Public Broadcasting
ドアを叩く音と共に大声で呼ぶ声がした。
「吉田さーん、回覧板です」
ドアを開けてみると、スーツ姿の男が愛想笑いを浮かべていた。初めて見る顔だった。男は手に持った回覧板を差し出して言った。
「はい、回覧板。玄関前に置いてありましたよ」
彼は値踏みするように私の全身を眺めまわしている。私は差し出されたそれを受け取る。
「……ありがとうございます。で、あなたは?」
「お忙しいところ突然ご訪問をさせていただきまして申し訳ございません。わたくし、放送協会から委託され料金の徴収業務を行っている者です」
彼は背広の片側を開いた。首から下げた身分証が現れる。反射的に手を伸ばし掴もうとしたが、一瞬早く背広は閉じられ身分証は再び隠されてしまった。男は回覧板を持っていたのとは逆の手の中にある情報端末を眺めながら言った。
「吉田さん、ご本人。もしくはご家族の方でよろしいでしょうか?」
「はい。ひとり暮らしですので」
男はちらりと、たたきに並んだ靴を見た。
「えーと……吉田さん。料金支払いの契約がまだお済みではないようですが」
「すみませんね。うち、テレビが無いもので」
「ほう、そうですか。テレビありませんか」
彼は身を乗り出して部屋のなかを覗こうとした。私はさっと身を寄せてその視線を遮る。
「最近多くなりましてね、テレビの無いご家庭。わたくしもこの仕事で数多くのご家庭に伺わさせていただいておりますが、ずいぶんと増えてきております。もっとも、本当なのか疑わしいご家庭もありましたが……」
「嘘をついてると?」
「いやいや、滅相もない」
「なんなら上がって調べてもらって構いませんよ」
「いや、それは出来ないんですよ。そういう決まりでして。以前にあった話なんですが、衛星放送が観られる機械なのか分からないから、あんた自分の目で見て調べてくれとお客様に言われ、部屋に上がっちゃたのが居りましてね。案の定あとで大事になっちゃいました。わたくし共としましては、お客様のお言葉がすべてでございますから」
そう言うと、男は私の目を見据えた。ここで目を逸らしたら負けと私も彼を見つめる。
「ところで……」
彼は急に笑顔を浮かべ、心持ち優しい口調になる。
「年末の歌合戦もご覧になってない?」
「あー、もう長い事観てませんね。歌にも興味ないし」
「そうですか……話変わりますが、サーバルキャットって可愛いもんですね」
「猫ですか? あいにく動物にも興味がなく疎いもので」
「……分かりました。もし今後テレビをご購入された折にはご連絡をいただければありがたいです。それにしても最近物騒な事件が続きますね。連続爆破事件。さすがにご存知でしょう?」
「ああ、それならコンビニで新聞の見出しを見ましたよ」
「あ、これは別に探りを入れている訳ではありませんから。単なる世間話です」
男の身体から発せられていた緊迫した空気が薄れているのが分かる。
「今朝も渋谷駅で爆発があったでしょう。実を言いますと、わたくし通勤の乗り換えに利用しておりまして、もしあと10分遅れて駅に着いていたら巻き込まれていたところでした。考えただけでもぞっとします」
「そうでしょうね。運が良かったんでしょう。事件の詳細は詳しく知りませんが」
「はい、運が良かったと、わたくしもそう思います。と、余計なおしゃべりでお時間を取らせてしまいましたね、失礼しました。それにしても、あなた世間に関心をお持ちにならないようですが、不安になりません? 情報を持たないことに心細さを感じたりしません? あ、これまた余計な話でした、どうかお忘れください。それではこれで失礼いたします。お忙しいところ、お時間をいただきましてありがとうございました」
男はまくし立てるように一方的に語ると、一礼をして出て行った。おそらく、ノルマ達成のため一刻一秒も惜しいのだろう。私はドアを施錠すると部屋に戻った。すると通信機の着信を知らせるインジケーターが灯っていた。同僚からの連絡だろう。彼は今、この部屋から通りを挟んだ斜向かいのコインパーキングに駐めてある、害虫駆除会社の社用車に偽装したバンの中からカメラのレンズ越しにこの部屋の周囲を監視している。
「おい、今の男は誰だ? 問題は無かったか?」
「ああ、公共放送の集金だ。怪しまれることなく追い払った。問題なしだ」
「そうか。こちらでも立ち去るところを確認していたが警戒の必要はなさそうだった。それじゃ引き続き任務に当たってくれ」
「了解。そちらもご苦労さん。よろしく頼む」
通信を終えると、私は振り返り男を見下ろした。その男は、家具の無いがらんとしたこの部屋の中央で、体を厳重に拘束され、目隠しと猿轡をされた状態で床に横たわっている。彼はむがむがと声を発しながら身もだえを続けているが、もちろん何を言っているのかは分からない。私は彼に語りかける。
「残念だったな。お客はお前さんを助けに来たヒーローじゃなかったよ。もっとも、爆破テロ犯のお前を救いに来るヒーローがいるのかどうか怪しいところだけどな」
彼の耳には大音量のノイズが流れ続けるヘッドホンがダクトテープで貼りつけられていて、私の声が届くことはない。だが、私は彼に語り続けた。
「今のお客が話していたが、世間では爆破事件はすべてお前の手によるものだと信じ切っているようだ。こちらの思惑通りにな。実際には最初の爆破以外は我々の仕業だというのに。数日後に、お前を警察に突き出してすべての罪を被ってもらえば任務は無事終了ってわけだ。なんで諜報部員の我々が、こんな工作をするのかって? 上の思惑や国の事情なんて俺たちにも分からんさ。ただ、与えられた命令通りに動いているだけだよ。それにしても……」
私は先ほど交わした徴収員との会話を思い出し、苦笑しながら言った。
「情報を知っていると思い込んでいる連中ほど扱いやすいものはないな」