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Haven Odyssey  作者: 荒城間左衛門
第一章 旅の始まり 第1ポータルにて
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2話 森に眠る人 中編

「ああ、クソ! どこだ? どこに穴がある?! オイラの知らないバックドアなんて今さらないだろうし」


「おーい。仕事中なのかすいませんが、私らの連絡を先にしてはくれませんかね?」


「1098裏コード……も、返答なし。もしかして別ポータルからか? いや、でも……」


「聴こえてないようですの」


「そのようですね」


 先ほどからこの小さな妖精(仮)は一心不乱に空中に投影されたキーボードを叩いている。

 先ほどと比べてスクリーンからの光で随分明るくなった部屋で、空木と薄氷は途方に暮れていた。

 というのも、先ほどからスクリーンと睨めっこをしている彼は、どうやら救援を呼んでいる訳でも空木らを元の世界(メタバース)へと送り返す手続きをしているわけでもなさそうなのだ。

 ただ独り言の内容から、自分たちがこの世界に飛ばされたトラブルらしきものに対処していることは察することができた。できたのだが――話を聞いてくれない。

 できるだけ早く助けてほしい、という頼みも聞き流され、さきほど事情を説明した時から、ただただ狂ったようにキーボードを叩き続けている。


 どうしてこうなったのだろう。

 空木は深くため息をつきながら、先ほどまでのやり取りを思い出していた。




◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆




「あんたら、顔つきからしてここら辺の者じゃねぇな? 東の……皇国あたりの連中か? にしては変な恰好してんなあ……。チビすけ。お前、祈祷師か何かか?」


 妖精は大きなあくび一つして、気だるそうにふわふわと辺りを飛び回っている。

 妖精は飛んだ軌道にきらきらした鱗粉のようなものを残し、それは今一筋の光の帯となって、空木らを取り囲むようにして漂っている。

 しばらくの間、目を丸くしたまま体を棒にしていた空木と薄氷であったが、なかなか質問に答えない空木達に痺れを切らした妖精が、「おい聞いてるのか」と大声をあげたところで我に返った。


 そうだ。考えてみればここはバーチャルの世界だ。

 ここがどこの世界なのか分からないが、ここが妖精の登場するファンタジー小説をテーマにした『空想物語』の世界だとすると、別にこの世界に妖精がいても何もおかしくない。

 そう考えれば目の前の神秘的な生き物にも平常心で対応できそうだ。

 空木はオホンと軽く咳払いをして、目の前で偉そうに腰に手を当ててふわふわと浮かんでいる妖精へと目を向けた。


「あ、あぁ……。いや、失礼。ちょっとこの部屋の機械を誤って弄ってしまいましてな。起こしてしまったのなら申し訳ない。謝りますよ」


 できればこの世界(メタバース)の住人とは諍い事は起こしたくなかったのだが、こうなってしまっては仕方ない。

 適当にあしらって、トラブルを起こす前に早々に退散させてもらうのが吉であろう。

 そう思って空木は腰を低くして謝った。


「ふぅん? まぁいいけどサ。ていうかお前らどうやってここへ入ったんだ? あの扉はこの世界の住人には開けられない仕組みになってるハズなんだけどよ」


 この『世界の住人』と聞いて思わず顔を見合わせる二人。

 多重世界がある世界観なのだろうか。SFなのかファンタジーなのか分からない世界である。


「あの扉とは……ホールにあった金属製の扉のことですかな? あの扉でしたら、手を触れただけで自動的に開いたと記憶してるのじゃが」


「え? そうなの? おっかしいなぁ。壊れてんのかな?」


 そう言って気だるそうに片手を頭の後ろに添えながら、もう片方の手で淡い光を放つキーボードを素早く叩いた。

 直後、虚空に現れた投影スクリーンにグラフだか数値だかが表示され、妖精はそれをまだ眠そうな半目の状態で軽く流す様に眺めた。


「……過去数十年に亘ってエラーなし。他出入り口も異常なし。どっこも壊れてないじゃん。お前ら……」


 虚空で胡坐に片肘をつきながら、半目だった瞳をギョロリと見開いて空木らを睨みつける。


「ここはあの出入り口の他は完全に閉鎖して開かないようになっている。壁は壊せない素材で作ってあるし、窓も原住民(おまえら)みたいなのが勝手に入れないようにする魔法をかけてある。となればお前ら……一体全体どうやってここへ侵入したんだ?」


 随分と穏やかではない雰囲気である。

 この世界(メタバース)の設定は何一つ知らないので、この世界のルールや法律、事情は何一つわからない。もしかして、一般人が入ってはいけない重要な施設だったのだろうか。

 どうせスタッフが来たら、すぐにこの世界からもおさらばできるだろうから、それまでの間に多少の言い争いをするくらいなら覚悟できるが、不審者としてこの世界の原住民に拘束されたり不当な待遇を受けるのは御免被りたい。


 幸い目の前の小さな妖精は暴力沙汰にはするつもりはない――尤も、いくら今の空木が幼い頃の身体に戻ってるとはいえ、手のひら程度の大きさの妖精くらい余裕で抑え込めるだろうが――らしく、先ほどからじっとこちらに鋭い目線を向けて発言を待ってるだけだ。

 詰まる話、話し合いの場を設けてはくれているのだ。その点に関しては重畳であった。


 しかしだからといって「この世界は我々の世界で創られた架空の世界であり、我々はその上位世界から来ました」などと言えるはずもない。

 まともにとり合ってもらえないどころか、下手すれば格子付きの病院へと叩きこまれるのが目に見えているからだ。

 かといって嘘を言ったらバレた時が怖い。ではどう説明すべきかと空木が頭を悩ませていると、不意に後ろから薄氷の声が聞こえた。


「わ、私たちは事故でここに転送されてきたんです。救援もなかなか来ないので、自分たちだけで出来るることはないかと、ここを探索してただけなんです。そうしたら何かの拍子に扉が開いてしまって……別に特別な意図があってここへと来たわけではありません」


 後ろを見ると、少し緊張しているのか、やや上ずった声で薄氷が弁明の言葉を紡いでいるのがみえる。

 どういうわけか諸手を頭の位置まで上げていたが、抵抗の意思はないというアピールなのだろうか。文化が同じとは限らないので通じるとは思わないが。


 だが薄氷が何をどう話そうとしてるかに関してはわかる。嘘を言わないが、事実の部分をぼかして伝える、ということだ。

 これだけ科学技術が発達している施設を見るに、この世界では転送技術くらい確立されていたところで別段不思議ではないだろう。

 仮に実用化してなくとも、『まだ一般には公表されていない極秘の転送機械の実験事故である』ということに話を揃えてしまえばいい。

 そう考えた空木であったが、思わぬ方向から反発意見が出てきた。


「あ? 転送(トランスポート)? ハッ! ダンジョンの探索中に罠にでも掛かったってか? 馬鹿言うなよ。お前らは知らないだろうが、ここに移動座標軸を持ってくることは不可能なのサ。残念だけど、そんな苦し紛れの言い訳オイラには通じないよ」


 そうやって妖精は小馬鹿にしたように大仰そうに息を吐くと、さらに怪訝な目をこちらに向けてくる。

 困ったような顔で薄氷と顔を見つめ合わせた。嘘は言ってる訳じゃないのに、妖精の方は嘘を言ってるように聞こえたらしい。

 というかこの世界(メタバース)では転送技術は確立されているが、同時に転送妨害技術も発達してるらしい。ここまでは空木も考えていなかった。

 しかし妖精が気にしていることは、どうやらこの建物にやってこれたことではないようだ。どうやらこの施設内に入ってこれたことが怪訝の元らしい。

 妖精は態度を改める訳でなく一度身体を揺らすと、空中で腰を据えたようにどっしりと構えて空木らを睨む。


「言っておくが、別にここに迷い込んだこと自体は別に変ではないんだよ。稀に冒険者が荒らしにくるからな。問題はアンタらがあの扉をどうやって開けたかってことだ。下手な言い訳はしなくていいから、それだけ答えてくれ。答えてくれたら、オイラが直々近くの街まで飛ばしてやるよ。多少豪華な手土産付きでな」


「ですから、それは手を触れたら自動的に……」


「だーから故障もなしにあの扉がお前らに開けられる訳ないんだって」


 そういって大きなあくびを一つ。完全に薄氷の言い分を信じていない様子である。

 とは言っても出任せを言ってお茶を濁すことはできないので、同じ主張を繰り返すしかない。しかし妖精の方も頑としてこちらの意見を通さない。

 意地になってる訳ではないのだろうが、なんにせよ話が進まないことには変わりない。

 そうしてしばらくの間、自動的に開いたのだという空木らの主張と、ありえないから意地張ってないで本当のことを話せという妖精の主張が、キャッチボールのようにポンポンと3人の間を飛び交った。


 そうして何度も何度も同じセリフを繰り返し、空木がまるで自分を九官鳥か何かになったかのように錯覚し始めた頃。ようやく妖精は頑なだった表情を眉根を寄せて困ったかのように軟化させて頬を掻きだした。


「埒が明かないね……」


 それは空木らも同感である。だが主張を翻すようなことはしない。

 ここで頑なになるメリットもないのだが、ここで主張を変え損ねて下手をうつ方が遥かにリスキーなものだと分かっていたからだ。

 それに時間稼ぎができるのであれば空木らとしても構わないのだ。その間に運営スタッフが駆けつけてくれれば済む話なのだから。まあ結果論になるが結局来なかったのだが。

 それゆえか、先に根をあげたのは妖精の方だった。 


「まあお前らの服装や足元を見れば、泥濘のひとつでも越えてきた訳でもないってのは分かるけどなぁ……。でも数百年単位で放置してたし、施設機能も壊れてる可能性だって――……いや、あまり考えられねえなぁ」


 言い合いから一人ごとにシフトした妖精を後目に、二人はそっと顔を見合わせて小声で囁き合う。


「そういえば新調したばかりでしたね、服。外も比較的舗装が残ってる所を歩きましたし。それでも納得してもらえてないようですが」


「もう面倒じゃし、『オープン・ザ・セサミ』と唱えたら開きましたとでも言いますか」


「その場合だと私たちはアリババじゃなくてカシムですね。私はバラバラになんてされたくないですよ」


「同感ですな。財宝もないし、いっそのこと舞踊で機嫌を取ってるうちに、隙を見て始末しますか」


「生憎、小粋なジャズは流れてませんが」


「ジャスでダンスは踊れませんわい」


「おーい、お前ら。何ボソボソやってんだ。こちとら真剣に悩んでるってのによ」


 声を掛けられて顔を妖精の方へと戻すと、不機嫌そうなジト目の妖精がこちらを睨んでいた。

 独り言を呟き始めたから放っておいてもいいと判断したが、そういう訳ではないらしい。


「悩んでるのはこっちも同じですぞ。どうしても信じていただけないのですかな?」


「そりゃあなあ。最初から扉が開いてたとか特殊な手段を用いたってんなら多少は信じたかもしれないけどな。自力であの扉を開けたつってんなら話は別よ。そうそう信じる訳にはいかないわなぁ」


「ふむ……」


 そうなればまた水掛け論の始まりか。少し痛む頭を押さえつつ、不毛な言い争いに再び空木が踊りだそうと口を開きかけたその時。

 空木の背後から少し遠慮した様子で薄氷が口を開いた。


「あの……少しいいですか?」


「あん? どうした色男。主張を変えるのなら大歓迎だぜ」


 色男(・・)と聞いて、空木は一瞬嫌みか何かかと思ったが、妖精の様子を見るにその様子はない。どうやら妖精は薄氷の性別をやや勘違いしてる節があるようだ。

 しかし当の薄氷本人は微塵も気にした様子もなく、淡々と言葉をつづける。


「いえ、そうではなく……。実際にもう一度扉を開けて見せれば済む話じゃないのでしょうか」


「…………」


 その言葉に不毛な言い争いをしていた二人が場が凍りつく。まるで時が止まったかのようにピクリとも動かない。

 場が白けたのか、凍りついたのか。

 そうしてしばらくその様子を見ていた薄氷が、もしかして自分が気づいてないだけで、実は相当間抜けなことを言ってしまったのではないかと心配しはじめたその時である。

 半開きにしたまま凍りついていた妖精の口から、ボソりと短い言葉が漏れだしてきた。


「ホンマやんけ……」


 なぜか関西弁だった。






 銀色の回廊を二人と一羽(?)が黙々と進む。

 あの後空木は、確かにその通りだとあっさり薄氷の案を受け入れ、では実際にご覧に見せてさしあげようぞと妖精を連れだって、例の鈍色の扉まで移動することにしたのだ。


 そんな中、薄氷は軽い足取りですいすいと先頭を歩く空木を見て、なんとなくかの高名な頓知坊主の姿を思い浮かべた。

 とはいえ一休老師と違い、空木は禿頭は禿頭でも禿(かぶろ)頭だったし、羽織ってるのは袈裟ではない。合ってるのは坊主ということくらいか。もっとも中身は齢80の老人ではあるが。


「しかしこの辺りは見事に森に囲われておりますの。人の往来もままなりますまい」


「往来も何も、ここは人が目的を持って訪れたことなんてまず無いよ。ほとんどお前らと同じように迷い込んできた奴らばっかりサ。ま、ここまで辿りつかれたのは初めてだったけどな」


「うん? こんな立派な建物なのにかの? 見た感じ、住居用の施設もそれなりにあったと記憶しておるのじゃが……」


「お前ら(・・・・)じゃないってことサ。来るべき奴らが来なかったせいで、この世界も……いや、なんでもない。お前らには関係のない話だわな」


 そう言って妖精は首を竦めて前を向く。これ以上聞いても話すことなんてないぞ、と暗に言ってるようだ。

 しかし今、聞き捨てならない単語が妖精の口から出たのを、空木は聞き逃さなかった。


「……いま、世界(メタバース)といいましたかの? この(・・)世界(メタバース)と」


「言ったよ。まあメタバースが何なのか、お前らには分からんだろうし、知らない方がお前らのためだぞー。あぁ、言っとくがお宝とかレアなモンスターとかじゃないから悪しからず」


 空木と薄氷は顔を見合わせる。半ば欠伸混じりでの返答だったが、間違いない。

 この妖精はこの世界の住人ではなく、この世界を管理する立場の存在だ。ならば変に隠し事をして話を拗らせる必要もなくなった。

 それは同時に、事故に巻き込まれて困っていたというこの問題の解決も意味する。


 やっと元の世界に戻れる。少し長めの寄り道だったが一先ず一安心だ。

 空木は安堵のため息をつくと、偶然同じタイミングで溜息をついた薄氷と目が合って、二人して声をあげないで微笑みあった。

 そして怪訝な様子でこちらを向いている妖精へと笑顔で向き直る。


「いやあ、メタバースですか。そうかそうか……。いや、それならそうと初めに言ってくださればよかったのに。ここはこの世界の住人の建物ではなく、システム管理者用の施設だったのですな」


 ピクッと妖精の眉毛が動く。しかしあくまで表情は崩さない。


「……何言ってるんだ、坊主。オイラを起こすまでにそこら辺の機材弄って変な知識でも貯め込んだのか?」


「いや、困惑するのも仕方ないですの。私らはこの世界の住人じゃありません。お宅もそうでしょう? おそらくこの世界の管理者権限を持つスタッフの方では? いや、道理で話が噛みあわない訳ですわ」


「お前……その話をどこで……」


 そこまで言うと妖精の顔にも変化が現れた。さっきまでの飄々とした表情は何処へやら。今では驚愕に似た、そんな複雑な表情をしている。

 しかしそれでもまだ疑心は捨て切れていないらしい。その双眸には怪訝の光が未だ灯っていたのだ。

 もしかして事故の件はこの世界にまでは広がっていないのだろうか。


「どこも何もって……。ここはそういう場所でしょう? だから私たちが来た」


 空木は死後という言葉はあえて使わなかったが、先ほどからの薄氷の様子を見るに、もしかしたら無用な心配だったかもしれない。

 妖精のほうもその言葉をどう解釈していいか分かりかねてるようだ。


「いや、でも……。うん、いや待て。後ろのキレーな兄ちゃん(・・・・・・・・)はともかく、銀髪の猫坊主は獣人(セリアンスロープ)……っつーか、猫耳族(キャット・ピープル)だろ? 目にもなんか魔術刻印がしてあるし、やっぱお前らここの世界の――」


「キャット・ピープル? 別に私は豹には変身しませんが」


「あぁ、黒豹に変身する。ちょっとエッチな」


「それはリメイク版ですな。私はオリジナルの方が好きでしたがの」


 ちょっと茶化したつもりであったが、眉根を寄せて首を傾げているのを見るとどうやら通じてないようだ。

 一方で薄氷には通じたみたいである。思いのほか、映像作品には造詣があるのかもしれない。


「オホン。まあとにかく私は人間ですぞ。これは耳ではなく単なる癖っ毛ですし……。それにほれ、タペタムも尻尾もないじゃろう?」


「それはそうだけど……。じゃあその眼の魔術刻印はどう説明するんだよ? それにユニ語だって普通に喋ってるじゃないか」


「眼? ユニ語? ユニ語云々については存じませんが……あぁ、眼に関しては、そういえばアバター作成時にそういう類のものをゼシーさん……あー、アフターライフのスタッフの方ですな。その人にデザインしてもらって――もしもし?」


 空木が妖精の質問に応えたその瞬間、妖精の様子がガラリと変わった。具体的には『アフターライフ』という単語が出てきた時にだ。

 妖精の眼をカッと見開いて、戦慄くように身体を震わせて、ゴクリと喉を鳴らすのが聞こえた。

 口角はヒクつきながらも吊り上がっている。まるで無理やり笑顔を押さえこんでいるかのようだ。

 そして震える声でやっと紡ぎだした言葉は、


「えっ……? えっ……? アフターライフって……お前、それ、お前……」


 意味不明である。


繋がった(・・・・)……?」


 脳のシナプスがだろうか。


「まあ、何をそう驚いてるのか知りませんがね。とにかく、システムエラーか何かでしょうが、よくわからないままにこちらの世界へ転送されてしまいましてですね。困っていたのですじゃ」


 ちらりと妖精を見る。焦点の合ってない眼で、「マジかよ。マジかよ」と繰り返している。

 異様である。その様子に思わずたじろいだ空木の後を、薄氷が継いだ。


「そういう事情ですので、保護か再転送をお願いしたいのです。エラーはスタッフの方の前で起きたので、きっと今まで話した事情について証明できると思います」


 反応はない。だが空木らが立ち止まれば妖精もその都度止まるので、一応意識はしているらしい。

 と、そうこうしているうちに例の鈍色の扉が見えてきた。そして扉の前でいったん立ち止まる。

 妖精も空木らにならってピタっと空中で止まり、ここでようやく顔をあげた。


「とりあえず着きましたので、開けて見せましょう。ちょっとそこで見ててくだされ」


 妖精がようやくこちらに気をまわしたのを確認すると、空木は扉を開けて見せるべく、ゆっくりと鈍色の扉へと歩き出した。

 すると、その背後へと震えるような声で、問いかけが飛んできた。


「なあ、お前ら……。とりあえず、とりあえずだ。一先ずこれだけは聞かせてほしい」


 やけに真剣な声色なのに、その表情は相変わらず笑いを堪えているかのようにヒクついている。

 ふざけているのか真剣なのかわからない。


「お前ら……一体どこからやってきた?」


 意図がイマイチ質問であった。

 空木は怪訝な顔のまま扉の前に立つと、あまりに長すぎる袖を捲りめくって、華奢な細腕を取り出し、小さな掌を扉へと押しつける。

 途端にキュインという小さいが甲高い音が一瞬だけ響き、扉が開く。


「そりゃあ当然、此岸……アフターライフの待機用世界(メタバース)からですが」




◇   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆




 それからの展開は早かった。

 妖精は2人が思わず耳を塞いでしまうほどの歓喜の声をあげたかと思うと、あっという間にUターンしてどこかへと飛んでいってしまった。

 意味も分からず二人して妖精を探したところ、最初に妖精と出会った部屋で一心不乱にキーボードを叩いている姿を見かけ、そして現在に至る。


 一体どういうことなのか空木は説明を求めたが、妖精は小躍りでもし始めそうな勢いで機材に齧りつくだけで、何一つまともな反応は返ってこなかった。

 まあもしかしたら救援でも呼んでくれてるのかもしれないということで、とりあえず空木らは妖精を為すがままにさせて、部屋で待機することになったのだが、その後、救援隊どころか人っ子一人新たにその部屋へやってくることはなかった。


 それどころか、当初明るかった妖精の表情は時間が経つにつれて陰りを見せ始め、時折「あれ、おかしいな」だとか「変だぞ? なんで繋がらないんだ?」といった困惑した独り言を呟くようになり、終いには焦りと苛立ちが入り混じったような表情でキーボードを叩いているだけになった。


 そんな妖精の様子を背後から眺めるようにして立つ2人の影。

 空木達は、かれこれ1時間は棒立ちのまま、ひたすらキーボードを叩く妖精を見つめ続けていた。


「私らはまだここで待ちぼうけですかの? まったく……。先に私らをちゃんとした世界へ送ってくれても罰は当たるまいでしょうに」


「うーん……。でも、もしかしたら、私たちが巻き込まれたトラブルの収拾に勤しんでいるのかもしれませんし、作業のお邪魔する訳には――」


「にしては私らに対する説明も何もないみたいじゃがのう……」


 空木は自身がクレーマー体質ではないとは信じてはいるが、それでもここまで露骨に放置されてしまっては、流石に不満たらたらのようである。

 一方で不貞腐れてる空木を宥めすかしている薄氷も、少し胡乱げな目で妖精の背をチラチラと見ているところを考えると、それなにり不満はありそうではあるが。


 しかしそんな2人に気をかけず、妖精はただただ一心不乱にモニターへと向き直って、ひたすらに手もとのキーボードを叩き続けた。




 そして再び時間は流れ、いよいよ妖精に放置されてから3時間ほどが経とうとしたその時、ようやく妖精は今まで手掛けていた何か(・・)に対して音を上げた。


「あー、クッソ! 何で繋がらねーんだよォー。ちゃんとログには旧第7ローカルルータまでリンクした記録が残ってるのにィー!!」


 そんな妖精のヒステリックな叫びに、隅の方で体育座りをして妖精の作業が終わるのを待っていた空木が、伏せていた顔を少しだけ上げる。

 梅の花が艶やかな羽織の隙間から覗く大きな瞳は、少し不機嫌そうに細められていた。


 その隣で、ずっと壁に(もた)れかかるようにして立っていた薄氷が、「ひと段落ついたみたいですね」と空木に声をかけ、「ようやくかの」とうめく様に呟きながら顔を完全に上げる。

 随分と待たされたせいであろう。その顔は不満さを隠し切れていない。

 大きな瞳を胡乱気に半目にして、小さな口元を上向きに曲げているその表情は、なんだか怒っているというより、拗ねているようにも見えた。


「あー……。やっぱ上手くいかねぇ。考えたくないけど、やっぱここからじゃあ無理なのかなぁ。こんなことなら、他ポータルへの通路開拓しとけばよかった。何とかして移動する手立てを考えないと――」


 そんな空木に気付かないのか、なおも大声で独り言を囁き続ける妖精は、その小さな手で髪の毛を掻きむしりながら、苛立ちを隠しきれないように部屋中に浮かびだされているモニターを見まわす。

 と、その途中で、顔をあげた空木とピタリと視線が合った。


 そしてしばしの気まずい沈黙。

 目を丸くした妖精と不機嫌そうな顔の空木が見つめあったまま、まるで世界が凍てついてしまったかのような中、先に反応を示したのは妖精の方だった。


「あっ! そういやそうだった。あんたらが巻き込まれて……。あぁ~、そうだったそうだった」


 非常に軽いノリである。

 完全に空木らのことを忘れていたらしい。


 散々待たされた空木らの立場としては謝罪の一つも欲しいところだが、最初踏みつけてしまった負い目もあるし、今は無駄な世辞と茶番で時間を潰すわけにもいかなかった。

 もう一度だけ、今度は妖精に聞こえないようにため息をつくと、空木はムスッとした口を重々しく開いた。


「ようやく、お仕事が一段落つきましたか。では、今度はちゃんとこちらの方にも気を利かせてくれるとありがたいですがの」


「あー、いや。ヘヘ……。うん、別にキミらのお願い、忘れてた訳じゃないんだけどねェ。ただ、こっちのが上手くいかなかったというか、ね……。ハハハ」


 妖精は相変わらず軽薄そうな口調で、頓珍漢な返答をする。

 まるで空木らを放っておいたことを、これっぽっちも気に病んでいないかのようだ。


「忘れていないのであれば重畳ですな。ではできるだけ早めに救援か、或いはこの世界からの転送をお願いできますかな。私らが本来行くべき世界は『天上楽土』ですので」


 空木は妖精の態度に若干の苛立ちを感じつつも、出来るだけ丁寧な口調でそう妖精に話しかける。

 しかし一方で、その言葉を聞いた妖精の反応は芳しくなかった。

 「あー」とか「うん」とか「そうだよねー」とか言葉を濁すようなことをぶつぶつと呟きつつ、うんうん悩みながら頭を掻き毟るだけで、やはり空木らを送り届けてくれようとはしなかったのだ。


 そんなあまりにいい加減な妖精の態度に、空木がとうとう不満の一つでもこぼそうとしたと同時に妖精が動いた。

 うんうん唸っていた妖精が、一つ溜息をついて意を決したかのように顔を上げると、空木らにとっては忘れられぬ衝撃的な一言を発したのだ。


「あー、まず最初に結論を言っとくわ。えーっとね……アンタら。今のままじゃ、この世界から帰れないよ」

【設定用語集】 仮想世界(メタバース)


 本編中では『世界』と表記される、電脳空間上に仮想的に作られた世界のこと。

 MMO系小説が氾濫している今、もはや説明不要なくらいに有名な用語ではあるが一応解説。


 各世界には小規模なセル・オートマトンから、大規模物理演算システムまで様々なプログラムが組み込まれており、その中で人は現実と同じように動くことができる。

 他にも天体の動きや動植物の繁殖といったマクロものから、菌の増殖や空気中の化学変化などといったミクロな部分まで再現されており、もはや現実世界と何ら変わりのないような世界観を再現している。


 アフターライフでは現在4種類の大規模な世界(メタバース)が存在しているが、その全ては各々違った世界観を持つ。

 しかし全部一から作った場合、そのコストは天文学的な数字になるために、『アナザーライフ』を除いた各世界は、『アナザーライフ』の世界をコピーして作られてたものである。

 そのために各世界にはある程度の互換性が存在し、細かな調整や仕様変更などは必要なものの、別の世界への移動は比較的容易に行える。


 実はこの4つの世界とは別にもう一つ、とある昔に開発中止になった世界が存在するという噂があるが、ルフテ社自体はこの噂を公式に否定している。


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