本編5「終結、そして本戦へ向けて」
大樹がネーアに連れてこられたのは、古いが頑丈な作りの民家だった。時代を感じる洋風の中に、屋根の部分だけがなんとなく日本家屋が垣間見える。
その家の中にはネーアの母親が何やら家事をしており、ネーアの連れてきた大樹を見ると、その疲弊した顔に驚きの声を上げる。
「その人は誰!?」
「話していたエレオノーラ様が治療されていた方よ。それよりも早く水とご飯をください。彼魔法を使った代償でお腹がすいたらしいの」
必死そうにネーアはそう言うが、怪我をしたわけではなく、ただお腹がすいたと言うという事で、ネーアの母は安心したよういため息をついた。
「な~んだ。じゃあこれでも食べて待っていて。直ぐにスープを作るから」
そう言ってネーアの母親は台所に当たる場所から大きなパンとナイフを取り出すと、水と共に大樹につき出す。
パンは小麦の良い匂いがして、大樹の腹は切ない声で鳴いた。
「いっ、いただきます……」
大樹はそのパンを掴むと、ナイフで切り分けずにそのままかぶりつく。口の中に広がるのは天然小麦の香ばしい香りと、圧倒的な炭水化物の味。大樹はそれを食べながら思わず涙を流す。
「まあパンをそんなに。よっぽど魔法ってお腹がすくものなのね」
「ハグッ!そうみたいです。いや~美味い。こんなに飯が美味いなんて久しぶりだ」
適当な感想で感謝を述べながらも、大樹の口には次々にパンが吸い込まれていき、彼の頭ほどあったパンは、直ぐに彼の胃袋に消えて行った。
「スープもできたから。これも食べなさい」
次にそう言って出されたのは数種類の野菜が入った塩スープ。その香りは大樹が嗅いだことのないハーブの香りがし、大樹は鍋が置かれると、取り分ける事無く直ぐにスプーンを掴むと、熱さも気にせずに直接口に流し込んだ。
「口の中火傷しないのかい?」
そう心配されたが、仮にも大樹の体は火を噴いたのだ。いまさら熱いスープぐらい何ともなかった。
スープの味はおふくろの味と言った感じで、滋味が大樹の体に行きわっ立ってゆく。それと同時に大樹の必死さも徐々に和らいでき、スープを飲み干す頃にはその顔も随分と落ち着いた様子。
「ふ~。ご馳走様でした!おかげで助かりました。遅れましたが私の名前は前寺大樹といいます。エレオノーラ様より神殿騎士を仰せつかりました」
スープを飲み干した大樹は、久々に食の幸福を感じる。あの殺伐とした日々からは考えられない安らぎが、今そこにあったのだ。
「いや~そんなに感謝されちゃ照れるわね。わたしはこの子の母でウルスラ・シュテインよ。それにしても神殿騎士なんて言葉は初めて聞いたわ。さてはネーアが勝手に名付けたのね」
「―――母さん、それよりも村に武装した教戒師団が来たそうです。丁度ファルベルナ傭兵団が来てくれて助かったんですが死者が出ました」
「そうかい……まああの荒くれ共も、泊めてやってる分は働くみたいだね」
そういって大樹に黄色い林檎を投げると、ウルスラは部屋の奥へと去ってゆく。
そして帰って来た時には、長い剣と革製の手甲、そして彼女達が身に着けている者と同じ服を持ってきた。
「見たところ武器を思ってないようだし、この通り今ここは物騒なんだ。よっかったらつかいなよ。服はサービスしとくわ。丸腰で神殿騎士なんて名乗ったら笑いものよ?」
「ちょうどそれ取りに来たところなの。父さんの武器なら大樹様にもちょうどいいわ」
そういってネーアはウルスラから武器を受け取ると、それを大事そうに大樹に渡す。彼女たちの口調と、父親を紹介されていない事からも、この場所には彼女の父親はいないらしい。あるいはこの世にもいないのかもしれない。
その場からそう感じ取った大樹は、素直にその全てを受け取ると、手甲を付けて剣を担ぐ。刀身は錆びていなかったことからも、彼女たちのどちらかがしっかりと手入れをしていたのだろう。
「なんかすごく手になじみます。それに手甲もちょっとデカいがいい皮を使ってる」
「大樹さん、服は着ないのですか?人目が気になるなら奥に行きますけど」
「いや、取り敢えず村へいこう。それに突飛なこの服の方が異世界から召喚された感じがするだろ。じゃあウルスラさんお騒がせしました!」
そう言うと大樹はウルスラに頭を下げて、急いで家を飛び出した。
「もう、待ってください!」
そう言って後から追い掛けるネーア。その姿を見たウルスラは、懐かしそうな、そしてどこか寂しそうな顔をしてそれを見送る。敢えて二人に何も言わなかったのは、きっと若き日の自分を重ねてしまったからである。
道中大樹はネーアが付いてこられる速度で走りながら、腰に下げた剣を抜くと、それを適当に振り回してみる。当然だが彼は剣など触るのは初めてだ。彼の通っていた高校には剣道部があったが、実際には竹刀すら触った事がないずぶの素人。
その剣は振るってみると幅広の両刃が独特の風切り音がする。しかしその剣は良く言えば血を吸ったことがないようで、全く刃こぼれも無ければ柄に傷一つない。今まで何も切ったことがないのだろう。
要するに実際使ってみるまではどうなるか解らないと言える。
「剣って案外重いんだな。この重さで切るってことが良く解ったよ」
「まさか貴方剣を使ったことがないのですか?」
「そのまさかだ。でも大丈夫だろ。なんたって弓矢避けれるんだかな」
大樹は慎重に剣をしまうと、走る速度を上げる。
「この丘を登れば村です」
「ああ、見えて来たよ。案外進歩してるんだな」
そう言って大樹が丘の先を見る。その部分は丁度小さな谷になっており、その部分に幾つかの家屋が点在している。その家はどれも木造だったがネーアの家と同じしっかりとしたつくりになっている。
「傭兵団が見えそうだ。ちょっと先に行ってみてくる」
大樹がそう言って丘を駆け下りてゆく。その道は一応舗装されてはいたが、小石などはそこらじゅうに転がっており、大樹にネーアは付いて行けない。
全速力ではないとはいえ、村までのちょっとした距離を走ってこれるネーアに感心しながら、大樹は傭兵団の元へと駆けていく。
「ああ彼だ。彼がネーアを救ったんだ」
大樹が傭兵団に近づくと、周りにいた村人たちがざわつく。
それを制するように手を挙げたのは、先程大樹を話したアルスターその人。彼は手を振りながら大樹を迎えると大きな声で叫ぶ。
「神殿騎士が来たぞ。彼こそがエレオノーラ様が選んだ騎士だ」
そう言って大樹を歓迎するよう、他の傭兵に諭す。すると周りの傭兵達が、次いで村人達も興奮したように大樹を声援で迎え入れる。
「ようこそ騎士様」
「ありがとう騎士様」
そう言って村人達は大樹の周りに駆け寄ってきた。
「いや、俺こそ死にかけのところをエレオノーラ様に助けていただいたんだ。こちらこそその恩返しが少しでも出来てよかった」
大樹は村人の喜びようから、村でのネーアの立ち位置を改めて思い知る。彼女は確かに美形と言えたが、それだけではない。巫女と言う職事態がよほど重要なのだろう。
「あなたが大樹殿か。儂はこの村の村長、アーボルじゃ。巫女を救ってくれたことを感謝する」
「恐縮です。それよりもあなたが怪我をしたと向こうで村人から聞きました。彼らは……残念ながらあいつらに殺されてしまいましたが」
「儂は大丈夫でした。この通り頭にコブが出来た程度ですからな。しかし村の脇者が死んだのは本当に残念じゃ。仇を打ってくれて本当に礼を言う」
悔しそうにアーボルと名乗る村長は唇をかみしめそう言うと、皺だらけの顔がさらに皺だらけになる。
大樹が良く見ると村人たちは今回の事で随分と怒っており、殺気だった雰囲気すらある。傭兵団はと言うと、同じくねぐらを荒らされたことへの怒りが見て取れた。
「おい村長。今までここは俺たちがいるから大丈夫だとは思ってたが、どうやら向こうさんの事情が変わったらしい。まさか奴らがエレオノーラ様を狙ってくるなんて思いもしなかったぜ」
「ああ、こうなればあんたらに頼むしかない。今回は正式に雇おう」
村長はアルスターとその様な話を小声でしている。大樹は村人に囲まれて細部までは聞き取れなかったが、それでもこの今の状況をなんとなくではあるが理解する事は出来た。
(これはヤバイな。このままじゃここが戦場になる……)
そう考えた大樹は周囲を改めて見回す。生活様式からして中世ヨーロッパというイメージが出てきそうなこの村には、風車とその石作りの家々も相まって、大樹になじみ深い物ではない。
そして村人の持つ農具や傭兵の防具などから見ても、ある程度の製鉄技術はあるようだが、銃や電気などはありそうもなかった。この場所で戦う事の難しさ、そしてただ生きる事の難しさを、大樹はゆっくりと実感していく。
「取り敢えずは騎士様、日が沈む前に私の家に来ていただきたい。そこで色々とお話したいことがございますゆえな」
「その場には俺も同席させてもらう。勿論ネーアもだ」
村人を割りながら、村長とアルスターは大樹に地被いてそう言う。そうすると丁度ネーアも村に走ってきた。彼女は息を切らしながら此方へ来ると、村長の無事を確認して安堵の声を上げた。
「良く頑張ったのネーア」
「でも、アレルヤとナイードが……」
ネーアが言った二人の名前は、恐らくは二人の目の前で殺された村人たちの事だろう。そして彼らはどうやらネーアの周りにいた村人の家族だったようで、ネーアのその言葉を聞くと悲鳴を上げた崩れ落ちた。
膝をついた村人の一人は、ネーアや村長になだめられながら大きな声でナイキ叫ぶ。
「強がってると思ったらこれか。後味悪いな……」
アルスターは大樹に聞こえるか聞こえないかという小声でそう呟きながら、彼らを背にして指揮を執り始める。
大樹はというと、アルスターを横目で見ながら必死に考え始める。自分の立ち位置。今後の行動。そして未来への最短ビジョンを考えるのだ。
地面を見つめながらその右手を顎に当てて、それからネーアが落ち着くまでの数分、大樹は一言も発さずに未来に向けて考えを巡らせた。