに飛ばしていた。てっきり西谷もいるものと思っていたが、留守番か、ベンチではない何処かにいるのか姿は見つけられない。
場に出られなかった部員達のベンチを抜け、少し奥に進めばいた女子生徒の集まり。
「あれが、チア部ですか?」
「だな。席は…あー、後ろの方が良いか」
チア部の人達はイエローカラーのプラスチックメガホンを使って、「頑張ってー!」と文字通り黄色い声援を送っていた。
流石に甲子園とかで着るような衣装ではなく、普通に高校のジャージや制服。休日もあってか大分気崩している。中には私服もいた。
そんな彼女達から斜め後ろの位置のベンチに部長は腰掛け、俺も続いて隣に。
ここなら、振り向かれない限りは怪しまれることはない。
しかし、後ろ姿ぐらいしか見えないため肝心の空間さんを探すには少し厳しく、時間を掛けて一人一人探していると急に観客席が賑わい出す。
サッカー場なんだし、盛り上がる理由は一つしかない。
フィールドを見れば、うちの高校の選手がディフェンスを冷静に抜けてゴール間近に迫っていた。
もう少し近づいた方がゴールを狙いやすそうに思えたが、躱されたばかりのディフェンスがすぐに追いかけてきてそれは叶わない。
ろくな猶予もないまま放たれたシュートではあったが、矢のような速さで駆けるそれにゴールキーパーはバッと飛び込んで手を伸ばす。
しかし、届いたのは指先だけ。
スピードを殺すことは出来ず、ボールはゴールネットを大きく揺らした。
「きゃー!鹿島せんぱーい!」
「カッコいーっ!」
瞬間、前にいたチア部が一斉に沸き上がる。
メガホンを使って叫んではいたが、その鹿島先輩という人が何か反応を見せることはない。至って冷静に落ち込む相手選手の脇を抜け、元の位置に駆け足で戻っていく。そして、こちらの一点のリードでまた試合がホイッスルの音で再開した。
「あれがこのサッカー部のエース」
「なんか、落ち着いた人ですね」
率直な感想を漏らす。すると、部長はまるで忌み嫌うかのようにけっと鼻で笑った。
「女子曰くクールなんだと。あいつのせいで俺のクラスの男子は全員居心地が悪いんだ」
「…同じクラスなんですか?」
「残念なことにな」
明らかな嫉妬を漏らす部長に苦笑いをして、こちらも止まっていた空間さん探しを再開する。
今のゴールで燃え上がった心を共有する為か、チア部の女子達はお隣ときゃいきゃい会話を始め出す。そのお陰で、横顔が覗けるようになった。
写真の彼女と同じ顔を探していると、一人、チア部の中で落ち着いた人を見かけた。
空間さんではなかったが、妙なまでの落ち着きっぷりが気になって、つい目をしばらく向けてしまう。
友人が熱く先程のシーンを語っていた間、彼女はひたすら聞き役に徹していて、時折くすりと笑うと気を良くした友人の喋りは更にヒートアップする。しかし、最後まで彼女に熱は伝染しなかった。
「…あの、部長探してます?」
長々見て視線に気づかれるのも嫌で、鹿島先輩を睨んでいるのだろう部長に身体を向ける。やはりそうで、射殺さんばかりにフィールドで駆ける彼を睨み付けていた。
「ん?あ、あぁそうだったな。て…あれじゃないか?」
「…あ」
お手洗いにでも行っていたのか、スタジアムの入り口の方から歩いてくる空間さんの姿。それをぶんぶん手招く一人の女子。
「よみ!今、鹿島先輩がゴール決めてね!」
空間さんがベンチに腰掛けるとすぐに、手で呼び寄せた彼女がゴールの事を熱心な声音で伝える。
「へー、見逃しちゃったなぁ…」
「大丈夫。先輩なら、も一点決めてくれるって!せんぱーい!ファイトーっ!」
メガホンを空に掲げると彼女はテンション高くそれを振り回す。空間さんもそれと同じ感じに、置いていたメガホンを取って明るく元気な応援をスタジアムに響かせた。
「…普通の、女の子だよな」
「ですよね」
俺と部長が彼女を観察して抱いた印象はぴったりと一致する。
悪い意味じゃなく、本当にただの普通の一般的な女の子。マネージャーだったりしたら控えめで健気そうでこの上ないベストマッチだった。
しかし、空間さんが選んだのは国によってはトップカーストの立場を手に入れているチア部。前に違和感を勘違いと切り捨てたが、再度拾い直しといた方が良いかもしれない。
と、そこで前半終了を告げるホイッスルがピーッと鳴る。
今のところ1対0でうちが優勢で、ボールの支配率も中々。
素人目でも分かるのだ、サブメンバーや試合を何回も見てきた筈のチア部も同じことは分かっていて、だからか流れている空気は落ち着いた物。
フィールドから選手が去っていくと観客席も休憩タイムとなり、飲み物を買いに行ったり雑談に耽ったりと様々。
本格的に隣と話し込む状態となった空間さんから何か役に立つような事を聞けたらよかったのだが、上がる話題は鹿島先輩の事ばかり。数名がカッコいいと言えば、彼女もだねーと相づちを打つ。
西谷の事とかも期待はしたが、話を設定出来るような立場でもないためひたすら座って耳を傾けるだけ。
…俺も飲み物でも買ってこようか。
観客席もフィールドもこの時間帯は直射日光のようで、秋とは言えど喉の乾きを感じてきた。
「部長、飲み物買ってきて良いですか?」
「ん」
腰を少し浮かして部長に言えば、一言だけでの了解が来る。
階段を降り、入り口付近で見掛けていた自動販売機を目指してとたとた進んでいく。
場所が場所だからか自動販売機にあった飲み物はほとんどが水かスポーツ用のドリンクで、一番下の列に顧問用にかあった二種類の缶コーヒーで名前の知っている方のボタンをぽちっと押す。
ついでに部長にも買っていった方が良いだろうか。俺と同一の環境にいたのだ。プラス100円ちょっとなら出費としてもそこまで痛くない。二本の缶コーヒーを両手で持って来た道を引き返していると、入り口から慌ただしく駆けてくる誰か。
空になっているフィールドを見るとその表情はみるみると青ざめていく。
と、そこで目が合った。
すると誰かはこちらに向かってきて、まじまじ見てしまっていた事もバレているため逃げるわけにもいかない。
「あ、あのっ!サッカー部の練習試合って…、もしかして…て、あ、転校生の」
それを知っているということは、この人も俺と同じ高校ということ。面白味もない転校生の名前が顔と一緒に他校に広がっているとは想像できない。
中性的な見た目のせいで性別は判断が付かないが、今はそれを詮索するタイミングではない。
「…前半が終わったばっかりで、多分休憩中」
「あ、そうなんだ…良かった…。ちなみに試合ってどんな感じ?」
「一点リード。鹿島先輩って人が決めて」
鹿島先輩と言った瞬間、彼か彼女かの瞳にきらんと星が宿る。不安げだった表情にもぱあっと明るく花が咲き、嬉しそうな声音に合わせ距離をぐっと詰めてくる。
「ほんとっ!?鹿島先輩が!?」
彼にせよ彼女だったにせよ、サッカー部やチア部ではないだろう人が練習試合を見に来るなんて、鹿島先輩は相当人気者らしい。
本当と何度もこくこく頷きながら数歩を距離を取る。
「じゃあ…それじゃあ」
「うんっ!教えてくれてありがとね!ばいばいっ!」
胸の前に上げた手を全力で振ってくれる誰かに小さく頭を下げて、また来た道を引き返していく。
小動物のようで可愛らしい、話すだけで心がほっこりするアロマみたいな彼彼女だったが、今の反応からして鹿島先輩が想い人。もしくは一ファンか。
部長が妬んでしまうのも少し分かった気がした。
名も知らない誰かとの立ち話を終わらせてベンチへと戻り、部長に缶コーヒーをどうぞと言って渡す。
「おぉありがとう。いくらだった?」
「いや、別にいいです。それで何か聞けました?」
「悪いな。とりあえず、収穫として鹿島の事は別に好きではないっぽいな」
「それ…よく分かりましたね」
かぱっと開けた缶コーヒーをぐいっと飲んでから、部長は俺の質問に答える。
「周りが鹿島の話をしている時の食いつきがあんまり良くなかったからな。相づちを打つぐらいで、自分からあれこれ言ったりはしてなかった」
「他にはあります?」
「…無い」
まぁ、盗み聞き程度で人の全てが理解できる訳がない。
もうこれ以上は厳しいかと考えた時、ピーッと後半開始のホイッスルがスタジアムに鳴り響いた。
…後半もうちの高校のサッカー部の勢いが止まることはなく、途中一点を許してしまいながらも二点を更に奪うことで勝利をその手に掴んだ。と、言っても結局練習試合。
二回戦とかそういうのが無い以上盛り上がりにも限度がある。
試合が終わればすぐにフィールドはまだ空になり、チア部やサブメンバーは片付けに入る。顧問がチア部とサッカー部に話していた事を聞くに、二つの部活は高校が用意してくれたバスで帰るとのこと。
部長が言うに俺たちみたいな話を聞き付けて応援に来た人と違い、チア部は学校側の依頼で来ているかららしい。
片付けを終えたチア部達は、スタジアムの駐車場に停められたバスに向かっていく。
丁度そのタイミングが俺たちの乗ってきた市営のバスが到着する時間で、俺達も彼女達の後を付いてスタジアムから出ていく。
横を抜けようにも、鹿島先輩の活躍をるんるん気分で語る女子達にそんな隙間はない。
鉄壁のディフェンスに阻まれ、彼女達の歩調が速くなることを祈りながらたらたらバス停へと歩く。
ただ、ありがたいこともあった。
空間さんがその女子の集団の最後尾に位置していた為、聞き耳立てずとも自然と会話が聞けるようになってくれた。
一頻り鹿島先輩について空間さんと仲の良さげな女子が話すと、話題はこの後どうするかについてへと変わった。
「高校着いたらさ、そのあと皆でご飯行くんだけど、よみも行くよね?」
「え?あー…」
言われた彼女は予定表でも見るのかスマホを取りだし、画面と見つめ合うとえーっと…と少し困ったような表情を浮かべた。
「無理っぽい?」
「う、ううん…行く」
「そっか。でさ…」
スマホを仕舞い首を横に振って大丈夫と伝えると、友人の話はまた鹿島先輩に戻る。
「……」
別に断っても良さそうな感じだったのだが、彼女はそれをしなかった。
断っても良さそうと言っても、断った時には必ず空気がおかしくなる。些細であれ何であれ、空間さんは空気を気にしてしまう性格なのかもしれない。
「大変そうだな、色々と」
部長の声が耳に聞こえた時にようやく横を抜けられる広い場所に出ることができ、そろそろ後ろから離れなければ怪しまれるとチア部から外れた。
俺たちよりも先にバス停で待っていたのは10人程。
その列にはさっき話した彼彼女もいたが、身体の向き的に俺には気付かないだろうし、だからとわざわざ自分から声を掛けに行くのも違う。
夕焼けに照られされたバスが向かって来るのを、ただひたすらに何も考えずに眺めた。