5話 冒険する準備はできていた 後編
翌日。日が未だ東の空にあるうちに、二人は早めの昼食を終えて、妖精が待っているであろう広場へと向かった。
エントランスに当たる大ホールを抜けて、大部分が崩れてしまい、もはや扉としての役割を果たしていない石塊をグイッと肩で押して外へと出る。
途端に太陽の光が空木の目を眩ませる。少しして目が慣れてくると、そこにはいつもと同じように荒廃した風景が辺りに広がっていた。
二人は白石の階段を苔や蔓草に足をとられないよう気をつけて降りながら、妖精のいる広場がどこなのか辺りを見回して探す。
幸いにもこの辺りに生えている木々は背の低いものばかりであったから、易々と見つけることができた。手のひら大の羽虫みたいな生き物がキラキラ光る鱗粉を撒き散らしながら飛んでいるのが見えたので、ほぼ間違いはないだろう。
二人は少し早足でその場所へと向かう。
二人が辿りついた場所は、大きなスクリーンがそびえ立つ広場だった。
遠くから見れば、市街地中央やライブ会場にありそうな大型スクリーンだが、間近で見るとなかなかどうしてその倍近くの大きさがあることが分かる。
スクリーン上部には『ランキングカウンター』と擦れた英語で書かれている。何かを競う予定であったのだろうか。
しかしここに来たのは何も昨日の散策の続きと言うわけではない。とりあえず考察もほどほどに、空木は未だこちらに気付かずに辺りを飛んでいた妖精に声を掛けた。
その声で空木らに気付いた妖精はパッと顔を綻ばせて、ふよふよと近くまでやってくる。
「やあお二人さん。随分と遅かったね、もう昼だぜ? 重役出勤は慣れると癖になるから気をつけなよー」
「はて。私らは昨日、昼ごろに来いとの指示を受けたはずなのですがね」
「あれ、そうだったっけ? まあいいや。とりあえずこっち来なよ。ちょっとしたプレゼントがあるからサ」
妖精はそう言っておいでおいでと手招きをしながら、スクリーンの向こう側へと早々に飛んで行ってしまった。
誘いに乗って妖精の後を追うと、元は休憩場所であったであろう崩れたテーブルと椅子の散乱する一画までやってきた。
と、ここで空木の後ろから音もなくついてきていた薄氷が何かに気づいたように声をあげた。
「あれ……? あそこにあるのはもしかして武器の類のものですか?」
「ん? 何ですと?」
武器という薄氷の声に釣られて、空木も薄氷と同じ方向へと目を向ける。
目線の先には脚が壊れて斜めに傾いている石のテーブル。その崩れかかった天板に様々な武器防具がたて掛けられていた。
鈍色の光を発しながらギラつく鋭い刃物。空木の細腕では持てるかどうかも怪しいほどの巨大な鈍器。大型の獣でも余裕で屠れそうな大型の弓矢。
そのどれもが「さあ、今から殺し合いましょう」と語りかけてくるようなインパクトがあり、生前感じることのなかったそんな異様な雰囲気に圧され、空木は思わず生唾を飲み込んだ。
「そ。これが昨日言ってた武器の類な。どれも刃を潰していないホンマもんの武器サ。さ、好きに手にとってくれよ。観賞用の装備品なんてこの世界じゃ文鎮以下だよ」
そう言われて、空木は恐る恐る武器の山に手を突っ込み、適当に得物を掴み取った。
空木が掴んだのは、刃渡り15cmほどの片刃のナイフであった。
非常に軽くて柄の意匠がいいのか、手にしっくりきて持ちやすい。木を切ったり獣と戦うことはかなり厳しいが、枝を払ったり仕掛けを作るには非常に使い勝手がよさそうだ。
試しに近くに生えていた名もなき植物の枝に向けて一払いしてみると、枝は一度大きく震えてそのままポトリと地面に落ちた。どうやら切れ味も悪くないようだ。
「お二人とも気に入ったようだね。そいつらはここに初めてきた人たちに配る予定だった初期装備だよ。今、坊主が持っているのがダガー。武器っつーより工作用に使う短剣だな。護身用としても使えるけど、刃に厚みがあまりないから大概は戦闘中に折れちゃうだろうね。……で、兄ちゃんが持ってるのがジャベリン。投擲用の短槍だね。よく見ると刃の先に『返し』がついてるだろ? それで刺さった槍を抜けなくさせるんだ。その分、手に持っての打ち合いにはあまり適してないんだけどね」
妖精が何故か誇らしげにペラペラと武器についての説明をする傍ら、空木は手にしたナイフをヒュンヒュンと低木に向けて何度も薙いでみる。
木は弾けるような音を発しながらゆらゆらと揺れて、枝や葉をはらはらと散らしていく。それを空木は不覚にも楽しいと思ってしまった。
空木とて男である。子供のころは友人とチャンバラごっこをしたこともあるし、掃除道具で演武もどきをやった覚えもあるのだ。
自らの命が掛かった緊急事態ではあるとは自覚しているのだが、本物の武器を手にして心が躍ってしまうのはどうしてだろうか。
思わず頬が緩みそうになったその時、妖精とばっちり目が合ってしまった。
「へっへっへ……。どうだい、楽しいだろ? それに実際、頼もしい装備だ。それさえあればもうあいつらに後れをとることはないな」
楽しげに武器を振り回す空木を見てどう思ったのか、妖精がニヤニヤしながら声を掛けてきた。
心がすかされたようで少し気恥ずかしい気持ちになりながら、空木はコホンとひとつ咳払いをしてダガーナイフの構えを解いた。
「いや、そうは言いますがな、妖精さん。私は生前に武道どころかスポーツすら嗜んだ覚えもありません。剣も槍も触れたこともないですし、正直このような武器を持たされても、昨日のような豚を退けられるとは思えないのじゃがのう」
「あ、それ私も思いました。それに、昨日見たのは動物の様なモンスターでしたけど、多分この場所を離れたら巨人とかドラゴンとか、そんな強大なモンスターが出てくるんじゃないですか? そうなった場合、私たちが剣やこん棒を手にしたところで太刀打ちなんてできないと思うんですが……」
昨日いろいろと想像した魔法の武器じゃなかった不満もあってか、少しだけふくれっ面の空木が反論し、それに同調するかのように鉛筆みたいな投擲槍を手にした薄氷も声を重ねてくる。
事実その通りである。まずそもそもにおいて、野獣相手に素人が打ち物で戦えということ自体に無理がある。
現実世界でも、野生の猪でも仕留めるには散弾銃を使うし、それでも仕留め切れずに返り討ちにあうケースなんて山ほどあるほどだ。
この世界にどんなモンスターがいるのかは不明だが、例えば象並みの体躯を誇るライオンが目の前にいたとして、剣やら斧やらをポイと渡されてさあ戦って来い……などと言われても絶望以外の何物でもない。
一方で妖精にとってもその疑問は尤もだったようで、うんうん分かる分かると言わんばかりに肯いている。
「まあ分からんでもないね。兄ちゃんの言った通り、化け物みたいなモンスターが跋扈してる土地なんて数え切れないほどある。でも、案外そうでもないんだ、この世界においてはね。実のところ、昨日出会ったっていう豚……『ハニービュート』だって、ここにある装備で身を固めて挑めば、爺さん一人でも真正面から戦って倒すことだって可能なのサ」
「あの硬そうな豚を? まさか、冗談でしょう。私は武道どころか運動すら碌にできない木偶の棒ですし、青年期の肉体ならまだしも、今はご覧の通りの童姿じゃ。罠を張るとか技巧を凝らすならまだしも、真っ向から戦って退けられる気など微塵もしませんわい」
「そう思うだろ? でも実際そうなんだよ。さて、ちょっと遠回りしたがこれで本題に入れるね」
「ん? 本題?」
「そ、本題。今日ここに来てもらったのは別に武器をあんたらにプレゼントするためだけじゃない。お話も聞いてもらわなくちゃ、今日のこの場を拵えた意味がないのよ。……と、いうわけでご清聴願いましょうか。この『イマーゴ』という世界の常識について!」
妖精の大仰そうに諸手を掲げて喝采を受ける演説者の様なジェスチャーをする。ひゅーひゅーとぱちぱちと自分で口に出しているところがまったく様になってない。
一先ず空木は適当に崩れた天板に腰かけて話を聞く体勢を作る。ダガーナイフは、とりあえず手のひらで遊ばせておくには危ないので、すぐそばの地面に突き立てておいた。
一方で薄氷は槍を元の場所にたてかけて、空いた両手で控えめに拍手をしている。分岐世界でもそうだったが、案外ノリの良い性格なのかもしれない。
「ではでは、コホン……。まずこの世界については予め分かってもらえていると思う。この世界は剣と魔法のファンタジー世界を元に創られた、アトラクション要素の強い世界だ。架空の生き物をベースにした、所謂モンスターもこの世界では当たり前のように生息してる」
「うむ。あの鎧豚もそのモンスターの一種という話じゃったな。私としては動物の変種くらいにしか思わなかったが」
「ま、モンスターと動物の区別はどうでもいいんだよ。本題はこの世界は現実と比べ物にならないくらいの危険生物が犇めいてるってことだ。そんな中、人はどうやって生き抜いていく? ここに降り立った人は、モンスターに食い殺されるまでのスコアを競いに来てるのか? そんな訳がない。この世界はね、基本的に人が人を超えられるように創られているのサ」
「人が人を……? 抽象的すぎてよく分かりませんな。人は怪物になれるとかそういう意味ですかの?」
「んー……。そういう意味もあるが、オイラが意図して言ってることはそういうことじゃない。そうさな……。じゃあ坊主、ちょいとこっちに来てくれるか?」
「分かりました。あぁ、あとどのタイミングでいうか失しておったが、私は見た目こそこうですが、中身は立派な老いぼれじゃ。ちなみにあなたが『兄ちゃん』と呼んでおる方は立派なお嬢さんですぞ」
「そうなん? じゃあ坊主改め爺さん。ちょっとこっちに来な。あぁ、それと嬢ちゃんの方はすまなかったね」
「あ、いえ……」
大して驚きもせず、訂正をする妖精。やはりアバターを変える程度珍しくもないということなのか。
呼び方なんて瑣末なことだと言う風に妖精は空木の言葉を軽くいなし、瓦礫が片づけられた一画へと空木を手招きして呼びよせた。そして訝しげな表情の空木に一言、「ここでバク転してみ」とだけ言った。
当然空木は困惑する。
「いやいや、待ってくだされ。先の私の話を聞いてなかったのですか? 私は武道やスポーツのそれに触れたことが全くないと。それに私の今の格好ではとても飛んだり跳ねたりするのには――」
「分かってるよ、それくらい。ひらひらの和装を身に纏った運動音痴の爺さんあたりが、この世界の恩恵を実感するのに丁度いいと思ったから、あえてこう言ってんのサ。さ、思いっきりやってみな。後ろで宙返りするようなイメージで飛ぶんだぞ?」
話が通じない。助けを求めるように薄氷の方を見ると、両手に握りこぶしを作った薄氷が頑張ってくださいと健気な応援をしてくれてる真っ最中だった。
ええいままよ。道が絶たれたと悟った空木は、自棄になって身体を後ろに仰け反らせるようにして跳ぶ。
どうせ失敗しても死にはしない。むしろうまい具合に怪我をすれば、もう茶番に付き合わされなくて済むかもしれない。
半分打算ありで跳んだ、生存死後合わせて初めてのバク転だったが――驚いたことに空木の身体は空中で自然にくるりと一回転し、足元から綺麗に着地することができたのだ。
跳べた。バク転どころか前転逆立ち何一つ運動特技がなかった空木があっさりと華麗なバク転を決めたのだ。
その様子に妖精は満足そうに頷いて、薄氷は「お見事です」と、深く感服している。
一方で当の本人である空木は、一体何が起きたのか未だ把握できず目を白黒させている。
「お見事お見事。さぁどうだい? 運動音痴と思っていた自分が華麗にアクロバットを決めたことについては。驚いたろ?」
「いや……確かに驚きましたの。身体が軽いと言うか、これがその……この世界が人を超えられるように創られたという――?」
未だ自分がバク転できたことが信じられないという体の空木は、額から流れてくる冷や汗を羽織の袖でごしごしと拭いつつ、振り絞るようにそう言った。
その言葉にさもありなんと妖精は肯くと、とりあえず空木に近くのテーブルの上にでも腰を掛けるよう言って、詳しい話を語りだした。
「御覧の通りだ。この世界は基本的に人間の運動能力に強力な補正が掛かってある。人が物理法則を超えた動きが出来るようにな。この世界で鍛えていけば、3m近い高さまで飛び上がったり、5m近い距離を一瞬で駆け抜けたりだってできるようになるのサ」
マ○オだろうか。
「それに別に動きだけじゃない。今は普通の肉体だけど、この世界でひたすら鍛えれば、岩をワンパンで砕けるくらいの膂力だとか、100mの崖から転がり落ちてもかすり傷で済むような鋼の肉体だとかを得ることだってできるんだぜ!」
話す内容に力がこもっている。まるで深夜にやっている通販番組で新商品の家電を紹介するどこぞの社員の様だ。
あまりに熱心に話すものだから、初めてのバク転を成功させた興奮も相まって、空木はその熱気にあてられてしまう。
「要は映画のようなアクションができるようになると? つまりそれは……例えば、殺陣のような真似ごとだって……?」
「あったりまえよ! 極悪非道の悪漢どもの中に踊りこみ、成敗いたすぞ覚悟しろと一声上げて、バッサバッサと切り捨てていく。そんなアクションシーンも現実にやれるようになれるのサ! いや、それどころじゃないな。カトゥーン独特の『必殺技』だって実現することが可能なのよ。すごいやろ?」
何故最後関西弁になったのかは知らないが確かにすごい。
空木はゲームこそ縁がなかったが、漫画やアニメには普通の人と同じ程度には嗜んでいた。ふと空木の脳内に、必殺技を再現しようと友達とじゃれあってた記憶がよみがえる。
「確かに……。実際にやるかは知りませんが、『実際に出来る』と言われたら心躍らざるを得ないですのう。いや、驚いた。バク転もそうですが、超人的アクションが可能なら確かに多少の事は対処できそうな気がしてきましたぞ」
らしくもなく空木は妖精の説明を目を輝かせてながら聞いていた。やはり空木も男。再現してみたい必殺技なんてごまんとある。
魔法の武器の夢は潰えたが、必殺技ができるのなら話は別だ。ただ、ええかっこしいの空木が薄氷と言う人目がある所で、必殺技だのを使えるかどうかは別問題だが。
そんな中、その様子を仏頂面で静かに見つめていた薄氷がボソリと呟く様に言った。
「……ですがそれって、逆を言えばこれくらい露骨なまでに身体能力を上げなきゃ、この世界では生きていけないっていうことにはなりませんか?」
その声に空木がピタリと固まる。
考えてみればそうだ。先ほども言っていたが、ここは冒険を楽しむために作られた世界。何日生き残れたかのスコアを競う生存競争の世界ではないが、同時に、無敵の存在が世界を荒らすような無双の世界でもないということなのだ。
ここは剣と魔法の世界。冒険がメインのこの世界で、敵との力量差が露骨なまでに離れていいわけがなかったのだ。
薄氷の質問を聞いた妖精は、先ほどまでのテンションとは打って変わって、少しばつの悪そうな顔で答える。
「ん……。それはまぁ、確かにね。血沸く冒険をしたいって層へ向けて、洒落にならないくらいの化け物もところどころに配置してあったし、極めつけは敵役の御大将として、『魔王』っつーラスボスも創ったからな。正直、生き残りたきゃ手を出すなってレベルのモンスターが存在することも確かだ」
頬をポリポリ掻きながらそう白状した妖精は目が泳いでいる。どうやらモンスター事情を言わなかったのは確信的だったようだ。
空木は少し非難がましい目で妖精を見て、その視線に気づいた妖精は慌てて弁明をした。
「あー、でもそういった類の化け物の大半はすでにこの世界の冒険者どもに狩りつくされてるし、魔王に至っては既に封印されているから、まあ心配無用だよ。第一ここら辺には雑魚しか生息していないしな。自衛手段が欲しいって言ってたお前らにとっちゃ別に遠い国の話なんて今は何の懸念事項にもならないだろ?」
「まあ、確かに私らとしてはここ一帯のモンスターを退けられる程度の力があれば十分ですが……」
なんだか誤魔化された気がしてならない。
今のままでは手に負えないモンスターが山ほどいると言うことは、それを狩る技量をもった人物も相当数いるということだから、まったく無関係という訳ではないはずなのだが……。
「それに殴り合うだけがお前らに与えられた力じゃない。化け物相手に膂力だけじゃ心許ないってことは運営側も分かってる。だからお前らにはもう一つ特別な能力が授けられているのサ」
「特別な能力?」
「そ。まあ見てな。今度はオイラが実演してやんよ」
そう言って突然、妖精は武器の山からプッシュダガーを取り出すと、自身の胴体と同じくらいあるそれを、力いっぱい空へと放り投げる。
しかしそれでも小人の膂力。ほんの少し浮きあがっただけで、プッシュダガーはそのまま重力に従って地面へと落ちていった……と、思われた。しかし突如妖精が指を鳴らしたかと思うと、地面へとまっさかさまに落ちていったハズのプッシュダガーが、急に空中で糊で張り付けたかのようにピタリと止まった。
そしてそのまま時間を止めたかのように空中に静止したダガーに向けて、今度は糸人形を操るかのように指をピコピコ操りはじめると、プッシュダガーはそのまま虚空へと踊りだし、右へ左へ空中をふわふわと漂いだしたのだ。
手品か? と目を丸くする二人に、妖精は少し誇らしげな笑みを向ける。
そして急に手のひらをくるりと曲げるような動作をすると、プッシュダガーがピタリと空中に泊まり、青白く光り出してぶるぶると震え始めた。
ここで妖精は目を閉じて呪文のようなものを唱え始める。
ボソボソしている上に小声でかなり聞き取りづらかったが、『天秤』だの『丸い巨岩』だのを呟いていることだけは分かった。だからといって、それがどういう意味かは知る由もないが。
だが一方で空中に固定されたプッシュダガーは、妖精の祝詞と同調するかのように震えを強めていき、やがてその刃が振動で戦慄く音が聞こえ始めるほど振動が強まったその瞬間、妖精は自らの手のひらに握りこぶしを叩きつけた。すると空中で震えていたダガーが急に枷を外されたかの如く、かなりのスピードで地面へと落下していき、鈍い音を立てて硬い石畳の上に突き刺さった。
ダガーの刃は金属製だろうが、いくらなんでも落としただけで石畳を割ることはできない。一体どういう原理なのだろうか。
その一部始終を見てあんぐりと口を開けて固まってる空木と、切れ長の目を少しだけ丸くして手をパチパチと叩く薄氷に向けて、妖精はドヤ顔のまま向き直る。
「御覧の通り、この世界には『魔法』というものがあるんだ。まあ魔法も体系付けられてる学問だから、習得にはそれなりの勉学と修行が必要なんだけど、それでも魔法による恩恵は絶大だ。極めるところまで究めれば、現実の兵器――まあオイラは今現実がどれくらい進歩してるかは正確にはわかんないけど――なんて目じゃないくらいの強力な攻撃だって放てるようになるんだ。どうだ? なかなか心躍るだろ」
途中から薄々察していたが、改めて今のが『魔法』だと聞かされれば、空木としても深い関心を持たざるを得ない。
考えれば確かに両手に乗るくらいの体躯の妖精が、どうやってあの量の武具を運んだのかなかなか疑問だったが、魔法を使ったのならば納得できる。
その魔法とやらがどれくらいの利便性を持っているかは未知数だが、確かに魔法があるならば、肉弾戦では敵わない強力なモンスター相手にも、色々対処のしようがあるだろう。
あくまで妖精の話を信じればだが。
「魔法だなんてすごいです。今のはどういった魔法なんです? 私たちにもできますか?」
魔法には薄氷も興味をひかれたのか、いつもの仏頂面を少しだけ和らげて、妖精に期待のこもった視線を送る。
身体能力の強化を知った時の空木のような反応だ。
「へへへ、気に入ってもらえたかな? オイラがいま実演したのは『物体操作の魔法』と『加重の魔法』だ。どっちもオイラの開発したオリジナルスペルだよ。まあ教えてあげるのも吝かではないけど……初心者にはちょいと難易度が高いから今すぐには使えないだろうね」
「なんじゃ。魔法なんて魔力だかを込めて呪文を唱えればできるようなものじゃないのですか」
「だから学問として体系化されてるって言ったじゃん。この世界では基本的に魔法は数年かけて理論を学んだ後、後は自分で開発していくものなのサ。まあここら辺の内容を細かく語ってると長くなるからなまた別に話すよ。まあ四大元素の基礎魔法くらいなら、いずれ教えてやれるかもね」
「まあ、後天的にそのような魔法が学べるのなら、何とかなりましょうが……。しかし習得にそれだけ時間がかかるのなら今すぐどうこうは無理でしょうな」
「そうだね。でも一つでも魔法を修めれば、戦略の幅が驚くほど広がる。それに魔法ってのは何も人が扱うものだけが全てじゃない」
「と、言うと?」
「この世界には現代科学なんて目じゃないってくらいの魔道具がわんさか存在してるってことサ。服用すれば傷をたちまち治す飲み薬から、一振りで大地を割る剣までよりどりみどりサ。爺さんが昨日ニヤニヤしながら妄想してたであろう魔法の武器も現実この世界に存在するってことよ」
バレてた。図星をつかれて空木の白い頬が少し紅く染まる。
「でも魔法の剣や治癒薬があるなんて、事前に冒険メインだとは聞いていましたが、まるでゲームそのものの世界みたいですね」
「あぁ、まあ開発途中から何故か方向性がアクション方面に偏っていったからね。ぶっちゃけ『剣と魔法のファンタジー世界』と考えるより、『ゲームの世界』で考えていった方がわかりやすいだろうサ、うん。その認識はあってるよ。ここはゲームの世界だわ」
随分いい加減な世界観である。しかしゲームか……、と空木は小さく心の中で呟く。
ゲームの世界と言われて、空木はかつて自分が剣を持ち、知恵を絞り、勇気を奮って世界を救った幻想の世界と心躍ったあの日々を思い出していた。
あの頃は幾度となく自分が勇者になる夢をみた。剣を片手に悪竜へと立ち向かう、そんな夢。
朝に目が覚めれば落ち込むほどで、一時期は夢の続きを見るために布団に入ることが一日の中で一番の楽しみとなっていた記憶がある。
それなのに、あの楽しかった幸せな夢をまったく見なくなってしまったのは、一体いつの頃からだろうか。ゲームを捨てたあの日からか、中学に入り少し大人になったあの日からか、読書の世界にのめり込んでいったあの日からか。
空木は、いつの間にか冷めていた何かが心の中で熱を帯び始めるのを感じた。
この世界では、あの日夢見た出来事をすべて現実にすることができるのだ。ここでなら、またあの夢をもう一度見られるだろうか。
「と・に・か・く・だ!」
妖精の大声にハッと我に返った空木は、テーブルからずり落ちそうになっていた姿勢を慌てて正す。
「この世界には人が強くなれる要素がこれでもかというくらいに詰め込まれている。だから実質お前らが――……えっと、少なくともここら辺のモンスター相手に恐れを抱く必要性は何一つないんだ。それをまずハッキリ自覚しといてくれ。いちいちモンスターと対峙するごとに竦み上がってちゃあ自衛云々以前の問題だからな。ここまではいいか?」
「え、ええ。少なくとも身体能力が上がっているということは。自分で実感したので、疑う余地はないですな。魔法の方は知りませんが」
「私も一応は自衛くらいは大丈夫かなと説明を聞いて思いました。まだ自分でどれくらいできるのか試してないので、実感はないですけでど」
「うんうん。まあ今は最低限、頭で理解してもらえればいいサ。口頭だけじゃあ伝えられるものにも限度があるからね。それじゃあちょっとお試しにちょっと運動でもしてみよっか」
運動? そう空木らが聞く前に、妖精はすでに動き出していた。
唐突に地面に降り立つと、そのまま地面に両手を押し付けて、ぶつぶつと何事かを呟き始める。すると妖精の周りの風が逆巻立ち始め、地面から仄かに光る魔方陣が出現した。
妖精の呟き声に反応するように魔方陣の光は増していき、日陰の中とは思えないほどに光が強さを増した時、魔方陣の中央から長方形の光の塊がせせり出てきた。
二人がこれが魔法の一種だと気付いた頃には妖精はすでに詠唱を終えていて、人の背丈ほどある光の塊の上にストンと腰を下ろしていた。
「今からオイラがこの魔方陣からモンスターを召喚するよ。そいつら相手に、いま自分らがどれだけ強くなってるか実際に体験してみよー」
「えっ?」
「はい?」
思わず聞き返す空木と薄氷。なんか目の前の妖精が突然とんでもないことを言っていなかったか。
聞き間違いを願う二人であったが、返ってきた答えは無情なものだった。
「だからモンスター召喚するから準備しろって言ってんの」
「あぁ、逃げる準備をしろと。確かに今なら脱兎のごとく逃げられそうですな、うん」
「いや、戦う準備。とりあえず今のうちに武器構えときな。モンスターが出てきて慌てて武器を取ろうとすると、怪我することがあるからな」
「怪我が怖いならモンスター召喚止めにするのはどうでしょうか?」
「もう半分以上出かかってるから無理」
あまりに唐突な展開である。この世界の常識やら風俗やらの説明ではなかったのか。
空木は慌ててテーブルから立ちあがると、地面に突き立てていたダガーを掴み取り、腰を低くして臨戦態勢を作る。薄氷の方も先ほどの短槍を手に堅く握りしめながら、注意深く光の柱を凝視していた。
「慌てない慌てない。さっき理解したはずだろ? 少なくともここらのモンスターはお前らにとって致命的な脅威にはなりえないって。ま、大抵モンスターと戦闘になるのは遭遇戦だ。心構えをする後だろうが前だろうが、モンスターは待っちゃくれなんだから、今はその練習だと思って。リラックスリラックス」
「敵キャラをけしかけてリラックスしろとは無茶言いなさる……」
「そら、無駄話はここまでだ。モンスターが出てくるよー!」
見ると、長方形だった光の塊は既にぐにぐにと粘土のように変形を始めていた。
それがやがて子供ほどの大きさの実を束ねて房にした寸胴のブドウのような奇妙なシルエットになったかと思うと、その実が次々と地面に転がり落ちてゆく。
やがて転がり落ちた実のひとつひとつの光の殻がパリパリと剥がれ落ちていき、その様子はまるで巨大な卵が孵化していくようだった。
剥がれ落ちた光の殻の中からどんな怪物が出てくるか、息を呑んで見守る空木と薄氷。自然と武器を握る力も強くなる。
そんな張りつめた緊張感の中、殻の中から現れたのは―――空木らが想像していた怪物ではなく、大小様々なブヨブヨした水の塊みたいなものだった。
「……? なんじゃこれは。巨大寒天ですかの? ……いや、それはともかくモンスターはどこじゃ? もしかして召喚に失敗したのかの?」
「一見そうですけど……。あ、でも待ってください。よく見たら動いてます。もしかしてこれがモンスターなんじゃ……」
薄氷の言葉通り、良く目を凝らして見ると、水の塊の方はプルプル震えながら、ナメクジと同じ速さでじわじわ地面を這っている。どうやら生きているようだ。
しかし空木らが思ったものとはだいぶ違う。てっきり昨日のような鎧豚のような生物が現れるのかと思ったのに、実際は大小様々な水の塊である。拍子抜けするの頷けよう。
思わず武器を構えるのも忘れて目を白黒させる二人だったが、その頭上から声が掛かる。
「おーい、何ボーッとしてんのサ。そいつらはお嬢ちゃんの言うとおりそいつはモンスターだ。『スライム』って聞いたことないか? ほら、いろんなゲームで出てくるゲル状の生き物だよ。お二人も名前くらいは知ってるんじゃないの?」
妖精の説明を聞いて再び対象に視線を戻す。
スライムと呼ばれる魔物はJPRG含め色々なゲームやファンタジー小説で出てくる液体生物で、空木や薄氷も名前くらいは知っていた。
確かに目の前のソレは、空木らの知っているスライムと同じ姿をしている。
作品によって強さはまちまちだが、少なくとも目の前にいるスライムはとてもじゃないが強そうには見えない。これで酸でも吐いてくるというのなら話は別だが、そのような気配はまったくない。
「二人ともこれが初戦だろ?とりあえずそいつらと戦ってみなよ。奴らの中心に『スライムボール』っていう寒天状のコアがあるから、それを体外に出すか壊すかすれば倒せるからサ。ほーら、頑張れー」
妖精に発破を掛けられて、空木は慌てて崩しかけていた構えを立て直す。
確かに脅威には見えないが、それでも油断は禁物だ。思わぬ反撃手段があるかもしれないし、モンスターの名を冠する以上、鼻歌交じりで対峙できるような相手でもあるまい。
「それじゃあ……ちょっと気合入れてやってみますかの」
空木はさっと羽織の袖を上腕まで捲くり上げると、その露わになったあまりに華奢な細腕の上からしっかりと帯を締めて、袖がずり落ちないように固定した。
そしてそのままサッカーボール大のスライムに向き直り、手にしたダガーを両手で深く握りしめ、ぐっと腰を深く沈めて、対する相手を睨みつける。
相も変わらずぷにぷにしているだけで、何ら害意は感じられない。
しかしいくら目の前のモンスターが弱そうとはいえ、いざ真剣に対峙してみると自ずと緊張してしまうものだ。
なんせ生前死後合わせての初めての命のやり取り。緊張からか、それとも好奇心からか、高まる鼓動に合わせて空木の呼吸も少しずつ粗くなる。
反撃を食らわないだろうか。近づいたら飛びかかってきやしないだろうか。
急に湧いてきたそんな不安に駆られてか、口の中はカラカラに乾き、額には汗が浮かんでいる。
だがいつまでもここで突っ立ってる訳にもいかない。攻撃する決意を固め、不安を飲み込むように空木がありもしない唾をゴクリと嚥下したその時。急に空木の頭の中に、聞き覚えのある誰かの声が響いた。
――まったく、たかだか動くだけの大型ゼリーを相手になにをここまで緊張しているのかね、キミは。
――そもそもキミはそんなキャラじゃないだろう?
――必殺技も考えているんだろう? 恥ずかしがらずに試してみればいいじゃないか。
途端、空木は頭から冷や水をかけられたかのように一瞬にして冷静になった。
緊張でガチガチになった身体をほぐすかのように上半身を弛緩させ、その場で二、三回ほどびょんぴょんとジャンプをする。
ほんの短時間臨戦態勢をとっただけなのに、足元の筋肉がキシキシと悲鳴を上げるのが分かった。どうやら無意識のうちに相当力んでしまっていたようだ。
「私らしくない、か……。それもそうじゃな。私らしくいくかの」
空木は頭に響いた言葉に返事をするかのようにそう呟くと、その次の瞬間に、溜めに溜めた脚のバネを開放してスライムへと一直線に特攻していった。
弾丸のごとく全身を弾き飛ばし、そしてスライムと自分の身体が擦れ違った瞬間、ダガーでスライムを一閃する。
速攻のヒットアンドアウェイだ。
そしてそのまま勢いをつけ過ぎた空木は、少し足を縺れさせながらも再び身体をスライムへと向けて臨戦態勢を作ってスライムの様子を伺った。
「攻撃はした。さぁ、どう出てくる――?」
反撃がくるか、逆上して見境なく暴れ出すか、はたまた何事もなく自己再生でも始めるか。
もし前半二つだと非常に危険だ。そう考え、警戒心もたっぷりにダメージを与えたスライムの出方を伺う空木であったが、一方で見事に横一文字に切り裂かれたスライムは一瞬大きく震えたかと思うと、あっという間に全身が水になって消えてしまった。
あれ、と目を点にする空木。もしかしてこれで終わりなのだろうか。しかしあまりにも呆気ない。
横目で薄氷の方を見てみると、彼女もちょうどスライムを打ち倒した所だったらしく、辺りに水を撒き散らしたかのように湿っている地面から、ゆっくりとジャベリンを引き抜いている最中だった。
そんな薄氷もあまりの呆気なさに少し困惑しているようで、これで良かったのかなと困り顔で佇んでいる。
「いやお見事お二人とも! 爺さんもお嬢ちゃんも初めてにしてはスジが良いね。てっきりへっぴり腰で遠くからツンツンと突くくらいかなぁ、と思ってたんだけどね。いや偉い! 勇気を出しての特攻、すごく格好良かったよー!」
背後から称賛の言葉と乾いた拍手の音が響く。どうやらスライムとやらはアレで倒せているらしい。
仮にもモンスターと呼ばれる怪物を無事倒せた喜び反面、空木は少しだけもやもやした不満を抱いた。
危険生物を差し向けられるよりかは遥かにマシではあるが、流石に動く寒天程度のものを潰してよしよしと褒められている今の状況は、何だか馬鹿にされているような気がしてならない。
「いや、褒めてくださりありがたいのですがの。これはちと生易しすぎやしませんか? これじゃあ雑草を刈るのとさして変わりませんわい」
「おや、なんだい? 爺さんは血沸き肉踊る戦いを所望してたのかな? でもお生憎。初戦でそれなりのモンスターを出して戦闘に対してトラウマを持たれるより、スライムみたいな『ふざけてんのか』ってレベルのモンスターを相手にさせた方が何百倍もマシなのサ」
「それは分からんでもないが……。実際私も最初はかなり怖気づきましたし、反論はできんのう」
「まあオイラもあんたらの言わんとしてることは理解できるよ。事実、ここらに生息するやつら以下のモンスターを幾ら戦わせても、何一つ現状の解決にはならないからね。でも、もう少し骨のある奴らと戦わせるのは、あんたらが武器を振るうのに慣れてからサ。そこは承知していてもらいたいね」
確かに生前殴り合いの喧嘩すらしてこなかった空木に対して、武器を持っての戦闘はかなりハードルが高かったことは事実だ。
空木の隣で静かに話を聞いている薄氷も、そのなりや立ち振る舞いを見るに、争いとは無縁の人生だったはずである。
そんな二人が初戦で血にまみれながら勝利をもぎ取るような戦いを強いられたら、戦闘に強いトラウマでも覚えて、残り人生全てをこの建物内に引き籠って過ごすことに決めたかもしれない。
安全を考慮してこちらに気を使ってくれる分、それはそれでありがたい話なのだ。
「まぁいいですわい。ほとんど案山子でしたが、モンスター相手にできる程度の運動能力を身につけていることは……まぁ自覚できましたのでの」
「私は走りまわってませんが……。えぇ、でも確かに槍を投げた時、肩が強くなっているように感じました。ほんの気持ち程度ですが」
二人の返事を聞いて、妖精は大変満足そうに頷く。
「まあお嬢ちゃんはその認識でいいサ。元から身体能力の高い人にはイマイチ分かりにくいからね。でも今はその程度でも、鍛えれば鍛えるほど身体能力は目に見えて強化されていく。いずれお嬢ちゃんにも分かるようになるよ。あぁ、でも当然鍛錬せず怠けてたらどんどん退化するけどな」
「そこらへんも現実と同じようなものですな。では、講義の続きに戻りましょうか」
そう言ってダガーを傍らに置く空木。薄氷もふぅと短く息をつくと、ジャベリンを崩れたテーブルの亀裂に挟み込むようにして立て掛けた。二人とも、完全に事は終わったとリラックスしている。
しかし一方で、一向に講義は再開されず、当の妖精は何故か困ったかのように額に皺を寄せて黙り込んでいるだけであった。
その様子を見て、空木と薄氷は顔を見合わせあう。何やら様子が変だ。何か不具合でも起きたのだろうか。
「あの、一体どうかしたのですかな? まさか次に何を話すかを忘れてしまったとか――」
代表して空木が妖精に尋ねる。
妖精はちょっと気恥ずかしそうに頬を掻くと、申し訳なさそうに笑った。
「いやね。調子乗りすぎた」
「はい?」
言葉の意図が見えてこない。
「だからね。ついつい召喚に力をいれすぎちまったの。久しぶりすぎて」
妖精はそう言うと、クイと顎で後ろを見るよう促した。空木らは怪訝な顔のまま後ろをみて、そして理解する。
空木の後ろでは、巨大ブドウのような形をしたあの光のオブジェクトが、スライムを生み出した光の卵を次々と地面に落としていた。
既に光の卵のうちの何個かは殻が破れており、そこらじゅうに子供大の水の塊がぷるぷると這いずりまわっている。
「アレが講義中にうろついても害はないだろうけど、まあ鬱陶しいからサ。練習相手が増えたと思って全部片付けちゃってよ」
返事代わりに深いため息をつくと、空木は苦笑をしながらダガーに、薄氷はいつもと同じ仏頂面でジャベリンに、それぞれそっと手を伸ばした。
そしてゆっくりとスライムの群れに足を進めていく。その足取りにもはや恐れなどない。
結局その日、二人して100匹近いスライムを片づけるハメになり、その作業は日が暮れるまで続いた。
【設定用語集】 スライム Slime
アメーバ状のどろどろとした身体を持つ液体生物の総称。
モンスターに分類されているが、実は森や山など自然界の魔素保全システムで、厳密には生き物ではない。
力をもった霊樹や聖域が魔力を持って作り出した『スライムボール』というコアを中心に、液状の物質が纏わりついて生まれたのがスライムである。
スライムは液状の身体で無作為にあたりを這いずりまわり、落ち葉や小さな虫、獣の死骸などを身体に取り込み、長い時間を掛けて消化する。
消化する際に出た栄養分やマナはスライムの身体に蓄積され、一定量マナや養分が身体に溜まると、地面に染み込むように消えてゆき、その土地へと溜まった分の養分とマナを引き渡す。
その栄養を元に植物が育ち、渡したマナを元に新たなスライムボールを作りだす。このサイクルによって、この世界の自然は栄華を極めているのだ。
スライムボールに込められている魔力が多いほど、身に纏える液体の種類も量も増えていき、豊かすぎる土地では人間を丸のみできるくらいの大型のスライムがうようよしている。
逆を言えば、そういったスライムが多く生息するほど、その土地は豊かだという指標にもなるので、一部地域ではスライムを崇める土地も存在するようだ。
しかし一方で強すぎる魔力で創られたスライムボールは、地域によってはとんでもない液体を身に纏うようになる。
溶岩を身に纏ったラヴァスライム、強酸を身に纏ったアシッドスライムといったものから、戦場で生み出される血を纏ったブラッドキューブ、錬金術師や魔法使いの住んでいた地域から稀に出てくる、謎の劇薬を纏ったポイズンバブルなど、洒落にならないスライムまで数多く存在している。
そういったスライムは、最早その身体に養分やマナを貯め込むことはできず、やがて飢えた獣のように、命あるものを溶かして栄養を貯めこまんと積極的に襲いかかってくるようになる。
しかしそういったスライムを形作れるほどの強力なスライムボールは、魔術の触媒や錬金術の材料になる上に、スライムはその出自上、生み出された土地にある植物や動物などには興味を示さないので、そんなスライムが生み出されたからと言っても自然界的には何のダメージもない。
詰まる話、どう足掻いてもスライムが有益であることは変わりないのだ。