うら若き秀一少年の悩み 3
そんな風にして陽介とはしばらく口を聞かないことを心に決めた週の土曜日。
俺は久しぶりに一人で杏花さんの家に向かった。
すると何やら見知らぬ男がドアの前で必死に何かを訴えている。
不審者が杏花さんの部屋に入ろうとしている!?
俺は慎重に近づいて男に声をかけた。
するとその男はどうやら杏花さんの知り合いだったらしく、杏花さんに追い払われて悲しそうに項垂れながらその場を去って行った。
俺とすれ違う時、じろじろ見られた上に「お幸せに」って言われちゃったんだけど、なんだったんだろう…。
一方杏花さんはごまかし笑いをしながら俺を出迎えた。
何も聞いてくれるなオーラを凄く漂わせてる…。
でもそんなの無視だ。だって気になるじゃないか。あの人とはどういう関係だったんですか?先生。
結論から言うと、想像以上に酷い話だった。
『究極のすれ違い事件』と呼ばれるその一連の出来事は、要するに杏花さんの驚異的な天然スキルが見事に的中して冷静な判断ができなくなってしまった悲しい男の茶番劇だった。
あれ、そういう人もの凄く身近にいる気がするな…。
杏花さん、いや〜流石に驚いたよね、テヘペロってされても全然笑えないんですけど。
近くに同じ末路を辿ろうとしている奴がいる身の上では…。
でも、これで良くわかった。杏花さんという人が。
どうしようもないほど天然で、鈍感。
しかも無意識に人を巻き込む。悪意がないから尚更タチが悪い。
鳥海先生とか、鈴原さんとか、母さんとかがなんだか可愛く思えてきたな…。
週が明けたら陽介に言ってやろう。
女子、もとい、杏花さんは怖い生き物だ。
春から続いた個人指導も年末で終わりにすることになった。
俺の国語の成績も安定してきたし、杏花さんも仕事がかなり忙しくなってくるらしいからだ。
どんなことにも終わりはつき物だけど、いざそれを意識すると寂しさがこみ上げてくる。
最初は全然乗り気じゃなかったけど、ここのところはなんだかんだ言って杏花さんに会いに行くのが楽しみになってたんだよな。
もう今までみたいな頻度で会えなくなるのは、やっぱり寂しい。
そんな俺のセンチメンタルな気持ちを相変わらずの鈍感さで察しもしない杏花さんは、あっけらかんとしている。
寂しいのは俺だけか…。なんだか悔しいな。
一時期絶交、とまではいかないけどギスギスした関係になってしまった陽介のことが心配なのか、杏花さんはしきりに陽介の様子を聞いてくる。
あれから杏花さんがいかに天然で男を男とも思っていないか(語弊あり)を俺に懇々と説明し諭された陽介は、海よりも深く己の勘違いに落ち込み、浮上したかと思ったら、心の友よ〜とジャイアン並みの暑苦しさで懐いてきた。
やっぱり持つべきものは友達だよな…とかなんとか言って、なぜか志望校を俺と同じところに変えた。
え、陽介今度はどうしちゃったんだ?
困惑する俺に陽介は目を潤ませて、俺のことこんなに考えてくれてるのはお前しかいないって分かったんだ…!と手を握ってきた。
気持ち悪いから今すぐやめろ。
…まあ、一緒の高校に行けたら楽しいだろうけどさ。
という訳で今は全く問題ない。
いやちょっとウザいけど、前ほどじゃない。勉強にもかなり真剣に取り組んでるし。
だけど杏花さん、そんなに陽介のことが気になるの?
なんだか面白くないな…。
杏花さんに勉強を教わる最後の日。
ささやかなクリスマスパーティーを開いた。
かなりお世話になったし、クリスマスだからと思ってプレゼントを用意していったら大げさなほど喜ばれた。
頬を紅潮させて手袋を手にはめている。
気に入ってくれたようで良かった。母さん以外の女性にプレゼントなんて初めてだったから緊張したけど、悩んだ甲斐があったな。
杏花さんは何も用意してなかったと言って慌ててるけど、そんなの気にしなくていいのに、と、思いつつ、一つ閃いて約束をしてもらった。
第一志望の高校に合格したら、お願いを聞いてもらう。
この繋がりが受験と同時になくなってしまうのはやっぱり寂しいから、もし合格したら何かその後の約束をしよう。
また勉強を教わるのでもいいし、どこか遊びに行くのでもいい。
ただの親戚以外の繋がりが欲しいな、って咄嗟に思ったんだ。
でも、親戚以外の繋がりって、何だ…?
その後、サンタコスプレで元気に現れた陽介に安心したのか、杏花さんはホッとしたように笑っていた。
ちなみに陽介のお兄さんはお笑い芸人をしていて、ああいう服を沢山持っているのだ。
文化祭の時もかなりお世話になった。
良かったねえと嬉しそうに微笑まれる。
確かに杏花さんは不意打ちで人を揺さぶる怖い人だけど、それ以上に思いやりに溢れた優しい人だ。
俺と陽介の仲をかなり心配していたんだな。まあ原因は杏花さんなんだけど…。
そう思うと、ふと暖かい気持ちが溢れた。
なんだろう、このもどかしくてくしゃくしゃにしたくなるような暖かな感情は。
少し考えてすぐに分かった。
きっとこれが、愛しい、ってことなんだ。
俺は色々考えた。
クリスマスの時にハッキリと感じたあの気持ちは、もしかして杏花さんが好きってことになるんじゃないかって。
いや待てよ、冷静になるんだ。
杏花さんお得意の男を勘違いさせる呪いにかかっちゃっただけじゃないのか?
…うん、今の俺は至って冷静だ。
好意的な言葉をかけられたからって単純に俺のこと好きなんじゃね?なんて思ったりしない。
陽介の二の舞には断じてならない。
そうじゃなくて、もっと杏花さんの側にいたいなって感じるだけなんだよな。それで杏花さんの色んな一面を見てみたい。
やっぱりこれって好きってこと、だよな…?
でも絶対杏花さん、言っても認めてくれないだろうな。
そもそも俺のこと全く意識してないし。現状望みゼロだ。
だからまずは、俺のことを男として認識してもらうところから始めないと。
杏花さんは鈍感だ。
だけど本当の本当にそうなんだろうか。
周りにいる人たちの心の機微にはかなり敏感なのに?
俺が思うに、あれは一種の自己暗示なんじゃないだろうか。
最初から自分に向かってくる感情をシャットアウトしとけば勘違いしなくて済む。つまり、傷つかなくて済むから。
そうだとしたら結構卑怯ですよ?杏花さん。
周りには散々勘違いさせといて…。
だから俺は、杏花さんの鈍感さを試してみることにした。
これは一種の意趣返しだ。
といっても思ったことをそのまま口にするだけの、些細な仕返しだけどね。
なんて言ってるけど、実際やってみるとかなり恥ずかしい。
一緒に行きたい、だの、二人でいたい、だの、本心とはいえ口にするのは心底恥ずかしい。
好きだなんて言った日には憤死するかと思った。
死ぬ。俺、きっと近いうちに死ぬ…。
壁があったら確実に頭を打ち付けてる。
ただ、俺の言葉に真っ赤になって慌てふためく杏花さんはかなり可愛いので、あんまり後悔していない。
年の差なんて、俺にとっては関係ありません。
俺のことを認めるまで、逃がしませんよ?杏花さん。




